第二十四話 挟撃 (山内上杉家視点)
今川治部大輔義元 今川家当主
父上=北条氏康 北条家当主
母上=今川雪 氏康の妻
彦九郎叔父上=北条為昌 氏康の弟
駿府の御祖母様=中御門寿 義元と雪の母
倉賀野長左衛門為広 山内上杉家臣
長野信濃守業正 山内上杉家臣
長尾孫四郎憲景 山内上杉家臣
沼田勘解由左衛門尉顕泰 山内上杉家臣
成田下総守長泰 山内上杉家臣
藤田右衛門佐重利 山内上杉家臣
大石源左衛門尉定久 山内上杉家臣
天文十二年(1543年) 三月 相模国足柄下郡小田原城 表門
西堂丸
三月に入って直ぐに今川家が北条家に対して挙兵した。奪われた河東の領地を奪還するという大義名分での挙兵だ。その兵数は凡そ一万五千。今川家当主・今川治部大輔義元を大将とした大軍である。更に同盟国である武田家から、当主・武田太郎晴信を大将とした五千の援軍も合流したとか。風魔から報告が入って直ぐに父上は相模国と伊豆国の国衆に出兵命令を出した。急遽であった為に集まった兵は僅か八千。不利を承知で駿河国へ向かう事となった。
「父上!…御武運を!」
「あぁ。…母と弟妹達を頼んだぞ」
不安な顔を無理やりに笑顔に変えて力強く頷いた。そうする事が今の私に出来る唯一の事だ。これから大戦へ向かう父上を不安にさせるわけにもいかない。
「雪、身重の体であるお主を置いて戦場へ行くのを許して欲しい。…長き戦になり出産にも立ち会えぬやもしれぬ。どうか母子共に健康であってくれ」
「はい。…殿もどうか健康にはお気をつけ下さい」
…この雰囲気の中で言う事ではないかもしれないが、言わせて欲しい。母上がまた身籠った。この事は、今年の正月に分かった事だ。これで母上は私を含めて七人目の子供になる。私としては勿論嬉しいが、この早さには些か心配になる。
「兄上、そろそろ出発に御座います」
「あぁ。……では行って参る」
彦九郎叔父上に呼ばれ、父上は今度こそ本当に行ってしまわれた。…今川家が動いたとなれば北の上杉も動き出すだろう。里見とて何かしてくるかもしれない。…また四面楚歌か。
「西堂丸、部屋へ戻りますよ」
「…はい」
母上は全くと言って良い程に心配されている様子がない。…どこまでご存知なのだろうか。
「御方様、駿府より文が届きました」
部屋へ戻る途中で女中が母上に手紙を渡した。聞き間違いでなければ、今届いた文は今現在敵対している今川家からの文だ。大方、御祖母様からの文だろう。
「…母上からですね。………あら、来られるのですね」
…よく聞こえなかったが誰か来られるのだろうか?
「母上!何と書かれていたのですか?」
思い切って聞いてみる事にした。普段であればこの様な不作法はしないが、今はその様な状況ではない。何か一大事の事で、対処が遅れれば命取りになる事だってある。
「貴方宛にも来ていますよ。…部屋で読んできなさい」
「…はい」
……渡された文の差出人は、私の予想通りで駿府の御祖母様からであった。一体何事であろうか。…良き知らせであれば嬉しいのだが。
天文十二年(1543年) 三月 上野国緑野郡平井城 会ノ間
倉賀野長左衛門為広
「長野信濃守業正、只今参上致しました」
「うむ!よく来たな長野」
…これで皆がそろった。この面々が一堂に会するのは何年振りだろうか。箕輪城主・長野信濃守業正殿、白井城主・長尾孫四郎憲景殿、沼田城主・沼田勘解由左衛門尉顕泰殿、忍城主・成田下総守長泰殿、天神山城主・藤田右衛門佐重利殿、滝山城主・大石源左衛門尉定久殿。…錚々たる顔ぶれだな。
「…皆様揃いましたので、此度召集したわけを御説明致しましょう」
長野殿が着席したのを確認してから、私が話し始めた。…皆の顔つきを見るだけで少し緊張してしまうな。
「…三日前の事に御座います。駿河国並びに遠江国守護・今川治部大輔殿が兵を挙げました。その兵が向かった先は、河東の一乱により伊勢に奪われた駿東郡。…つまり、伊勢家に対し挙兵致しました。予ねてより今川家と伊勢家では駿東郡を巡り戦をしておりましたが、ここ数年は膠着しておりました。しかし、此度は確かな勝算があっての挙兵。まず、同盟国である武田家の援軍が今川家と合流し、その数は二万。対する伊勢家の軍勢は八千との事。伊勢は北には我ら山内と扇ヶ谷の上杉家、南には里見家がおり全兵力を差し向ける事は出来ません。ですから…」
「諄いぞ、倉賀野殿!」
今から本題というところで大石殿が声を上げられた。どうやら前座が長過ぎた様だ。
「大石、そう怒るでない。今からが良いところよ。静かに聞いておれ」
「…はっ」
まだ罵声が続くかと思ったが、直ぐに管領様が間に入られた。今日は特段に機嫌が良いのだろう。長野殿を注意はしたが怒っている様子でもない。
「…それでは、ここからが本題に御座います。先刻届いた間者の報告に拠れば、今川家と伊勢家の軍勢が対陣するのは二日後との事。…そして両家の対陣を確認次第、我らは全兵力を持って河越城に進軍します」
既に知っていたのか、方々から驚きの声は無かった。
「……それで、如何程の数になるのだ?」
全兵力という言葉が気になったのだろうか。成田殿から兵数について質問があった。
「我らだけで二万四千」
「…我らだけ?…他に援軍でも?」
「はい、扇ヶ谷からは四千が出ます。向こうも全兵力に御座います」
「…ふむ。…そうか」
あまり反応が良くないな。それも仕方ないか、二年前にも山内と扇ヶ谷の連合軍で伊勢に敗北している。…しかし、此度は前回とは大きく違う。兵の数もあるが、それ以上に……。
「此度はそれだけではないぞ」
痺れを切らしたのか、管領様が嬉々として話し始められた。
「…古河公方様が私に御見方して下さる」
「なっ!」
「そ、それは!」
どうやら古河公方様の事は初耳だった様だ。皆が声を出して驚いている。
「ただ味方するだけでは無いぞ、御自身が大将となり下総国・下野国・常陸国の国衆共を率いて参陣される。…その数は三万」
「さ、三万!」
…なっ!それは私も聞かされていなかった。古河公方様が援軍を出されると聞いていたが、よもやそれ程の兵が援軍に来るとは。
「管領様、古河公方様は氏康にとっては義弟にあたります。真実に御味方して頂けるのでしょうか?」
皆が援軍の数に驚愕している中、長野殿が一人冷静に管領様に確認されていた。確かに疑問に思うのも分かるが。
「案ずるでない。…実はな、此度の今川家との挟撃を御提案されたのも古河公方様よ」
「…古河公方様が……」
ん?長野殿は何故驚かれているのだろうか。古河公方様が氏康を嫌っているのは有名な話だと思うが。北の箕輪までは噂が届いていないのだろうか。
「うむ。…更に我らが河越に着き次第、里見家も挙兵する手筈になっておる」
「おぉ!そこまで手を打っておられたとは!」
今まで静かにしていた藤田殿まで大声を出して驚かれている。まぁ、これも古河公方様が手を回して下さったのだが。
「…管領様、いよいよに御座いますな!」
藤田殿も管領様を乗せるのが上手いな。いや、今に限れば全く問題はないのだが。
「あぁ!遂にだ、遂に伊勢を滅ぼす時が来たのよ!…西に今川と武田の二万、北に我ら上杉の二万八千、東に古河公方様の三万、南に里見の五千の総勢八万三千!これで伊勢も袋の鼠よ!」
…八万三千。これは間違いなく大きな戦になるな。いや、やはり戦にはならぬな。氏康は無理に戦おうとはしない男だ。先の河越での戦でもそうであった。……であれば、講和による領地の返還と譲渡が無難なところだろうか。…しかし、管領様がそれで納得するとも思えん。…困ったな。圧倒的に有利ではあるが、それはそれで悩む事になるとは。此度の戦の落とし所を探さねばな。
「では皆の者、十日後の三月十五日。河越へ向けて兵を発する!古河公方様を待たせるわけにも行かぬ、一人として遅れるでないぞ!」
「「「「はっ!」」」」
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