第二十二話 農具
太田備中守資高 北条家臣
北条徳 資高の妻 氏康の姉
堀越六郎康延 今川家臣
北条崎 康延の妻 氏康の妹
源七郎=太田源七郎景康 補佐役
伊達左京大夫稙宗 伊達家当主
伊達次郎晴宗 伊達家時期当主
相馬讃岐守顕胤 相馬家当主
上杉越後守定実 越後上杉家当主
小梁川信濃守宗朝 伊達家臣
懸田三郎俊宗 伊達家臣
左衛門大夫=太田原左衛門大夫資清 那須家臣
三郎=横井三郎時堯 補佐役
横井出羽守時綱 北条家臣
天文十一年(1542年) 十月 相模国足柄下郡小田原城 東ノ間
西堂丸
先月の暮れに母上が女子を産まれた。父上の諱から一字貰い康と名付けられた。と言うのも、目と眉毛が父上にそっくりなのだ。あまりに似ているものだから、私も初めて見た時は空いた口が塞がらなかった。光と春は妹が産まれて大層喜んでいた。母上も二人の期待が大きかった分、無事に女子を産んでほっと安堵しておられた。〝まさか女子を産んで安堵する事があるなんて〟とも仰っていた。確かにこの時代の価値観で言えば、何とも不思議な光景だったと思う。
そして母上に続く様に、今日までに武蔵国江戸城主・太田備中守資高伯父上に嫁がれていた徳伯母上が二人目の男児を、遠江国堀越城主・堀越六郎康延叔父上に嫁がれていた崎叔母上がこれもまた二人目の男児をお産みになられた。両家とも大喜びであったとか。勿論、祝いの品を贈らせてもらった。太田家にら源七郎に渡しに行かせた。此処何年かは江戸に帰れていないと言うので、ちょっとした休暇の様なものだ。福利厚生の大切さは、授業だけではあるが学んだからな。
四月前の事なのだが奥州で大乱が起きた。後世で天文の乱と呼ばれる伊達家の内紛だ。伊達家当主・伊達左京大夫稙宗は、子女を近隣諸侯の下に送り込み親族とする事で勢力を拡大した。家督相続からの三十年間で陸奥国の十郡を支配下に収めた。更に陸奥守護職を獲得し、天文年間初頭には出羽国最上家・陸奥国相馬家・陸奥国蘆名家・陸奥国大崎家・陸奥国葛西家ら南奥羽の諸大名を従属させるに至った。今や陸奥国と出羽国で伊達家に歯向かう大名も国衆もいないだろう。
しかし、稙宗に反抗する者が一人だけいた。嫡男の伊達次郎晴宗である。稙宗が協力的であった婿の相馬讃岐守顕胤に伊達領の一部となっていた相馬旧領の宇多郡・行方郡の一部を還付しようとしたのだ。そして、この案に晴宗が猛反発した。元々、稙宗が進める婚姻や養子による勢力拡大に反対していたらしいが、此処に来て初めて正面から批判したとか。
さらに決め手となる出来事が起きた。さらなる勢力拡大を目論んだ稙宗が、三男・時宗丸を越後守護・上杉越後守定実の養子として送る案を示した。事ここに至り、父子の対立は明確のものとなった。
そして六月、稙宗の鷹狩りの帰りを襲った晴宗は、稙宗を居城の西山城に幽閉した。ところが稙宗が側近・小梁川信濃守宗朝によって救出されると、娘婿・懸田三郎俊宗の居城・懸田城へと脱出した。更に相馬顕胤をはじめとする縁戚関係にある諸大名に救援を求めると、伊達氏の内紛は、奥羽諸大名を巻き込む大乱になったのだ。
左衛門大夫からもこの争乱について文が届いた。左衛門大夫の治める太田原は陸奥国の国境に近い。下手をすればこの争乱に巻き込まれる可能性だってある。父上にも相談されたらしく、出来るだけ伊達とは関わらず、もし援軍の要請があっても物資の援助にとどめる様にとの事。
飢饉にみまわれている今は、領内の事に専念するべきだというのに。どの大名も全く分かっていない。戦が起こるという事は兵糧が必要になるという事。米が取れていない中でさらに米がなくなってしまう。割を食うのは自国の領民なのだがな。……駄目だな、一人でいると嫌な事まで考えてしまう。…源七郎達はまだだろうか。
「西堂丸様、お待たせしました。馬の支度が整いましたので出発致しましょう」
…噂をすればだな。
「分かった。直ぐに向かう」
天文十一年(1542年) 十月 相模国足柄下郡河村城下 内山村
西堂丸
「西堂丸様、真実に私の領地が最初で良かったのでしょうか?」
「構わぬ。父上の許しも出ておるし、小田原では直ぐに噂が広まってしまうからな。…それは少し都合が悪い」
私達は今、三郎の父・横井出羽守の領地の一つ、内山村へ向かっている。目的は新しく発明した農具を実際に使うところを見る為だ。試作段階でも使いはしたが、百姓に実際に使わせるのは今日が初めてだ。父上の直轄地の農村ではなく、出羽守の領地で最初に使うのには理由がある。
先程も触れた噂の広がりの早さについてだ。父上の直轄地は交通の要所や人口の多い村ばかりだ。人の往来が多い為、情報も広まりやすい。自意識過剰かもしれないが、新しい農具の性能を知った他国の大名が攻めてくる事もあるかもしれない。特に今は、飢饉で苦しんでいる大名ばかりだ。常に水害で苦しんでいる武田等、喉から手が出る程欲するかもしれない。
もう一つ理由がある。盗作を防ぐ為だ。四つの農具を作るのに一年を費やしたのだ。勿論、領内の百姓達の負担を軽減する事や、新田開発にも労力を注げる様にと思って作ったが、藤衛門や職人達のためにも利益を出さねばならない。まだ、量産体制は出来ていないが、今回の実践が上手くいけば大量に作らせる予定だ。国衆には定価より安く買わせて、自領民には無料で使わせる。国衆からすれば数年経てば年貢の量が増えるのだから利は十分にある。そして他国には高く売りつける。親戚である今川家や古河公方家は別だが。
この二つの理由から、農具を最初に使うのを出羽守の領地の内山村を選んだ。他にも出羽守は父上の叔父にあたり信頼出来る事。内山村が山の中にあり人の往来が極めて少ない事等も理由の一つだ。
「西堂丸様、見えて来ました。…彼方に見えるのが村長の家です」
「そうか。……誰かいるか?」
周りを見渡しながら少し大きな声で告げた。補佐役の四人に言ったわけではない。
「はっ、此処に」
前触れも無く雅鉄が目の前に現れた。雅鉄は父上が私に付けてくれた風魔の内の最年長の忍びだ。
「念には念をだ。周りに怪しい者がいないか見てきてくれ」
「はっ」
短く返事をすると瞬く間に姿を消した。居ないとは思うが小田原から私をつけてきた者がいるかもしれないからな。
「若様、お待ちしておりました!」
村長の家の前に着くと、三郎に良く似た好好爺が私の前に出てきた。
「その顔を見るに横井の大叔父上とお見受けした。如何じゃ?」
「はい!私が三郎の父・横井出羽守時綱に御座います。以後お見知り置きを」
「うむ。三郎から大叔父上の話は度々聞いていた。これからも宜しく頼むぞ」
「はっ!」
三郎だけではなく、父上や御祖父様からも話は聞いていた。國御祖母様の弟で御祖母様が小田原に嫁ぐ時に、尾張国の領主の次男であった大叔父は御祖母様と共に小田原へやって来たと。そして、北条家に仕える事になったと。
「大叔父上とは話したい事や聞きたい事もあるが、今は視察の方を優先したい。早速ではあるが案内してくだ……してくれ」
「はい」
やはりまだ慣れないな。今までは城の中だけで生活していたために私の口調を気にする者はいなかったし、父上も気にされていなかった。しかし、城から出るとなると話は変わってくる。領民の前で家臣に敬語で話す様だと威厳や権威が無くなってしまうと父上にも言われた。それで今日から口調を直してみたが、まだまだ慣れないな。
「それでは、此方へどうぞ」
「うむ」
さて、農具の使用具合はどうだろうか。上手く使えていれば良いが。本来であれば今より百年も後に完成する物だが、この事がどれ程の影響を与えるかも分からない。小さき事も積み重なれば大となる。北条が戦国の世を生き残る力になれれば良いが……。
今週は残業ばかりで更新出来ませんでした。
来週は定時で帰れますので大丈夫だと思います!