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北条家の四代目  作者: 兜
第一章   幕開
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第二十一話 下克上

十郎叔父上(じゅうろうおじうえ)北条氏堯(ほうじょううじたか)  氏康の次弟

多目周防守元忠(ためすおうのかみもとただ)  氏康の軍師

夕叔母上(ゆうおばうえ)多目夕(ためゆう)  氏堯の妻

華叔母上(はなおばうえ)北条華(ほうじょうはな)  綱成の妻

彦九郎叔父上(ひこくろうおじうえ)北条為昌(ほうじょうためまさ)  氏康の長弟

美姫叔母上(みきおばうえ)大伴美姫(おおともみき)  為昌の妻

光=北条光(ほうじょうてる)  氏康の長女

武千代(たけちよ)北条武千代(ほうじょうたけちよ)  綱成の嫡男

梅殿(うめどの)武田梅(たけだうめ)  晴信の長女

松千代丸(まつちよまる)北条松千代丸(ほうじょうまつちよまる)  氏康の次男

駿河の御祖母様(おばばさま)中御門寿(なかみがどとし)  義元と雪の母

氏輝伯父上(うじてるおじうえ)今川氏輝(いまがわうじてる)  今川家先代当主

輝忠伯父上(てるただおじうえ)今川輝忠(いまがわてるただ)  氏輝の長弟

織田弾正忠信秀(おだだんじょうちゅうのぶひで)  織田弾正忠家当主

義元叔父上(よしもとおじうえ)今川義元(いまがわよしもと)  今川家当主

藤林長門守正保(ふじばやしながとのかみまさやす)  今川家臣

松平次郎三郎広忠(まつだいらじろうさぶろうひろただ)  安城松平家当主

潔伯母上(きよおばうえ)今川潔(いまがわきよ)  義堯の妻

吉良左兵衛佐義堯(きらさひょうえのすけよしたか)  今川家臣

亀叔母上(かめおばうえ)今川亀(いまがわかめ)  長持の妻

鵜殿長門守長持(うどのながとのかみながもち)  今川家臣

斎藤新九郎利政(さいとうしんくろうとしまさ)  美濃国主

土岐美濃守頼芸(ときみののかみよりあき)  美濃前国主

賢千代(けんちよ)松田賢千代(まつだけんちよ)  盛秀の嫡男

満千代姉上(みつあねうえ)北条満(ほうじょうみつ)  足利晴氏の妻

千代姉上(ちよあねうえ)北条千代(ほうじょうちよ)  葛山氏元の妻

滝川八郎資清(たきがわはちろうすけきよ)  織田家臣






天文十一年(1542年) 八月 相模国足柄下郡小田原城 東ノ間

西堂丸




 十郎叔父上が結婚した。相手は父上の軍師・多目周防守元忠(ためすおうのかみもとただ)の妹・(ゆう)殿である。…いや、これからは夕叔母上(ゆうおばうえ)だな。今月の初め、結婚の報告に二人が私を尋ねてくれた。夕叔母上はかなり美人だった。母上や華叔母上(はなおばうえ)とは違う種類の美人だ。小顔でとても愛嬌のある可愛さといった感じだった。叔父上もまだ慣れていないのか終始緊張していた。彦九郎叔父上(ひこくろうおじうえ)美姫叔母上(みきおばうえ)の時は似たもの同士の夫婦だと感じたが、此度はずっと落ち着きのない十郎叔父上と、私や父上を前にしてもずっと冷静で落ち着いていた夕叔母上。なんとも似ていない夫婦だと思った。


 この話にはまだ続きがある。父上と元忠は所謂(いわゆる)幼馴染なのだとか。…では、その弟と妹であった二人はどうなのかと言うと…、なんと二人も幼馴染だったのだ。どうやら叔父上にとって夕叔母上は初恋の相手なのだとか。なんとも嬉しそうに語る叔父上を見て、本当に好いていたのだと思わされた。そして、さらに驚いたのが、此度の縁談は夕叔母上から申し出たという事だ。夕叔母上の美しさは国衆の間でも噂になっていて、嫡男の正室に自分の妻にと引く手数多の人気だったらしい。しかし、父上が叔父上をそろそろ結婚させようとしている事を元忠から聞かされて、翌日には父上の元へ自分が妻になると直談判しに来たとか。この事は叔父上は知らない。祝言の席で夕叔母上が教えてくれたのだ。


 まるで源氏物語を読んでいるかの様な気分になったものだ。まさか、この戦国の世でこの様な恋物語があったとは。それも身内の話でだ。…これを聞いて、(てる)武千代(たけちよ)を見つめながら目を輝かせいたのが少しだけ気になったが。……武千代か。確かに、何処の馬の骨かも知らない奴よりは増しか。この時代であれば、従兄妹(いとこ)同士の結婚もそれ程珍しくもないからな。


 ……結婚か。今思えば二度の人生で結婚など一度もしなかったな。一度目の時は、来年になれば甲斐国の武田太郎晴信(たけだたろうはるのぶ)の長女・(うめ)殿を妻に迎えるところであった。しかし、私は来年を迎える事なく、その年の内に病で死んでしまった。どうやら梅殿は私の代わりに松千代丸と結婚したらしいが。仲の良い夫婦だったと歴史書にも書かれていた。…松千代丸の為に、今世でも二人を夫婦にしてやりたいが。


「西堂丸、入りますよ」

「はい」

 廊下の方から母上の声が聞こえた。母上が襖を開けると、丁度日差しが掛かった。それは、まるで後光の様になっていた。この位置に太陽が昇っているという事は、そろそろ正午になるという事だ。

如何(いかが)なさいました?」

「暇でしたので様子を見に来ました」

 ……今の母上は身重であると言うのに、女中達は止めなかったのだろうか?…いや、母上の後ろで顔を真っ青にしている女中達が見えた。どうやら止められなかったのだろう。

「…駿府の御祖母様からの文を読んでおりました」

「そうでしたか。……何か気になる事でもあったのですか?」


 ……やはり、母上に隠し事は出来ないな。

「はい。…三河国での戦の事は御存知ですか?」

「えぇ。母上からも殿からも聞きましたよ」

 先月の事だ。三河国で織田家と今川家の戦があった。織田家の大将は氏輝伯父上と輝忠伯父上を暗殺した織田弾正忠信秀(おだだんじょうちゅうのぶひで)だ。それに対し今川家は義元叔父上を大将とし、両家の総力戦となった。

「睨み合ったまま膠着しているとか」

「はい」

 動きが無かったわけではない。織田家は初めから積極的に仕掛けてきた。叔父上が着陣されると何処から情報を得たかは分からないが、一刻もしない内に奇襲を仕掛けてきた。ここで活躍したのが、新しく家臣に迎えた忍び衆だった。


 織田の奇襲隊が三里に迫ったところで叔父上に報告が行き、なんとか退却が間に合った。そのあとも度々奇襲があったが全てを防ぎ切った。叔父上が皆の前で忍び衆を褒めると、頭領である藤林長門守(ふじばやしながとのなみ)が泣き崩れたとか。そもそも、長門守は度々仕事を請け負って知らない仲ではなかった事と、叔父上の金払いが良かった事が理由で今川家臣になっただけだった。忍びという身分で、これ程に重宝され信頼されるとは思っていなかったとか。名門である今川家当主の叔父上が忍びを褒めるなど微塵も思っていなかったのだろう。


 しかし、織田の奇襲は怪しいな。着陣して直ぐに奇襲して来たという事は、内通者がいるか偶然としか思えない。今川家に参陣した三河の国衆は従属したわけでも家臣に加わったわけでもない。援軍として参陣したというのが此度の名目だ。これは織田家にも言える事だが、三河の国衆は未だに旗幟鮮明にしているわけではないのだ。三河国で叔父上の味方と言えるのは、安城松平家の当主で岡崎城主・松平次郎三郎広忠(まつだいらじろうさぶろうひろただ)殿、母上の姉で私の伯母にあたる潔伯母上(きよおばうえ)が嫁いでいる西条城主・吉良左兵衛佐義堯(きらさひょうえのすけよしたか)伯父上、同じく母上の妹で私の叔母にあたる亀叔母上(かめおばうえ)が嫁いでいる上ノ郷城主・鵜殿長門守長持(うどのながとのかみながもち)叔父上の三人ぐらいだ。…やはり裏切りが濃厚だな。


「…ですが、間もなく織田は尾張国へ退くと思いますよ」

「何故ですか?」

「美濃国で政変が起こりました」

「それは…初耳ですね」

 戦国時代に於ける下克上と言えば我が家の代名詞なのだが、もう一人代名詞になっている大名がいる。美濃の蝮・斎藤左近大夫道三(さいとうさこんだいふどうさん)だ。今は斎藤新九郎利政(さいとうしんくろうとしまさ)と名乗っているらしいが。まぁ、その斎藤利政が美濃の国主・土岐美濃守頼芸(ときみののかみよりあき)を尾張国へ追放して自身が美濃国主となったのだ。そして、その追放された頼芸は織田弾正忠信秀を頼った。信秀としても美濃国主の要請を無視は出来ない。近々、尾張国へ兵を退く筈だ。

 

「西堂丸!遊びに来たぞ!」

「…遊びに来ました」

 …母上の次は武千代と賢千代か。武千代は相変わらず元気が良いな。賢千代の口数の少なさも変わらぬ。

「そうですね。…西堂丸、部屋の中ばかりではなく偶には武千代と賢千代とで外で遊んできなさい」

 確かに最近は文を書くか書物を読んでばかりだったな。このままではまた病弱な体になってしまう。今日は全力で遊ぶとするか。

「分かりました。…武千代、賢千代。お主達は櫓へ登った事があるか?」

 二人とも首を振った。どうやら櫓に登った事はない様だ。あそこの近くには満姉上と千代姉上と共に作った迷路がある。二人にも見せてやるとしよう。




天文十一年(1542年) 九月 尾張国愛知郡古渡城 当ノ間

滝川八郎資清




「奇襲が失敗した要因は分かったか?」

「はっ。…どうやら今川家は忍びを家臣として召し抱えた様で御座います。此度はその忍びの報せが奇襲隊よりも早く着いた様で」

「……ほう。今川が忍びを召し抱えたと」

 殿も疑っておられる様だ。私も初めは驚きのあまり何かの冗談かと思った程だ。

「して、何処の誰を召し抱えたのだ?」

 …やはり気になられたか。この短い間で調べるのは骨が折れたが、調べておいて良かった。

「はっ。…頭領の名は藤林長門守正保と言う男に御座います」

「…藤林。……あぁ、伊賀三家の藤林か」

「はっ。左様で御座います」


 伊賀国北郡には多くの忍びの一族が領地を持っている。その中でも三家と呼ばれ、特に力を持った一族達がいる。百地家と藤林家と服部家の三家だ。

「…これでは、三河国も容易くは奪いとれんな」

「…………」

 …いや、殿は陪臣の身でありながら十分にお家を大きくされておる。殿の出世を妬む者共が邪魔さえしなければ、今頃は………。

「八郎。……そう怖い顔をするでない。…まずは斎藤退治が先よ。越前国の朝倉から同盟の打診も来ておる。此方は案外早く方がつくかもしれんな」

 …殿は些か優し過ぎるのだ。

「はっ」






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