第二十話 諏訪侵攻
上杉兵部少輔憲政 山内上杉家当主
長左衛門=難波田長左衛門憲重 山内上杉家臣
古河公方様=足利晴氏
藤氏様=足利藤氏 晴氏の嫡男
北条新九郎氏康 北条家当主
西堂丸 北条家嫡男
藤衛門=宇野藤衛門定治 相模の商人
武田太郎晴信 武田家当主
諏訪左近大夫頼重 諏訪家当主
信虎=武田信虎 武田家先代当主
諏訪勝三郎頼高 頼重の弟
詠存=太田原資清 那須家臣
大関美作守=大関宗増 那須家臣
大関弥五郎増次 宗増の嫡男
氏堯=北条氏堯 氏康の弟
天文十一年(1542年) 六月 武蔵国緑野郡平井城 当ノ間
上杉兵部少輔憲政
「長左衛門、まだ待たねばならんのか?」
「…今は我慢して頂くしか」
氏綱が死んでからそろそろ一年が経つというのに、未だに河越城が落ちぬ。凶作で米が取れぬから、戦が出来ぬと言われた。長左衛門は少し大袈裟なのだ。私の周りで食べ物が無く困っているという者は一人もいない。民草なんぞ幾ら死んだところで直ぐに湧いてくるのだ。今は搾り取ってでも、兵糧を掻き集めて河越を攻めるべきだと思うが。
「……御屋形様。…申し上げ難いのですが、百姓の年貢を下げては頂けないでしょうか?」
「長左衛門!馬鹿を申すな!」
何を言い出すかと思えば、血迷ったか長左衛門。民に媚びを売るなど関東管領の名折れよ。
「しかし、凶作が昨年よりも深刻になっております!北条領内では免税が行われているらしく、領民の流出が止まりません。このままでは、戦をせずに自滅してしまいます!」
…また、北条と。何度言えば分かるのだ。
「長左衛門!北条ではない、伊勢じゃ!二度と間違えるな!」
おのれ伊勢め、土地のみならず私の民まで奪うとは。
「やはり戦だ。…戦の支度をせい!」
凶作は北条とて同じ事。今ならば河越も落ちるやも知れぬ。扇ヶ谷にも声を掛ければ一万は直ぐに集まるだろう。
「御屋形様、今川家より文が届けられました」
…なんとも間が悪い。長左衛門も小姓が来てほっとしておるわ。此奴も腑抜けになったものよ。
「今川が何の様だと言うのだ……」
近頃は伊勢を相手に劣勢だと聞いた。全く、名門が聞いて呆れるわ。頼りにならぬな。まぁ、読むだけ読んでやるか。
「…………」
「……御屋形様、今川は何と?」
…やっとか。やっと伊勢を滅ぼす事が出来る。
「今川が我らとの同盟を望んでおるらしい」
「な、なんと!」
…いや、良く考えれば驚く様な話でもないか。我らは同じ敵を持つ者同士、今まで手を組まなかったのが不思議なくらいではないか?
「しかし、直ぐには動けぬとも書いてあるな」
「何故に御座いますか?」
長左衛門が疑問に思うのも無理はない。同盟を結び共に戦いたいと言うのに、戦を起こすのはもう暫く待って欲しいと言うのだ。
「今年は三河国で織田と戦わねばならぬらしい」
…織田か。…聞いた事のない家だな。
「…そう言えば、今川は武田とも同盟を結んでおりましたな。…武田も伊勢とは敵対していたはず!」
「うむ」
そうであったな。今川からの文にも武田が援軍を出すと書いてある。これで伊勢は、我ら山内上杉家・扇ヶ谷上杉家・安房里見家・駿河今川家・甲斐武田家に囲まれる事になる。
「伊勢も万事休す、に御座いますな」
「あぁ。…後は古河公方様だな」
これに古河公方様が加わって頂ければ、伊勢は孤立無縁になる。城を囲むだけで負けを認めよう。それに古河公方様の号令があれば、下野国や常陸国の国衆共も兵を出すだろう。さすれば、関東史上最大の兵力を集められるやもしれぬ。
「長左衛門、古河へ行ってくれ」
「援軍に御座いますか?」
「あぁ」
…古河公方様はあまり乗り気ではないかもしれぬな。氏康は古河公方様にとって義理の兄にあたる。多少なりとも情はあるやもしれぬ。
「…古河公方様の御嫡男である藤氏様を頼ると良い。あの方は伊勢嫌いで有名だからな」
「はっ」
噂で聞いただけだが、信憑性の高い噂であった。何でも、昨年に古河公方様と氏綱の娘の間に産まれた弟に嫡男の座を奪われるのではないかと怪しんでいるらしい。流石の伊勢もそこまで部をわきまえないとは思わないが。まぁ、伊勢の思惑などはどうでも良い。藤氏様を説得出来れば古河公方様も重い腰を上げて下さるだろう。
天文十一年(1542年) 七月 相模国足柄下郡小田原城 当ノ間
北条新九郎氏康
西堂丸がまたもやってくれた。百姓の為に農具を作ったらしい。藤衛門が言うには百姓の作業が大幅に軽減され、新田開発にも乗り出せるとか。私も実物を見たが、よくこの様な物を思いつくと思ったものだ。しかも一年も前から作っていたと聞かされた時には言葉が出なかった。まずは小田原周辺の百姓に使わせてみて反応を見る事にした。成果を見てからではないと何とも言えぬからな。日の本各地で飢饉が起こっているが、北条領内は落ち着いたものだ。幾らか他国の間者が多いのは気になるが。
他国でも動きがあった。まずは甲斐国の武田家が動いた。当主となった武田太郎晴信が最初に攻めたのは、先代の信虎が三女を娶らせて同盟を結んでいた諏訪家だった。晴信にとって諏訪家の当主・諏訪左近大夫頼重は義弟にあたる。にも関わらず諏訪を攻めたのには理由がある。
話は去年の五月にまで遡る。まだ武田家の当主が先代の信虎であった時に、武田・諏訪・村上の三家で佐久・小県郡を攻めた。戦は海野平で行われ、三家の連合軍が大勝を収めた。しかし、その佐久・小県郡の領主達が山内上杉家を頼り上野国へ落ち延びてしまった。七月には一万五千もの大軍で攻め寄せた山内上杉家に対して、武田家と村上家は撤退。そして、諏訪家は両家に断りも無しに講和を結んだ。そして、これを盟約違反として諏訪へ侵攻したのが事の顛末だ。
そもそも武田は山内上杉とは敵対していない。どちらかと言えば良好な関係と言っても良いくらいだ。つまるところ、武田家の大義名分の為に利用されたと言ったところだろう。我らと和睦をしたという事は、武田家の方針は北へ領土を広げると宣言した様なものだ。南の今川家も先代の信虎の時に婚姻同盟を結んでいるが、此方の同盟は継続するという事はだろう。都合が悪くなれば義兄弟とて容赦せぬとは。何とも恐ろしい男よ。
一国の大名と一国人とでは、あまりにも兵力、国力に差があり過ぎた。劣勢は火を見るよりも明らかであり、諏訪家は居城の上原城を焼き捨てて、支城であった桑原城に籠城していた。だが、兵糧も底を突いた事で一月も経たぬうちに降伏した。義兄弟という事で命までは取らぬと約束しての降伏だった。…しかし、武田家が諏訪家に情けをかける事は無かった。諏訪家の当主・諏訪左近大夫頼重と、その実弟・諏訪勝三郎頼高が甲府に着くと、直ぐに切腹の沙汰が下った。晴信が約束を反故にしたのだ。……真実に恐ろしい事よ。
そして、次に動いたのは今川家であった。織田家による三河国の侵略が無視出来るものでは無くなったらしい。義元殿から文が届いたが、どうやら此度の遠征は油断出来ぬとか。新しく家臣に迎えた藤林長門守の報せに拠れば、織田家の軍勢は一万ニ千の大軍との事。対して今川家は、三河国の松平家の援軍二千を足しても一万との事。既に数では劣勢となってしまった様だ。兵糧も多くは用意出来ず、長期戦も難しい。文からも此度の戦に挑む覚悟が伝わってくる様だった。
真里谷家にも動きがあった。動きと言っても小さなものだが。どうやら、家臣の間で領地の境を争って刃傷沙汰が起こったらしい。大方、里見家による扇動が原因だろう。とは言っても、私は何もするつもりは無い。どの道、真里谷家の領地は北条の直轄地にするつもりだ。小弓城の氏堯にも傍観する様に伝えてある。…このまま自滅してくれれば良いのだが。一番良くないのが真里谷家そのものが里見家に寝返る事だ。…これを防ぐ為に風魔にも動いてはもらってはいるが。
下野国の詠存からは文が届いた。文には、大関美作守の嫡男・大関弥五郎増次を石井沢で討ち、無事に太田原城に帰参する事が出来たと書かれていた。更に男子がいなくなった大関美作守の元は自身の長子を養子として送り込み、大関の家督も奪ったらしい。…やはり、底が見えぬ男であった。文の最後には私と西堂丸に向けた感謝の言葉で埋め尽くされていた。西堂丸が私に援軍を出す様に説得した事も把握していた様だ。…私も只の浪人であると侮っていた様だ。気をつけねばならぬな。
「兄上、氏堯に御座います」
…やっと来たか。中々来ないものだから忘れるところであったわ。
「随分と遅かったではないか」
「いゃ〜、これでも急いで来たつもりなんですが」
…全く、詫びる様子も無いとは。此奴も変わらぬな。
「それで、此度は如何なる用で御座いますか?」
…遅れて来た上に急かしてくるとは。
「…お主の嫁取りの事だ」
「そ、それは!………兄上。遅参の儀、どうかお許し下さい。そして………その話、詳しくお願いします」
……はぁ。やはり此奴に家族を持たせるのは早過ぎたやもしれぬな。