第十六話 真意
北条彦九郎為昌 氏康の弟
兄上=北条氏康 北条家当主
西堂丸様 北条家嫡男
太田原左衛門大夫資清=詠存 元那須家臣
近衛の太閤様=近衛尚通 前関白
義祖母様=近衛時子 氏綱の継室
里見太郎義弘 里見家嫡男
父上=里見刑部少輔義堯 里見家当主
北条孫九郎綱成 北条家臣 河越城主
古河公方様=足利晴氏
小弓公方=足利義明
青子様=足利青子 義明の長女
足利菊幢丸 義晴の嫡男
父上=足利義晴 室町幕府十ニ代将軍
天文十年(1541年) 十月 相模国足柄下郡小田原城 当ノ間
北条彦九郎為昌
「西堂丸、詠存を如何見た?」
「底が見えぬ御仁でした」
謁見が終わると兄上と私、そして西堂丸様で当ノ間へと向かった。太田原左衛門大夫資清。今は出家して詠存を名乗っている。謁見の際には私も同席したが、西堂丸様の言われる事も分かる。長く関東から離れていたと聞いたが、話を聞くに関東の動向を確りと把握されていた。身を潜めていた間は、公家との交流も多かったと聞く。此度、北条を訪れたのは近衛の太閤様の勧めとか。その人脈にも驚かされた。
「詠存は何故に目通りを願ったと思う?」
「父上を見定める為でしょう」
兄上を?見定めて如何するのだ?いくら太閤様の紹介とは言え、今は一介の浪人に過ぎないと思うが。
「…主に相応しいか、そうでないか」
「はい」
兄上が主に?……いや、それは可笑しいぞ。左衛門大夫殿は近々、太田原城主へ復帰すると言っていた。つまり、那須家の当主から許しが出たと言う事だ。
「お待ち下さい!左衛門大夫殿は那須の家臣に御座います。本人も近々復帰すると申していたではないですか?」
「叔父上、…家臣の讒言を疑いもせず聞き受け自分を追放した者など、到底主とは思えないでしょう。…それに、那須家の当主から帰参の許しが出たとは言っておりませんでした」
左衛門大夫殿が那須の当主を憎むのは分かる。しかし、帰参の許しが出ていないとはどう言う事だ?それでは、太田原城主に復帰など出来ないと思うが。
「……では、左衛門大夫殿は如何にして、城主に復帰されるつもりなのですか?」
「兵を挙げると思います」
……挙兵か。それでは、帰参どころか謀反ではないか。
「叔父上、勘違いしないで下さい。…左衛門大夫が兵を挙げるのは那須家ではありません。大関だと思います」
「では、復讐ですか?」
大関と言えば、左衛門大夫を追放した張本人だ。当然の事に恨んでいるだろう。
「はい。大関を討てば恨みも果たせますし、戦に勝った後は幾らでも弁明出来ましょう。那須も帰参を認めざるを得なくなります」
……なんと。そこまで見抜かれていたとは。西堂丸様だけではない、兄上も全く驚いておられない。二人ともあの短い間にこれだけの事を考えておられたとは。
「彦九郎、納得したか?」
「はい。……お二人には感服しました」
「気にするな。私とて初めから出来たわけではない。お主も場数を踏めば身に付いてくる」
……そうであれば良いのだが。
「話が逸れたな。……西堂丸、詠存は私を如何見たと思う?」
そうであったな。今はその話をしていたのだ。左衛門大夫が兄上を新しい主としたところで何があるのかも気にはなるが。
「主と認めれば、明日もう一度父上を訪ねて来るでしょう。……大関との戦には既に勝算があると思いますが、より確実なものとする為に援軍を頼んでくるかと」
下野国は些か遠いな。援軍を出すとすれば、腕利きの者を何名か送るか、風魔衆になるな。
「さすれば、如何する?」
「風魔衆を援軍に出せば良いかと」
「うむ。……お主は随分と詠存を贔屓にするのだな?」
……言われてみれば確かに。西堂丸様にしては珍しいな。
「義祖母様から聞いたのです。京へ向かう途中に盗賊共に襲われた際、左衛門大夫殿に助けて頂いたと」
…まさか、その様な理由があったとは。
「それは初耳だな」
「義祖母様も怪我はありませんでした。皆を心配させぬ為にも黙っていたのです。私も昨日聞いたばかりです」
「そうであったか。……であれば、私も無下に断るわけにも行くまい」
どうやら結論が出た様だ。と言っても左衛門大夫殿が来るとは限らないのだが。
「それにしても、味方を殺そうとしている男だぞ?疑う事は無かったのか?」
兄上の仰る通りだ。西堂丸様も初めに底が見えぬと評しておられた。
「目を見れば分かります。左衛門大夫殿は、受けた屈辱や恨みは忘れぬお方ですが、受けた恩も決して忘れぬお方かと」
「……腹の底が見えぬと申していたではないか?」
「腹は見えませんでしたが、目は見えました」
な!……西堂丸様が洒落を言われるとは。……兄上も笑いを堪えておられた。真実に西堂丸様にはいつも驚かされるな。
天文九十年(1541年) 十一月 上総国望陀郡久留里城 当ノ間
里見太郎義弘
「父上、真里谷への工作が上手く行きました。笹子城と中尾城で間もなく動きがあるかと」
「うむ」
左京大夫が死んでから父上の機嫌が良くなった。国府台の敗北で窮地に立たされ、仕方なく和議を結んだ。北条からも無理な要求は無かったが、お陰で飢饉の間は相模にも伊豆にも海賊衆を送り込む事が出来なかった。しかし、四ヶ月前に北条家の当主であった北条左京大夫氏綱が死んだのだ。天は我らに味方した。
「しかし、上杉も頼りになりませんなぁ」
「うむ」
左京大夫が死んだ事を知った両上杉が一万七千の兵を河越へ送ったが、河越城主の北条孫九郎綱成の奮戦により敗北した。敗北とは言っても大きな戦にはならなかったらしい。上杉も様子見と言ったところだろう。
だが、朗報もある。戦のおり、新しく当主となった北条新九郎氏康は怯えてばかりで何も出来なかったと聞いた。内通者からの情報で、信用は出来る。
「これから上杉はどう出るでしょうか?」
「気にするべきは上杉ではない。…古河公方様だ」
古河公方様?今は北条と同盟を結んでいたと思うが。
「古河公方様にとって、氏綱は気をつかねばならぬ相手であった。何せ宿敵であった小弓公方を倒したのだからな」
……御懐かしい。小弓公方様は私の義父になられる筈でもあった。青子様はお元気だろうか。北条に囚われたと聞いた。足利の血を引くお方だ、無下に扱われる事は無いと思うが。
「氏綱に恩がある者は多かった。……儂とてその一人よ。家督相続の折には兵を借りたからな」
「左様で御座いましたな」
父上はこの時の事をあまりお話にならないが、前に家臣達がこの時の事を教えてくれた。
「しかし、氏康に恩などはない。同じ北条とて、今は戦国の世ぞ。恩など当代までよ!」
……我が父ながらなんとも薄情な方なのか。しかし、里見は父上の元で大きくなったのだ。何も成せていない私如きが文句など言えん。
「氏康の器量を心配した氏綱が十七もの訓戒条を残したのを知らぬ者は関東にはおらぬ。古河公方様も大層不安でおられよう」
近頃では有名な話だ。四つや五つであれば仕方ないにしても、十七は異常と言っても過言ではないだろう。上杉が戦で負けたのもこれで油断したのかもしれない。
「さすれば、我らが兵を挙げるとすれば……」
「うむ。……古河公方様が挙兵された時よ」
天文十年(1541年) 十二月 山城国紀伊郡二条城
当ノ間
足利菊幢丸
「父上!管領は見限るべきです!」
「…な、何をいうか!?」
…驚く程でもないだろうに。
「これからは三好が台頭します」
「…あの様な小僧に何が出来る?」
父上の人を見る目のなさには呆れるな。前世でも同じ事を言っておったわ。
「管領は既に家臣を纏める力はありません。三好の他にも木沢に不審な動きがあります」
驚きが顔に出るのは変わらないな。
「今は下克上の世に御座います!将軍たる者、人の力量を見極めるのが肝要かと」
「足利の者が下克上などと言うではない!」
今気にする事かよ。足利とて下克上ではないか。尊氏公の父親など誰も覚えておらんではないか。
「失礼致しました」
「もう良い下がれ!……お主の話は聞きとうない!」
どうやら、父上はお救い出来ない様だな。せめて母上と弟妹達は救いたい。早く家督を譲っては頂けないだろうか。
「弥二郎、おるか?」
「はっ」
父上が部屋から遠ざかったのを確認し、弥二郎を中へ入らせた。
「木沢の動きは如何じゃ?」
「報告に拠れば、家臣共を城へ集めた様に御座います」
とうとう動き出したか。……さて、どうしたものか。
「如何致しますか?」
「……三好に伝えよ。……将軍・足利権大納言義晴が嫡男・足利菊幢丸が命ずる。木沢左京亮長政が挙兵に及び次第、これを討てと」
「はっ!」
三好にとっても木沢は邪魔のはず。共倒れしてくれれば良いのだが。そうは上手く行くまい。あまり期待はしないでおくか。……今世では精々、良い様に使ってやるわ。