第十三話 伯母と叔母と
西堂丸 氏康の嫡男
満姉上=北条満 古河公方の妻
御祖父様=北条左京大夫氏綱 北条家前当主
父上=北条新九郎氏康 北条家当主
母上=今川雪 氏康の妻
義御祖母様=近衛時子 氏綱の妻
彦九郎叔父上=北条彦九郎為昌 氏綱の次男
大伴大和介公時 鶴岡八幡宮宮司
美姫叔母上=大伴美姫 為昌の妻
藤衛門=宇野藤衛門定治 相模の商人
太田備中守資高 北条家臣
徳伯母上=北条徳 資高の妻
吉良次郎頼康 北条家臣
綾叔母上=北条綾 頼康の妻
堀越六郎康延 今川家臣
崎叔母上=北条崎 康延の妻
葛山備中守氏元 今川家臣
千代姉上=北条千代 氏元の妻
武田陸奥守信虎 武田家当主
諏訪左近大夫頼重 諏訪家当主
孫九郎叔父上=北条孫九郎綱成 氏綱の養子
華叔母上=北条華 綱成の妻
松田尾張守盛秀 北条家臣
薫叔母上=北条薫 盛秀の妻
清水右京亮吉正 北条家臣
和倉惣左衛門 清水家臣
たえ=和倉たえ 氏康の側室
氏時叔父上=北条左馬助氏時 氏綱の長弟
氏広叔父上=北条中務少輔氏広な 氏綱の次弟
長綱叔父上=北条駿河守長綱な 氏盛の三弟
板垣駿河守信方 武田家臣
若様=武田太郎晴信 武田家嫡男
天文十年(1541年) 三月 相模国足柄下郡小田原城 西ノ間
西堂丸
先月は北条家に慶事が続いた。まず、二月の始めに満姉上が男子を産んだ。御祖父様を始め、父上、母上、義御祖母様、一門皆んなで大騒ぎだった。関東では外様でしかなかった北条家が、関東の頂点である古河公方家と血縁の親戚になったのだ。その事は直ぐに国衆達にも伝えられ、北条領内では、十日程の間お祭り騒ぎであった。
満姉上に続くように、今度は彦九郎叔父上が結婚した。相手は鎌倉鶴岡八幡宮の宮司を世襲する大伴家の姫だった。現宮司である大伴大和介公時の長女・美姫殿。なんでも落慶式の準備をしている時に仲良くなったらしい。美姫叔母上は、私が藤衛門に作らせた石鹸に大層御執心だそうで、それを作らせた私にも興味津々なのだとか。初めてお会いした時は、私の言葉を一言一句聞き漏らさない様にと、熱心に話を聞かれていた。…その隣で同じ様に私の話を熱心に聞いている彦九郎叔父上を見て、この夫婦も似た者同士なのだと感じた。
これでまた一人、叔母上が増えた。天文十年三月において、私には三人の伯母上と十一人の叔母上がいる事になる。何人かの伯・叔母上とは、既に文の遣り取りをして近況を報告し合っていた。昨年末では、落慶式を機に武蔵国江戸城主・太田備中守資高殿に嫁いでいた御祖父様の長女・徳伯母上と、武蔵国世田谷城主・吉良次郎頼康殿に嫁いでいた四女・綾叔母上ともお会いする事が出来、翌月からは二人とも文の遣り取りを始めた。
更に今年に入ると、遠江国堀越城主・堀越六郎康延殿に嫁いだ三女・崎叔母上からも文が届いた。内容としては、今川家と北条家の和睦に尽力した事への感謝の言葉が殆どだった。どうやら、六郎叔父上が主家である今川家に対して挙兵した事を、常々悩んでおられたようだ。少しずつ顔色が悪くなる叔父上を心配されていたとか。和睦が成り、今川家の重臣として帰順した今は、以前の様に恰幅の良い体型に戻られた様だ。………其方の方も心配だが。
最後の方には、昨年の七月に男子を産んだと短く書かれていた。六郎叔父上の嫡男という事だ。満姉上程ではないが、私からもお祝いの品を贈っておいた。御祖父様からは、既に貰っていた様だったので極力被らない様にしておいた。
少しばかり気になる内容の文もあった。駿河国葛山城主・葛山備中守氏元殿に嫁いだ末女・千代姉上の手紙だ。葛山家の所領は北条家と今川家の境にあるが、武田家との領地にも接している。その為、姉上からの文には度々だか武田家が登場する。……そして、その武田家の事が書かれていたのが、昨年の十二月と先月だ。昨年に届いた文には、甲斐国主・武田陸奥守信虎が信濃国上原城主・諏訪左近大夫頼重に三女・禰々を嫁がせて同盟を結んだ事が書かれていた。当初、この同盟を知った御祖父様と父上は武田が北の諏訪家、南の今川家と手を結び、東の北条家の領土を狙っているのではないかと予想していた。勿論、その備えもしていたが。
しかし、先月に届いた姉上の文と風魔衆の調べによって、この予想が間違いだったと知らされた。どうやら武田家は諏訪領を通過して信濃国佐久郡を奪う算段だった様だ。先月から武田家の方で軍備を整い始めたらしく、佐久郡に攻め込むのも時間の問題ではないかとの事。引き続き、武田の動向を知らせてほしい事、何かあれば私や父上に遠慮なく頼って欲しいと返答しておいた。
嬉しい内容の文も届いた。それは、孫九郎叔父上に嫁がれていた次女・華叔母上からの手紙だった。そこには、来月から武千代が小田原へ移る事が書かれていた。近頃始まる学問や武芸の指南を私と共に受けるらしい。これは、北条家の仕来りらしく歳の近い一門の子供と共に学ぶのだとか。武千代の他にも、相模国松田城主・松田尾張守盛秀の嫡男・賢千代も小田原へ来るらしい。私と武千代と賢千代は皆が天文五年生まれだ。私が三月、武千代が六月、賢千代が十一月だ。
実はこの賢千代、義理ではあるが私の従弟にあたる。賢千代の母・薫叔母上は、孫九郎叔父上の妹とで、孫次郎叔父上の姉あたる。つまり二人と同じく、御祖父様の養子である。生まれの近い華叔母上とは、小さい頃から本当の姉妹のように過ごしていたらしく、今でも交流が多いらしい。その関係か、華叔母上の文と共に薫叔母上からの文も届いた。内容は単純で〝賢千代の事をお願いします〟と書かれていた。〝従弟であれば弟と同じ、勿論仲良くさせて頂きます〟と返答しておいた。
伯・叔母上達と文を交わしていると、つくづく思う事がある。平成の世では、地域や近所の事は妻に聞けば大凡の事が分かった。特に町内会というのは、風魔衆も驚くであろう諜報能力を持っていた。しかし、戦国の世ではそうはいかない。
まず、武家の妻や娘というのは、殆ど外に出る事がない。だから、他国の事は疎か領内の事すら知れないのだ。……だと言うのに、北条家の女子は他家とは少し違う。自主性が高いのか、行動力があるのか知らないが、伯・叔父上達に聞くよりも領内のみならず他国の事も知っている事が多い。ただ親族として仲良く出来ればと文を遣り取りしているのだが、想像以上に情報が入ってくる。今川家の伯・叔母上達とも文を交わしたいが、今は上杉や里見が北条を探っている。小田原や伊豆にも、敵方の忍びが潜んでいたと報告があった。今川家と北条家の和睦はもう少し隠さなければならない。………今は我慢するしかないな。
天文十年(1541年) 四月 相模国足柄下郡小田原城 当ノ間
北条彦九郎為昌
「兄上、……まだ義姉上と仲直りしていないのですか?」
「…………」
ここしばらく、兄上はこの話題を振ると黙り込んでしまう。
「和倉の妹の事、まだ言っていないのですか?」
「…………」
今年の二月に兄上の子が生まれた。名を千代丸と言う。しかし、産んだのは義姉上ではない。伊豆国下田城主・清水右京亮吉正の家人、和倉惣左衛門の妹・たえという娘だ。そして、兄上はこの事を義姉上に黙っていた。………いや、今もまだ隠している。義姉上は既に三人の男子と二人の姫を産んでいる。西堂丸様だけでも十分な程に御役目を全うされたと思う。………それだけに、陪臣の娘との男子など扱いに困る。
父上には三人の弟がいた。同母弟の氏時叔父上、葛山家の娘を母に持つ氏広叔父上、伊豆の有力国衆の娘を母に持つ長綱叔父上。その内、同母弟の氏時叔父上は本家に残り副大将を務めて父上をお支えした。氏広叔父上は母親の出身である葛山家をお継ぎになった。長綱叔父上は、今では一門の長老を務めているが、他の二人の叔父上が健在の時は扱いに悩んだ末に出家させられていた。
此度生まれた千代丸の母親は、長綱叔父上のように家臣の娘ではない。その家臣の家臣の娘なのだ。当然の様に後ろ盾になるには身分が低すぎる。兄上の実子と言えど、元服したところで正室である義姉上の産んだ子供達と比べれば、天と地の差程に扱いが違う。一歩間違えれば、扱いに不満を持った千代丸が良からぬ事を考えるやも知れぬ。
「兄上、此度は謝るべきに御座います!」
「……大名が側室を持って何が悪い?」
「……そう思うのであれば、義姉上にそう言えば良いではないですか?」
………言えるわけがない。今の姉上の立場は、下手をすると私よりも高いかもしれない。今川家との和睦が成った事で再び同盟の証にもなり、何より、西堂丸様を産まれた事が大きいだろう。
「……………雪は何と言うだろうか……」
「義姉上ならば、ご存知だと思いますよ」
兄上はあまり驚かれなかった。薄々感じていたのだろう。私が知るに落慶式の時には気づいていたのではないだろうか?
「……多分ですが、義姉上は側室を持った事に怒っているのではなく、……その事を隠していた事に怒っているのではないでしょうか?」
義姉上も武家の男が複数の妻を持つ事には承知していると思う。義姉上が許せないのは、それを隠している事だ。義姉上は嘘が嫌いだと常日頃から仰っているからな。
「千代丸の為にも、早めに手を打たれた方が宜しいかと」
「…………分かっておる」
天文十年(1541年) 四月 甲斐国山梨郡躑躅ヶ崎館 東ノ間
板垣駿河守信方
「父上は何を考えておられるのか………」
「………」
来月の佐久郡侵攻に備えた軍議が終わると、いつもの様に若様の部屋へと向かった。……若様は御屋形様の佐久郡侵攻は反対の様だ。
「今年は昨年の飢饉の影響で更に不作になるというのに、また戦とは………」
昨年の飢饉は酷いものだった。元を辿れば一昨年に起きた畿内での大洪水まで遡る。早くに手を打てば飢饉にまでならなかったと思うが、京では管領様と三好殿の間で戦が起きた。何も出来ない内に、京の治安と食糧難は悪化していった。そして、昨年にはその皺寄せが東海とこの甲斐にまで及んだ。
「それも致し方ないかと」
「………何故そう思う?」
若様が不思議そうに某を凝視された。
「……この甲斐という国は米が育ち難く、水害も頻繁に起こります。……御屋形様が肥沃な土地である信濃の領土を求められるのも当然かと思いまする」
……佐久郡には大身の国衆もいない。来月の戦では諏訪様を加えて、更に北信濃の村上殿も合流される。万に一つ負ける事はないだろう。
「板垣、他国を侵したところで増えるのは領土だけでない。……領民も増えるのだ。食糧難を改善する事はできん」
「……………」
此処が御屋形様と若様の大きな違いだ。御屋形様は甲斐の領民だけの事を考えておられる。……いや、水害の対策もしないところを見るに甲斐の領民の事も考えていないかも知れない。目先の事だけを考えるのであれば、御屋形様のお考えも正しいのだろう。………某はどうすれば良いのか……。
「ここで言っても何も変わらん。………今の武田の当主は父上だからな」
「…………」
若様が家督をお継ぎになれば、武田家も変わるやも知れぬ。されど、近頃は御屋形様の若様への嫌がらせが激しくなっておる。家督を継がれるのかすら、怪しくなってきたところだ。………どうしたものか。
大変遅くなりました!
m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m