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北条家の四代目  作者: 兜
第一章   幕開
14/32

第十二話  湯治

太田源七郎景康(おおたげんしちろうかげやす)  補佐役

御隠居様(ごいんきょさま)北条左京大夫氏綱(ほうじょうさきょうだいふうじつな)  北条家前当主

青鑑(じょうかん)=二代目-風魔小太郎 

宗徳(そうとく)=三代目-風魔小太郎

西堂丸様(せいどうまる様)=北条西堂丸(ほうじょうせいどうまる)  氏康の嫡男

御大方様(おおかたさま)近衛時子(このえときこ)

御方様(おかたさま)今川雪(いまがわゆき)

光姫様(てるひめさま)北条光(ほうじょうてる)  氏康の長女

松千代丸様(まつちよまるさま)北条松千代丸(ほうじょうまつちよまる)  氏康の次男

春姫様(はるひめさま)北条春(ほうじょうはる)  氏康の次女

藤菊丸様(ふじきくまるさま)北条藤菊丸(ほうじょうふじきくまる)  氏康の三男

遠山甲斐守(とおやまかいのかみ)遠山甲斐守綱景(とおやまかいのかみつなかげ)

難波田弾正憲重(なんばだだんじょうのりしげ)  扇ヶ谷上杉家家臣

御屋形様(おやかたさま)上杉修理大夫朝定(うえすぎしゅりだいふともさだ)  扇ヶ谷上杉家当主

太田源五郎資正(おおたげんごろうすけまさ)  扇ヶ谷上杉家家臣

山内の馬鹿=上杉兵部少輔憲政(うえすぎひょうぶしょうゆうのりまさ)  山内上杉家当主

古河公方様(こがくぼうさま)足利左兵衛督晴氏(あしかがさひょうえのかみはるうじ)  古河公方

上杉修理大夫朝興(うえすぎしゅりだいふともおき)  扇ヶ谷上杉家前当主






天文十年(1541年) 二月 相模国足柄下郡小田原城 西ノ間

太田源七郎景康(おおたげんしちろうかげやす)




 鎌倉鶴岡八幡宮(かまくらつるおかはちまんぐう)落慶式(らっけいしき)から小田原へ帰った翌日の事だった。突如(とつじょ)御本城様(ごほんじょうさま)が隠居する事を伝えられた。それに伴って、風魔衆頭領・青鑑(じょうかん)殿も隠居し次の頭領には、息子の宗德(そうとく)殿が就いた。御本城様の隠居については、一門の方々は何人かがご存知の様子だったが、奉行衆や重臣の方々は寝耳に水だったようで、北条家は年の瀬から正月までの間は休む事なく大騒ぎであった。しかし、それも二月に入ると鎮まり、いつもの日常に戻りつつある。


「源七郎、支度が出来たぞ」

「はっ。失礼致します」

 私が部屋の外から返事をすると、女中が(ふすま)を開けた。西堂丸様の着替えが終わった様だ。

「皆は、何処(どこ)だ?」

「はっ。皆様、門の前で待っておられます」

「……私が最後か。…随分(ずいぶん)と張り切っておられるのだな」

 御隠居様(ごいんきょさま)は家督を新九郎様に継がせると、政からも完全に引退された。五日前までは、新たに御本城様となった新九郎様と国衆との謁見が続き、御隠居様も同席されていた。しかし、その国衆との顔合わせを全て終えると、突如、箱根へ湯治に行かれると仰られた。


 御大方様(おおかたさま)御方様(おかたさま)も御同行されるとの事だったのだが、御方様が西堂丸様をはじめとする御子息と御息女方も連れて行きたいと懇願された。此方(こちら)も急遽であったが御本城様からは、五歳になられた光姫(てるひめ)様、四歳になられた松千代丸(まつちよまる)様の外出が認められた。三歳となり走れる様になられたばかりの春姫(はるひめ)様と、産まれたばかりの藤菊丸(ふじきくまる)様の外出は危ないと判断され乳母と女中達に預けられた。


(てる)松千代丸(まつちよまる)は城の外へ出るのは初めてであったな」

「はっ。……万事(ばんじ)に備え、護衛五百と光姫様の乳母と御付きの女中三名、松千代丸様の傅役の遠山甲斐守(とおやまかいのかみ)様も御同行されます」

「……(いささ)か護衛が多くはないか?…箱根とは、小田原から半刻程の所なのだろう?」

「その様な事はありません!…確かに近くはありますが、皆様の身に何かあれば一大事に御座います!それを思えば少ない位かと!」


 私の剣幕に驚いたのか、西堂丸様は一歩二歩と後ろへ下がられた。

「…ま、誠にお主の忠義には驚かされるな」

 …補佐役に就いてから、度々西堂丸様には驚かれる。私自身はあまりそうは思わないのだが。

「…いや、この様な事を言ってる場合ではなかったな。母上達を待たせるわけにはいかぬ!急ぐぞ源七郎!」

 



天文十年(1541年) 二月 相模国足柄下郡小田原城 表門

遠山甲斐守綱景(とおやまかいのかみつなかげ)




「母上ー!………………お待たせしました」

 湯治へ向かうため、表門で待機していると城の方から若様と源七郎殿が走って来た。若様が息を切らしながら御方様に到着を告げた。御方様は近くの女中から布を受け取ると、若様に近寄り汗を拭き始められた。

「ありがとうございます!母上!」

「風邪を引いては湯治どころでは無くなりますからね」

「……母上。案外楽しみにされていたのですね!」

「…………そうですね」

 ……若様と御方様の会話は聞こえないが、御方様の表情が変わったのが分かった。


「母上?……如何(いかが)なされたのですか?」

「………なんでもありません。ほら、貴方の駕籠(かご)其方(そちら)ですよ」

「……母上。馬がいいのですが」

「貴方には早いです。……駕籠で我慢なさい」

 何を言われたのか、若様が駕籠を指差しながら御方様に抗議をしているのが見えた。源七郎殿にも(なだ)められているが、一向に退こうとされない。

「何がそんなに不満なのですか?」

「………そこで光と松千代丸が見ておりまする。弟と妹の前でくらい格好をつけさせてください!」

 今度は御方様が、若様に何か言われたのだろう。表情が一度驚いた様に見えたが、次の瞬間には困惑、……いや、(あき)れた様な表情になられた。


「今の様に駄々(だだ)を()ねている事が、最も格好悪いと思いますよ」

「………確かに、その通りにございます」

 どうやら話が纏まった様で、若様が駕籠に入ると御方様も自身の駕籠へ入られた。

「つなかげ」

 御二方を見ていると、直ぐ側の駕籠から声が聞こえてきた。

「松千代丸様、如何なされました?」

「あにうえは、きたか?」

 松千代丸様はそう言われながら、キョロキョロと辺りを見回し始められた。

「はっ。少し前に着かれまして、先程駕籠へ乗り込まれました」

「な!………あにうえと、おはなし、したかったのだが……」

 松千代丸様にはいつも西堂丸様の話を聞くが、一度機会を無くしただけで惜しんでいるのを見ると本当に仲が良いのだと実感させられる。


「松千代丸様、先程から静かたど思っていましたが駕籠の中には慣れましたかな?」

「うむ!とてもおちつく。さきほどまで、ねていたとこだ」

「……さ、左様でございましたか」

 …源七郎殿が西堂丸様には、考え方や言動に度々驚かされると聞いているが、私も松千代丸様には度々驚かされる。良くも悪くも松千代丸様は人と違うところが多々あるように感じる。


「皆の者、準備が出来た様だな。………では、出発じゃ」

 松千代丸様も駕籠の戸を閉めると、門の奥から御隠居様が馬に乗ってお見えになられた。その場で皆を見渡すと、出発の号令を掛けられた。斯く言う私も、箱根は初めてであり少しばかり楽しみにしている。妻や子供らには申し訳ないが、ゆっくり温泉に浸かるとしよう。




天文十年(1541年) 三月 武蔵国比企郡松山城(むさしこくひきぐんまつやまじょう) 当ノ間

難波田弾正憲重(なんばだだんじょうのりしげ)




「御屋形様、憲重に御座います」

「入るが良い」

「はっ」

 御屋形様に任されていた調査が終わり、報告の為に登城した。部屋に入ると御屋形様の顔が見えた。とても上機嫌に見える。もしかしたら、私以外から報告があったのかも知れない。

「左京大夫を調べさせていた忍びから、報告が上がりましたので参上しました」

「あぁ、聞かせてくれ」

 やはりご存知なのだろう。私の報告の結果を知っているかの様な反応だ。

「…それでは、……北条左京大夫、確かに病の様に御座います。家督も嫡男の氏康に継がせたとの事。…先月から箱根へ湯治に出掛けていた様で」

「ふ、ふふ、ふはははは!」

「御屋形様、ご存知だった様で御座いますが?」

「あぁ。昨日、源五郎が報告に来てな」


 …太田源五郎資正(おおたげんごろうすけまさ)殿。扇ヶ谷上杉家の二城の内の一つ、岩付城の城主を務める男だ。

「太田殿で御座いましたか」

「いや、確信を持てたのはお主の報告があってこそよ」

 ………御屋形様。…なんと有難いお言葉を。

「山内の馬鹿が、氏綱が病に罹ったと文を送って来た時は、到底信じてなどいなかったが、まさか誠であったとは」

「……その事についてなのですが、どうやら山内上杉家は古河公方様から聞いた様に御座います」

「なっ!………それならば納得いくが」

 古河公方様から聞いたと言う事は、………落慶式の時か!………あの頃から体調を崩していたのなら、中々長引いている様だな。


「憲重!……河越を、河越を奪い返すのなら、今ではないか?」

「御屋形様、…早まってはなりません。……左京大夫が病とは言え、死んだわけではありません。表向きではありますが里見とも和睦を結び、今川との戦でも優位に立っております。寝返る国衆も今は出ないかと」

 御屋形様は焦っておられる。扇ヶ谷上杉家の城は、この松山城と太田殿の岩付城しか残っていない。さらに、御屋形様には親戚も御世嗣もいない。扇ヶ谷上杉家の血筋は御屋形様しか残っておられないのだ。

 正室も家臣の娘に年頃の者がなく、陪臣の娘を側室として宛がっている始末だ。その娘が懐妊する様子もない。


「……氏綱。……四年前の怨み、忘れておらぬぞ!」

 今から四年前、天文六年の四月の事だ。前当主・上杉修理大夫朝興(うえすぎしゅりだいふともおき)様が亡くなり、当時十三歳だった御屋形様が家督を継がれた。朝興様の死をを知った左京大夫は、朝興様の供養も終わらぬ内に河越城を攻めたてた。籠城の備えも出来ていなかった我らは、何も出来ずに松山城へ撤退した。御屋形様の言う怨みとは、この時の事だ。御屋形様はこれ以降、河越城に執着している様に見える。


「御屋形様、河越城を奪い返す為にも。……まずは、山内上杉家との和睦に御座います。……領土の境界などは、我らが譲歩するしかありません」

「……………」

 納得いかれないのか、返事は返って来なかった。しかし、気にせずに説得を続けた。

「領土は北条から奪い返せば良いのです。……河越城を奪えば、南武蔵の国衆も忽ち我らに味方しましょう!」

「……分かっておる…」

 今度は納得された様だ。渋々といった感じではあるが、御屋形様の了承も得られた。次の和睦交渉で、纏まるかも知れぬな。


「山内上杉家との和睦がなれば、次は古河公方様に御座います」

「待て待て、古河公方様は氏綱の婿であろう?…我らに味方するのか?」

「御屋形様。お忘れかも知れませぬが、左京大夫が病だと山内上杉家に教えたは、その古河公方様に御座います。……大方、落慶式の時にでも何かあったので御座いましょう」

 確かにまだ分からぬ事も多い。たが、没落の一途であった我らにも、遂に運気が向いてきたのは確かだろう。関東は古河公方様の元、我ら上杉家が補佐していくのだ。北条なんぞに用などない。左京大夫が死んだ時、その時が北条の命運が尽きた時よ。






今日も遅くなり、すみません!

明日も帰りが遅いので、更新は遅くなります。

なんとか日付が変わらない内に投稿出来ればと思ってます!

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