第十一話 古河公方
西堂丸 氏康の嫡男
氏綱=北条左京大夫氏綱 北条家当主
氏康=北条新九郎氏康 氏綱の嫡男
古河公方様=足利左兵衞督晴氏 古河公方
満=北条満 氏綱の娘 晴氏の正室
上杉兵部少輔憲政 山内上杉家当主
倉賀野長左衛門為広 山内上杉家家臣
里見の当主=里見刑部少輔義堯 里見家当主
天文九年(1540年) 十一月 相模国鎌倉郡鶴岡八幡宮 北条館
北条新九郎氏康
「古河公方様、此方が孫の西堂丸に御座います」
父上がそう言うと、視線だけを西堂丸にむけて挨拶をする様に促した。
「お初に御目にかかります、北条新九郎氏康が嫡男・西堂丸に御座います!」
「ほほほ、元気でよいの」
西堂丸は迷う事なく堂々と名乗ると、古河公方様も満足そうに頷かれた。
「義父上殿、氏康殿、西堂丸。此度は私用の趣じゃ、そう畏まらなくて良い」
「…承知いたしました」
私の緊張を感じたのだろう。古河公方様が気を利かせてくださった。父上があまり緊張していないのは分かるが、西堂丸もあまり緊張していないようだ。
今から一月前、落慶式の最終確認を行った日。為昌の報告にあった古河公方様の参加には驚いたが、それよりも驚かされた事があった。それは、古河公方様のもう一つの目的。西堂丸との会談だった。どうやら、満が西堂丸の話や送られてきた文を古河公方様に見せていたようで、西堂丸に興味を持ったとの事。父上も最初は戸惑われたが、西堂丸ならば特に問題はないだろうと落慶式の翌日に会談の席を設けた。それが今日である。
「…まずは、義父上殿。此度の鶴岡八幡宮の再建、誠見事であった。本来であれぼ、古河公方である余が行わなければならなかったのだが、古河からでは鎌倉は遠いからのぉ」
「……致し方無いかと」
今では、古河に居を構えている事から古河公方と呼ばれているが、元々は鎌倉を拠点とし鎌倉公方と呼ばれていた。その鎌倉を支配する我らにも思うところはあるのだろう。
「…すまぬな。…堅苦しい話は無しであった。西堂丸、そちの話を聞かせてはくれぬか?」
「晴氏叔父上、私の話と言われても困りまする。…具体的にどのような話を聞きたいので御座いますか?」
「西堂丸!」
父上が珍しく西堂丸に声を上げた。いくら方様が〝畏まらなくていい〟とは言ったが、公方様を諱で呼んだ事に怒ったのだろう。
「ほほほ、よいよい。……近頃、余の事を諱で呼ぶ者は満しかおらぬようになってな。西堂丸、これからも余の事は〝晴氏叔父上〟と呼んでくれると嬉しい。勿論、公私は分けてもらうがのう」
公方様の仰っていた事は本心の様で、それから暫くの間は西堂丸と話されていたが、〝晴氏叔父上〟と呼ばれる度に嬉しそうにされていた。一刻もすると満足されたのか、古河公方さまが父上に視線を向けられた。事前に話されていた様で、視線を向けられた父上は一度休憩をする様に西堂丸に提案すると、察しの良い西堂丸は何も言わずに部屋を立ち去った。
「賢い子よのう……、良い孫を持ったようだな氏綱」
西堂丸の足音が聞こえなくなると、公方様の雰囲気が変わり口調も私用のものから公用のものに変わられた。父上も〝ははぁ〟と短く返事をすると頭を下げ、先程までとは明らかに部屋の空気が変わったのを感じた。公方様が茶を一口飲むと話を再開された。
「して、氏綱。……話の用向はなんじゃ?」
「……満から、古河公方様が私を関東管領に補任されるか悩んでいると聞きました」
「うむ、その通りだ。………余は今の関東管領を好かぬ」
……父上が関東管領に、などと言う話だけでも驚いたが、古河公方様の発言には更に驚かされた。今の関東管領とは、我らの宿敵である両上杉家の一角、山内上杉家当主・上杉兵部少輔憲政である。
「実はな、関東管領を嫌うようになったのは最近でな。……満が教えてくれたのよ。……上杉が領民に重税を掛けて苦しませておる事や、政を疎かに酒色に溺れておる事をな」
「………な、なるほど」
………満。…それを上杉に知られれば、命すら危うい事だと気付かぬのか!?父上も顔には出さないが、声色で動揺しているのが分かる。
「…あぁ、心配するでない。…警護の者は付けておるし、この事は息子達にも言ってないからのう」
息子達というのは、古河公方様が先妻との間に生まれた、嫡男・藤氏様、次男・藤政様、三男・輝氏様、四男・家国様の事を指す。この四人については、良い噂を聞かない。特に嫡男の藤氏様に於いては、北条家が古河公方様と満の間に生まれた子を次の古河公方にしようと画策しているなどと思い込んでいるらしい。
「話が逸れてしまったな。……して、氏綱。その関東管領がどうかしたか?」
「はっ。………私は小田原に帰り次第、家督を嫡男・氏康に継がせ、隠居しようかと思っております」
「……そうか。……氏康の反応を見るに大分前から決めていたのか?」
「左様でございます」
家督の話は去年の九月に聞かされていた。丁度、為昌と駿河の叔父上が講和交渉の為に駿河国へ発った頃だ。
「それで、関東管領にはなれぬと?」
「それもありますが、…古河公方様が上杉と険悪なられては北条が困るからに御座います」
公方様は理解が出来ないと、首を傾げられた。
「氏綱。お主達は上杉と戦っておるのだろう?余に上杉の味方をして欲しいのか?」
「左様でございます」
父上の返答を聞くと、更に分からないと眉を顰められた。
「どういう事だ氏綱?」
「はっ。ご説明させて頂きます。………実は……」
父上はそう言われると、淡々と自身の策略を語り始めた。自身の隠居を利用した大仕掛けの策。古河公方様を協力者とし、関東全域を巻き込む一世一代の計画を。
天文九年(1540年) 十二月 上野国緑野郡平井城 当ノ間
倉賀野長左衛門為広
「管領様、長左衛門にございます」
「入れ」
関東管領様に呼ばれ登城すると、女中に管領様の部屋へ案内された。部屋からはいつもの様に酒の匂いがしたが、顔色を変えずに管領様の前に座った。
「よく来たな、長左衛門」
「はっ!」
今日は意気揚々とされている。酒で酔って機嫌が良いのだろう。
「長左衛門、鎌倉の鶴岡八幡宮の事は知っているか?」
「はっ。先月、北条が落慶式を執り行ったと聞き」
「長左衛門!」
私が質問に答えていると、管領様が私の話を遮る様に怒鳴る様に私の名前を呼んばれた。
「北条ではない!伊勢じゃ!」
……どちらでも良いとは思うが。
「失礼しました!………伊勢が落慶式を行ったと聞きました」
「うむ。………その落慶式だが、誰が参加したか知っておるか?」
先程までは鬼の形相であったが、今度は人が変わった様に楽しそうに笑顔で質問された。
「……相模国と上総国の国衆、安房の里見、そして古河公方様が参加されたと聞きました」
「そうだな」
先程から楽しそうに頷いておられるが、何が楽しいのだろうか。里見が参加するのには、構わないだろう。しかし、古河公方様が参加されたのは我らにとって危機感を持たねばならぬと思うが。
「管領様、何故その様に楽しそうに頷かれるのですか?」
「いや、北条も哀れと思うてな」
北条が哀れだと?哀れというならば貴方の方がよっぽど哀れだと思うが。
「すみませぬ。某には何の事だか」
「おほほほ、お主が知らぬのも無理はない」
「……………」
「……実はな、昨日の事なのだ。その古河公方様と里見の当主から文が届いたのだ」
里見家なら文の内容は大凡の予想がたつ。大方、共に北条を討とうなどと書かれているのだろう。里見刑部少輔義堯とはそういう男だ。不利な状況になると従順な振りをして、裏で味方と手を組もうとする。
「して、その内容とは?」
「里見からは、我らと手を組みたいと書いてあったわ」
……やはりな。北条と戦う分には使えるが、信用は出来んな。
「古河公方様はなんと?」
「それがな、………氏綱が病に罹ったと書かれておったわ」
「なっ、なんと!」
「なんでも、落慶式での北条の対応が気に食わなかったと書かれておってな」
「そ、それでは。………古河公方様も我らと?」
「………いや、文にはその様には書かれていなかった。………しかし、態々この事を伝えてきたと言う事はその脈もあると言う事よ」
………古河公方様が味方となれば、北条家は窮地に追い込まれるだろう。今川家とも争っている今、西に今川家、北に我ら山内上杉家と扇ヶ谷上杉家、南に里見家、そして東の古河公方様が立ち上がれば関東の諸豪族も参陣するに違いない。
まさか、此処に来て天が我らの味方をするとは。……北条の命運も此処までよ。
遅くなりました。m(_ _)m