第十話 落慶式
今川雪 氏康の妻 西堂丸の母
西堂丸 氏康の嫡男
千代=北条千代 氏綱の末娘 氏元の妻
武千代 綱成の嫡男
徳義姉上=北条徳 氏綱の長女 太田資高の妻
里見太郎義弘 義堯の嫡男
古河公方様=足利左兵衞督晴氏 古河公方
世田谷御所様=吉良次郎頼康 武蔵吉良家当主
父上=里見刑部少輔義堯 里見家当主
太田源七郎景資 補佐役
太田備中守資高 江戸太田家当主
華叔母上=北条華 氏綱の次女 綱成の妻
孫九郎叔父上 氏康の義弟
葛山備中守氏元 葛山家当主
天文九年(1540年) 十一月 相模国鎌倉郡鶴岡八幡宮 北条館
今川雪
「母上、今日はどれ程の人が来ているのですか?」
部屋で待っていると、西堂丸が質問をしてきました。この館に来る途中に見た護衛の兵が気になったのしょう。
「護衛の兵は五千人と聞きましたよ。……式典には三百人位ではないかしら」
「五千人!」
西堂丸が護衛の多さに驚くのも無理はありません。城から出たのは、この前の安産祈願の時だけですから。これ程大勢の人を見た事は初めてでしょう。
「そう言えば、千代や武千代が式典の後に此方に来るようですよ」
「ま、誠ですか!?」
千代と武千代以外にも徳義姉上なども来るのですが、これは黙っていた方が面白そうですね。
「母は嘘はつきません。……式典には参加しませんが、今宵の宴には一門の者が皆、参加するようですよ」
「そ、それは。………凄いのですね、落慶式とは」
「えぇ、北条家にとってはとても目出度い日ですから」
義父上様も朝からとても張り切っていらっしゃいました。我が世の春と言わんばかりにご機嫌でした。
「……母上は、嬉しくないのですか?」
「えっ?…………何故そう思ったのですか?」
「なんだか、何時もより元気が無い様に見えましたので」
「そんな事ないですよ。母はいつも通り元気ですし、嬉しいですよ」
「……そうですか」
……いけないはね。……まさか、西堂丸に気づかれるなんて。息子の前では確りしないと。藤菊丸を産んだばかりなのですから、気を引き締めなくてはね。
「西堂丸様、奥方様。準備が出来ましたので、御移動の方をお願い致します」
気持ちの整理をしていると、準備が出来たと殿の小姓が私と西堂丸を呼びに来ました。
「母上、行きましょう!」
「…えぇ。今、行くわ」
今は、まず落慶式ね。折角、出産も間に合ったのですから、確りと目に焼き付けなければね。
天文九年(1540年) 十一月 相模国鎌倉郡鶴岡八幡宮 本宮前
里見太郎義弘
本宮の前に三百人の男達が並んでいる。私と父上の並ぶ中間辺りの顔ぶれを見れば、見知った者達も何人かいる。国府台で味方だったもの者達だ。前列の方には、北条一門や古河公方様、世田谷御所様が並んでいる。驚いたのが、北条一門の中に幼子が一人いた事だ。左京大夫殿にあの様な幼子はいなかった筈だ。そうなると、新九郎殿の嫡男だろうか?
「父上、向こうの男の家紋。葛山家の者では?」
「どれ、…………その様だな」
向かいの列を見ていると、駿河の国人が何人か見えた。近頃、今川との間で戦がないと聞いていたが、よもや城を開ける程に優位だったとは。
「そうなると、今川はかなりの劣勢のように御座いますな」
「……うむ…」
今川家が頼りにならないと言うのであれば、尚更の事、北条家とは和睦をするのが無難だな。
「北条には明日、交渉の席を用意させました。…………一応、上総の国衆にも挨拶されますか?」
「…いや、やめておけ」
敵地とは言え、挨拶程度なら問題ないと思うが。
「………北条領内に入ってから四六時中視線を感じる。……大方、風魔の者にでも監視されておるのだろう」
「なっ!?」
「慌てるでない。……そういう事でな、此度は素直に和睦交渉だけに専念するとしよう」
…気づかなかった。…国府台で勝った事で油断していると思ったが、全くそんな事はなかった。油断していたのは私の方であったか………。
「太郎、気にするな。…こういうもは慣れというものよ」
「……………」
父上はそう言って下さるが、私も元服を済ませたのだ。……甘えて良い歳でも無く、ましてやこのままで良いわけも無い。
「ほれ、始まったぞ」
「はい……」
その日行われた鎌倉鶴岡八幡宮の落慶式は、北条一門のみならず、古河公方様、世田谷御所様などの関東足利氏臨席のもとで盛大に執り行われた。その盛大さは、関東のみならず遠くの京にまで伝わった。
天文九年(1540年) 十一月 相模国鎌倉郡鶴岡八幡宮 北条館
太田源七郎景資
「お初に御目にかかります。源七郎の父、太田備中守資高に御座います。……江戸城の一件では西堂丸様が進言されたと聞きました。……深く深く、御礼申し上げまする」
「妻の徳にございます。私からも感謝申し上げます」
落慶式が終わり、北条館で宴が始まった。西堂丸様も参加されるとの事で補佐役の私も側で控えていた。すると、御本城様への挨拶を終えた父上と義母上が西堂丸様にも挨拶に来られた。
「伯父上も伯母上もそう固くならないで下さい。…江戸城の事も気にしないで下さい。御祖父様も常々(つねづね)、考えていたようですから」
江戸城の一件とは、元々扇ヶ谷上杉家に仕えていた父上が、北条家に寝返る際に扇ヶ谷上杉家の居城であった江戸城を奪ってみせた。しかし、江戸城が対扇ヶ谷の最前線だった事もあり、江戸城は北条家臣が城主と城代を務め、父上は江戸城近くの香月亭へ配置された。
そんな中、古河公方様と縁戚になった事や今川家と和睦が成った事で、最前線では有るもののそれ程の脅威も無くなったと、西堂丸様が御本城様を説得され、翌日には父上が江戸城主に任命されていた。
「……なんと。…………西堂丸様。お困りの際はいつでもお声がけください!この太田備中守資高、西堂丸様の為ならば、何時でも何処へでも馳せ参じましょう!」
……全く。興奮するといつもこれだ。普段は慎重な性格なのに気持ちが昂ると大言壮語になる。
「頼りにしておりまよ。……伯父上も、私で良ければいつでも頼って下さい」
「有難う御座います!」
この短い間で、父上と西堂丸様に落とされた様だな。西堂丸様の補佐役になって気づいた事が一つある。それは、西堂丸様には人を惹きつける才能がある事だ。本人に自覚はない様だが。
「伯母上も、何かあれば私に言って下さい」
今度は義母上を口説き始めた様だ。
「…それでは、……文を」
「…文?…に御座いますか?」
「はい。…妹達から西堂丸様と毎月文の遣り取りをしていると聞きました。妹達があまりにも嬉しそうに言うものですから。…私たちの様な武士の妻や娘は外に出る事も滅多にありません。……文を送って頂けるだけでも日々の楽しみになります」
……そうだったのか。…義母上はとてもお優しい方だ。実子でない私の事も弟達と分け隔てる事なく接して下さる。文で喜んで下さるのならば、今からでも……。
「それは、気が利かず申し訳ありませんでした。是非、書かせて頂きます!」
「有難う御座います」
義母上も嬉しそうにされてる。私は……。
「源七郎も偶には文を寄越しなさい」
「…はいっ!」
「せいどうまる!あそびにきたぞー!」
父上と義母上が立ち去って直ぐに、次は西堂丸様と同じくらいの子供が此方にに走って近寄ってきた。
「武千代!やっと来たか!」
西堂丸様も父上達と話しいていた時とは違く、年相応の顔つきになって子供らしくはしゃいでるでおられる。
「鶴岡八幡宮は見て来たか?凄かっただろ?」
「あぁ!でかかったな!」
……会話は成立しているのだろうか?西堂丸様は満足のいく回答だったのか楽しそうに見えるが。
「武千代!走ってはならぬと教えたでしょうが!」
今度は、美しい顔に似合わない大きな声の女性が孫九郎様を伴って近寄ってきた。
「華叔母上!お久しぶりに御座います!」
「西堂丸、久ぶりですね!」
会話を聞くに、この方は孫九郎様の御正室で御本城様の次女・華様なのだろう。そうなると、武千代と呼ばれていたあの子供は、………孫九郎様の御嫡男か!……なるほど。確かにお二人の子供だな。
「あの、叔母上。……あまり武千代を叱ってやらないで下さい」
西堂丸様が友を庇うように華様に頼まれた。
「若!気にすんな、あいつは叱ったところで聞いちゃいねぇからよ!」
すると、華様の代わりに孫九郎様が答えた。
「ちちうえも、ははうえもさっきからこえがおおきいぞ」
……確かにこれは、叱っても意味がなさそうだな。
それから暫くの間、西堂丸様は三人との会話を楽しまれた。武千代殿が疲れてしまい眠ってしまうと、孫九郎様が武千代殿を肩に背負い寝室へ向かわれた。宴はまだまだ続きそうではあるが、西堂丸様は大丈夫だろうか。
「すみません、そこの方」
「…はいっ!………某でしょうか?」
西堂丸様を近くで見守っていると、後ろかは声を掛けられた。声を掛けてきたのは、武士らしくない弱々しい声の男だった。
「はい、貴方です。………西堂丸様の補佐役の方ですよね?」
「はい、そうですが」
「西堂丸様にご挨拶をしたいのですが、宜しいでしょうか?」
西堂丸様に確認を取ろうと後ろを向くと、男の声が聞こえていたのか笑顔で頷かれた。
「初めて御意を得ます、葛山備中守氏元に御座います」
「叔父上、初めましてに御座います。西堂丸です」
…葛山……。あぁ!御本城様の末娘・千代様が嫁がれたという葛山家の御当主か!
「千代姉上もお元気そうで」
……千代様?西堂丸様の視線の先を見ると、そこには目を瞑った優しそうな女性がいた。
「西堂丸も元気そうで何よりです」
……この方が千代様か。なんだか似たような夫婦だな。
「……叔父上は、武芸の鍛錬はされないのですか?」
「えぇ。見た目の通り、私は専ら領内の事ばかりに御座います」
西堂丸様も武士らしくないと、氏元様の体格を見て思ったのだろう。
「………姉上、氏元殿にまだ言ってないのですか?」
ん?…千代様には何か言わねばならない事でもあるのだろうか?千代様の方を見ると、先程まで瞑っていた目を大きく開けて赤面になって慌てていらした。
「何かあるのですか?」
氏元様も千代様の慌てぶりを見て気になったのか、西堂丸様に近寄って催促された。
「……姉上は、……筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の男性が好きなのです。姉上から文で、氏元叔父上は素敵な方だと書かれていたので、てっきり孫九郎叔父上のような偉丈夫な方と思っていました」
「な、なんと!………千代、そうだったのか?」
「…………はい……」
……二人ともやめてあげて下さい。千代様が今にも湯気を出しそうな程、更に赤くなってしまわれました。
「……そうか、……待っていてくれ、千代!すぐに筋骨隆々な躰になって見せようぞ!」
結局、千代様が恥ずかしさのあまり席を立つと、氏元様も西堂丸様に感謝の言葉を伝え、千代様を追いかけて行ってしまいました。
「……源七郎、…古河公方様と世田谷御所様との謁見は……明日だったな?」
西堂丸もお疲れなのだろう。眠い目を擦りながら、私に明日の予定を聞かれた。
「はい。……一門の方々とも一通り挨拶もすみましたし、今日はもうお休みになられますか?」
「……うむ。…すまぬが、そうしてくれ」
「畏まりました」
明日は登場人物(参)を投稿します。
第十一話は火曜日に投稿します。