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北条家の四代目  作者: 兜
第一章   幕開
10/32

第八話   北条

西堂丸=後の北条新九郎氏親

太田源七郎景資  補佐役

横井三郎時堯  補佐役

笠原能登守康勝  補佐役

間宮次郎右衛門信頼  補佐役

駿府の御祖母様(おばばさま)=中御門寿子 義元の母 西堂丸の祖母

義元叔父上=今川治部大輔義元 今川家当主

恵叔母上=武田(けい) 義元の正室

満姉上=北条満 古河公方正室

父上=北条新九郎氏康 北条家嫡男

御祖母様=横井(くに) 氏綱の先妻

彦九郎=北条彦九郎為昌 氏康の弟 氏綱の次男

十郎=北条十郎氏堯 氏康の弟 氏綱の三男

里見太郎義弘  里見刑部少輔の嫡男

父上=里見刑部少輔義堯 里見家当主


天文九年(1540年)  六月  相模国足柄下郡小田原城 西ノ間

西堂丸




補佐役達との謁見の後、孫次郎叔父上にもう一度彼らの話を聞かせれた。


まずは一人目の太田源七郎景資(かげやす)。源七郎は御祖父様の長女・徳伯母上が嫁いだ江戸城主・太田備中守資高(すけたか)殿の長男だ。ただ、伯母上の実子ではない。備中守(資高)伯父上と前妻との間に生まれた子だ。つまり、北条家とは血のつながりはない。源七郎には徳伯母上が産んだ弟がおり、先月のはじめに家督はその弟が継ぐ事になったと伯父上と伯母上から報せが届いた。…太田家の家督について御祖父様も父上も特段何かを言ったわけでもないのだが、主家の娘が産んだ子に家督を譲らなかったとあれば謀反を疑われてもおかしくない。暗黙の了解というものだ。


それに、北条家からしても血の繋がりがある子が家督を継いで、江戸という要所を守ってくれた方が安心出来るのは分かる。伯父上の判断は間違っていないと思う。…ただ、長子でありながら家督を継げなくなった源七郎だけが貧乏くじを引かされた事になった。


さぞや北条を憎んでいるだろうと思っていたら、この源七郎、稀にみる生粋の忠義者で、伯父上から家督について話を聞いた時に、父が決めお家と主家の為になるならば文句はないと言ったらしい。あまりに迷いなくそう言い切った源七郎を見て、伯父上も何とかしてやりたいと思ったのだろう。御祖父様に事の経緯を文にしたため、源四郎に何か仕事を与えて欲しいと願い出たとか。


御祖父様も源七郎の事は不憫に思っており、今回、私の補佐役の一人に選んだのだとか。私としても不満はない。忠義の篤い家臣と言うだけでも嬉しいし、源七郎の家は軍略や兵法に詳しいものばかり。特に源七郎の曾祖父は関東では知らぬ者がいない、あの太田道灌。その一族の者を直臣に出来たのはかなり嬉しい。後で道灌殿の話も聞いてみたい。


二人目は横井三郎時堯(ときたか)。横井家というのは、父上の生母であり、御祖父様(おじいさま)の先妻である(くに)御祖母様の御実家で、三郎にとって御祖母様は伯母にあたるらしい。三郎と父上は従弟(いとこ)ということだ。私から見ても従弟叔父(いとこおじ)になる。つまり準一門衆ということだ。


横井家は有職故実に通じており、これから公家や他家との交流の機会が訪れる私の為に父上が紹介して下さったそうだ。有職故実に()いては北条家で三郎の右に出る者は居ないとの父上のお墨付きである。言われてみれば確かに、初めて顔を合わせたあの謁見の時も一人だけ動作に迷いがなかった。


この横井家、嫡流は尾張国の赤目城城主を務めていて、最近北条家で話題になっている織田家の家臣だ。今の赤目城城主・横井太郎衛門時興(ときおき)は、これまた三郎の従兄いとこにあたる人物なのだが交流は既に断絶しているのだとか。なんでも、三郎と時興の父親は実の兄弟なのだが、この二人かなり仲が悪いらしい。


四十年も前の事だ。小さな事で兄弟喧嘩が始まり、弟であった三郎の父親が姉の嫁ぎ先だった御祖父様の所に転がり込んできたらしい。そして、そのまま家臣に。喧嘩の原因は既に両人とも忘れてしまっているのだが、未だに仲直りしていないとか。三郎も身内の恥だと苦笑していた。


三人目は笠原能登守|康勝みやすかつ)。笠原家から補佐役に任命されたのは、御祖父様(おじいさま)の補佐役を務めた康勝の父である越前守に続き二人目だ。越前守も今では五家老衆にまで上り詰めた御祖父様の信頼の厚い重臣だ。康勝の事は、武勇に優れ勇気があると御祖父様にも認められた逸材と聞く。見た目も、背が高く筋骨隆々で一目で武辺者(ぶへんもの)といった感じだ。


顔を合わせた翌日には、本格的な武芸の鍛錬を始めましょうと言われた。源七郎が〝まだ体が出来ておりません〟と、止めてくれたお陰で事なきを得た。雰囲気は孫九郎(綱成)叔父上に似ているだろうか。…武勇に優れた者は皆こうなるのだろうか。


因みに、前世でも四人の補佐役がいたわけだが、前回同様だったのは康勝だけだった。だからであろうか、前世では康勝とはあまり親しくはならなかったのに、四人の仲では一番親しみを感じるのは。康勝は知らぬであろうが、唯一の顔なじみだからな。


最後に間宮次郎右衛門信頼(のぶより)。次郎右衛門の兄は伊豆の海賊衆を統率し、奉行衆(ほうこうしゅう)も務める文武両道の重臣である。次郎右衛門も海賊衆を率いて戦った経験があるとか。

彦九郎(為昌)叔父上と親交があるらしく、私の事は常日頃から聞かされていたようだ。次郎右衛門は他の三人とは違って、補佐役には自ら立候補したらしい。叔父上の話を聞いてるうちみ私に興味を持ったのだと教えてくれた。


四人とも其々に違った長所を持ち、一癖も二癖もある。そのような者達を統率出来てこその大将だと御祖父様は仰った。私も心を変えてとまでは言わないが、少し引き締めていかねばならぬな。


話は変わるが、先日、駿府の御祖母様から文が届いた。月に一度の間隔で文を送っているが、話したい事が多いのかいつも十枚近くの手紙が一度に届く。新しく入った女中が私の部屋で山積みになった半年分のそれを見て驚いていた。他の女中達は母上で慣れているのか誰一人見向きもしなかった。


手紙には、義元叔父上が正室の恵叔母上との間に娘が産まれたと書かれていた。二人の間には既に嫡男の彦五郎(ひこごろう)がいたが、叔母上は女子を欲しがっていたそうだ。叔母上の要望が叶い叔父上も安堵(あんど)していたと、赤裸々に書かれていた。叔父上には講和の使者の時に会ったきりで、人柄は詳しくは知らないが家族思いの一面を知れて少し親近感が湧いた。


北条家にとって恵叔母上は敵対する武田家の娘なのだが、前回の講和会議の時に〝北条家は今川・武田両家の同盟を認める事〟、〝義元殿と武田の姫の間に生まれた子が当主になる事に異論を唱えない事〟なども講和の条件に入っていた事で、今のところは話題に出ても問題はない。


御祖父様が二人の婚姻を認めたという事は、近々武田家とも講和が成るのかもしれない。もし武田とも和が成ったならばいよいよもって、宿敵・両上杉との決戦に挑むことになるだろう。北条家を守るためには一日でも早い関東平定が必要になる。胡坐をかいている暇はないのだ。


再び視線を手紙に移すと、そこには三河国での織田家の動きが詳細に書かれていた。

今月の初め、尾張国古渡城主・織田弾正忠信秀(のぶひで)が三河国刈谷城主・水野下野守忠政(ただまさ)を伴って三千の率い、松平筑後守長家(ながいえ)が籠る安城城を攻撃したとの事。安城城には千人程しかおらず、三倍の兵力を相手にしなければならなかった。そんな中、城兵は一丸となって城を堅く守り、一時は織田軍を後退させたらしい。しかし、劣勢を挽回するまでには及ばず、城主の筑後守を含む松平家の主だった武士五十人余りが討ち取られたとの事。両軍を合わせて千人余りの死者を出す激戦になったと書かれていた。


やはり、織田は動いた。今川家が動けず、先の鳴海城での敗戦から立て直せていない松平家を攻めるならば今しかないからな。織田家の三河侵攻には只ならぬ執着を感じる。まだ、確証は得られていないが、氏輝伯父上と輝忠伯父上を毒殺したのは織田弾正忠だろう。御祖母様(おばばさま)もそう思っているのか、織田家の事が書かれている箇所だけ端々に憎悪が感じられる。今川家からすれば織田家は不倶戴天(ふぐたいてん)の敵と言っても過言ではないだろう。


御祖母様の文が届いた数日後、古河(こが)の満姉上からも文が届いた。なんと、あの姉上に子供が出来たとの知らせであった。

御祖父様は〝でかした!〟と、父上は私と同じく姉上が母親になるなど想像が出来ず、只々呆然としていた。母上には〝武家の娘の役目を果たしたのだから大袈裟(おおげさ)なぐらいに祝ってあげなさい〟と言われた。


勿論そのつもりだと。翌日には城に藤衛門を呼び付けて小田原の職人達に注文を出した。三日後には城まで届き、すぐに包装に取り掛かった。小田原漆器の茶碗と菓子鉢。二代目-綱廣(つなひろ)の刀四本。(しも)()(やに)(まつ)(ざい)()の硯箱。さらに、紀伊国に伝手(つて)がある金石斎(きんせきさい)に頼んで用意して貰った化粧用と筆用の熊野筆(くまのふで)。そして、清酒(せいしゅ)五十本。贈藤衛門に頼んでいた清酒の大量生産が完成した事もあり問題なく贈ることが出来た。母上からも〝これなら十分です〟とお許しが出た。姉上の子という事は私にとって(おい)……………いや、従弟(いとこ)になるのか。まぁ、何にせよいつの日か会うのが楽しみだ。




天文九年(1540年)  七月  相模国足柄下郡箱根山 早雲寺

北条十郎氏堯



今日は母上の十三回忌の為に一門の主だった者達が早雲寺(そううんじ)に集まった。俺にとっては一番大切な日だ。少し気になったのは、新九郎兄上が噂の嫡男を連れてきた事だ。彦九郎兄上も良く褒めていたな。俺とは違って出来が良いようだ。

先程、皆で部屋に集まった時にちらっと見たが、顔を義姉上似の端麗(たんれい)な顔立ちだった。羨ましい。


「父上、御祖母様(おばあさま)とはどの様な方だったのですか?」

待ち時間が長く感じてきたのか、新九郎兄上の噂の嫡男が母上の事を聞き始めた。

「……そうだな。……とても優しいお方だったな」

「…優しいお方」

……新九郎兄上、それでは母上の優しさなど少しも伝わらないだろうが。

「そうですね。母上が怒ったところなど一度も見た事がありませんでした」

そうだよ。そういうのだよ。良くぞ言ってくれた、彦九郎兄上。

「身体が弱い方だったのでな、体調が優れない時が多かったのだが、私たちの前では常に笑顔だった」

「…そうでございましたね」

「十郎なんかはな、常に母上の側にいてな…」

「あ、兄上!……私の話は良いではないですか!」

油断も隙もない。まだ、挨拶もしていない甥に勘違いでもされたらどうするのだ。


「…………」

「…如何(いかが)した?西堂丸?」

ん?どうしたのだろうか、私の顔を見るなり固まってしまった。

「…いえ、随分と御祖父様に似ていると思いまして…」

「…あぁ、十郎に会うのは初めてであったな。………そうか、やはりそう思うか。母上も良く仰っていたな」

…確かに母上にも良く言われたな。他にも端正な顔立ちをした兄上達ではなく、私の顔が一番好きだと言っていた。今思えば、その理由も分かるが。


「西堂丸。お主は祖母について、もう一つ知らねばならぬ事がある」

兄上達と母上の昔話しをしていると、父上が割って入ってきた。

「今では〝北条〟を名乗る我らだが、以前はどのような名であったたか知っておるか?」

「〝伊勢〟に御座います」

「うむ、その通りだ。……では、なぜ〝北条〟を名乗るようになったか知っておるか?」

俺も、この話は元服の時に聞かされた。兄上達も同じだったらしい。

「求心力の為、ですか?」

「……それもあるが、………國との間に新九郎が産まれたからだ」


「…父上ですか?」

(くに)は執権北条氏の末裔・横井氏の出身だ。つまり、新九郎には執権北条氏の血が流れておる。……儂は民に嘘はつかぬ。〝北条〟を名乗る事で関東の諸豪族も味方に付きやすいと思ったのも確かだが、新九郎の代からは真の〝北条〟となるからな」

「…まさか、そのような理由だったとは」

俺の中にも北条の血が流れているなど、何度聞いても鳥肌が立つ。もし、北条が勝者として戦国の終わりを迎えれば、〝北条〟誕生の秘話も語り継がれるだろう。


「では、御祖母様の為にも我らは勝ち続けなければなりませんね。」

「……うむ。そうだな」

その通りだ。上杉の連中が手を組もうとしているだとか、武田や織田が領土を拡大しているだとか、関係ない。〝北条〟は負けん。母上の為にもな。




天文九年(1540年)  八月 上総国望陀郡久留里城 当ノ間

里見太郎義弘(さとみたろうよしひろ)




「父上、如何(いかが)なさいますか?」

「……………うむ…」

またか。先日からこればかりだ。父上にしては珍しく決断出来ずにいる。昨日の昼過ぎ、北条の使者が城に遣わされた。渡された書状には、三か月後の十一月に挙行される鎌倉鶴岡八幡宮の落慶式への招待状だった。


鎌倉鶴岡八幡宮と言えば、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝公の時代から東国武士の依代のような存在だ。その鎌倉鶴岡八幡宮の再興事業を主導することは執権北条氏や鎌倉公方といった東国武家政権の政治的後継者を主張する事に等しい。


父上がこれに参加すれば、他家からは里見家が北条に下ったと見られるだろう。少なくとも和睦したと思われるはずだ。…北条からの文にはその様な文言は一つも書いていないが、詰まる所この招待状は降伏勧告と同じ意味を持つ。


「正直なところを言えば、今の里見に北条と戦う力はありません。…此処は一度、和睦をするのも良いのではないでしょうか?」

「………うむ…」

認めたくはないが今の里見家は風前の灯だ。四方を北条に囲まれて領地も多くを失った。上総の国衆は日が経つにつれて北条に下っていく。一か八かで戦に挑もうとしたところで集まる兵力は三千がやっとだろう。北条はその十倍の兵力を持っているのだ。野戦などすれば一日で勝敗がついてしまう。…父上もそんな事は分かっているはず。


「北条も我らにこの書状を送りつけたは、和睦の意思があるからにございましょう」

北条に降るつもりは毛頭ないが、今は少しでも立て直す時を稼ぎたい。鎌倉に出向くくらいで済むのなら、安いものだ。

「……うむ……」

はぁ。溜息が出るな。国府台での敗戦以来、父上に覇気がなくなったように感じる。風魔衆に悪評を民の間に流されたのも痛かった。まさか、あれ程の効果があるとは。…この屈辱、晴らす為にも今は下手に出るしかあるまい。


「父上、もうしばしの辛抱でございます。…両上杉家も間もなく北条討伐の為に挙兵されましょう。我ら里見も管領様と共に立ち上がれば、北条に下った上総の国衆もこぞって此方に寝返るにちがいありません」

もうしばし、もうしばしの辛抱なのだ。






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