第6話 出会い
深呼吸を一つ。
ゆっくりと体をリラックスさせる。
「さて、いきなり襲って来るとかは勘弁してくれよ」
言いながら大階段を上った先にある、ひときわ大きな両開きの扉を少し開き、隙間から内部を覗き込む。
「……っすげぇ」
視界に入った光景に自然と感嘆の声が漏れ出る。
内部は結婚式場にあるチャペルの様なものかとも思ったがその規模では無く、中世ヨーロッパの大聖堂を彷彿とさせる荘厳な空間となっていた。
十数メートル以上であろう天井は高く、見事に装飾された柱も等間隔で設置されている。
中に入り改めて見渡すとモンスターの姿は見られず、厳粛な空気さえ漂っているように感じた。
「これはすごいな……」
語彙力? すごいものはすごいんです。
入り口から見える部屋の最奥まで百メートル近くはあるだろうかと言う程の規模感、ここから見える限りでは最奥の主祭壇は数段高くなっている。
そしてその壁の上部一面はステンドグラスになっており暗いはずのこの部屋に微かな光を届けている。
……そう言えばここは蝋燭ついてないな。
燭台はあるのでつけようと思えばつけれるのだが、ステンドグラスをより一層際立たせるための演出か?
見ているだけでは何も進まないので、恐る恐るゆっくりと、奥へ向かい身廊を歩いていく。
「おぉっー」
最奥の主祭壇前まで来るとステンドグラスや周りの壁の彫刻の細かいところまでハッキリと見えるようになる。
これが芸術ってやつですか!
少なからずリアルでも海外の大聖堂や歴史的建築物に憧れと言うか、一度は現地で見てみたい、と思っているぐらいには興味があったので自然とテンションも上がってしまう。
「……」
暫し見続ける事、気づけば数分。
つい見入ってしまったようだ。
いつまででもここ居たいと思えるほど魅力的な場所だがそうは問屋が卸さない。
ここに何かしらのヒントがあるはずなので探さなければ。
「主祭壇周辺には何もないな」
あるとすればここだろうと思っていたが、見渡す限りメモや楽器の類はなさそうだ。
中央通路である身廊も通る時に見ていたがそこにも無かった。
となると側廊の方かな?
「とりあえず一周しますか」
右側廊から出入口である拝廊へ向かう。
壁と柱に挟まれる側廊では万一エンカウントした場合に逃げ道が限られるので慎重に歩いていく。
「何も無かったな……」
右側廊には何もめぼしいものは無かったので、拝廊から主祭壇に向かって左側廊を進んでみる。
「こっちも何も無し、マジか……」
流石にこんなすごい場所になら何かあるだろうと思っていたが何も無い。
「うーん……、こうなると疑うべきはヒューマンエラーか」
きっと俺がどこかで何かを見落としているのだろう。
この大聖堂は一階も二階もエンカウントは無いみたいだし、もう一度下から探し直しますかね。
「……」
「…………」
「……………………」
「結局何も無いんかい!!」
苛立ちを含んだ俺の声が主祭壇一帯に響く。
一階玄関から各部屋、階段や大聖堂まで見れるところ全てを隈なく探し直したが、手掛かりと呼べるものは何も見つけられず、主祭壇へと戻って来ていた。
体力的には疲れてないが精神的な疲れが大きい。
いつ出てくるかもしれないモンスターに気を張りすぎたのも要因の一つだ。
「はぁー……」
ため息と共に床に座り込む。
主祭壇前の為、見上げれば壁一面のステンドグラスの美しさが俺を癒してくれる。
それにしても、まさかこんな形で手詰まりになるとは想定外。
箱や楽器と言った物理的なアイテムは諦め、三つのヒントから謎解きをしなければならないという事か。
「って言ってもなぁ、ヒントに書かれた箱も音も見つからない以上、考えるべきは『常識にとらわれるな』って事だけど、漠然とし過ぎてるんだよな……」
なんだっけ? 常識とは偏見のコレクション、的な格言があったようななかったような。
でもなぁ、偏見のコレクションを捨てるにしてもどこを基準にすればいいのか。
例えば、この建物自体深海にある訳だが普通に考えると当然空気はあるはずがない、これを常識外と疑い空気の供給源を調べるべきなのか、空気はゲームシステムの環境の一部として存在しているのか、疑いだせばきりがない。この世界がリアル過ぎてどこまでメタ発想を広げて良いものなのか……。
精神的に疲れて集中力が切れた俺は、なぜかゲーム開始前の咲希との昼食を思い出す。
あの時はこれから始まる冒険への期待に胸が膨らんでワクワクが止まらなかったが、まさかこんな初期段階から深海に眠った大聖堂を寂しく探索する事になろうとは。
これじゃあ面白い土産話もできそうにないな。
いや、ここまでの流れを考えると意味不明過ぎて逆に面白いかもしれない。
月と大聖堂はマジで感動したし。深海魚は嫌いになったけど、あながち外れルートでもない?
つい謎解きを放棄し妹への土産話に思考をシフトしてしまう。
常識を疑えとか言われても、この世は常識で成り立ってるんですよ?
ヒントが少なすぎて真面目に考える気も無くなってくる。
「とは言え、どうにかしないと……」
考えは纏まらなかったが、ここに座っているだけでは先へは進めない、そう思い重い腰を上げたその時。
ふいに少しだけ部屋全体が明るくなったような気がした。
不思議に思い視線を上げてみる。
視線の先ではステンドグラスが大きな存在感を放っていたが、これまでと違う事が一つ。
ステンドグラスから発せられる光がゆっくりではあるが確実に強くなっている事、それに伴い辺りを照らす光量も増している事。
「これは……!」
俺の脳内で一つの線が繋がった。
この光景は化物深海魚から逃げのび、この大聖堂へと入る時に入り口のステンドグラスが光っていた時と同じ現象だ。
と言う事は、きっとあのステンドグラスからこの部屋の先に進む事が出来るはず。
ヒントにあった『暗い箱』『音』『常識』と言った謎解きは全くしてないはずだが、どこかでフラグ達成していたのか?
「考えてもしょうがないか」
俺はあっさり思考を放棄する。
どうせ答え合わせは出来ないし、条件が分からない以上今はあのステンドグラスを通り抜けるのが最優先だ。
善は急げと気持ちは急くが、そこで新たな問題に気付く。
「どうやって登ろう……」
ステンドグラスは壁の上部に全体に設置してあるが、その高さは地上四、五メートルより上だ。
ジャンプでは当然届くはずもなく、近くに梯子の様な都合の良い物も無い。
お行儀悪く主祭壇に登って飛んだとしても届く高さでは無いだろう。
「あー、これは謎解きすっ飛ばしたせいか?」
恐らく正規の手順を踏んでいればステンドグラスまでの道はどうにかなったのではなかろうか?
結局俺がやったのはメモを三枚見つけた事と建物内を二周見回っただけだ。
その中で何の偶然か、最後のステンドグラス起動のフラグだけ達成してしまったが故の今の状態なのだろう。
「形に拘ってる場合じゃないな」
リアルであれば絶対に怒られる、どころか下手をしたら国際問題にもなり兼ねないが、主祭壇の上に高さをかさ増し出来るものを積み上げて登ろう。
歴史ある大聖堂でこんなことをしたら世界中のメディアから日本人の暴挙として袋叩きに合うだろうが、ここはゲームなのでセーフ。
そんな誰も聞いてない言い訳を内心考えているところで、ステンドグラスにある変化が起こった。
「眩しっ!」
先ほどまでは徐々に強くなっていた光だったが、今の一瞬で眩いばかりの力強い光を放つ。
やばい、これ閉じちゃう前兆じゃね?
くっそ、ここで先に進めないとまた一から考え直しだよ。
もう悠長に高さのかさ増しとか言ってる場合じゃない、指先だけでも届けば移動判定になる事に賭けて主祭壇から跳ぶしかないか?
迷う時間も勿体ない。
「やるしかないか」
ギリギリ指先だけなら届くかもしれない、そんな部の悪い賭けだがこのチャンスを逃すには惜しすぎる。
「やるだけやって無理なら大人しく…… え?」
一瞬、脳が全ての思考を停止する。
ステンドグラスの中心が更に強い光を発した、それだけなら良かったが、その中心から『何か』が出てきたからだ。
「天使……?」
そのあまりの神々しさに目を奪われる。
なるほど、俺がステンドグラスを通るのではなく、天使が現れてイベントを進めてくれるのか。
白い羽と天使の輪、幼くも整った顔立ちと、透き通るような碧眼、白いワンピース、ミルクティー色の揺れるゆるふわセミロング、まさに天使以外のなにものでも…… いや、ゆるふわは関係ないか。
まさに正統派美少女とでも呼ぶべきその造形はキャラデザAIに惜しみない称賛を送る他ない。
そんな天使を凝視していた俺だからこそ、その表情に驚愕の色が広がっていく事に気づいた。
瞬く間に変わる表情、俺でなきゃ見逃しちゃうね。
そして聞こえる天使の絶叫。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
甲高い悲鳴を上げながら天使が俺の方に飛んでく…… 落ちてくる?
そう思った時には時既に遅し、天使のフライングボディアタック直撃により、俺は少なくない衝撃と共に仰向けに倒れ、床に頭を強打すると『気絶』の状態異常を手に入れる事となる。
そのまま天使が馬乗り状態となり、少なくとも天使が床に直接ダイブせずには済んだようだが、ここは格好良くお褒め様抱っこで受け止めろよ、俺。
薄れゆく意識の中で、自分の主人公適性の無さに突っ込みつつ俺の意識は落ちていった。
「……ッ」
俺は……
ああ、そうか、確か天使が現れたと思ったらぶつかって気絶したんだっけ。
「気づきましたか!?」
目を開くと天使が俺の顔を上から覗き込む、そんな状態だった。
――何でそんな悲しそうな顔してんだよ、絶対笑った方が可愛いのに――
「え?……大丈夫ですか?」
天使が驚きながらも安堵のような表情を浮かべ聞いてくる、どうやら俺を心配してくれている様だ。
――大丈夫だって、怪我してるわけでもないんだし――
ひょっとして責任感じてるのか?
――あんなの事故みたいなもんだし気にしなくていいのに――
「ううん、わざとじゃなくてもあんな危険な事…… 本当にごめんなさい」
そう言って更に頭を下げる天使。顔が近くなる。
――天使って謝ってても綺麗な顔してるんだな――
「もう、人がちゃんと誤ってる時に茶化さないでください」
ほんの少しだけ怒った表情を見せる天使。
――怒った顔も可愛いとか反則ですよ――
「だから茶化さないでください!……でも元気そうで良かったです」
少しだけ頬を赤く染め、照れながらも微笑む天使。
――なにこの天使可愛すぎだろ、可愛いは正義ってこの子の為にあるんだな――
「もぅ…… 意味分かんない」
顔を真っ赤にしながら目を逸らしため息を吐く天使。
ため息でも絵になるなんて、もはや芸術の域と言っても差し支えない。
数秒の間、虚空を見つめ落ち着いたのか、コホンと可愛らしく咳を落とし天使が告げてくる。
「一つ勘違いしてるみたいですが、私は天使じゃありません」
――天使じゃないとかこの天使は何を言ってんだ? 打ち所が悪かったのか?――
「打ち所が悪いのはどっちよ? 私は正真正銘の人間です」
――……ん? 人間? ヒューマン?――
「そうですね、生物学的にも人間です」
だとするとこの子はイベントNPCでは無く、プレイヤー?
――いや、ちょっと待って、よく考えたらこの天使、さっきから人の心読んでない?――
「全部口に出てますよ?」
さも気づいてなかったの? と言いたげに小首を傾げて残酷な真実を口にする天使。
「…………マジで?」
全身から血の気が引いていくのを感じながら、勘違いであって欲しい故の確認を行う。
「マジです」
現実は残酷だった。
「あ゛ぁああああああああ」
心の防衛本能からか自然と両手で顔を隠す。
顔から火が出るレベルじゃない、早く燃えカスになりたい。
なんて言った? なにを言った? なに言ってんだ俺!!
ここにきてようやく気絶から意識がハッキリした。
最悪の展開だ。
思った事をそのまま口にしていただようだが、凡そまともな精神状態の俺だと恥ずかしくて絶対言えないような事を言った気がする。
「あの…… そんなに恥ずかしがらないでくれると嬉しいかな、言われた方も結構恥ずかしいんですよ?」
顔を真っ赤に染めて天使は言う。
「やめてぇぇ、余計恥ずかしくなるぅぅぅ」
穴があったら入りたいどころか入って永眠したい。
永眠しよう。
おやすみなさい、そしてさようなら。
「……」
「……」
沈黙が気まずいぃぃ。
とは言えこれは俺が招いた事なのでどうにかしないといけない。
というかもう無理やりでも話題を変えて無かったことにしよう!
「ア、アノ、アナタハニンゲンデスカテンシジャナイノナラ?」
悲報、俺氏唯一話す事が出来た母国語を忘れる。
「ワ、ワタシハニンゲンデスヨ」
悲報、天使ではなくロボットだった。
ただ、相手も少なからず俺につられて動揺しているようで逆にこちらが冷静になれた気がする。
ここはさりげなく何事も無かった様なテンションで乗り切るしかない。
「人間さんはお名前ですか?」
悲報、俺氏冷静ではいられない。
「え? 名前ですか? 佐倉優莉と言います」
名乗りつつご丁寧に頭を下げてくる元天使こと、佐倉優莉さんのリスニング力により無事会話が成立する。顔近いな。
まさかのフルネームで名乗って頂いたが、これは如何なものか? 恐らくリアルのフルネームだろうけどそこまでは求めて無かった。
まぁ、完全に俺の聞き方が悪かったのだろう、仕方ないこちらも礼儀としてフルネームで名乗ろうじゃないか。
「ア、オレは遠藤煌士とモウシマス」
どうにか自己紹介はちゃんと言えた。気がする。
ここは一つ今までの流れを断ち切るためにも会釈では無く、しっかりと頭を下げて少しでも誠意を……
「あれ?…」
ここで感じる体の違和感。
「どうかしましたか?」
天使……、じゃなくて佐倉さんが不思議そうに聞いてくる。
「あの、今の体勢ってひょっとして……」
「体勢? 膝枕ですよ? あ、首痛かったりしますか?」
不安そうに眉を寄せる佐倉さん。
「えぇぇぇぇっ!?」
本日二度目の絶叫が大聖堂に響くと同時に俺は跳ね起きる。
「待って、ちょっと、なら俺は膝枕してもらいながら、『怒った顔も素敵だよ』とかなんとか言ってたのか?」
「そ、そうですね……、素敵、じゃなくて可愛いだった気もしますが……」
そんな細かいとこ聞いてないから!
思い出して頬を赤くしないでぇぇぇ。
いや、確認したのは俺なんだけどぉぉぉぉ。
恥ずかしいを通り超してもう逝きたい。
そして俺気持ち悪。
何で気づけなかった?
何度か顔近いって思ってたよね?
これが膝枕の魔力か……
「すいませんでしたぁぁぁぁ!」
俺は佐倉さんから一歩距離を取ると、人生で二回目の土下座を発動する。
一回目は咲希が風呂に入っているのに気づかずに、間違って入ってしまった時だったか。
あの時は、悲鳴、激高、無視の三拍子で、機嫌直すのに一か月以上掛かったなぁ……。
思考が反れてしまったが、百歩譲ってNPCならともかく、初対面のそれも同年代の女の子に膝枕してもらって意味不明な事言ってたら十分事案だろう。
もう許されても許されなくて罪を償うしかない。
「え? なんで? そんな…… 頭をあげてください」
しかし、佐倉さんから返って来たのは俺を非難する言葉ではなく、若干混乱しているのだろうか、状況が分からない様子で土下座のキャンセルをお願いされる。
「膝枕までしてもらいながら気持ち悪い事言って本当にすみませんでした!」
混乱してそうなので謝罪の意図を明確に告げる。
男が一度下げた頭を簡単に上げると思うなよ。
なにこれ、名言風だけど凄く情けないな気がする。
まぁ、ちゃんと謝って遺恨は残したくないしいいか。
「ぁ、いえ! それでしたら責任は私の方です、私が飛び込んで行ったから気絶までさせて本当にごめんさない! 膝枕も私が勝手にやった事なので気にしないで下さい、色々褒めてくれて驚きはしましたけど気持ち悪いとかは全然ないです、ちょっと意味分かんないとこもあったけど…… 結局元を正せば謝るべきは私です」
どうやら怒ってはいないようなので、少しだけ頭を上げて佐倉さんの様子を伺う。
「本当にごめんなさい」
そう言って深々と頭を下げる佐倉さん。
「そんなに謝らないでください、佐倉さんに悪気があった訳じゃないんだし、俺がちゃんと受け止めていれば良かっただけなんですから」
「でも……」
「どちらかと言うと膝枕までしてもらってそれにも気づかないで寝ぼけた事言ってた俺の方が普通に考えて何十倍も気持ち悪いんで…… ほんとすいません……」
見ず知らずの他人を膝枕する時点でハードル高いのに、その上意味不明な事言って来たら絶対気持ち悪いでしょ?
佐倉さんはあんまり気にして無かったみたいだけど、世間一般からしたらほんと俺不審者一歩手前だし。
「違うんです…… 全然目を覚まさない遠藤さんを見ているとゲームの中での気絶がリアルにも影響してて、リアルでも目が覚めない事になってたらどうしよう、って、そんな事を考えてたらすごく怖くなって……」
俺が呑気に気を失っている間の不安を思い出したのか泣きそうになりながら話す佐倉さん。
なるほど、だから目覚めてすぐに見えた佐倉さんの顔は今にも泣きそうだったのか。
「だから遠藤さんが目を覚ました時はすごく安心しましたし、良かったこれでちゃんと謝れるって思ったんです、だから遅くなったけど今ちゃんと謝りたいって思って」
薄っすらと目に涙を湛えて彼女は続ける。
あれ? 目を覚ました直後で記憶が曖昧だけどいの一番に謝ってくれたような?
うん、間違いなく謝ってくれてるよね。
もう既に謝罪は受け取っています、そう伝えようとしたところで更に彼女が口を開く。
「すみません、ちょっと今涙腺緩いみたいです…… いつもはこんな簡単に涙なんか出てこないんですけど、チュートリアルが終わった直後に空の上に放り出されて、大きなドラゴンは襲って来るし、どうにか近くのお城に逃げたんですけど沢山の兵隊さんにも追い掛け回されて、ずっと心細くて…… どうにか逃げ切れたと思ったら遠藤さんを気絶させちゃって、もう目が覚めないかも、なんて変なこと考えだしちゃうし…… でもやっと遠藤さんも回復して追って来る兵隊もいないと思うと、なんだか一気に気が抜けちゃて」
決して涙は流さないが潤んだ瞳で少しだけ無理をした微笑みを見せる佐倉さん。
不謹慎だとは分かっていても、それはまるで一枚の絵画を切り抜いたような、美しさと儚さが混在したその表情に、一瞬で俺の目は奪われる。
月から地球を見るよりも大聖堂の輝くステンドグラスよりもその顔は俺の心に強く残った。
「……」
はっ! いかん、つい見とれてしまった。
やっぱこの子ほんとは天使なんじゃないかな?
でも最初に見た時は天使の羽と輪っかがあったはずあだけど今は見当たらない、目も茶色だし。俺の気のせいだったのか?……
それにしても運営は何を考えて佐倉さんをそんな危ない場所に飛ばしたんだか……
佐倉さんは色々と大変な状況から逃げてきて、安心する間もなく俺が気絶して目が覚めないもんだから、かなり精神的に参ってしまったようだ。
あるよね、心が弱ったときにマイナス思考になっちゃう事って。
俺があの時、落ちて来る佐倉さんをちゃんと受け止めていればこんなことにはならなかったはずだ。
だから今、潤んだ瞳で俺を見ている彼女を元気付かせるのは俺の義務だと思う。
柄じゃないけど、彼女を安心させるにはこれしか思いつかない。
勇気を出して、俺はそっと彼女を抱きしめる――
――なんて事出来るはずもなく。
そんな主人公適性持ってたら、恐らく最初の時点でお姫様抱っこで受け止めてるし。
普通に恋愛経験ゼロの俺にそんな高等技術無理ですよ?
てか今少し話したとは言え、ほぼ初対面の男に抱き着かれるとか、更に事案追加なだけでしょ。
ただ俺のせいで要らない負担が掛ったのは事実だし彼女が少しでも落ち着けるようにしたいのは本心だ。
何か良い方法がないか頭を高速回転させるが、脳内検索結果は悲しいかなヒットせず、俺の人生経験と漫画とアニメの知識では対応できないことが分かった。
さて、どうしたものか……もっと働けよ俺の脳細胞。
「……っ!」
考えたところで何も出てこない、とあきらめかけたその瞬間、これしかないと一筋の閃きが脳内を駆け巡る。
これしかないと言うより、こんな事しか出来ない、と言った方が正しいが。
それは元気づけるとか励ますとかそんな器用な事じゃなくて、誰にでも出来る、けど今の俺には自分の傷口に荒塩を揉み込むが如くハードルが高いと言うか恥ずかしい事。
頼むぞ佐倉さん、ちゃんと返事してね。
内心で勝手に佐倉さんを巻き込みつつ俺は意を決して口を開く。
「可愛いと天使も色々大変なんだな」
妹と話すように軽い口調で。
もう既にプレイヤーと分かっている同世代の女の子に天使とか言っちゃうなんて、主人公適性ゼロどころかもはやチャラ男の域な気がする。
恥ずかしすぎて逃げ出したい。
「だから天使じゃありません! あとそんなに可愛いって言わないで、慣れて無いからなんて返せばいいか分かんないよ」
前半はつっこみつつ、後半は恥ずかしがりながら尻すぼみになっていく。
けど最初の返事はもらえた、後は勢いに任せよう!
「やっぱ打ち所悪かったか?」
どんな言葉でも良い、彼女がリズムよく返してくれるなら。
「打ったのは君だよね? 君のおかげで私は無事でした!」
「あれ? なら俺は助けてあげたヒーローだよね?」
会話のテンポを崩さぬように考える前に口を動かす。
ん? なんで俺はこんな恩着せがましいこと言ってんだ。
しかも厳密には助けて無いし。
「ヒーロー…… とはちょっと違う気がするけど助かったのは事実です」
少し戸惑いつつも彼女はしっかりと返事を返してくれる。
「ならそのヒーローから助けてあげたお礼に一つお願いがありまーす」
どうしよ、見切り発車も良いところだし、散々心配してくれた子にお礼求めるってマジで屑過ぎないか俺。
考える前に口から出る事って本心なのかな? これが俺の本心なら自分が嫌いになりそうだ。
「お願いですか? 私にできることであれば言ってください」
いいのかよ! この子いつか悪い大人に騙されないか心配だなぁ。
「なら…、えーと…、その…、あの…」
どうしよう、何も思いつかない……
「俺と…」
口をパクパクさせるだけの金魚の様に何の言葉も出てこない俺。
「俺と…?」
復唱しないで! 今考えてるんだから!
小首を傾げる姿も可愛いが、今は悠長に見入ってる余裕は無い。
「俺と…… 俺と一緒に冒険しよう!」
気の利いたセリフなんて言えないし、何が正解なのかも分からない、彼女の都合を考える余裕も無い。
それでも無意識の内に口から出たこの言葉が、きっと俺が望んだものなんだろう。
「冒険?……」
予想外のお願いだったのか目をパチクリさせて佐倉さんはその意味を考える様につぶやく。
「ああ、この世界の色んな場所を二人で見に行こう」
何言っちゃってんの俺。
これはちょっと調子に乗りすぎと言うかクサい。
流石に初対面の人間に言われたら引くだろ……。
しかし、そんな心配をよそに佐倉さんは口を開く。
「はい、喜んで」
少し照れの入った微笑みを浮かべ、彼女はそう言ってくれた。
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