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この波の辿り着く果てには  作者: @豆狸
3/4

 嫌な夢をふたつ見て目を覚ました日から、そろそろ一ヶ月が経とうとしています。

 その間、学園でも王宮でもサロモン殿下とは会っていません。

 学園ではヴィシア様と駆け落ちしたのではないかという噂が流れているけれど、そうでないことを私は知っています。


 だって殿下が登校なさらなくなって数日過ぎたとき、彼はどこに行っているのかとヴィシア様ご自身に尋ねられたのですから。

 それとも、あれは彼女と駆け落ちする予定だということを誤魔化すためだったのでしょうか。

 あれからすぐにヴィシア様も姿を見せなくなりました。


「アマリア」


 授業が終わり、松葉杖をついて教室を出ようとした私の前にロドリゴ様が現れました。

 彼はモレーノ公爵家令息で、私とサロモン殿下の幼なじみです。

 男同士ということで殿下とは遠慮のないお付き合いをなさっています。それに気づかず、ふたりが喧嘩しているのだと思って窘めたこともありましたっけ。


 ロドリゴ様の浅黒い肌に影を落とすのは漆黒の硬い髪。髪が硬いと知っているのは幼なじみだからです。成長してから触れたことはありません。……ないはずです。

 彼はサロモン殿下よりも背が高く、均整の取れた逞しい体の持ち主です。学園に入学する前から、精鋭揃いのモレーノ公爵家の騎士団に交じっていても遜色ないと言われていました。

 かといって文事に劣るわけでもなく、学園の入学試験では殿下とともに全問正解であったと聞いています。


「送っていこう」

「フレイレ公爵家の馬車が迎えに来ていますので大丈夫です」


 サロモン殿下の未来の側近として教育を受けてきた彼と私が一緒に帰っても誤解を受けることはないでしょうが、私は彼の誘いを断りました。

 ロドリゴ様は悲しそうに微笑みます。


「俺のせいで怪我をしたんだ。償いくらいさせてくれ」

「ロドリゴ様のせいではありませんわ。……少し寝不足だっただけです」


 嫌な夢を見て目覚めた翌朝、私は学園でロドリゴ様と出会い、彼から逃げようとして階段から転げ落ちたのです。それで足を挫いてしまいました。

 廊下に立つ彼を見たとき、とてつもない罪悪感を覚えたのです。

 彼に合わせる顔がない、なぜかそう思って……もしかして、彼が最初の夢のときの私の夫だったのでしょうか。


「アマリア」


 低い声はどこか懐かしく……いいえ、彼は幼なじみなのですから、声を覚えているのは当たり前のことです。

 そもそも夢は夢に過ぎません。

 たとえ最初の夢で彼と結ばれていたとしても、今の私とは関係のないことです。私は彼の心臓の音など知りません。逞しい腕の感触を覚えているのは、階段から落ちた後で抱き上げられたからです。


「心配なんだ、アマリア」

「……わかりました。今日だけお言葉に甘えさせていただきます」

「良かった」


 子どものように微笑む顔を知っているような気がします。

 いいえ、いいえ、知っていて当然です。

 幼いころの彼が私の作ったお菓子を頬張って浮かべた表情と同じなのですから。


「アマリア!」


 ロドリゴ様と歩き始めたとき、聞き覚えのある声に呼び止められて振り向きました。

 淡い薄紅の細い髪が窓からの風に揺れています。

 彫像のように整った顔立ち、真っ白い肌の体は少し華奢にも見えますが、王太子として鍛錬を重ねてきたことでしなやかに引き締まっています。


「サロモン殿下……」

「お前、どこへ行っていたんだ」

「アンビサオン伯爵領さ」


 殿下のお言葉を聞いて、ロドリゴ様の顔が歪みました。

 私は俯きました。

 一ヶ月近くもヴィシア様の実家でなにをなさっていたのでしょう。心臓が締め付けられるのを感じます。あんなに酷い目に遭ったのに、私はまだサロモン殿下を愛しているようです。いいえ、あれは夢、ただの夢でした。


「よくアマリアの前で抜け抜けとそんなことを言えたな!」


 怒鳴りつけたロドリゴ様に、サロモン殿下は挑むような視線を向けます。

 ……初めて見る光景です。

 いつもはロドリゴ様が荒々しく対応されて、殿下はそれに不快そうな嘲笑を浮かべて応えていました。私が喧嘩だと思って窘めたときもそうです。もしかして、今回のこれが本当の喧嘩なのでしょうか。


「あ、あの、おふたり……おふたりとも落ち着いてくださいませ」

「アマリア! その足どうしたんだい?」

「先月階段から落ちて……」

「今ごろ気付いたのか」


 ロドリゴ様を睨みつけて、サロモン殿下が私に近寄ってきます。


「久しぶりだね、アマリア。僕が家まで送るよ。もう帰ってるかと思ったけど、念のため学園へ寄って良かった」

「サロモン殿下?」


 私を抱き上げて、殿下が微笑みます。


「驚いた? 僕にだってこれくらいの力はあるんだよ。……ロドリゴ」

「……」

「僕はあの畑を焼かなかったよ」


 よくわからないその言葉で、ロドリゴ様が顔色を変えました。


「お前……も?」

「違うよ、僕だ。僕が巻き込んだんだ」

「なんのお話ですか、殿下?」

「なんでもないよ。帰ろう、アマリア」


 帰る……どこへ帰るというのでしょうか。

 いいえ、わかっています。オリベイラ王国の都にあるフレイレ公爵家の屋敷です。

 だけど違うような気もしました。


 胸がざわめきます。

 心臓の鼓動が体内に赤い波を送ります。

 この波の辿り着く果てにはなにがあるのでしょうか。


 私が本当に望んでいるのは──わかりません。

 最後の瞬間の罪悪感から顔も名前も忘れてしまうほど愛していたのか、形だけの婚姻でもかまわないほど愛した相手がいたから忘れたのか、わたしにはわかりません。わからないのです。

 今はただ、ざわめく胸から打ち寄せる波音に耳を澄ませるだけなのです。

今になって読み返してみたら、このときロドリゴがアマリアを送ると称して攫って行くつもりのように見えて怖かったです。

たぶん、違う。書いたときはそんなこと考えてませんでした。……違うはず。

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