序節~第一節
序節及び第二幕は三人称
第一幕、三幕、四幕は一人称
『野良猫のみる夢』
序節 『交線までの序曲』
「―――警視庁の調べによりますと、この二か月での犯罪件数は昨年の約二倍にもなっています。」
十一月の都市近郊、ビル五階にある小さなオフィスにて、四人はテレビのニュースをあたかもオーディオ代わりにしながら各々の作業をしていた。一人は年齢二十五か六の女性。ノートパソコンを眺めながらマウスを動かしてはカチカチとクリックしていた。その横にはその女性と同年代の男性。しかし強面な顔であるため見た目では三十歳後半あたりに見える。その男性も同じノートパソコンを見ていた。向かい合ったソファーにそれぞれ座り、書類や簿記をまとめる若い男女。誰もこのニュースについてリアクションをとらなかった。
「ええっと、これが、俺が得た報酬なんだけども―――」
若い男性がそう言うなり落胆した。
「なんで収入がこれしかないんですかねぇ!本っ当に!」
その内容には五百万円ほど収入の他に約十万の収入がいくつか記されていると同時に、光熱費、オフィスの管理費、経費、その他諸々で収入が殆どなくなるように引かれていた。そんな惨状を目の前にして嫌味を込めた独り言がテレビの音声を遮った。
「仕方ないだろう。お前たちが来る前までは殆ど何もできなかったんだ。」
ノートパソコンをまだ見ながら女性は言った。
「そりゃあ、お二人でこんな仕事できませんからね!」
また若い男性が嫌味を言った。彼は新聞の切り抜きを右手に、ひらひらと見せつけていた。
「ここ最近の犯罪増加に合わせた暴力団の抗争。それに加担して一方を有利にしたうえで全ての情報を警察に売り、さらに手柄も売りつける。なんて本当に俺たちだけしかできないからな。」
その新聞の内容を簡潔にまとめ、強面の男性は言った。
「なんでもはやらないが、できることはやる。それがこの相談所のモットーだからな。」
男らしい口調をしながら女性は言いながらもノートパソコンでは広告を制作していた。
この会社?は現在四人で活動している。社名を「神門相談所」としているが、関わっているのが主に法外なケースである。社長はノートパソコンで作業中の「ミカド」。その横の強面の男性「ヨドヤ」。この二人が立ち上げておよそ二か月後に偶然にも二人、「ケイ」と「ミサ」に出会う。出会った時にその二人(正確にはケイだけだが)の弱みを握ってしまったために、公表しないことを条件に二人を働かせているのがこの現状である。そんな四人が務める相談所だが、誰も国家資格もないため離婚やら裁判やらの相談などはできない。行っているのが暴力団関係の汚れ仕事か、犯罪者を警察を介さずに捕まえる仕事ばかりであった。
話を戻す。現在は仕事もなく、広告を作り知名度を上げる方針となっている。
「テレビで大きく広告できればいいんだけどな。」
ケイは言うが、ここは相談所の名を被った犯罪組織であることには違いなく、ぼろが出るようなことはできない。
「それにしても物騒な世の中になったモノだな。」
ミカドはそう言いながらパソコンを閉じ、ケイとミサを見た。
「ミサは違いますよ、所長。物騒代表は俺なんで。」
書類をファイルに閉じ終わり、足を組み、顔を合わせる。
「ここ最近の事件をまとめました。まあ、大体が一時解決なんですけどね。」
そう言ってファイルを手渡す。
「一時、とな。読ませてもらう。ミサ、お茶を。」
ミサを立たせ、その場所にミカドは座った。その中身を確認するように口に出した。どうやらヨドヤにも聞くべき内容だと判断したためだろう。
一、 連続放火魔
被害は主に木造の建築物。そして保険会社、消防署など。犯行に使用した手段は物理的に不明。しかし証拠として出火直前、直後を録画に成功。警察は着火装置である、マッチ、ライター等を炎の中に投げ入れ証拠を隠したとして捜索したが未だに見つからなかったためである。なお、犯人は両足を骨折させ動けなくし、気絶させた状態で証拠映像と共に警察に引き渡されたが、犯人はフードを被り、放火手段がない為に未確定な部分が多々あるため保釈。その後の放火事件は無くなった。そのため一時的に解決とする。
二、 通り魔事件壱
夜にかけて人が襲われる事件が多発。目立った外傷は殆どないが気絶をしている模様。一人で行動している者のみ襲うので集団での犯行か、個人の行動かはまだ不明。警察はこの事件の捜査を開始するが、その警察も襲われる事態に。今もなお正体を掴めない。犯人は襲った者の金品を獲り逃亡。襲われた人の関連性としては、十代後半から三十代前半の男女であるため若者以外に関連性はない。未解決。
三、 通り魔事件弐
先述した事件の三日後に別の場所で起きた事件。対象は十代後半から三十前半の男性が殆どであり女性はあまり襲わない。スタンガンによる電気ショックによる気絶から金品を獲っている模様。警察は捜査をするが難航。犯行頻度は週一から二、最近では三日に一度と、増している。犯行は個人。未解決。
「と、いうことで未解決の事件はこの近辺でも二つ。一つ目の方は犯行現場が若干遠い為後回しに。問題は二つ目なんだけども。」
ミカドは言い終わってからミサに出されたホットコーヒーを飲む。
「無料でやる慈善事業ではありません。とな。」
ケイはやる気すら見られない。
「どうしてですか?」
ミサは尋ねる。
「そりゃあ、あんな危険なことして見返りナシは嫌だからな!」
何となく分かる通り、放火魔の足を折り、動けなくした後に気絶させたのはこのケイである。しかし、そのような危ない仕事をしても謝礼も何もなかったのだ。
「ボーナスが出るのなら、話は別なんだけど―――」
話している間に、聞きなれないノックの音が響く。ケイはミカドに首を振り、呼び入れるように催促する。
「どうぞ、入りなさい。」
ミカドは滅多に現れない客を招き入れた。
第一節 『歩き出す野良猫』
第一幕 センチメンタルな真夜中にて
今日も、いや昨日も遅くなってしまった。そんなにアレは人を狂わせるのか。なんて思いながら昨日のことを振り返ってみる。昨日、証拠を残さなかったか。昨日、誰にも見られなかったか。うん、大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせてみる。
「―――通り魔が金品を奪った犯人は未だに見つかっていない。」
自身のスマートフォンでニュースを確認する。その一文を見るだけで安心してしまうのは可笑しいものだろう。いや、自分はもう可笑しいのだろう。
初めは、ただ嫌気がさしてやっただけだった。あんなものに無駄をかけるなんて――
「―――馬鹿馬鹿しい。」
しかし、安心したのには変わりなかった。ベットから一度も出ていない身を、もう一度横にする。
自分には親はいない。というよりも親はいなかった、というのが正しい事なのだろう。偶然にも幸運な事故によって自分は助かって親はいなくなってしまった。自分はその後、様々なところを転々とした。他に関わる親族などいないためだ。その結果、どこの誰かも知らないところの養子に出されるか、自分だけで生きていくかの二択を迫られ、即答で後者を選択し、今に至る。そのため、友達というのもいないし、履歴というのも殆ど無い。そんな中、自分がどうすればいいのか、自分であるためのコレはどういう意味を持つのかを知りたくて―――
毎日のように横になる度思い返してみる。目を開きベット横の置時計を見てみる。現在一五時。何もしていないことに空しさを感じるが、まず空腹感が身体を襲う。体をベットから出し、高級そうな財布を手に、明らかにありすぎる紙幣を確認し、マンションを出る。
遅すぎる昼飯を食べた後、また自分のマンションへ戻る。そしてニュースを確認。この流れがもう身に付いてしまっている。
この近辺の夜に出歩く人は間違わないほど減っていっている。しかし、それでも無防備に出歩き、何食わぬ顔で騒ぎ、狂う。そんな奴らはどういう神経をしているのか、分からなくなる。子供でも、化け物が外にいるとすれば誰も外に出歩かない。しかし、でも一部の奴らはそんな狂気に駆られ、面白そうだから、襲われても撃退してやると言っていた。そんな奴らは地面に顔を合わせることになった。
考え事をしながら、つまらないアプリゲームを進める。時間は十九時。夕飯を昼と同じように済ませ、さらに外の明かりが消えるのを待つ。
零時。ドアを開け、今日の仕事を澄まそうと家を出る。
「―――。」
違和感を感じる。誰もいないはず。誰も見て居ないはず。しかし何かに怖いと思ってしまった。こんなに嫌な直感は初めてだった。怖いが外に出てみよう、と。外に出なければいけないと思って―――。
外に出た。
いつも通り、明かりの減った居酒屋の通り。駅に近く、ナントカ企業の近くにあるためここを歩く人は多い。しかし、通り魔によって歩く人は少なくなってしまった。やはり今日は人が少ない。電信柱にもたれて人が来るのを待つ。
初めは待っているのではなく、誘われる(半ば強制的に)のを待ち、人通りが少ない路地に入り事を済ませていた。それからは自分から路地にいる奴らを狙っていた。そんな奴らは馬鹿馬鹿しいほどに無防備で、事件が起きても何食わぬ顔でヘラヘラと笑っていた。そんな顔から泡を吹き、顔を白くして倒れるのには、あっけなさはあったが、楽しいと感じていた。警察は凶器も何も持っていないただの女子にしか見られていないが、一応補導というものに引っかかるらしいので、その目を掻い潜りながら日課を済ませていた。それこそ一つのゲームのように。
さて、そんな事件が一日おきに起きているにも関わらず、馬鹿みたいに騒ぐ奴がいる。しかし、一昨日は誰もその様な奴はいなかったので、人も少ない午前二時あたりに一人歩いていた奴を狙い―――
「はっはっは。通り魔なんてこの俺がとっちめてやるよ。」
ああ、いた。そんな奴らが。狂いも狂って妄言を吐く奴らが。
そんな奴らは三人。その狂った奴は一番左を、その横には女性二人。真ん中は大人に見えるが、一番右はまだ学生なのだろう。その三人の中では一番若い。しかし、今の時間は十二時を回っている。どうせろくでもない奴なのだろう。そんな奴らは歩道を歩く。
奴らは歩いている時、一度も振り返らなかった。警戒心など微塵も感じられない。しかしながら、何か違和感を感じている。確かにあの男は狂っているのは確かだ。その横の女性はそんな男を鎮めるべく頑張っているが奮闘しているがどうもあたふたしているようにしか見えない。そしてその横の女子は何も気にかけていない。そんな彼らは、
「こっちに近道があるからそっから帰ろうぜ!」
などと言い、さらに人の通ることの無い道へ歩く。確かにその道は近辺の駅に行くための一番の近道であるが、その道は、
「そこは三週間前、襲った場所。やっぱり馬鹿は馬鹿なのか。」
独り言が漏れたが、距離をとって(自分なりに)足音と気配を消しているので気が付いていない様子だった。奴らはその道に入るのを確認して私は足音が出ないように駆け足で同じ道に入る。
その道はビルの間にあるような道で、街灯はない。かつて襲われた奴の現場検証あとがまだ残っている。そんなことを横目に奴らは通り抜けようとする。
駆け足を早歩きに。背中は見える。男は騒いでいる。絶好のシチュエーションだ。にも係わらず、マンションを出る前の違和感が拭えない。
大丈夫。体調が悪いのなら早く終わらせて帰るだけ。そう心の中で言い聞かせて―――
三メートルの距離。
「ああ、そろそろだ、ミサ。渡してくれ。」
奴はそう言った後に、横の女性から何かを手にし―――
違和感はこれだったのだと。ほんの一瞬にその何かを突き付けられ、目の前、約一メートルの距離で動きを止められる。その後、光を私に照らし出す。暗闇に慣れていた目にはその光は眩しすぎる。
「やあ、こんばんは、通り魔さん。こんなアグレッシブな女子とは思わなかったが、まあいいだろう。初めまして。」
動けないまま時が流れる。理解が追い付かない。
「俺は君を捕まえる者だ。」
光源がその男のスマートフォンからだと分かると同時に男の顔が見える。
ああ、奴は狂っている。そう分かってしまう。襲われるはずのこの男は、向かい合って笑っていたのだ。
言葉はすぐには出てこなかった。突き付けられているのが掃除で使われるあの箒であったこと。男の表情が見えて、頭が再回転するまでには数秒時間がかかった。
緊張する。息ができない。ドキドキする。怖い。
そんな思いが重なって逃げ出したいが、身動きが取れない。
何故だろうか。後ろに飛べば間合いが取れる。そんなことは理解していた。だがどうにも足がすくんでいる。考えても可能性が消えていく。
動けないまま息を呑み、声を出す。
「―――私は、通り魔ではありません。」
素直な嘘。震えた嘘。もっとまともな嘘を言えたはずなのにこんなことしか言えなかった自分を悔やむ。
「うん。そう警察に言えば何もされずに帰れるからね。」
この返答には予想はしていた。ほんの少しの可能性として。この男は警察ではない特別なものだとはこの答え方で分かる。
「君はここ一帯で起きた通り魔事件。これは全て感電による気絶。さて犯人は何を使っていたでしょうか。さっきの復習だ。」
男は箒を突き付けながら後ろを向く。男の横にいた二人は距離をとっていたため後ろを向く必要があった。二人は急に問題を振られたので慌てたが、
「えっと、スタンガンが使われたって、警察は言っていました―――」
「そう。それが不正解なのはさっきまでの話からわかっているね。ミサ、ユウちゃん。」
その女子の答えを途中で切って、男はミサに確認する。
「―――はい。彼女は何も持っていません。」
このやり取りで分かった。この目の前にいる奴らは―――。
「本当にあなたが、私のお父さんを襲ったのですか―――」
目の前に突き付けられた箒が消える。それと同時に男もいなくなった。
嫌な悪寒がさらに強くなる。右頬に冷たい感触。箒の柄だとすぐ理解した。奴は後ろにいるのは、嫌な直感で分かる。
理解した瞬間には行動してしまっていた。これまで後ろにしか逃げ場はなかった為、後ろに飛ぶ力を足に込めていたが、予想外の更に外の行動、一瞬で背後に回られ、動くことができない。
それでも私ならこの状況を―――
「さあ、証明だ。」
奴はまだそのスマートフォンの光を消していなかった。振り返った際にその光は目に入ってしまう。
距離感がつかめない。しかし確かにそこにいるはずだと―――
バチィ、と日常では在り得ない大きな音が響く。明かりはあの光しかないはずだが一瞬だけ世界は白くなった。
「見てみなよ。あれが君のお父さんを襲った犯人だ。最初から何も道具なんていらなかった。そうだろう犯人。」
背後から、いやさらに遠く。背後からの声。さっきまで後ろにいたはずの奴は離れていた二人のすぐ横にいた。
この異常な世界で冷静になっていたのはその男と、ミサと呼ばれる女性だけだった。
「大丈夫ですか?」
ミサはその男を心配する。
「ん?何、梅酒ロックの二十五杯程度、なんともない。」
「そうじゃなくて、さっきの―――」
その余裕から、さっきのは躱されたのだろう。どうして躱せたのが気になるが、
「何者なんですか、ケイさん。」
その女子は全うな正論を言った。
「あれ、それは俺なの?それともあっち?」
ケイと呼ばれる男は、距離を離しているため余裕がある。私は距離を詰めたいが、あの行動を理解できないので近づくのが危険だと自分のカンが警告している。
「どっちもですっ!」
説明は自分と、この女子以外に必要だ。私はそのような要求はしていないが、
「まあ、詳しい説明が欲しいだろうけど―――さっき言った通り、本当に自分とごく少数以外サンプルが無いから説明とか無理。」
やはりこの力には説明ができないらしい。
「しかし、精神面に影響があるのは分かってるし、起こっている現象の過程はぶっ飛ばしているけど、その現象はある程度決まっている。そんなことしかわかってないな。」
しかし、自分は考えてしまう。ニュースにあったあの連続放火事件。発火装置は見つからず、ある時を境にニュースにならなくなった。そこまでは知っているが。
もし、もしもこの男がその放火魔を狩っていたのなら。
「さあ、こっちは色々とテンションがノっている。そっちはどうだい通り魔さん。」
精神面に影響しているのは自分も何となく理解できている。だからこそ今の状態の奴に向かって行ってはならない。
男は様子をうかがっている。スマートフォンのライトはすでに消え、お互い夜目と音、勘に頼るしかなくなっていたが、自分の力が何かを知られた分には圧倒的に不利である。
「うん―――うん。まあいいや。こっちは仕事なんで何もせずに帰る、君を帰すのはできないんでね。」
何かおかしな点があったのだろうが、男は徐々に距離を詰める。
兎も角、できるだけ有利に立たなければ。そう考え、
「女性相手に武器(?)を持って襲うのはどうなんですか。」
自分でも余裕のない、震えた声で、搾り取ったような声で挑発する。
「顔とかグーで殴るのは抵抗あるし、それに相手が電気を使うなら尚更触れることができないしね。ただ―――」
チィーン、というここでは絶対に聞こえない音。そんな音が背後から鳴る。
咄嗟に背後を見る。暗闇でよくわからないが、コインのような物が落ちたのか。そう思う。だがなぜコインが落ちるのか。それも誰もいないはずの背後で。
「打撲程度なら、女でも目を瞑ってくれよ。」
音に気を取られた一瞬で、自分の横腹に痛みが走る。箒を棒代わりに打ち付けられた。
痛い。膝をついてしまった。かなりの力が入っている。ここまでの痛みを受けたのは久々だった。
「さあ、ユウちゃん。この犯人をどうしたい?警察に突き出しても無罪になるけど。それに、見たところ同年齢らしいけど?」
一瞬の出来事に呆然としていたが、その女子は声が聞こえると我に返り。
「えっ、えっと。」
この隙に態勢を整える。立つのが難しい。ただ、痛かったがあの時程じゃない。
「次近づいたら・・・」
「さっきは油断していた。次は反撃するってか。如何にも、だな。」
言いたいことではないが概ねそんなことを言うところだったが、呼吸が安定しない。たった数秒のやり取りでも、異常な空間にいる為に、精神的に疲れる。
目が慣れて、相手が何の動作をしているのがやっとわかるようになった。打ち付けられた箒は男の肩に乗っていた。
一歩、二歩と後退する。今はただこの場から逃げたい。そうして追撃の恐怖をかみ砕くように、振り向いて走った。
その男は追って来なかった。
自分の部屋に着いた。痛みは一時的なもので慣れたが、異常なまでに疲れが出た。熱を測るとやはり、微熱ではあるが熱が出ている。そのまま寝ようとポケットの中身を机の上に取り出す。財布と家の鍵、そして、名刺入れ。そんなものは持ち歩くことなどなかったが、数秒後、それはあの男のモノであると確信した。そんなことができるのはあの背後をとられた時だろう。
その二つ折りの薄い名刺入れを開く。中には名刺一枚と折りたたまれたノートの切れ端が入っていた。
まずは名刺、「神門相談所」と書かれている。住所、電話番号が記載されている。
次にノート一枚。長々と書かれていた。あの男が書いたのだろう。
この手紙みたいなものを読んでいるというのは、貴方が軽率に襲おうとして油断したのだろう。そうでなければこんなモノを仕込むことはできないし。油断していないというならその考えを改めてほしい。
さて本題に入る。通り魔として行っていた行動にはこれまで目を瞑っていた。その理由としては、襲われた人のほとんどが泥酔者かつ、普段から気に入らない人だったからだ。そりゃあうるさくて、ピアスもつけている人が襲われていたら俺は助ける気すら感じない。いやむしろ襲えと言いそうになる。だからこれまではなかった事にする。
しかし、しかしだ。この前の中年男性を襲ったことだけは見逃せない。彼は真面目なサラリーマンであり、週一度の晩酌を決まった店で、少し酔うまで飲むだけ。気分をこれだけで害するようなものなら、次は容赦なく叩きのめし、泣き顔で詫びてもらう。
ただ、この文字列を見る気力と、罪悪感があるなら明後日、襲ってきた場所にて同じ時間で会うとしよう。無視してもよい。本当に無視するのは貴方次第だが。
忠告、というか助言だが、自分の力を理解すると良い。スマホとか使わずに紙媒体で理解するのがおすすめだ。いかにその力が強大で汎用性の広いものかが分かるだろう。まあ、ここまで読んでいればの話だが。
追伸、名刺は俺の職場だから直接来てもいいぞ。ケイ。
つまり、わざと見逃されたようなものだろう。事前にこの名刺入れを渡すだけの行動だった訳だ。そう考えると、手加減された事に対する憤りを感じるが、手加減されなかったらどうなっていたのだろうと考えると、今頃どうなっていたのだろうと思ってしまう。
モヤモヤするが、それ以上に疲れがあるため、ベットに倒れこみ、灯りを消し、目を瞑った。
明日はあの男はいるだろうか。いや、そんなことよりも考えることがある。自分に足りないものは自分の理解だと。余計な事だが、実際にその通りだと感じていた。明日は、癪だがその通りに動こう。勉強なんてこの数年はやっていないが、後の為、そしてあの男を返り討ちにする為にやってみようか。
第二幕 出会いは必然に
話は、彼ら出合う日の前日、午前十時にまで遡る。「神門相談所」にある人物を招き入れた時間である。
その人物は近辺の高校の制服を着た女子であった。誰一人もその女子について面識はなく、その女子も入るなり固まってしまった。
ソファーに座り対面するのはミカド。その横で立ったままのケイ、ヨドヤ。そして飲み物を入れるミサ。少し肌寒いこの季節に合った緑茶を湯飲みに入れ、ソファーに挟まれた机に置いた。
「ふむ、まずは自己紹介といこう。私はこの相談所の責任者であるミカドだ。君は?」
簡潔に済ませた。自己紹介だけで長々と話す必要は無い。
「はい、私はユウと言います。」
同じく簡潔に。立っている二人は声を出さなかった。
「ここに来るまでにどれだけの勇気が必要か、その行動力と意思に私はとても驚いています。よほどのことが無ければ私たちは貴方の味方です。」
ケイは、このミカドの対応の仕方を初めて見て、同時に胡散臭いと感じた。明らかな作り笑顔を見せる。
「では、今日はどのようなことで来たのですか?」
そうミカドは言うと、ユウは口を開けた。
「あの、私余りお金を持っていなくて、相談にどれだけお金が掛かるのか―――」
「大丈夫。この若いのが特別価格でやってあげるから。」
口を挟み、ケイを指さす。理不尽に任せるのはここまでの数件の事件で分かっているため、リアクションは薄い。
「それってどのくらいですか。」
ケイを見ながら言う。ここで初めてケイは声を出した。
「解決して、その後、それに合った費用を貰いますが―――」
言いながらユウ、ヨドヤ、ミカドそしてミサをみて表情をうかがう。ユウは不安な顔を、ヨドヤは目を瞑り、ミカドはまだ作り笑いを、ミサはまじまじと見つめていた。仕方なくケイは、
「無料では働きませんが、まあ、特別料金になりますかね。」
と言った。言わなければならない雰囲気であった。
「ほう。ではここに来たのが男子高生ならどうだったか?」
「無論、通常料金ですが?」
一問一答。即座に返答が返る。
コホン、とミカドは咳払い。
「話が逸れてしまったね。費用のことは気にしなくていい。そのぐらいこの若輩は寛容だ。では、本題を話して貰いましょう。」
口調が安定しない。いつもの対応が混ざってしまっている。そのようなことはユウには分からないが。
「はい。ミカドさんはこの近辺で起きている通り魔事件は知っていますね。」
その話題が出ることは何となく全員察していた。ミカドは作り笑いを止めて真剣な顔つきになる。
「昨日、私のお父さんが襲われました。」
ユウは机の湯飲みを見ている。顔を合わせて話すには重い内容であった。
「お父さんは週に一回、行きつけの居酒屋で飲んで帰るんです。」
「その時に襲われた、と。」
話としてはここで警察に言えば完結するが、この事態はそうもいかない。
「ここまで通り魔について、警察の人たちは捕まえることはまだできていません。」
「そのようだね。それでも警察に頼むべきだけども、ここに来た理由は?」
それでも、名前も知られていない相談所を頼るのはおかしい。
「この紙を見て来たんです。」
四つ折りにされたA4サイズのコピー用紙。そこにはこの相談所の場所が記載されている。さらには、
「通り魔事件のことも相談します。とな。」
ピンポイントに書かれていた。ミカドはこの紙を初めて見たので驚いていた。というより見せたユウと不敵な笑みを浮かべているケイ以外は驚いていた。当然ミカドはこの紙がケイの仕込んでいたことに気づく。溜息をついて、
「説明を。」
短く、しかも簡単にケイに尋ねる。
「この一帯の家、マンションに配ってました。あ、これは一日で作りました。雑でしょう?」
本当に数十分でできるような質であった。
「まあ、この事件はここを頼って正解だと思いますしね。」
「どういうことですか?」
ケイの発言に対し、違和感があったのでユウは尋ねる。しかし、答えたのはミカドであった。
「これを話すには色々と手順が必要でね。ここからはこの若輩が仕切ることになるけど、よろしいかな。」
ケイにこの案件を丸投げした。
「はいはい、知ってましたよ。」
そう言ってから深呼吸をして、
「ここからは、私、ケイがこの案件について対応させていただきます。よろしいでしょうか。」
慣れない敬語で話す。その質問にユウは無言で頷いた。
「ありがとうございます。それでは外に出ましょう。あ、ミサも来てくれ。」
そう言いながら、外へ行く準備を促した。
「うん、敬語を止めていいでしょうか。」
オフィスの外に出て、開口一番がコレだった。
「え、あ、はい。いいですよ。」
少し戸惑ったが、慣れていないことに、というより年下に敬語を使っていたので辛いところもあったことを感じ取ったので、承諾する。
「ああ、ありがとうユウさん。」
胸のつっかえが無くなったようで、のびのびとする。
「いくつか聞きたいのですがいいですか。」
外に出る理由はまだ話されてない。
「ああ、いいよ。」
承諾して、質問を待つ。
「この女の方は誰ですか。」
一緒に出てきたミサを見る。
「私はケイと同じくここで働かせて貰っているミサと言います。」
そう言ってお辞儀をする。丁寧で優しみがある。
「まあ、俺と女子高生が二人で出歩くのは、流石に世間体が・・・ね。」
歳が5つ程度離れているだけで、世間からはどう見られるのかは考えたくもない、と小声で付け足す。
「その理由と、もう一つ情報のまとめ役で居てほしかったから、かな。」
ふーん、と軽くユウは納得したが、少ししてからただ連れ出したかっただけじゃないかとも感じた。
「では次に。どこに向かうんですか。」
そう言うと、
「君のお父さんに会いにいこうかな、って。無理かな。」
必要となる襲われた時の内容が欲しい為だと思ったので、
「はい。意識も回復しましたので良いと思いますよ。」
三人はユウのお父さんがいる病院へ歩き出した。
「どうして警察は捕まえられないのですか。」
歩きながら質問をする。
「真夜中の犯行だから、騒音が出せないのもあるし、何より犯人が犯人なんだろうな。」
含みのある言い方に疑問を抱くユウ。
「と、言いますと。」
「犯人とは思えない人物が犯人だとしたら?」
ナゾナゾとも思える問題。続けてケイは、
「もしも、ミサが犯人だったらどう思う?」
冗談であってもびくっとする。
「例えだよ、例え。本当にそんなことは無いよ。」
そう聞いてから、考える。悪い人には見えないし―――
「本当に、犯行現場を見なければ犯人とは思えない。だろ。ああ、証拠がなければの話だけども。」
「―――そうですね。犯行に使われたスタンガンのような物が見つかったら、指紋とかで分かるんじゃないですか。」
犯人は被害者を電気ショックによって気絶させ、金品を盗んだとされている。その内容はニュースで公表されている。そう思うのが当たり前だろう。そう言った情報は皆が知っていた。
「では、犯人の人相は不明。スタンガンのような物を犯人が手に入れたルートを知るとなるとかなり厳しい。そして―――」
思ってもいないことを聞いたため、ユウは驚く。
「何も使用せずに電気ショックを起こしたのならば、どうしようもない。」
病院に着いた。それまでに、ケイに対して、
「そんなことができるんですか。」
とも聞いてみたが、
「それを知るために、君のお父さんに会いに行くのさ。」
と言って、その話は終わってしまった。
ユウに病院を案内させ、病室に向かう。途中何かを聞くために医者、ナースに聞いていた。それには、
「後で分かるどうでもいい事。というか教えてくれなかったし・・・」
何も得られなかったために少し気を落としていた。
病室に着いた。個室ではなく四人分のベッドがあった。ユウの父親は奥の窓側にいた。
「お父さん。ただいま。」
そう言ってユウは笑顔で父に駆け寄る。見ていた二人も、その病室にいた皆がこの光景に顔が緩んだ。
少しユウは父と話した後、二人を呼んだ。
「初めまして。私は神門相談所のケイ、そして、―――」
「ミサ、です。」
「―――私は、この子の父親。タイガだ。」
二人は軽い挨拶をした。しかしユウの父親、タイガから歓迎している様子は一切感じない。
「神門相談所、どういうことですか。」
そう切り返された事で、この件がユウの独断で動いていたのだと、二人は悟った。
「あなたのお子さんが私たちを訪ねてきました。」
「―――何が言いたいのですか。」
「あなたを襲った犯人を見つけて―――」
ケイはそう言ってから黙った。しばらくして、
「ありゃ、見つけてどうするの。ユウさん。」
後のことを聞いていない。ユウに尋ねる。
「お父さん。この人たちが見つけてくれるんだけど、犯人、どうするの?」
決まってなかった。
「まて、そもそも貴方達は警察じゃない。そんな人を信用できるか。」
尤もな返しであった。見た目も若すぎるのもあるが、まず名が世間に通ってないのは明らかである。
「信用、ねえ。」
ケイは首をかしげ、小さく溜息をついた。その後、手提げのカバンから青色のファイルを取り出す。
「これを見てもらって信用してもらえないなら、私たちは何もできません。立ち去りましょう。」
そう笑って言った。根拠がない自信で笑っているように見える。
その内容に親子は目を通す。被害者一人目から情報、犯行場所、損傷が記されていた。その中には警察しか知り得ない情報も含まれていた。
「全ての被害者、怪我の箇所、状態、原因。どうしてそこまで知っている。」
驚くべき内容に、ユウの父親は敬語を崩す。というより個人情報すらも含まれているので相談所ごときが関わる範囲を軽く超えていた。
「ちょっと警察の方にね、出世手伝いを餌で釣った情報です。まあ、これも完璧ではないんですよね。最後の方が抜けているんで。」
ケイはぼやく。その言葉をユウは聞き逃さなかった。
「抜けているって。」
ユウは目を合わせる。その瞬間にユウは何を言い出すかを悟った。
「もちろん、あなたのお父さん。タイガさんですよ。」
「あなた達は、私の情報を知ってどうするか。それを聞きたい。」
信用はまだされていない。しかしこの返答で決まることには、皆が感じていた。
「今までの事件と照らし合わせて、犯人と接触します。」
作り笑いで答える。ユウもミサもこの間に割って入る自信はない。
「それにしては、情報が集まりすぎている。そして犯行予測まですらこのファイルにはあった。」
そのページを開いて見せる。この町の地図に三か所、楕円に似た丸で道を囲んでいた。そのうちの一つに、丸の内側にペケ印がついてあった。
「私が襲われる場所を予測しておきながら、無視をしたのか。」
予測をしたのならば、予防はできるのは当たり前である。つまりは予測しておきながら、彼らは「見て見ぬふり」をしていたのである。
「それは―――私情が絡む内容ですから。」
「では、私情で見て見ぬふりをしていた。そういうことか。」
怒りがその一声一声にこみ上げてくる。
「ケイ、もう少し―――」
流石にこの空気は拙い、とミサが意を決して声を出す。しかしもう遅かった。
「はい。そうです。」
「お前ッ!!」
タイガが持っていたファイルをケイに投げつける。ファイルの背がケイの右目上あたりに当たる。
くうっ、と声が漏れたが、当たったところを手で押さえ、姿勢を整える。
「―――私情には私情の理由があります。そして、あなたが襲われたことで、私たちはこの事件に向き合うと決めていました。」
その顔には(言い訳ではあるが)強い意志があった。その迫力に一瞬ユウ父親は怯む。
「なぜなら、あなたは襲われるべき人ではない。そう判断したからです。」
「言ってみろ。」
言葉にはもう敬語はない。ケイの方が年下であることには誰がどう見ても明白であるし、何よりタイガが怒りで興奮している。
「理由を説明します。」
そう言いながら落ちているファイルを拾い上げる。
「あなた以外の被害者には一点を除いて共通点があります。」
「―――その一点は何だ。」
言い合いではあるが、ケイは怪我をしたにも関わらず冷静であった。
「いえ、先にそれ以外の共通点について話します。その方が納得するかと。」
ふん、と嫌々の納得。
「被害者の身体的特徴では、全員が二十代、中には十九、十八もいましたが皆、若者であった事が挙げられます。まあ、ここはニュースに取り上げられているモノをまとめるだけで理解できます。」
補足ではあるが、被害者計二十一人の内、二十人が該当。殆どが男性であるが、二人女性が被害に遭っていた。
「そして、これも共有点。被害者は、髪を染めていたり、ピアスを付けていた。そういった特徴もありました。」
言っているだけで少しずつ嫌気が込められていく。
「そして、これが一番の私情になります。」
目を閉じて、言い放つ。それも呆れた表情で。
「あなた以外、全員チャラいんですよ。」
百パーセントの私情であった。
こんな話があった。
「―――観察する必要あるだろうか。」
被害者のその後の動向を観察している際のヨドヤ、ケイの会話である。
「俺も、吐き気がしてきた。」
ヨドヤは強面ではあるがそれに合った頑固、という訳ではなく、感受性はかなりある。しかし、この光景には頭を抱えていた。
「人の価値観っていうのはかなり違うと思うんです。俺とヨドヤさんなんて、ヨドヤさんから見たら俺はダークマターみたいなものですし。」
落胆しながらケイはそう言った。
「ミカドもオレも、お前がそういう性格だからこそ拾い上げた。この光景を見て『趣がある』なんて言わないだけ、お前を分かっているつもりだ。」
目の前では、男性と女性の各二人ずつ。その中の一人は事件の被害者である。
動向、行為、行動、姿勢。全てにおいて二人は嫌気がしていた。
「被害を受けて二日、馬鹿みたいに騒ぐ、か。」
「それも、話の肴は自分が襲われた時の話。懲りずにもう一回襲われたいとか言っている。いつ、常識は知らない間にアップデートされるんですかね。ああ、世間の波に乗れないコミュニケーション障碍者に搭載されている脳には、自動更新の設定は無いらしいです。本当に理解できない。」
それから別の被害者を観察しても、似たことをしていたので、
「まともな被害者が出るまで放置しておこう。」
と口を揃えて言っていた。
この一幕を話し終えた後、今に戻る。
「あなたの様に、襲われて悲しむ、怒るという人に初めて会ったんです。」
「つまり―――」
「やっと常識人が襲われた、というイレギュラーが発生されたからこそ、本腰になって動くことができたんです。」
遅すぎる対応ではある。しかし、警察などの公共団体ではないのでこのような態度がとれる。というよりかは、ミサ以外のメンバーが(というかミサが強く言わない限り)私情で動く。
「では、共通点とはなんだ。」
本題である。襲われた理由であるし、そんな奴らとの共通点というのも癪であるので、聞かなくてはならない。
「夜遅くに外で酒を飲んでいたから。」
頭を掻いてケイは言った。共通点はそこしかなかった。
「それだけの理由で、私は襲われたのかッ!」
「では、この話を信用するんですか。」
感情的に振舞ってしまったタイガは、はっ、とした。根拠は曖昧であるし、それまでの会話に明確な証拠はない。ただ偶然にも、そのような振舞をする者たちが襲われて、偶然に―――
「信用はしない。例え私の娘が何を言っても、だ。」
他の三人は困った顔をした。全員その顔に含まれている意味は異なるが。
「ただ、あなた達に頼むことがある。」
怒りは収まっていた。口調も穏やかになりつつある。
「犯人を捕まえて、この理由を聞きたい。」
そう言いながら、強い目でケイを見る。
「分かりました。微力を尽くしましょう。」
優しい顔で、そう言った。
「まずは見つけないと、だな。」
病院を出て、近くのファミレスで話すことになった。ユウは二人と対面するように座っている。紅茶三人分と、ユウに催促させたパフェ、ケイが個人的に食べたいと言ったティラミスを注文し、話は本題に入った。
「犯人の出現は、周期的には、今日の夜なんだけど―――」
ミサの持っているカバンからまたファイルを取り出すケイ。赤、青、橙のファイルが出てくる。
「周期、ですか。」
ユウはそうボソッと言った。独り言のように聞こえるが、同時に尋ねるようにも聞こえる。ケイはカバンに目を向けながら聞いていたのでそれが質問だと聞き取った。
「そう。ここ最近の事件は一日置きに発生しているんだ。昨日は無かったから今日。そんな感じ。」
言いながら青のファイルの表紙裏を見せるように渡す。そこにはカレンダーが貼られていた。日付には所々に赤い蛍光ペンで丸く塗られていた。
「これが、周期的に―――」
ユウはカレンダーを読み返す。最初の事件から一週間後に次が。そして五日後に。さらに周期は短くなり、一日置きになっていた。
「どうしてこんなことに―――」
「それは、後で話すよ。」
そう言われるも、ユウはモヤモヤした気分が募るだけであった。
「大丈夫、『なんで』がどんどん分かっていって、最後にたどり着くのが楽しいものだろ。数学の証明問題の一つサ。」
ユウは文系である。
「ミサ、一応メモを取っておいてくれ。」
そう言い、ミサが動く。紙とペンをカバンから出し、書いていく。
一、 周期的な犯行
「さて、次の話題だ。」
ケイは次に、赤、橙のファイルを開いた。
「ん―――」
ファイルを開いたが、考え事に耽る。
「どうかされましたか。」
ユウは尋ねる。ここまで順序良く話を進めてきたが、急に黙ったことには疑問が生じる。その後、ケイは二つのファイルを隣のミサに手渡す。
「説明、頼むよ。」
笑顔でそう言った。ミサは思いもしなかった為、驚いた表情。
「そりゃあ、黙ったままじゃ、つまらないだろう。それに、少しずつでも慣れていかないと、ね。」
ケイはそう言うと、少し間を空けてから、はい、とミサは答え、渡されたファイルを開く。赤のファイルにはこの間の放火魔の事件。橙のファイルには新聞の切り抜きがはさまっていた。
「―――では、説明します。」
落ち着いた声で話し始めた。
「二週間前まで起きていた放火魔事件、ご存じでしょうか。」
ユウは頷く。この町に住むのならば誰もが知っている。ニュースでも取り上げられているし、学校からも注意するようにと言われた。それもそのはず―――
「―――私の学校の生徒が狙われてましたから。」
放火事件の、被害者全員の共通点が、その高校の生徒であった。
「はい。このことについて話しますが、大丈夫でしょうか。」
「―――はい。学年が違う人達だったので大丈夫です。」
その気遣いの様子をみてしんみりしているケイ。話はそんなケイを無視して続く。
「では、その被害の変化を話します。」
「被害の変化、ですか。」
ここで、注文が届く。ケイが対応して、各々の場所に品を流す。
「最初の被害者は、路地で見つかった焼死体。それからだんだんと規模が広がっていって、最期には家屋三軒、全焼までいきました。」
「その三軒の内、二軒は学校の生徒とは全く関係無かったんですよね。」
はい、とミサは答えた。
「でも、この通り魔との関係はどうなんですか。同一人物とか。」
火を起こしたのが電気的な物なら、電気ショックも発火も行える。
「電気を使うなら、延焼させるものが必要になります。この犯人は、ガソリンといった物を使っていないので、別人です。」
ティラミスを嗜みながら、横から話に入ってくる。
「もう一つの理由としては、放火魔は今、動けない身体になっているのに、通り魔が現れているのは、おかしい事になってしまうからね。」
そうケイは言った。
「解決、したんですか。」
と聞くユウ。返事は「一応、ね。」とだけ。
「さ、話を本題に戻して、ミサ。」
は、はい、と答え、放火魔事件の前置きから本題に入る。
「では、今回の通り魔の事件についてですが、先ほどの放火魔事件とは逆の現象が起きています。」
「―――逆、ですか。」
橙のファイルを見せる。新聞の切り抜きには、各所に蛍光ペンで塗られている。その内容は、被害者の襲われた位置、被害者の年齢であった。そして付け加えるように大きめの付箋が貼られ、何か書かれている。
「重要な部分には、このようにペンで塗ってあります。そして、付箋に書かれているのが―――」
「―――襲われた人の、傷の具合、ですか。」
計二十一人分。当然、ユウの父親、タイガのことも付け加えられていた。
「初めの被害者から見ていってください。」
そう言われてユウは、始めのページから、付箋のある部分だけを見ていった。
最初の被害者は、命に別状はないが、大きな電気ショックによる火傷。
そこから段々と怪我は軽くなっていった。(稀にひとつ前の怪我より若干重いのもある)
一番新しい被害者である、タイガには、火傷すら無かった。
「―――これは。」
「これは、放火魔のようにエスカレートしていくのとは真逆に、抑えられている。そのように見えます。」
「抑えられているって―――」
「丁度良く、二個目のティラミスが届いたね。」
フフンと満足気にケイが口を挟む。
「あー、ユウちゃん。口を手で押さえといてね。一応。」
えっ、とユウは戸惑うが、意味も分かれないままに、言われた通りにした。
「発火装置の無い放火魔事件、スタンガンを利用しない通り魔事件。何を利用したのか、その理由はこれだろうね。」
ケイの受け取ったはずのティラミスが乗った皿は、ケイの手元から文字どうりに、一瞬でユウの目の前に現れた。
「えっ―――」
ユウは、口を押えていたので言葉が出なかった。仕掛けもない。マジシャンでも一瞬でも、移動させる物を隠さないとこんな芸当はできないが。
「―――どうぞ、奢りだよ。」
そうケイは言っていた。その様子には、ミサは驚くこともなく見ていた。
「騒いじゃあいけない。これは全然知られていない事だしね。」
「―――魔法、ですか。」
「そう聞かれると、どうも言えない。なにせ、これは分からないことが多すぎるからね。」
ケイは水を飲む。その振舞は分かっているようでわかっていないようであった。
「では、ケイさんは、火を出したり、電気を出したりはできるんですか。」
その質問を答えるのに、若干の間があった。
「―――面倒な条件付きなら出せるけども。実際、できるのはさっきの瞬間移動程度、さ。」
「それもおかしい事ですけど。」
うーん、と唸るユウ。
「じゃあ私にもこんな能力が使えたり、しますか。」
「―――それも分からない。今こういう能力が使えるのは、暫定で俺を含めた五人、だからなぁ。」
五人の内三人はケイ、放火魔、通り魔である。しかし残り二人は、
「残り二人は、ミカドさんとヨドヤさん、ですか。」
「ん、いいや違う。だけど、残り二人は考えなくていいから。」
大丈夫、と加えてケイは言った。ごまかしたように見える。
「発生方法は分からないし、どうしてこの能力なのかも分からない。分からない事だらけさ。」
それでも、ケイは楽しそうに言った。
「さ、また話が逸れた。」
はぐらかしたように見えるが、話が戻る。
「さっき言ったように、普通では、俺は火も出せないし、電気も出せない。これらはこういう能力が、個性的に分かれているからなんだろうな。」
「それじゃあ、放火魔は火が起こせて、通り魔は電気が使える。それだけなんですか。」
ケイは頷く。
「でもまあ、こんな話は俺だけじゃなく、別の人も呼んで証明するのが当たり前なんだけどね。それがちょっと、ね。」
言えない何かがあるように、ユウは読み取った。
「まあ、その通り魔が電気を起こす能力であって、スタンガンなどの装置ではないっていう証拠はあるよ。」
「その証拠って。」
ユウはようやくティラミスに手を付けた。
「さっきも言った通り、通り魔は能力を抑えている。ではスタンガンなどの電気装置ならば、こんなに顕著に抑えることはできないのさ。」
水を一杯口に含んで、続ける。
「携帯できる、電気を起こす、失神させる。そんな装置で、電気を人体に流すとなると、電極を押し付けた時点で火傷しないとおかしいんだ。」
「それが、証拠ですか。」
現実味が全然ないけどね、と蛇足を付け加えた。
「と、いう訳でこれが第二要素さ。」
一、 周期的な犯行。
二、 電気の能力。
「そんなこんなで最後の話になるんだけども―――」
長い説明も最後となる。
「実は、犯人の姿をもう知ってるんだ。」
へっへっへ、と笑うケイ。これには二人も驚く。
「―――でも、ねえ。なんというか、相手が相手だからこそ、手を出せなかったのかもな。」
「犯人は、どんな人なんですか。」
当然の質問である。ユウはおろか、ミサまでも知らず、ここまで話を進めてきたのだから。ミサも疑問の表情を隠せない。
「外見しか見てないけど、これまでの犯行から、決して悪い人ではないと思うんだけどね。一度、二人に実際に見て欲しいんだ。」
言い終わってから、氷が解けた程度の量しか水の無いグラスを手に掛ける。
「―――ユウちゃんと同じ年齢の、女子だったよ。」
その一言で、二人は凍り付いた。
一、周期的な犯行
二、電気の能力
三、犯人は女子高生
「―――だから、手が出なかったんだよ。住所も素性も分からずじまいだし。」
言い終えてから、少し、十秒程の考える時間が流れた後、
「―――見てみたい、です。」
「―――だから、実際に会ってみて欲しいんだ。当然ミサにも。一人の野郎じゃどうにも判断ができない問題なんだからな。」
ケイはミサを見る。それだけで理解したのか、頷いて、目線をユウに向ける。
「―――早速、計画を立てようか。当然、ユウちゃんとミサの安全が第一に組み立てるけども。いいかな。」
二人は、ハイ、と賛成した。
「多分だけども、犯人の顔が見えるのは一瞬だけ。見逃さないためにもこの計画は絶対に成功させないといけないし、想定外の事が起きても最悪の事態だけは避けなきゃならない。そのことは頭の片隅に置いておいてくれ。」
言い終わった後、詳しい計画が伝えられる。前もって準備していたものだとユウはその話の流れから理解した。
襲われるまでを再現する。それがこの計画の一番難しいところである。いわば状況再現。酔っている人間が、襲われる。当然酒に酔った人間はケイの役であり、実際に商機を保ったままで酔う程度のアルコールを摂取する。次に場所。被害があった場所に誘導する。そのためのルートを決め、三人で芝居をしながら誘導する。最後にタイミング。これは合図を利用し、二人がその犯人の顔が見えるように、光で照らし、目視できなくてはならない。
「そして、その後はどうするんですか。」
ユウはこの計画内容を、スマートフォンでメモを取りつつ質問する。
「―――それは、ユウちゃんの判断次第さ。捕まえて欲しいなら捕まえるし、見逃すなら見逃す。俺は償って欲しいけどね。」
「―――これは、犯人の人の顔を、見た後でいいですか。」
「ああ、構わないよ。」
そうして、ユウの父親であるタイガが襲われた日、呑んでいた店で集合。計画が進行した。
そして、遭うことになる。
第三幕 考えは柔軟に
午前十時、目が覚める。それも嫌な気配を感じて。
昨日、いや今日だろうか。奴と遭ってしまって、そして逃げてしまった。だが、まだ後ろに潜んでいるような違和感。例えベットで仰向けになっていようが、ありもしない背後からまた恐怖が迫るような。
ただ、顔も知られている。どこまで知られているのかも分からない。そんな状況で何もせずにいるのは絶対に違う、と心に問い聞かせる。
取り合えず、もう一度、奴の手紙を見ることにした。疲れた脳であの長文は読めなかったためだ。手紙に触れた瞬間、まず考えたのは、この手紙を入れた名刺入れ。これを、何時、どうやって仕込ませたのか。そこからだった。
他にも分からない点がいくつかある。三メートルの距離を、文字通りの一瞬で詰められた事、背後に回られた事。そして投げた動きもないのに背後で落ちたコイン。これらには不可解でしか思えない。普通ならば。
だが、思いたくはないがあの男は、自分と同じ能力のようなものを持っている。内容は全然違うが、大きく括っての「能力」を持っている。そしてこの現象を説明するのに、一番適した能力は、瞬間移動ではないか、と。それならば辻褄が合う。
そう考えるとなると、あの状況ではいつでも仕留められたのではないか、とも思ってしまう。実際、突き付けられた箒が、別の凶器ならば。留めもせずにそのままバッサリと何度でもできたはず。そして、いつの間にか仕込まれていた名刺。これは誰からどう見ても、情けをかけられたものである。つまるところの舐められた態度を平然とできるほどに、実力差があった。
その様なことを思っても、何も解決しないのは自分でも理解していた。解決策を奴がら提案されているのは、決して良い気分にはならないが、何もせずに、再び奴と遭わないようにしなければならない。そんな怯えた考えはしたくはない。ああ、あの時、もう少し早く、アイツを見限っておけば。もっと自分に強い意志があれば。今までのような無駄な時間を過ごさなくてよかったのに。
奴のノート一枚に再び目を通しながら、後悔に耽る。
読み終えた後、足は自然とマンションを出ようとした。
昼時であるのにも、空腹感があるのにも関わらずに街の図書館へと来てしまった。ただ、このまま引き返すのも癪なので、そのまま入館した。
なるほど、大きなものだ、と。過去に一度来たことがあったが、その時も同じ思いをしていたのだろうか。なつかしさと共に、その時とは変わっている場所、物を見るたびに戸惑いもあった。
館内の矢印が案内する方へ歩く。自分が欲しい本は「科学」のカテゴリだろうか。
本棚を見るなり、読み解くには難しい本であるのは背表紙を見るだけで分かる。その中でもわかりやすそうな本を探す。
「ああ、君が、か。読むのならこの本が良い。図解も多いしなにより分かりやすいからな。」
唐突に話しかけてきたのは、若いながらもしっかりとして、しかしどこか胡散臭いような女性であった。というより、いきなり話しかけてきて不信を覚えないのは当たり前ではあるが、それに加えても警戒せざるを得ない雰囲気を出していた。初対面で、そんな気持ちを抱くのは悪いと思ったが。
「―――誰ですか。どう見てもここの職員ではないですよね。」
無視を決めるのも良かったが、本を指し出されたので一応、慣れない敬語で尋ねてみる。
「失礼。私は『神門相談所』のミカドだ。昨日は酷い目に遭って疲れただろう。ねぎらいも兼ねて一度、会って見たくてね。」
「―――神門相談所。」
そう、奴が仕込んだ名刺入れには、そのような場所の名刺があった。その責任者が目の前に居る。
「ここでは何だ、話をする場所ではないのでね。少し移動しようか。もちろん、君の都合を最優先するけど。断った方が身のためかもしれないぞ。」
その返答は、少し考えた後の頷きで済ませた。
この図書館は昨年で、創立四十年を迎えている。今ではそのような祝い事は無いが、その際に大規模な建て替えがあったらしい。いくつかのフロアが出来て、その中の一つに、ビデオやDVDを個室で見れるフロアがあった。そのミカドという女性は受付で個室の鍵を借り、自分を案内した。
個室に入って早々、謝りたいことがある、などとミカドは言った。
「何せ、あのバカ、一発キツイのを食らわせたそうじゃないか。」
その話を聞くまで、攻撃を受けた痛みは感じなかった。聞いたからこそ、遅く、嫌な痛みがこみ上げてくる。それと同時に、その痛みに気付かない程、朝から生活していた事に自覚する。それは余裕とは全く逆のモノだった。
「―――すまない。アイツは今回の件で減給とさせてもらう。」
ただ、これについてはざまあみろ、と思えた。
「代わりといっては何だ、知りたいことを教えてやろう。ただし、私の知る範囲だけだが。それとも強欲に慰謝料を要求するのもいいがな。」
知りたいこと。沢山ありすぎる。
今、自分の右手には、先ほど差し出された本があり、それを読み解かなくてはならない。そして、奴の対策を練らなくてはならない。
「―――教えて欲しいです。その方が良いと思うので。」
自分は思う。その一言は弱く、小さいものだったが、前に進めたような答えであったんだろう、と。
「敬語、慣れていないようだね。いいよ、普通に話す様な感じで。」
人と、それも、赤の他人と普通に話すのは何年ぶりだろうか。
「先にアイツ、いや、ケイの能力に関してはあまり言わないようにしてくれ、と言われた。能力のネタバレは無理だってことを先に言っておく。」
能力を知ることは、単純に対策できてしまう。圧倒的に有利に立てる訳である。
「それじゃあ、あの時、アイツは対策をしていたと。」
当然、とミカドは返す。続けて、
「全て計画されていたのさ。君が襲ってくるのも。君が気付いていたか分からないが、しっかりゴム手袋までして。」
今まで事件を起こしてきた事による情報、そして同じ能力者であるアイツだからこその計画だろう。
「スタンガンの痕跡もなく、ごく少量の火傷で気絶させるまでの実力は、アイツもほめていたんだ、が。」
が、
「使い方が全然なっていなかったことについては、落胆していたな。」
使い方とは、自分の能力の事だろう。電気の使い方が悪いのか。
「もし、逆の立場なら返り討ちに遭わせられた。なんてほざいていたがね。」
アイツの能力、瞬間移動だろうか。それを完封できる程、自分の能力が強いとは思えない。実際何もできなかったし。
「アイツに弱点とかが、あるような言い回しですけど。」
「え、もちろんあるよ。これを本人に聞いた時、凄い致命的だと思ったぐらいには。」
即答された。本人どころか、ミカドさえも致命的な問題があるのか。
「あの瞬間移動に、か。無敵の能力にしか見えないんだけど。こう、すぐ逃げたり、一瞬で回り込んだり。」
瞬間移動については、アニメや漫画、さらにはトリック、マジックで見かけるものだ。それをタネも仕掛けも無しに使われては、予想も全て後手に回ってしまう。
「なるほど、瞬間移動ときたか。面白いな。」
その反応はあからさまに不自然だ。
「―――違う、と。」
「いや、合っているな。確かに瞬間移動だ。明確な弱点付きのね。」
その弱点を聞きたい、と聞きたかったが、それは所謂ネタバレになってしまう。
「ネタバレではないが、能力の認識、原理までなら考察の範囲として教えることはできる。それもアイツが念押しして言ってたことだがな。」
「能力の認識、ですか。」
DVDを見る為のテレビの台には十分な二人分の読み書きができるスペースがある。そこに二人は座り、ミカドは紙とペンを出す。
「まず初めに言っておきたいのだが、私は君たちのような能力を持たない。つまりは今の君に対して無防備なんだ。」
「襲われる、なんて考えは?」
「そうなったら私は終わりだ。でもそんなことを考慮しない。いや、する必要がないのさ。」
ミカドの所持品であるカバンは、紙とペンを用意するときに中身が見えた。それらしか入ってないように見えて、無防備であることは本当なのが分かる。
「理由として、君は知識が欲しいから私が必要である事、襲ったところで君にとってはバットエンドが見える事。その二つだ。」
バットエンド、つまりはミカドを襲うと奴が出てくる。その時は容赦なく叩きのめされるのだろう。
「アイツ曰く、能力を使って一方的に、理不尽に、さらに悪意のみで襲った場合には、それ相応の処置をするらしい。そりゃあ一般人が能力持ちに不意打ちをするとなれば、誰だって結果は見える。」
そう言ってから、話を戻す、と言って逸れた会話の軌道修正をする。
「認識についてなんだが、君はどうやってその能力をつかっているのだい?」
「どうやって、と言われても―――」
言葉にならない。物理的ではない事は使っている自分でも分かる。
「ああ、抽象的でいい。具体的に説明できないのはケイと―――いや、能力者が口を揃えているからね。」
「じゃあ―――」
自分の能力である「電気」は、心のモヤモヤ見たいなものを使っている。それは使えば使うほど消費していくのが分かるし、ストレスのようなものではない変な、自分の中にある形のない燃料のような物である。それを放出しようとすると自分の意志とは関係なく電気的な性質となる。この電気は物理的なものであって、しっかりとLEDが反応した事を自分で実験して明らかにしていた。
「なるほど。何か燃料なもの、所謂精神エネルギーなるものが自分にある。その共通点は同じらしい。しかし、それを使う認識は異なるな。」
「使う認識。瞬間移動と違う、と?」
そう考えると、そのエネルギーをどうやって使っているのだろうか。自分の様に放出するようなタイプとは考えられない。
「じゃあ、君の思っている瞬間移動についてだけ、原理を話そうか。まあ、これはアイツから聞いたままの話をするだけなのだがな。」
向かいあって会話をしていたが、ここでミカドは紙とペンを持ち、図を描く。
「君のような『電気』という現象が、身体から放出されるのは、君自身が理解している。このことに対しては、『自分』を中心として現象が起きていると言える。」
「―――それじゃあ、瞬間移動は?」
精神エネルギーを放出して、瞬間移動をする。放出と現象に結びつきが考えられない。
「瞬間移動という現象を起こすには、精神エネルギーをコストに、つまりは決まった量のエネルギーを使っているらしい。この辺りは、具体的な数値が測定できないが、色んな過程を総和した量―――簡単に言えば、その場所までの遠さ、環境に比例した量が勝手に消費される。」
全く簡単にまとめられていない。ただ、行きたい場所にスッと行けるものではないというのが何となく理解できる。
「どこにでも移動できる、訳ではないと。」
「ああ、その考えでいいと思う。」
合意を得たが、まだスッキリとしない。昨日は、精神エネルギーを消費しているような振舞はしていなかったからだ。
そんなことを考えていたのを、ミカドに見られたのだろう、
「じゃあ、問題を挙げてみようか。」
問題を出すことによって、先ほどの話をわかりやすく、自分も没入して考えやすくするようだ。
「この地球で、日本の真逆の位置にある国は何でしょうか。」
何度か聞いたことのある問題だ。
「―――ブラジル、だっけ。」
「そうだね。じゃあ続いて。」
発展して問題は続く。
「―――君がその場所に瞬間移動をするとなると、何が必要になるだろうか。」
何が必要か―――何が?その場所の地図、その場所の写真、それらで移動場所をイメージ出来たら移動できるのではないか。
「―――その場所の、写真と地図が必要なんじゃないか。」
そこに飛べる、移動できるイメージでその「瞬間移動」という現象ができるのであれば可能である。
「―――十点、かな。答えは、そんな場所への移動は不可能に近い、が完璧な回答。及第点では、無理、とか、必要なものが全く揃わない、とかかな。」
ミカドの採点に思わず、えっ、と小さな声が出てしまった。瞬間移動は、ワープはどこまでも自由にいけるのではないのか。
「そのあたりが、君との『認識の違い』なのだろう。これは別の能力者と邂逅した時に、向かい合うための必要条件のようなものだと、私は思う。」
「『認識の違い』って―――」
「これは厳しく言ってしまうが、君は現象への理解が全然なっていない、ということだ。このままアイツに再び立ち会ったところでドツボにはまって負ける。そうなるとアイツも、さぞ落胆するだろうな。」
その瞬間移動についての理解が足りていない、と言われているのだろう。つまりは瞬間移動とはそういうものではない、ということか。
「また問題を出そうか。」
次はもう少し考えてみる。
「自分が、瞬間移動ができるとして、自分の家まで移動できるでしょうか。その場所についてはどんな情報も揃えていることが前提とする。ただし自分はこの場所から動かずに瞬間移動しなければならない。」
自分の家、というとあのマンションまで瞬間移動する、ということ。それならイメージがしやすい。さらにその場所の写真、地図だけでなくリアルタイムの情報も揃えて。これで自分のマンション五階にある―――?
「――――」
考えが止まった。その場所の高さはどの辺りだろうか。その場所に正確に移動できるのだろうか。その場所に誰か、何かあるだろうか。そこに―――
「―――ああッ。」
考えれば考えるほど、頭が痛くなる。段々とこみ上げてくるあの可能性が、これ以上の考えを妨げる。
「―――答えが出たかい。」
そのミカドの問いに頷く。これしか答えが無い。その可能性がついに答えを埋め尽くした。
「―――無理、じゃないですか。」
「―――うん、正解だ。」
そう考えれば、そうである。自分の感覚ではどうにもならない要素がありすぎる。例えば、この個室の外のドアまで瞬間移動するとしても、その移動場所に物が置いていたり、人がいたりすればどうなるのだろうか。そもそもその場所が自分で見えない以上、正確な位置、距離が測れない。
「これについては、『シュレディンガーの猫』という話が有名だね。この話は、君が今考えていることと全く同じだから、話さないけど。」
シュレディンガーの猫。これは後にネットで調べて見たところ、同じような話であった。猫を箱の中に入れて、さあその猫はどうなっているでしょうか、という問い。誰も中身を観測できないので答えは「分からない」となるもの。
瞬間移動する場所は、実際に見て観測しなければ、その場所が「どうなっているのか分からない」ので、目視できる範囲に限られる。
「―――ここまで話せば、その能力をどう認識すればいいのか、理解できただろう。」
たった一つの能力だけで、ここまで考えなければならない。そこまでしなければ、何も分からずにただ打ちのめされるだけだろう。昨日と同じように。
「これでアイツの話がやっと終わった。あー疲れた。」
考えていて余り気付かなかったが、ミカドの用意した紙には、先ほどの話の要点をまとめていた。図もあってかなり見やすい。
「じゃあ、この認識を踏まえて、君の能力も考えてみようか。」
そういえば、それが目的だった。
「電気を放出する、それだけの認識で使ってはならない―――か。」今までのイメージは主に「雷」を想定したものであった。それが力加減を知り、スタンガン程度まで加減ができるようになり、今ではギリギリ失神する程度まで加減ができるようになった。
「そもそも『電気』が使えるだけで、その類の能力ではトップレベルの応用力がある。家電製品店をぐるっと一周するだけでいくらでもアイデアが浮かぶものさ。」
ミカド談。そう言われて思ったのが、この能力を手に入れてから、襲う、食事に行く程度しか外へ出る理由が無かった。そんなところに足を運んですらいなかった。これもまた無駄な時間を過ごしてしまったと後悔した。
「それはそうと、昼の時間が過ぎてしまっているな。」
ミカドがそう言ったので、自分も時間を確認した。午後二時半、その通りである。
思えばここまで人と話すのは初めてだった。少ししか通えなかった学校でもこんなに喋ることができなかったし、何よりも、このミカドという女性には、話しやすい雰囲気がある。
「その本は借りるといい。文章の中に太字で書かれている部分と、その周りを読めば何となくは分かる。危ない事に手を出さない限り、多少大雑把でもその能力は使いこなせるようになるはずさ。」
「それじゃあ。また。」
図書館の入り口でミカドは別れようとする。
「いいんですか。私の名前、聞いてないですよね。」
もうすでに知られているのか、それとも知らないまま話していたのか。
「ああ、そんなものはいい。どうせまた会うだろうし。」
ミカドは「また会う」、そう言った。何故か、と聞くと、
「ここまで話をしたのなら、もう一度会うんだろう、アイツ(ケイ)と。」
実際そのつもりであった。自分でもなんだが、あそこまで手加減されて、更には今、こうやって自分の能力と向き合っているこの気持ちを、決して無駄にしてはならないと思っているのが理由になる。
「次に会うときは、君から名前を言ってもらうよ。いや、ここまで話したんだからアイツに勝ってもらわないと。ああ、このことはアイツには内緒だけどな。」
そう言ってから、今度こそミカドと別れた。
かなり遅めの昼飯を食べながら思う。
あの怯え続けた日常が、急に終わって、いきなり自分に向かい合うようになった。犯罪を犯して大胆になってしまったのか。違う、違う、それは違う。
明日で、この色もない世界から抜け出せる。そんな自分の可能性に向かっている。
こんな気持ちは初めてだった。
第四幕 一瞬はその目の中に
一夜明けて、例のアイツと会う日になった。それまでは何となく借りた本や、ミカドが昨日の会話をまとめた紙を読みながら、瞬間移動の対策を考えていた。
瞬間移動の弱点を考えてみると、まず連発ができない点で一つ。次に目視できる範囲しか移動できない点で二つ、そして近接攻撃しかできない点で三つ。この三つの弱点を見るに、瞬間移動が実はあまり強くないのでは、などと思ってしまう。
まずは一つ目から。連発ができないのは単に、その場所までの距離の測定に手間がかかるからである。一瞬でその場所に移動してから、瞬時に別の場所へ移動する。その動きは不可能に近い。瞬間移動の能力が自分で使えると想像してみる。この部屋のベットから玄関までを二回の移動で行くならば、まず一回目はあらかじめ考えておいた場所へ移動するだけなので可能である。しかし、玄関までの二回目は、移動先から玄関までの距離と空間を把握しなければならず、瞬時にもう一度飛ぶのが不可能であると考えられる。似た条件なら、目隠しを外した直後に、瞬間移動が可能であるか、という問いになる。判断、距離の計測、空間が安全かどうか、それらを必ず考慮しなければならないので移動までに時間がかかる。よって連発はできない。
二つ目、目視できる範囲しか移動できないのは先ほどの話になるので割愛。
三つ目、近接攻撃しかできないのは、見てわかる通りである。移動できるだけであって、それが攻撃に活用できるわけではない。もしも移動先を予想出来て反撃できるのなら、他の弱点も重なり回避ができない。
そうなると、一番の対策は移動先を予測することになる。それが出来たら一撃で勝負はつく。
次に、自分のできる事についてだが、この前と同じように道具を使用してくるのは明白だ。その分のリーチを生かした動きをアイツはしてくるだろう。そのリーチをいかに詰めて動けるかどうかに係っている。瞬間移動に反応して動くことにはなってしまうが、瞬間移動しかできない点において自分の能力のような一撃がない為、最悪攻撃を受けてからでも距離を詰めることができる。
などと思っていたが、結局はその場で、その一瞬で判断しなければならないので深く考えるのもまだ早い。ベットの上で、天井を見ながらそう思っていた。
そういえば、こんな風に物事に興味が湧くのは初めてかもしれない。もしも、あのミカドと言う女性と共に行動できるならどれだけ楽しいだろうか。などと思ったが、それはこの件が無事に済んだ後の話になる。いや、そもそも無事でいたいのなら、アイツとの約束なんて無視すればいいだけなのだが、それは今さっきこうやって考えていたことが全て無駄になってしまう。アイツから逃げ出してしまったからこそ、次は立ち向かわなければ、一生前に進めないだろう。そのための試練だと考える。
身体も、精神も万全にするため、今できることをする。好きな物を食べ、時間に合うように休む。そして全力でアイツに挑む。
時間は午前零時前。待ち合わせに指示された場所は、あの夜アイツを襲うときに待っていた場所。居酒屋の前の電信柱だった。その場所を指示したのは、最初からここに私がいたことを知っていた、そう意味しているのだろうか。
そして午前零時、アイツが来た。
「こんな時間に外に出ているなんて、どうかしているよ。」
この時間を決めたのは奴だ。
「―――まあ、これから火遊びを始めるには良い時間だけどな。」
電信柱に備えられている電灯が、アイツを照らす。見ただけで分かるような軽めの黒コートに、電気対策の手袋。しかし武器のようなものは持っていなかった。
「何も持っていないんだな。」
近づくことが危険である以上、直接触れることはできない。
「おや、あの時の弱弱しい態度はどこへ行ったのやら。それはともかく、男一人でこの時間に箒を持って歩くなんて、どこからどう見てもシュールだろ。」
それもそうだ。この前のアイツと同じように二本の箒を用意している。
「私と戦わないつもりか。」
本題に入る。何のためにここまで考えて来たのか。
「戦う、か。現代において物騒な話だね。本当なら平和に事を済ませたいんだけど、年下の女の子に所望されては、断り辛いものだな。」
明らかに挑発されている。しかし、本当にやる気が、戦う気が無いように見える。
「じゃあ、移動しようか。」
そう言って、奴は右手の手袋を外し、指を鳴らす―――あまり鳴らなかったが。
一瞬で世界が変わった。地面はコンクリートから砂に。黒ずんだ鈍色のビルが消え、四方からの電灯のみの場所に。どこかの公園だろう。
「いいよ、ゆっくり周りを見渡して。ここは俺が誰も邪魔が入らないように選んだところだ。準備ができるまで何もしない。そうじゃなければフェアじゃないからな。」
そう言われるも、アイツをそこまで信じることはできない。だが、アイツはポケットに入っていただろう、ペットボトルを開けて落ち着いている。不意打ちをする気が無い落ち着いた態度をしていた。それを見てから油断はしないように、万が一を想定しながら周りを見渡す。
この公園は、特別な遊具などなく、小さな滑り台とジャングルジム、フットサル用のゴールが対照的に一つ。そして電灯が四方に。それらはこの公園の全体が見えるほどには明るさがあった。
「―――大丈夫だ。いつでも行ける。」
そう言ったら、アイツはペットボトルをポケットに入れ、不敵に笑った。
背後に気を付け、あらかじめ考えていた通りに動く。幸いにも電灯の光から生まれる影が味方してくれている。一瞬で終わらせることができる分には、自分の方が至近距離の間合いで絶対有利のはずだ。そもそもアイツは武器を何も―――
「―――ッ!」
影の形を確認する前に、持ち前の勘で振り向きながらしゃがむ。髪の毛が少し何かに触れた。それは手や腕ではない無機物なのも勘で分かった。
自分を警戒しているのか、追撃をせずにアイツは一歩引く。その手には長い、銀色の鉄の棒。物干し竿を握っていた。
「いつの間に、と言いたそうな顔してるな。」
いつの間にそんなものを手にしていたのか。あらかじめこの公園のどこかに置いておいて、瞬間移動で回収した後、背後に再び移動した。それが無難な考えだが―――
「―――違う。」
声に出てしまったが、それでは違う。それならば、一度物干し竿を取りに移動してから、自分の後ろを取るのに距離の測定が必要だ。そのため、自分の目の前で物干し竿を回収しながら背後に回り込むのは、不可能だ。しかし今、こうやってその考えが破綻してしまった。
「何が、違うのかな。お嬢さん。」
その漏れた声を聞かれていた。いや、そんなことよりも、違和感が身体を包む。決して身体が悪いわけではないが、精神的な違和感がある。瞬間移動についての考え方の違和感だった。何かがすでにおかしい事に―――
「そいッ!」
再び一瞬で間合いを詰められる。今度は正面から、考え事をしている途中に容赦なく踏み込んできた。その攻撃に対して、電気を出す余裕は無かった。間一髪で再び避ける。いや、避けれるように遅くその物干し竿を振っている。そして当たる箇所に物干し竿を静止させる。油断もあったがこれでは、実際に二発、攻撃を受けているのと同じである。早く振り切れば確実に自分の体に当たっていたからだ。
「そりゃあ、相手を目の前で考え事何てしたらこうなる。そういうときは『タイム』とか言うんだな。小学生の鬼ごっこのように。でも最近の小学生は―――」
余裕の様子で言う。対して自分は、落ち着きが無い、計画が破綻、間合いに入ったのに避けてばかりいる、などと全く余裕なんてなかった。それならば意を決して、
「―――タイム!」
と、言った。
「あー、マジで言っちゃったか。本当に時間をあげないといけないし、そもそも最適解を作ってしまった俺のミスか。」
その言い方には、少しはこの行動を予想していたのか、少し棒読みだった。
「いいよ。勝手にこの場所に連れてきたのは俺だし、十分なシンキングタイムを与えよう。でないと面白くない。」
そう言って、再びアイツはペットボトルを開ける。それよりもこっちはこっちで考えなければならない。
アイツの能力の違和感として、連続の瞬間移動を成功させている事がある。そもそも瞬間移動は、自分の見える範囲でしか移動できないのなら―――
見える範囲しか移動できないのなら、どうやって、
どうやってここまで移動してきたのか。
「能力は、物理をある程度無視している。まあ過程だけだが。しかし、結果は物理に基づいた結果にならなくてはならない。例えば火を操る能力では、熱や火の性質において物理的なルールを守らなくてはならない。過程を無視して出た火は、当然水に濡れたら火は消える。酸素を消費して延焼する。結果は物理的に維持されるのさ。」
そんなことを、ミカドは言っていた。それに基づくとなると、瞬間移動は移動する前までは見える範囲に移動場所を決め、そこまで移動する過程を省いて、結果的に移動が終わる。見えない範囲の移動は、そこに何もない事と、そこまでの距離をあらかじめ計算しておかなくてはならない。その計算は自分のいる場所によって要素が変わっていくので、動きながら計算して見えない場所に飛ぶ、ということは不可能に近い。それが今までの考えだった。
しかし、この瞬間移動は見えないところでの移動を可能にした。あの待ち合わせ場所から一瞬にして、自分を含めてこの公園に移動した。当然ながら、この場所から待ち合わせ場所なんて見えるはずもない。(というかここがどこの公園か分からない)
疑問を見つけると同時に、見落としていた疑問も生じる。物干し竿と、この前に反応してしまったコインである。
手に触れているモノしか移動できないのが、よく見る瞬間移動の鉄則である。アニメや漫画でも、主人公やラスボスなんかがこの能力を持つことが多い為、そんな制限があってもおかしくはない。(そもそもこんな考えをしているのが凄くおかしいのだが)
しかし、それらは触れずに移動を可能にしていた。コインはアイツから五メートルは離れた自分の背後に落ち、自分に触れずにこの公園まで瞬間移動をし、どこから拾ったのか物干し竿を手にした。というより、ここまで移動してきた時点で気づくべきだった。その時、自分はアイツとの会話で、苛立ちを覚えて―――
―――その考えに至らないように、わざと挑発した。
それが特別な瞬間移動であることを悟られないように、挑発したのなら―――
この立ち合いにおいて、最初から結果が分かっていたのかアイツは。
「―――1つ、いいか。」
碌な答えは期待していないし、答えなんて教えてくれないと思うが、
「本当に、お前の能力は瞬間移動か。」
そう聞くことで、一度心の整理をつけることにした。
「質問をしてもいい、なんて言っては無いけどな。」
そう答えるのは何となく分かっていた。
「でも、こうやって一瞬で移動できるのなら、瞬間移動以外に何があるんだい。」
続けてアイツはそう言った。
瞬間移動に、物干し竿のリーチ。当たってもまだ痛い、で済む程度だがこのままでは一方的に負ける。
では、どうやって。アイツはこの時間を利用して次に移動する場所の距離を測定しているのかもしれない。そうなると、全てが後手に回る。
何も距離を詰められていないのに、自分は一歩引いた。無意識の後退だった。その足は、十一月の寒さで震えているのではなく、あの時と同じ気持ちを引きずっていた。
逃げたい、怖い、勝てない、勝てるわけがない、
そんなことを足が言っている。
それでは。それじゃあ。
―――何も変わってない。
足を踏み出す。一歩、二歩と。
「―――さあ、考え事は済んだかい。」
済んだ。取り合えず前に。今まで逃げてきた距離を詰める。
あの最悪な時間から、何もしなかった時間から、怯えていた時間から、
前へ。ただ前へ。心臓が今まで以上の高鳴りをしても、前へ。
そして、間合いまで。
「よくここまで来たね。うん、正直ここまで来られるとこっちがかなり不利なんだ。」
そう、アイツの言う通りにこの距離が本来、最適な場所である。
アイツが踏み込んで、一撃入る距離。しかし踏み込まなくてはならない。そして今までと同じように背後に、それとも真横に移動したならば、もう一度前に進めばいい。
いつでも電気を出せるよう準備をする。準備するまでにアイツが動かなければ―――
初めて、前に踏み込む。この一歩が今までに一番大きな一歩だった。
流石に、電撃を用意しながら踏み込んでくるのには、アイツも引かざるを得なかった。
こっちから距離を詰め、互いに間合いに入る。そのまま動きに入る。
右手で握っていた箒の柄を突き刺す。普通なら何か触れてもいい程に近づき、突き切った一撃。しかしアイツは瞬間移動で避けることができる。
予想通りにアイツは目の前から消える。ここまで電気は使っていない。近くにいることが分かった瞬間に電気を自分の周囲に。どこからでも対処できるように準備。
左右には気配なし、背後からの影は無い。しかし、電気を含んだ身体が反応する。髪の毛が立つ。
上を向く。しかし目を閉じてしまう。上から降ってきたのは想定していない物が目に入る。それが髪の毛に落ちた時、何なのかを理解した。
砂が降ってくる。巻き上げられた後は無い。だが砂を上空に運ぶ手段はある。
瞬間移動ならば、そこまで持ってこられる。それならば、その上にいるのは―――
コートが風で、いや風圧でバサツく音。そうアイツは今、空にいる。
立ち止まって上を見たので、急には動けなかった。対してアイツは、空中で姿勢をどうやってか整え、万全の構えをしていた。この状況では使うしかない。
電灯よりも明るい世界が一瞬出来る。しかしながら身体全体から放出された電気は、アイツを捉えてはいなかった。また瞬間移動をしたのだろう。そう思った矢先、さらなる違和感が襲った。これは恐怖ではなく、疑問の違和感だった。
目に砂が入って見えなかったが、確かにさっき、上空に何かがあった。それも、アイツがいた更に真上に。
「あっぶないなぁ。もう少しで感電するところだった。」
そんなことをアイツは言ったようだが、自分は目をこすり、真上を見る。
しかし、その何かは空にはもう無い。だが形だけは分かった。
何かの板のような、そんな形状のモノ。現実ではそんなものが浮いているのはドローンのようなものでない限り在り得ない。しかし、いまこうやって向かい合っているのは現実離れをした能力者である。
それを見つけた副産物に、自分の能力にもまだ応用が利くことが分かった。その板に触れたのは、自分が出した電気の残留のようなもの。燃えカスのような電気だった。それが板に触れ、その情報が自分に返ってきた。つまりは、自分からその燃えカス程度の電気を放つことによって、周りの探知ができることが分かった。
「どうしたよ、もう一度できないのかい。」
挑発には乗る。しかし二度も同じ手は踏まない。今度は探知をしながら突っ込む。
踏み込んだ時、その何かが出る。空中に三枚。一つ目はアイツの真上。二つ目は自分の後ろ、三つ目は自分の真上。確認してから今度は真横に身体をひねる。防御の構えを取っていたアイツは動けない。そして―――瞬間移動してもそのエリアに自分はいない。
「―――見つけた。瞬間移動の秘密がッ!」
空に浮かぶ三枚の鏡。現実離れした鏡があった。
「―――いやぁ、やっと気づいたか。ここまで使い方がなっていなかったのは少し残念だったが、ともかく一応これで対等だな。」
その鏡は初めに攻め込んだときに配置されていたのと同じ場所だった。わざとこのような配置にしたのだろうか。
「あらかじめ、鏡が配置してあればどんな時でも、どんな場所でも瞬間移動ができる。でもそれは、この鏡の直線状のエリアだけ―――」
だから、コインが背後に落ちた。自分が瞬間移動した。目視できない場所に移動で来た。それら全て、この鏡が配置していれば道理がつく。
「正解だ。まあ、この移動は瞬間移動ではなく、座標移動と呼んで欲しいけどな。その方が名前に合っているし。」
原理が分かったところで戦況は大きく変わる。移動先は鏡に依存しているので、その鏡を探知できれば移動先が分かる。つまりこの電気探知が大きなカギとなっていたのだ。
「さて、ここまでは優しめ、イージーモードって奴だ。ここからはノーマルと行こうか。」
手加減をされていたのは動きから分かっていたが、逆に考えると手加減をできないまでになった。それは自分が前に進めた証拠であった。
また鏡が配置される。数は五つ。すべて自分の周りにある。その配置を探知したすぐに自分に電気を貯める。だが、貯まりきるまでにアイツは踏み込んでくる。
物干し竿を長く持ち、二メートルの長いリーチを武器に突っ込んでくる。それは思ったよりも―――
「早い―――」
踏み込み、しゃがむような低さで間合いが一瞬で詰まる。アイツが動くまでにこのエリアから逃げようとしたが想定外の速さで、動くことができなかった。
物干し竿を振り上げる。大きく避けてしまったが、そのスピード、遠心力からは今度こそ容赦は無かった。
鈍い風の音と同時に消える。移動したが、それは五か所の内どれか一か所。自分の近くにある―――
再び閃光が走る。しかしそれも当たっていない。電気が届かない高さに設置されている鏡は四つ―――五つ設置された鏡は四つになっていた。そしてその一枚は、残留電気で探知した。そこは電気をまともに食らう範囲外かつ、三歩の踏み込みで届く背後の位置。
一歩。振り上げた物干し竿を下げ、構えを直す。
二歩。右足を前に滑り込むように体を下げる。
三歩。体を捻る。そしてここで自分はアイツの場所、状態を知る。
それは、身体をバネと捻りを合わせた一撃。その態勢の低さに戸惑い、動きが止まる。その隙を穿つ、一本の銀色の爪。
「地咲花―白爪―」
まともに受けた。そう思うしかなかった。何せこの距離、このタイミング、そしてどうも電気の放出による硬直で動けない。ただ、目を開けてその一撃を見ていた。結局こうやって無駄に終わるのか、なんて思っていた。生まれてここまで、大好きだったお母さんは病に倒れ、奴は自分を物としか考えず、最期には売られかけた。そんな幸せのかけらもない人生で、ようやくこの能力を手にしたのに―――
―――なんで、ここまで考えていられるのだろう。もう痛みは来るはずなのに、どうしてこんなに世界がゆっくり何だろうか。
―――大丈夫、オウカは一人じゃないよ。お母さんがいつでも見守っているからね。だから、悲しい顔をしちゃったら、お母さんも悲しいよ。それに―――
これが走馬灯と言うものらしい。すっかり忘れていた、遠い記憶。
―――オウカは中央の央に、花と書くのよ。だから、独りじゃない。みんながその花を見るから、いつも明るくしなきゃダメ。だから、くじけずに、前を向いていてね、オウカ。お母さんはいつでも―――
避けろ。
避けろ。諦めるな。
避けろ。諦めるな。前を向け。
避けろ。諦めるな。前を向け。そして―――
―――この一瞬を生き抜け―――
振り上げる一撃が顔の真横を通過する。紙一重を表すかのような、一瞬の回避。その一瞬の時はとても永くゆっくりと流れた。
その時間をアイツは認識できない。誰もが確実に当たるだろう、そのタイミングとスピード。その確実が崩されたのに気付くのは、振り抜いた後。
「―――はにゃぁッ!?」
アイツが気付いた瞬間に別の鏡に飛ぶ。そのようなことは出来ない。その一撃に込められた動作一つ一つは、動作のみに集中しなければ出来ないからだ。つまりは―――
この超至近距離においては、座標移動もできず、身動きも取れず、確実な一撃が入る。これが最初で最後のタイミングだ。
右手に握られた箒を放す。この距離は素手が入る―――入った。
確実に、横腹に入った。後は―――
バチィ、と音がする。大きなモノに当たる感覚もある。出力は抑えていない(というか抑えるなんて考えられなかった)。その電撃はスタンガンの十倍以上、人間ならだれもが気絶するし、最悪の場合―――
とはいえ、これでアイツには勝てた。その拳を引き抜き、倒れていく様を見る。あの余裕の態度をしたアイツが、無様に倒れていく。
その時に気付くべきだったと後悔する。拳から電気を放出した跡は、焦げるはずだが、そんな跡が無かったことに。気絶するならアイツに握られていた物干し竿は、手から離れていることに。
ザッ、という音。その音は倒れこむ音ではなく―――踏み込む音。
―――極点花―金木睡―
不意を突かれた一撃が入る。それも頭に。しかしその一撃は殆ど痛くなく、衝撃のみが走った。
その一撃の後、アイツの手から物干し竿が落ちる。
最後の力だろうか。しかしその一撃は何ともない無駄な攻撃だった。電気による痺れで力が入らずに、そして無意識の一撃だったため―――
「―――これで、」
これで、
「「これで終わりだ。」」
アイツは自分に合わせながらそう言った。直後、激しい眩暈と眠気が襲う。
何故。なんで。どうして―――
「―――本当に危なかった。あの技は確実に入ると思っていたからな。あの回避は能力による回避なのかどうかは後で考察しよう。こっちは実戦で初めてこの能力を使えたことに感謝をしなければならない。まあ、二度とこんな危ない賭けはしたくないけどな―――」
意識が、黒い海に溶けるように―――
「さっきの技、金木睡は頭蓋骨の一番厚い部分への衝撃を重視した技だ。その衝撃はただ響くだけでいい。その響きは脳を揺らし―――」
砂の上に、倒れた。
「―――」
何かの声。これは夢なのか、死んだ後の世界なのか。
「―――!!」
罵声のような声、怒鳴りつける声、
怖いけど目を開ける。しかしそこは―――
パチパチ、と音がする。周りは燃え、豪雨ともいえる雨。人の姿はない。そしてその場所は、自分が一番知っている―――
雷が落ちる音。その音と同時に世界が白くなる。
その世界に独りだけ。地面もなく、ただ浮いているだけ。しかしその世界を自分は知っている。そう、背後には―――
巨大な歯車が、幾つも噛み合って回っていた。しかし、少しだけあの時と形が違う。
あの時よりも大きくなっていた。そして心なしか回る速さも速くなっていた。
ただ、今回はその歯車に近づこうともできなかった。それでも手を伸ばして―――
ドアが閉まるように、再び目の前が暗くなった。
第五幕 暖かな今その瞬間を
目が覚めた時、そこはあの公園では無かった。ベットの上、白い天井。窓からの光。自分に掛けられた毛布。
「―――よかった、目が覚めて。」
声がする。どこかで聞いたような声ではあったが、不思議と優しい。
「―――どこか悪いところはありませんか。」
額の冷却シートに気付く。ああ、この場所にあの攻撃を受けて―――
「―――大丈夫。」
その時を思い出して、少し苛立つ。そんな気持ちで答えてしまったので、気持ちの良い答え方には全くなっていない。
「もし、おなかが減っているならいつでも食べてください。」
天井を見ていた目を横に向ける。そこには机があり、その机にはお盆の上にご飯、オムレツ、野菜炒め、みそ汁があった。
それと同時にここが病院ではないことが分かる。どこかの、誰かの家。自分の住んでいたマンションにはない、温もりを感じた。
身体を起こし、見渡す。
クローゼット、テレビ、掃除機、エアコン。そして机の対面に座っている女性。
「―――ここは?」
ベットから身を出し、ご飯の前に座る。
「ここは、私の家です。」
あっ、という声がこの女性から漏れる。
「初めまして、私はミサ、と言います。」
ミサ。この人はアイツを襲った時に横にいた人だ。二人いたが、片方は女子高生だったのでもう片方の人だろう。
「―――私は、オウカ、です。」
不甲斐なく敬語になる。しかもどうにも、顔を合わせることができない。
そんな気分を晴らそうと、目の前のご飯に手を伸ばす。
「―――いただきます。」
みそ汁を手にかけて、ゆっくりと呑む。
暖かい。美味しい。胸から何かがこみ上げてくる。
「―――あっ。」
どこか懐かしいその味に、涙が流れていた。
「えっ、大丈夫ですか!?美味しくなかったですか。」
慌てるミサ。でもそれは全然違う。
「―――美味しい。」
泣きながらそう言った。今までの乾いた何かに、染み込む。流し切ったはずの涙が、目の前を滲ませる。
ほぼ初対面の人の前で、泣き声を出し、みっともない醜態をさらしていた。しかし、それをミサはただ優しく見ていた。
一つ一つから心を潤す香り、味があった。これにはただ、「美味しい」の言葉しか出なかった。
「―――ご馳走様でした。」
手を合わせてそう言った。そういえば、今まではこんな食事の前後の挨拶なんてしなかったが、自然にそうしていた。
「お粗末様でした。」
ミサは喜んでそう言った。
ただ、今の状況がおかしいことにはどうにも聞かざるを得ない。
「―――どうして私がここに?というよりアイツは?」
まずはここからだ。アイツはその後、この女性ミサに自分を引き渡していたことになる。
「ケイは、あなたと会った後に私たちを呼んで、私の家で休ませるようにしました。」
「―――私は、あなたを襲うかもしれませんよ。」
その答えには首を振って、
「ミカドさんは、あなたはそんな人じゃない、って言っていました。同じようにケイも。だからあなたを信じます。」
一言一言に心が震える。優しい表情に胸が苦しくなる。
「それに―――」
それに、
「ケイも私も、あなたの気持ちが分かると思います。」
気持ちが分かる。同情をしているのだろうが、少なくともアイツは無い。しかし、ミサの視線、態度、そして雰囲気は心を許してしまう不思議な魅力があった。
「どうしてそこまでするんですか。」
赤の他人なのに、
「初めて会った時、悲しい気持ちをしていたからです。」
「そんな理由で?」
「はい。だって、おみそ汁を呑んだだけで泣いてしまうなんて、普通じゃ在り得ないじゃないですか。それに―――」
まだあるのか。もう胸が一杯なのに。
「私も、あなたのように悲しい心を持っていた時があったので―――」
ああ、そういうことか。この人の言っていることは全て本当だ。だからこそ、分かってくれている。涙の理由も、どうやって声をかけるのかを。
「―――私で良ければ、話してくれませんか。」
何となく分かる。ここで全てを話せば、世界が変わる。自分に今まであった心のトゲが抜けるように。そして、ここが今までの自分との分かれ道であることに。
その質問に、こんなことを考えてから頷く。
「―――私は、」
私は、父とお母さんの家庭に生まれました。でも、五歳の時、お母さんは病気で亡くなってしまいました。―――大きな原因はストレス。父からの暴力もありました。お母さんはそんな中でも、私に向けた暴力から庇って守ってくれました。
でも、お母さんがいなくなって、父はずっと酒に酔い、借金をしてまでも酒を買いました。そして、狂いながら私に暴力をしてきました。
七歳の時には、父は小学校へも行かしてくれず、無料でもらえる教科書も、電気が無いから灯りの代わりに、って燃やしてしまいました。あの時の狂った顔は今でも覚えています。それを思い出すたびに嫌になって、家から逃げ出しました。街に行っても誰も助けてくれない。ボロボロの体を白い目で見るだけ。居場所なんてどこにもありませんでした。
でも、こうやって生きているのは、そんな中で一人だけ、助けてくれた人がいました。その人は、優しいおばあちゃんでした。
「怪我をしているのに、どうしてこんなところまで。」
その質問には答えられませんでした。でも、おばあさんは全部分かったかのように、
「私は、君のような子を昔、助けられなかった。それに今、君と同じくらいの子も家に居るんだ。私だけじゃつまらないだろうし、遊び相手になってくれないか。」
そのおばあちゃんは泣いていました。優しく泣いていました。
私はその答えに、おばあちゃんに抱き着くことで答えました。
それから、私はそのおばあちゃんの家に通うようになりました。本当はずっと泊まりたかったけど、そこまでおばあちゃんに迷惑をかけたくなかったし、
「向き合いなさい。」
って言われたので、夜には帰りました。それまでは、おばあちゃんから勉強を教えてもらったり、一緒にいた子と遊んでました。その時間が、その居場所にいることが、その時に一番救われていました。あんな奴と向き合うのは嫌だったけど、おばあちゃんが言ってたから頑張って向き合いました。
けれど、何も変わらず、むしろ悪化しているようにも見えました。
借金は増え、破産し、それでも闇金に手を出してまで奴は狂いました。
そうして、半年前までこのような生活をしました。そしてその半年前―――
おばあちゃんが息を引き取りました。
それは、私が流した涙の様に、沢山の雨が降った日でした。
看取った晩に、その出来事は起きました。家の前に見慣れない車がありました。いつもの借金取りの車じゃない、もっと高級そうな車でした。
家の中では、見慣れない男たちと奴が言い合ってました。その内容は私を探しているようでした。
外を見張っていた男に気付かれ、捕まると、家に入れられました。そして奴はこういいました。
こいつを売るから、見逃してくれ、と。
私は、奴に売られました。自分の所持品の様に。その時の顔は、あの時と同じ狂っていました。
その時、もう誰も助けてくれる人はいないことに私は絶望しました。
でも、連れ去ろうと腕を掴まれたその時、突然何かが光って―――
周りは火に包まれました。家は焼け落ち、夏に近いというのにとても冷たい雨が、その火を弱めていました。
瓦礫でどうなったのかはわかりませんでしたが、私の腕を掴んだ男は、私のすぐ横で肌を黒くしながら倒れていました。
その中で、私だけ、瓦礫にも埋もれずにいて、火傷ひとつなく、一人呆然として座っていました。
それから、その事件は落雷による火災として処理されました。そして私はその後、身寄りのない子供として国に保護され、各所を転々としながら過ごしました。そして十五を迎えた時、国の補助を受けて、空いたマンションに住むことになり今に至ります。
腕には未だに暴力で受けた傷があり、それを見るたびにこのことを思い出す。腕の傷を見ながら話したので、ミサの顔はよく見ていない。
「―――ありがとうございます。」
そうミサは言った。その時に腕から目を離し、ミサの顔を見る。
笑顔―――だが、その目には涙が潤んでいた。
その顔を見て、自分はやっと前に進めたのだと思った。
本来、こんな出会いは無いはずだった。あの時、おばあちゃんに助けられた奇跡があって、雷で偶然私だけが助かって、こうやって話を聞いてくれる人と出会った。
「こうやって話を聞いて、どう答えればいいのかは分かりませんが―――
そんなことは期待していない。ただ、
「私に話してくれて、ありがとう。」
ミサは近づいて、右手を、大事に、両手で握る。
こんなに暖かい手は、あの時のおばあちゃんが握った手と同じ暖かさがあった。その瞬間、何かが崩れた。報われなかった何かが報われた。
涙が出る。溢れる。さっき出したじゃないか。出し切ったじゃないか。どうしてまだ。まだ―――
「うぁぁぁ―――」
この時間が、何よりも大切な時間だった。
「―――もう、大丈夫。」
目の周りが自分でも腫れていることが分かる。しかしそれが心地よい程に気分が楽になった。
「もしよければ―――」
ミサは言った。
「私たちと、一緒に来ませんか。」
神門相談所。そこへ。
「―――くじけずに、前を見る、か。」
お母さんの言葉。自分で口にして決心する。
「―――もし、私が落ち込んでいたら、叱ってくれますか。」
それは、神門相談所へ行くという決意。
「―――はい。ケイも、ヨドヤさんも、ミカドさんも、あなたを待ってます。」
二人が話しているのと並行して、もう一つの区切りを迎える。
「―――と、言う事らしいですよ、タイガさん。」
病院の一室。会議室ともいえる場所を借りて、ケイ、ユウ、タイガに加えてヨドヤ、ミカドがそこにいた。皆が鏡―――ケイの鏡を見ていた。そこには通り魔事件の犯人であったオウカ、そしてミサが写っていた。
「―――ケイさんは何でもできるんですか。」
ユウはそう言った。今の鏡は一つのテレビであり、通信機であった。
「この鏡があるとき、という限定だけどね。」
軽い口で返しているが、表情は少し暗い。それもそのはず、あんな話を聞かされて暗くならない人はいない。この時のユウは暗い雰囲気から逃げたいが為に、ケイに一言言ったのである。
「私たちは、真実を、いえ理由を証明しました。タイガさんの望んだものです。では、この後はどうされますか。」
ケイが質問した内容に付け加える形で、ミカドは質問をする。
「―――まあ、オウカって子は結局居場所が欲しかっただけに過ぎないんだよ。そのために見て欲しかった、自分はこんなことができるから、私に居場所を下さいって。」
ケイが言った。それは、居場所が最初からあるユウ、提供するタイガに響く言葉。
もし―――ならば、ユウはこのオウカと同じ目、いやこれより酷い目に遭っていたかもしれない可能性。それは決してゼロではない。
「だからこそ―――親がしっかりと見ておかなくてはならない。その親がしっかりしなければならない。」
そう言いつつ、ミカドはタイガを見る。しかしケイ、ヨドヤはミカドの表情に一点の曇りがあったのには気づく。
「―――理由は分かった。だけど―――」
「お父さん。」
タイガの話に割り込むユウ。
「―――許してあげて欲しい。」
弱い声でユウはそう言った。
「私は襲われてないし、襲われたのはお父さんだから、こんなことは軽々しく言っちゃ駄目だと思うけど―――」
それは、ただの娘の我儘。
「許してあげたい。オウカさんを、前に進ませたい。」
その一言は、彼女の知らないところで運命を変えていた。
「―――前に進ませたい、か。」
同じ思いをしている子はこの国で何人いるだろうか。オウカは助かった一人だが、助からなかった子もいるだろう。
オウカは確かに人を襲った。しかし今、改めて歩き出すその機会を、潰してしまうのか。不幸な子の中でも、幸運な今を迎えたのに。
タイガは、唸る。悩む。許すべきだが、襲われた手前、全てを許すわけには―――
「―――私は、この子を許しはしない。」
そう言った。
「―――もし、この期待を裏切ったのなら、な。」
「―――そうですか。」
ミカドはその答えを受け止めた。
「気を取り直して、それでは今回の依頼の料金といきましょうか。」
雰囲気をぶち壊すミカド。全員呆れる。
「今回の依頼料二十万から―――」
多額に見えるが、ケイやヨドヤから見れば超安価である。というかケイにとってはまた命に危険が及ぶ仕事を、超安値でやっていることになる。
「雑費加えて、入院費引いて、その他諸々引いて―――」
そしてこの金額になった。
「マイナス二十万円になります。」
「―――二十万だと。」
反応するタイガ。領収書をユウに渡す。
「あれ、これって―――」
「マイナスだ。依頼料から入院費が引かれてる時点でおかしいだろ。」
ヨドヤが言った。この場合の正の数は支払い。では負の数は、
「二十万、貰えるんですか。」
ユウは理解が早かった。対してタイガは理解できていない。
「今回、事件を起こしたのは『神門相談所の所員』だ。そうなっては全部の責任を取らなくてはならない。」
ヨドヤは礼儀正しく言った。この時点で、最高責任者である所長のミカド、副所長のヨドヤが引き入れることを認めていた。
「まあ、この二十万はここにいる私、ヨドヤ、ケイ、ここにはいないがミサは払う気は無いがね。」
「じゃあ、誰が―――」
払うのは一人しかいない。
「これは全部、オウカっていう新入所員にツケだ!」
「えっと、オウカってどうやって書くんですか。」
ミサは、今後必要になるだろう、電話番号と今の住所、そして名前を聞いていた。
「中央の央に、花びらの花、です。」
「―――いい名前ですね。」
微笑んで、そう言ってくれた。
「―――はい。お母さんから貰った、大切な名前です。みんなの中心に立って、花の様に綺麗にいて欲しい、って。」
みんなに見てもらう、なんて今も昔も、一度もできていない。
「みんなに見てもらう、ですか。」
そう言ってから、ミサは少し考えてこう言った。
「―――人は、自分を写す鏡だ。」
「―――えっ。」
いきなり言われたその言葉に、心が揺れる。
「自分が『楽しい』表情をしたら、向かい合った人も『楽しい』って思う。逆に『悲しい』なら、向かい合った人も『悲しい』って。」
そういえば、自分は彼女に対して『悲しい』話と『悲しい』表情ばかりしていた。
「今の自分が分からないなら、向かい合ってくれる人を探して、向かい合ってみる。そしたら、自分が分かるようになる。」
今まで向き合ってくれる人は、亡くなったおばあちゃん、一緒に遊んでいたただ一人の友達。そして今は、彼女がいる。未来にはミカド、そしてアイツもいるだろう。
「―――この言葉は、昔の私を大きく変えました。自分が分からないのは、向き合うことから逃げていたんだって。」
その為に前を向く。前を向かないと、向き合えないから。
「―――私は、いつでもあなたと向き合います。」
その眼差しは、どこか自分と似たようで、過去のどの自分よりも輝いていた。
「―――一度、マンションに帰ります。」
今はまだ午前十時過ぎ。一応は神門相談所の営業時間である。そのまま行っても良かったが、何しろ持ち物が少なすぎる。
「帰り道、分かりますか―――」
急に着信音が鳴る。ミサの電話からだ。
すみません、と言いながら電話に出る。
「―――。」
ミサは、少し会話をしてから、スマートフォンの画面を触る。
「ああ、もしもし聞こえるかい?新入り。」
それは聞き覚えのある―――アイツだ。
「―――何ですか、先輩。」
「良い返事をありがとう。」
嫌味を丁寧な嫌味で返してくる。
「負けたことを腑に落ちないように思ってそうだが、そのトリックは次会った時に話す。重要な問題はここからだ。」
それほど重要な問題があっただろうか。
「―――お前、家に帰れる?」
そんなことだった。
「スマホあるから余裕です。」
「そう、それが重要な問題なんだよなぁ、馬鹿。」
スマートフォンに問題がある?そんないきなり壊れたり―――
「―――あっ。」
察した。これは拙い。
「お前、全身からかなりの量の電撃を出したよな。」
ここでミサも何となく気付く。
戦っている間、スマートフォンはポケットの中。そして電撃を出せばどうなるのか。
ポケットから取り出す。真っ黒な液晶が見える。
電源を入れる。真っ黒な液晶が周りの景色を反射する。
電源を長押しする。真っ黒な液晶から一つも色が変わらない。
「―――やらかした。あーあ、やらかした。」
自分の慌てる姿が手に取るかのように分かっているのか、アイツは煽る。
電気で破壊したとなれば、中のメモリー何とかは、もう―――
「―――帰り方を、教えてください。」
「うむ、よろしい。」
後日の話になる。神門相談所のオフィスにはいつも通りの四人が、いつもの席に座っていた。
「このことは警察に言わないのですか。」
ミサは言った。どうやらこの事件は秘匿にするようだ。
「俺たちが警察に報告すれば、逆にこっちが疑われるだけだからな。」
放火魔事件から、警察はここに目を付けているらしい。この情報は警察官の内通者情報だが信憑性は高い。
「ここが解体されたら、俺たちはどうなるのやら。」
その後、滅多に聞こえないドアをノックする音が鳴る。ミカドは招き入れる。
「―――オウカです。ここで働かせてください。」
通り魔事件弐はこれにて解決した。
その原因、動機は個人的な考えによるものだが、その内容から犯人は、話し合える人物であると断定。先日の放火魔事件の犯人と比べ、格段に冷静さがあり、狂気に振り回されている状態ではなかった。
依頼人ユウの依頼及び、被害者であるユウの父、タイガの要望である事件の真相にたどり着くことができ、この神門相談所に新たな能力者が加わることになった。
その後、被害者のタイガは検査の後、異常なしとされ退院。職場に復帰した。
ユウは、能力者による犯罪と、能力者の所在及び、今回の犯人であるオウカについて黙秘することを約束した。
話は、オウカの過去になる。疑問に思える部分があった為だ。
それは、落雷による火事についてである。
その日、豪雨が襲ったのは確かである。気象庁にそのデータは残っているし、新聞にもその日の天気情報は残っている。
しかし、落雷が起きたのはたった一か所のみであった。
被害は一軒家の全焼。犠牲者は一人のみ。これはオウカの過去と差異がある。この犠牲者一人は名前も明かされず、それだけの情報しかなかった。
オウカの話には嘘はなかった、と話を聞いていたミサは言っていた。こちらも会話は聞こえていたが嘘の情報は無かったと全員判断した。
つまり、瓦礫に埋もれた人身売買の買い手たちは、そこに最初から居なかったかのように姿を、いや死体が消えていたことになる。その際出るはずの血痕も警察は鑑定しなかった。また、その瓦礫はそのわずか二時間後には撤去され、平地となっていたらしい。
これについては、国家ぐるみの隠蔽の可能性があり、調査をする必要がある。
また、この事件は、尾を引いた状態での解決とする。
所員は能力者関係及び、人身売買関係の事件には十分な警戒及び、徹底的な解決をすることを念に置くべきである。
十一月十二日
ヨドヤ
主な登場人物
オウカ 能力「電気」を使う。義務教育を受けていないので、地理や英語、理科ができない。「おばあちゃん」に言葉遣いを習ったため、敬語は話せる。年齢16 身長165cm。
ケイ 能力「魔境」を使う軽いバランスブレイカー。テンションで言葉遣いが変わる。この能力を覚醒した時から、話術関係の本を読み始める。梅酒しか飲めない。年齢20 身長165cm。
ミカド 無能力。男勝りの性格。言葉遣いは若干粗目。場所や立場でしっかりする相談所所長。
悪乗りは得意。カクテル好き。年齢25 身長167cm。
ヨドヤ 無能力。強面だが良識ある男。言葉遣いはまとも。どこでも真面目。
酒に強い。年齢25 身長182cm。
ミサ ケイ曰くヤバい能力持ち。落ち着いたおっとり系。言葉遣いはまとも。
声が小さく、気が弱い。酒は飲まない。年齢21 身長149cm。
ユウ 無能力。父親にタイガを持つ一般家庭の高校生。クラスでは故意的に目立たなくしている。
この事件をきっかけに、理系に進もうとする。年齢16 身長150cm。