これは彼女達の話になる
小さな丸太小屋に着いたのはそれから5分後のことだった。
5分とひとえに言っても、この少女、傾斜角60度以上の絶壁をけろりと登ったり落石をするりと乗り越えたり腹を空かせた猛獣を軽くいなしたり…………と、常人にはとてもできない道筋を通ってのことだ。
オレならいくら時間をかけても辿り着けない自信があった。つーか時間よりコンティニューが欲しい。死に覚え必須。
丸太小屋に入り、少女は一目散に奥に向かった。
ベッドにはひとり。
年老いたヒトがいる。掛けられた布団には殆ど乱れがない。呼吸は小さく、微動だにしない。
ーーーー死んでいるようにすら思えた。
「師匠! 取ってきました、霊薬の残りです。これで良くなるんですよね? 元気になるんですよね!?」
「……アルム」
呟きが漏れる。布団から声が聞こえる。
この老人は生きている。モノに擬態して死神から隠れ潜んでいるようにみえるほどーーーー生気が感じられないけれど。
とはいえ、生きているとか死んでいるとか、誰だってそんなことをオレに言われたくもないだろう。自殺して今は純正100%モノだし。
「ありがとう。でも、それはお前が飲みなさい」
「えっ……?」
「その霊薬はすべての呪いを解く。お前に掛かった呪いをそれで解くといい。私の生命を気にする必要は、もうない」
「そんな。そんな……だからですか? 急にこんな薬を取ってくるように言いだしたのは。あなたが亡くなって、私がここからでれなくならないように。なんて……」
「…………その、剣はーーーー」
ベッドの老人が、少女の腰に掛かったオレを見やった。
そうして、ふっ、と弱々しく、しかし明確に、微笑んでみせた。
なにかを。察したのだ。このオレを見て。
ーーーーこいつは理解している。この状況を。オレにはまったくわからないこの状況を。
[おい、アンタ! なんでオレはこんなことになってる? アンタか? アンタが何かしたのか?]
「師匠……? この剣のヒトに何かされたのですか? そういえば昔、盗賊の魂をモノに移し替えたとか話されていましたっけ?」
「そうか、やはり、お前にだけは聞こえるようだ。その剣の声が」
「えっ」
異口同音にオレと少女は声を上げた。
ーーーー聞こえないのか。普通。オレの声って。
戸惑う少女に、老人が手を重ねた。愛おしげに柔らかく撫でてやった。何度も何度も。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう。アルム。お前がいて…………最後の最後で。ようやく、約束は果たせそうだ。
ーーーーああ、よかった。これでやっと……やっと、眠れる」
「眠るって……師匠?」
「ジャンゴ、サイラー、マリン、オウル。これで、すべて……」
少女が老人の肩を抱く。揺さぶりに老人はなにも答えない。
目蓋がゆっくりと閉じていく。瞳の奥から輪郭が抜けていく。
死んでいく。崖から落ちるような加速度で、浴槽の栓を抜くように。
「ぁーーーーイヤです! 師匠! 師匠死なないで! また魔法書とか、魔法薬とか見せてくださいよ! 今度は水魔法を教えてくれるんですよね!?
まだ教わってないことがたくさん、たくさんあって、あるのにっ…………ひとりにしないで! 師匠っーーーー!」
縋り付き、顔を埋める少女。
その頭を撫でるように、ずれ落ちた羽根つき帽子を直して、老人はささやく。
ーーーーこれもまた【星竜】のみちびき。
いきなさい。お前の望んだ道に。
私の、最後の希望。
その言葉とともに。
老人は風になった。
氷が溶けて水に帰るように。体は砂塵になって崩れていく。
肉片一つ、温もり一つ残さずに。
風に乗り、消えてなくなった。