●●●●(序)
「さて」
無事帝都の検問を越えた。
帝都を取り囲む防壁の向こうで【号竜】を止めた。
能天気な田舎娘ーーーーアルムには先に降りているよう言い聞かせ、姿が見えなくなってから、しけた臭いの安いタバコを吐き捨てた。
唾液と共に虚空に放り投げられたタバコは、不自然なほど急激に炎の勢いを強め、【号竜】の上に落ちようという頃には灰のひとつも残っていなかった。
【貴族様】が引きこもる小屋に入り、カーテンの奥で隠れる影を無造作に睨んだ。
「着きましたよ。これで俺の仕事は完遂。お前の騎士との最低限度の義理は果たした。ーーーーそうだな?」
「………………」
「どうした? あんなに早く帝都に逃げ果せたかったんじゃあないか。貴様が抉った【獣魔人】の目玉を素材にカイルの鋳造をするのだろう?
工房はすぐ。追っ手の相手など、門番が死に物狂いでやればいい。先祖の代から世話してやってた連中だ。奴らの命など安いもの。そう思っていたんだろう?
思い通りの展開じゃないか。あざ笑え。死に物狂いでも歯牙をかけるに及ばなかった魔獣どもを。貴様の勝利は目前だ」
「……………」
汚らしい物言いに、カーテンの向こう側で絶句を続ける貴族様。
おかしなことだった。
貴族というのは天然水だ。ちなみにその水は源泉がしっかりと明記されている、地方の純度が高ければ高いほど地元に愛される。
その愛情は権威と呼ばれ、それに抱えすぎてヒトは傲慢というものに溺れていく。
ーーーーつまり、貴族というものは。
自分とそのルーツを貶されることがとても我慢できないタイプのモノ達だ。
自分の統治する土地の民を蔑まれれば怒り、先祖を笑うものの首は斬り捨てる。そういうタイプだ。
しかし目の前の男は、それを放棄していた。
貴族であるという究極にして絶対のアイデンティティをかなぐり捨てて、ただ震えている。カーテンひとつもなびかせられずに。
「…………いや、なるほど。呆れるな。呆れるほどに忠実で有能で従順な騎士を持ったんだな、サンメイル公。
貴様はともかく、貴様なんぞにさえこれだけの忠誠を返すアルバスクには甚だ感心するよ。心から尊敬する。
ーーーー貴様をこの場で引き裂いて、自由にしてやりたいと本気で願ってしまうほどな」
至って抑揚なくそう告げ、手刀で軽く空を切った。
薄いカーテンはばっさりと切り落とされ、白い壁には細い焼け焦げた線が入る。
ベッドの上で丸まっているヒトに手を伸ばし。
「っ、ぁぁぁあああああああああ!!」
絞り出した悲鳴。それが鼓膜を突き刺した。
突き出された水晶玉と、粗雑に貼り付けられた札が目に入る。
魔法文字で数節を重ねて走り書きされた魔法術札だ。
それは、水晶玉ーーーー【獣魔人】の魔力源である眼球から直接エネルギーを汲み上げ、示された現象を現出する。
周囲の空気を押し固め、火種を焚べ、一切を焼き尽くす。
水晶玉を突きつけられた鼻先は引きちぎられ、空気の流れに押し込まれて皮膚は破れ、骨を巻き込んで圧縮し、爆炎が赤く長い舌を伸ばし、頭をぱっくりと呑み込んだ。
血飛沫さえも蒸発する。首なしの焼死体が貴族様の前に倒れた。
貴族様は未だ震える指先で両腕を抱きしめ、【獣魔人】の眼球を自分の子どものように愛おしく撫でさすった。
そうして、そのまま停止した。
硬直した。石化した。凍結した。
電池が切れた玩具のように、異音ひとつあげることなく、眼差しひとつの奥に宿る愛おしげな感情ひとつ損なわず、その瞬間に時間が停止したかのようにーーーー。
とにかく、動きを止めた。
ほどなく、首なしの焼死体がむくりと立ち上がる。
ごきりごきりとわざろらしく肩を鳴らし、肺を膨らませる。体内に集まる空気に応じて、吹き飛んだ頭は原形を取り戻していく。
再生していく。今度は時間が巻き戻ったかのように。
「戯れに受けてやったが…………実にいい魔力密度だ。まさか、貴様程度の技量で、頭が一発で吹き飛ぶとは。
存外、アルバスクが見込んだ男だったということかもしれんな、サンメイル公。
………まぁ、喧嘩を売る相手を間違えた時点で論外だが」
硬直した貴族様が抱きしめた水晶玉を両腕を引き千切って奪い取り、踵を返した。
旅装束の影に水晶玉を滑り込ませ、ハコを後にしてようやく、新しくタバコを咥えて火をつける。
「よう、待たせたな、アルム。
ーーーーああ、貴族様か? この後信頼できる血統の方々が迎えにきてくれるんだとよ。ほっとけほっとけ。切り替えろ。お楽しみはこれからだぞ」
行儀良く待っていたアルムに片手を振って、ジョンはその場を後にした。
ーーーーこの二週間後。
帝都の端でほのぼのと眠っている【号竜】のなか、腕が千切れたまま停止したサンメイル公が発見された。




