オレの話をしよう
どうしてこうなった…
ーーーー死んでみようと思った。
なぜかなんてどうでもよくて、どうしてなんてなんでもよくてーーーーああ、だからこそそんなことを考えたのかもな、なんてオレはぼんやりと思考にピリオドを打つ。
見かけたコンビニに立ち寄る手軽さでふらりと一番背の高いビルに登り、屋上に繋がる灰色の錆びついた重苦しいドアをこじ開ける。
ーーーーこの街には、凹凸がない。
ビルの屋上からは荒涼とした風景が見えていた。寒々しい空と凍りついた街並み。どこか時間が止まっているようにさえ思える。
もっとも今から死のうとするヤツの目には、大抵のものはそうとしか映らないものなのかもしれないが。
この街は更地だ。この国は病んでいる。この星は死んでいる。
「ーーーーほう。何故、お前はそう思う?」
ぎょろりと目玉を動かす。
ーーーー日本人形だ。反射的にそう思った。
それだけ小さく、整っている。小さな和装の女の子。この際、それが本当に人形なのか生き物なのか、オレにとって重要ではなかった。
体いっぱいに吹き荒ぶ風を浴びる。渇いている。涙さえ吸い込む砂のような風だった。全てに灰色のフィルタをかけているような味気ない空気だった。
オレの体がぐらりと揺れる。風が強すぎる。左右に振れ暴れ、なかなか前へと進めない。
「…………なるほどのー。いやまったく、ジジイでももう少し濡れていように。こんな死色に染まった魂が輪廻に戻ったところでな。腐食が移るわ」
ふいに、がくりと腰が砕けた。足を踏み外したのか、風に流されたのかなどはどうでもよかった。確実な死の前に足が震えていないのならば上等だ。
「どれ」
屈んだ体に、なにかが覆いかぶさった。確認しようとオレは振り向く。
日本人形だ。
オレの首をねじ切るかのように顔を向けさせ。
離せと無理に引き剥がす筋力も気力もないことをいいことに。
半開きになっていたオレの口を唇で塞いだ。
感情を表に出す力もない。しかし溶けた鉛を流し込まれたような愚鈍な思考に風穴が空いた。
抉られている。オレの脳みそが。
ねじ込まれた日本人形の舌先に舐られ、溶かされ、切り取られる。
「はぁん。揺れんものだ。これでは弄り甲斐もなーーーーいやまて。なるほど。そういう素材はとんといなかったな。
ふぅん…………なるほどのー。そううプレイか。オツかもしれんな?」
日本人形の舌がオレの口から抜かれた。唾液がねっとりと滴るそれで上唇をなぞり、日本人形は目を細めた。
その唇の隙間から覗く舌先はーーーー。
翠色のなにかを、絡め取っていた。
「燃すのは後だ、小童。ーーーーこれより先、貴様は遊戯の駒となる。そう、これは純然なゲーム。
貴様の生命は我が秤に預けられた。代償は貴様の魂。その肉体は抵当となる。貴様は魂を拠り所に、秤にかけた生命を傾けろ。
そして勝利の暁には、貴様に再び、生命の重みを与えよう」
「な、に…………?」
ようやく単語が歯の隙間から溢れた頃には、オレは日本人形に突き飛ばされていた。
オレよりもはるかに小さいはずの日本人形はブルドーザーのような強靭さでオレの体を押し込む。まるで壁だ。濁流だ。
そして、日本人形はオレの視界を小さな手のひらですっぽりと覆い隠した。
「ーーーーああ、自己紹介がまだであったな。我を知らぬも存分に不敬であるが、貴様の言う通りこの星は死んでいる。死した者共に敬意を持てというのも酷。許すとしよう。
私は女神だ。生と死を司る裁定者。審判の神。さぁーーーー貴様の生き様を証明してみせろ」
みしり。耳元で何かが軋む。
徐々に体が凍りついていくのがわかった。元々満足に自由の効く体ではない。
しかし筋肉が根幹から切り離されていき、感覚は死んでいく。その手応えがなくなっていく手応えは確かにあった。
意識が日本人形の手のひらにとけていく。目と手の間の暗闇になる。
恐ろしく冷たい。
しかし加速度的にその実感さえも消えていく。
感覚は記憶になり、記憶は映像になり、オレはやがて映写室の中、1人で閉じこもる。
ひとりきりという漠然さ。
ひとりきりの暗闇。
ああーーーーこれが、本当に。
死ぬっていうことか