ココア味の苛立ち
若干苛立ちながら部屋を出る。そんな私を急かすかのようにもう一度チャイムが鳴った。
ドアチェーンを掛けたままドアを僅かに開ける。
「あ、こんちは。隣に越してきたモンですけど」
そういえば、昨日はやけに隣がうるさかった。なるほど。引っ越していたのか。
隙間から見えたのはやけに身長が高い男だった。ガタイが良いワケではなく、体型は痩せ型の部類に入るんじゃないだろうか。男の手元を見ると、確かに菓子折りだと思われる白い箱がある。
「はじめまして。名浜です。すみません、今は親がいないんです」
ドアを開けて私はそう言った。よく笑顔が引き攣らなかったものだ。自分で自分を褒めたい。
と、言うのも男があまりにも常識外れな風体をしていたからだ。
ダルダルのスウェットに朝から剃ってないと思われる髭。髪にはあちらこちらに寝癖がはねている。歳は30代後半くらいか?
隣に挨拶する時にお洒落しろ、なんてことは言わない。ただ限度があるだろう。
「あ、やっぱり。主婦っぽい人がさっき出ていくのが見えたからちょっと期待してたんだけど当たったわ」
男は無表情なままそう言った。死んだ魚のような瞳に訝しげな表情の私が写っている。
その言葉の内容に身の危険を感じて、すぐに部屋に逃げ込めるように右足を僅かに後ろに引いた。
「いやあ、大人と話すの苦手なんだよな。あ、これつまらねえモンだけど受け取って」
行き場を失った右足をそっと元に戻してから私は息を多めに吸い込んだ。
「え?」
今まで生きてきた中で一番嫌味ったらしい響きになったんじゃないだろうか。
「あー、これは焼き菓子。親御さんに渡してくれよ。じゃな」
そんな私を無視したのか。もしくは本気でそんな受け答えをしたのか。男は菓子折りを押しつけて背を向けた。すぐ後に隣のドアが閉まる音がした。
ああ、面倒な隣人になってしまった。
以前に住んでいた美人なOLを思い出す。あの人の方が良かった、と溜め息を吐いて私もドアを閉めた。
「大人が苦手って……」
大の大人が何を言っているんだろう。本当に碌でもない人だ。
乱暴に包み紙を剥がして箱を開ける。この苛立ちをどうにかしたくて、ココア風味のクッキーを口の中へと運ぶ。
美味しくて、更に腹が立った。