第02話 私は・・・・?
第02話 前略。母上、私も貴女の元に・・・
ビュォーーーーーーーーーーーーーー
風の音が聞こえる。
まるで、台風を思い浮かべられる様な激しくキツイ風の音が聞こえる。
今、私は何処にいるのだろうか。
・・・・?
思い出せない。
さっきまで私は・・・・・・・・・・・・・何をしていた・・・・・・・・・・・・・?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・。
ここは何処だ?
辺りを見回したいのだが・・・・何故か・・・・・体全体がその場に縫い付けられたかの様に動かない。指先一本動かない。辛うじて、今いる場所が真っ暗闇の中だという事しかわからない。
私は・・・・・・・・・・?
・・・・・・・・。
・・・・・。
どれくらいの時間が経っただろうか。
先程まで聞こえていた風の音も静まり、代わりにキリギリスやウマオイ、鈴虫等の虫の音が聞こえてくる。
きりきりっ りーん、りーん じゅっちょん きりきり ころころっ.............
ああ。
長い間忘れていた・・・・。
虫の音が・・・・こんなにも心安らぐとは・・・・・・・・。
ここが何処で・・・・私が・・・・誰で・・・・何故、ここにいるのかも忘れてしまいそうな程、ゆったりとした時間が流れていくのが分かる。
・・・・・・・ああ・・・・・・。
・・・・どれくらいそうやっていただろうか。
少しずつ・・・・少しずつ・・・・・私が・・・・・誰だったのか、思い出してきた・・・。
私の名前は・・・・・・・・・。
・・・・・忘れた。
思い出したくない為に、「忘れた」と思い込んでいる訳ではなく、本当に私が誰であったのか・・・・思い出せない。
名前は思い出せないが、どういう存在だったのかは思い出した。
正直。名前よりも『どういった存在だったか』の方を忘れたかった。
私は何の取柄もなく、話術も人付き合いも出来ず、野望も野心も夢も希望もない、たた生きているだけの存在.....いや、生きているというよりも人に生かされているという状態だった。
家族構成は父一人と私と年の離れた弟が一人の男三人暮らし。
母は私が二十歳になる頃、買い物先で脳梗塞を起こし病院に救急搬送されたが、手術の甲斐なく遠い世界に旅立った。
母がいなくなった後、私達三人身を寄せ合い共に苦労を分かち合い、より一層家族の絆を大切にして頑張ってきた。
私が二十五を迎える頃、弟は仕事の為、海外へと長期転勤した。
日本の家には私と父の二人だけになったけど、頑張って生きた。
私が三十の時、環境性アレルギー型過敏症(音や臭いに敏感になり過ぎて日常を送れなくなる病)と呼ばれるアレルギーの一種に係り、それまで続けていた仕事を辞めなくてはならなくなり、ヒキコモリとなった。
ヒキコモリに転職した私と違い、弟は海外で成功し、向こうの会社の支社を任される程に出世し、向こうで出来た嫁と仲良く暮らしている。
三十から月一で近くの大病院に通い、肉体の過敏になった部分....聴覚や視神経、触覚などの治療の為通い出した。病院代はこれまでに貯めた私の貯蓄を少しずつ消費。
でも、元々それ程多くの貯蓄を得られた訳でなかった為、そんな生活も三十三を少し超えた辺りで、貯蓄が尽き、父の年金を貪るスネカジリと化した。
その甲斐もあって、三十五を迎える頃には聴覚系音過敏症はなんとか日常が送れるレベル迄回復した。
が、触覚性や味覚等の他の感覚過敏は治らず。父の年金に頼らなくてはならない、私は私自身がとても情けなくて何度も死のうとした。
死のうとする度、父に自殺を思いとどまる様に懇願された。
私が三十八を迎える少し前、私自身に転機が訪れた。
医学の進歩は素晴らしく、環境性アレルギー型過敏症に効果を得られるという治療方法が発表された。
発表されたのが私と父が住む自宅のある街の隣街にある国立医科大病院という事で直ぐ様、主治医から紹介状を書いて貰い、地獄の苦しみに耐えながら国立医科大病院に診療を受けに行った。
様々な検査と問診等から私にあった治療方法が紹介され、週一の治療でゆっくりとだが確実に回復の方向へと向かっていく事が出来る様になった。
四十の誕生日を迎えるまであと少し....
治療の甲斐あって身体は元に戻り始めているが.....四十近い私を雇ってくれる仕事はなかった。
治療費は去年から国の特定疾患による保険が適用される事になり、九割軽減一割自己負担になった。
が....一割負担とはいえ、一回一回の診療代および治療代、薬代は未だ数千円に及んだ。
父のなけなしの年金を私の病院代に貰っている為、細々とした生活を送る毎日となっていた。
四十の誕生日当日。
仕事のえり好みをせず、何でもござれでハロワに紹介して貰った所、そこそこの好条件の仕事を回して貰う事が出来た。
そして今日、私は新たな会社勤め一日目を迎える事になり、会社へと続く道.....大きな通りの両脇にある歩道を会社に向かって歩いていた。
仕事を頑張って給金を貰ったら、今までに迷惑を掛けた分を父に親孝行するぞ.......って思いながら歩いていた。
会社の玄関まであと数歩という時。
背中に衝撃と共に、激痛が走った。
何が起きたか解らないが.....私の身体が宙に浮く感触の数秒後。
何処かに叩きつけられる様な感触の後.......私の意識は途絶えた........。
それから、体感時間にして数分後。
現在に至る。