無慈悲な侵略に震えろ
ヴェルムートは絶句した。魔王城外観に広がる爽やかな香りにめまいがする。
ふらつく背中をジャンヌが支えた。何ぞこれ。呟きは口内にとどめて、現実の直視を試みる。
事の始まりは、再び届いた吸血鬼からの手紙である。
留守番を任せた兵が、三人ともやられた。そしてその手には手紙。デジャヴ。
ジャンヌが調べても何の呪いもかかっていない。だが、不幸の手紙に違いない。
開けて読んで、今度からは燃やそうと心に誓う。その手紙の内容をまとめると、こうだ。
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拝啓 魔王ヴェルムート様
暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか。
我々無神教におきましては、先の襲撃への怨恨が根深く残っております。
だから、魔王様。覚悟はお済みですね。
お城の外観に、涼しげな緑が足りないと思いませんか?
僭越ながら、再び緑を贈らせて頂きます。外観をご覧下さい。
敬具 無神教教祖シューニャ
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またかよ! 悲鳴に似た怒号を噛み殺し、慌てて外に出れば、これだ。
暴力的なまでの群生する緑と、清涼感溢れる爽やかな香り。
薄荷だ。
「良い香り」
嬉しそうなジャンヌの声が聞こえる。確かに、好ましく感じる者からすれば良い香りなのだろう。
だがヴェルムート的には御免蒙りたい香りである。刺激的なので昔から苦手なのだ。
「俺はこの香り無理だわ。抜いても良いだろ?」
「良いけど、どくだみの時と似た状況だね」
そうだ。この状況もどくだみの時と似ている。と、言うことはだ。
素早くぶちぶちと薄荷を抜いてみる。すぐ生えた。ぽんっと。ぽんっと!
「やっぱりか――!!」
弾ける薄荷の香りの中で絶叫する。これはどんな呪いだ。
俺が何をした、と叫びだしそうになったが、心当たりが多過ぎたので口を閉じる。
「くっそ、やっぱり生えやがる」
めげずに再度、薄荷と向き合う。ぶちぶちと、先ほどより丁寧に摘んでいると、
哄笑。
手が止まる。声が聞こえたのは、背後。そう、背後だ。自分のすぐ後ろ、手の届くところに、奴が。
「無慈悲な侵略に震えろ!」
吸血鬼からの宣戦布告を認識。振り返りながら拳を握る。その顔面に、拳を。
その勢いを展開された転送魔法陣が殺す。まばたきひとつで吸血鬼は消えた。侮蔑の笑みを残して。
舌打ちひとつ。
「どうしたの?」
ジャンヌの声がする。彼女は前回も今回も、吸血鬼とのやり取りを認識していない。
自分の被害妄想なのだろうか。くしゃりと髪を掻き回せば、手についた薄荷の香りが漂った。助けてくれ。
だが自分とは対照的に、自力で抜いた薄荷の束を抱えたジャンヌは笑顔だ。
「お菓子作りがはかどるよ!」
お菓子。そうだ、この草は食用だった。この前のどくだみは苦くて、消費するのに苦労したのだが、その恐怖再びなのか。
「料理には入れるなよ」
「えー」
すかさず釘を刺せば、ジャンヌが抗議の声を上げた。
何でこんなことを言ったかといえば、以前、レティシアが作ってくれた料理で、ラムチョップローストに薄荷ソースをかけたものがあったのを思い出したからだ。
ソースがどうしても食べられず、肉だけ食べたのを覚えている。それから二度と、彼女がこの料理を作ることはなかった。
あの時きちんと食べていれば良かっただなんて、今さら思っても遅いというのに。
「えーじゃない。俺、薄荷苦手なんだよ」
「そうなの? ソースにして、ラムチョップローストにかけると美味しいんだけどなあ」
絶句する。心でも読まれたかとも思う。だが、そんな術式はこの世界に存在しない。偶然だ。ただの。
「……どうしたの? 凄い顔してる」
「あ、いや、何でもない」
困惑をごまかすように、頭をひと振り。
「じゃあ、試しに食ってみたいな。今度その料理作ってくれよ」
恐らく、あの時食べられなかった味と、同じ味がするのだろう。
何も知らないジャンヌは、分かった、と満面の笑みを浮かべた。