そして新たな戦争の扉を
シューニャは感動した。魔王の腹心からの手紙が届いたからだ。
魔王はアホだが腹心もアホかもしれない。あの植物テロに対して御礼状をくれたのだから。
だが、美味しく頂きました、ありがとうございます。だなんて丁寧に書かれていた上、各薬草を使ったレシピまで添えられている。
アホでもいい。あの娘はいい子だ。
シューニャは己の単純さに自嘲しながら、これは返事を出さねばなるまい、と心に誓う。
魔王に愛想が尽きたら、無神教へおいでという勧誘も兼ねて。
早速筆を執ると、
「ご機嫌ですが、どうされました?」
セレネイドが、シューニャと手紙を交互に見て声をかけてきた。その声はいつにも増して固い。
前回同様、何か攻撃をされるのではないかと警戒しているため、気を張ったままのようだ。
「ああ。この前撒いた植物、魔王に対して効果が抜群だったようだぞ」
それはそうだろうとシューニャはほくそ笑む。あのイラクサは、相当毒素が強く改良されていた種類だ。
人が触っても『辛うじて』死なない程度の毒だと言えばお分かり頂けるだろうか。
スヴァルナ遺跡にあった、読めた数少ない資料曰く。
イラクサの毒は、どんな治療を施しても三十年程度残る。
古代の治療がどのようなものだったかは分からないが、まあ、ずっと痛いのだろう。
魔王の武器は拳だ。イラクサをがっつり掴んだため、トゲががっつり刺さっただろう。
しばらくは戦えないね、かわいそうに。
「素手で抜こうとしたせいで、しばらくは拳が握れないそうだ」
「いつにも増して邪悪ですね」
「殺さないだけマシだろう? 俺はそこそこ寛大なんだ」
セレネイドはその言葉を聞いて、顎に手を当てた。
「何故、殺さないのです? 貴方は魔王を斃せるはずだ」
その問いに苦笑する。理由はいくらでもあるが、一番簡単なのは、
「俺、魔王になんかなりたくないもの」
これは単なるエゴだ。
魔王を斃した者が魔王になる。それが分かっているのに、斃しに行くわけがない。
まだ死ぬわけにも、誰かに斃される理由を作るわけにもいかない。
そんなの、勇者に任せておけばいいのだ。
吸血の方法によっては、魔王に変じる呪いだけを吸うことも可能だが、そんなことをする義理もない。
「俺はまだ生きなくちゃいけない。まだまだ、死ぬわけにはいかないんだ」
無神教には、隠された教義がある。
長命種の信者にしか教えない、その教義は、
「いつかまた、会うために」
長生きさえすれば、亡くした人の生まれ変わりに、もう一度会える。
命は巡るのだ。何度も何度も。
シューニャにはどうしても、もう一度会いたい人が二人居る。
そして、二人に会えたら、どんな手を使ってでも幸せにしてやろうと決めているのだ。
「そう、ですか」
納得していないような顔で、セレネイドが頷く。
別に納得されなくてもいい。相手がどんなに憎かろうと、苦しませるくらいで丁度いいのだ。ショック死したらそれはそれで仕方ない。寿命だったと諦めて貰おう。
ユーリが蹴破り、そして蹴破った本人の手で修復された扉が、控えめにノックされた。
「どうぞ」
「お邪魔するわね」
入ってきたのはクニーガだった。手には、一通の手紙。
「部屋の前に落ちていたの。十中八九、魔王からでしょうね」
セレネイドが受け取る。開封しますか、と目配せされたので、頼む、と返す。
封筒からするりと取り出された便箋。一瞥して、セレネイドの表情が曇った。
「これは……」
そしてそのまま、固まってしまう。
以前手紙を書くのに苦労した際、クニーガに頼んで、各機身兵に各国の現代語の書き方を教え込んでもらったのだ。セレネイドが読めないわけがない。
微動だにしないセレネイドに焦れて、クニーガも便箋を覗き見たが、渋い顔をした。
「文字に対する冒涜だわ……」
「痛む手で、無理をして書いたようです」
幼児でも書かないだろう、酷い文字のようだ。代筆でないところを見ると、独断行動なのだろう。
腹心に叱られればいいのに。そう思いながらシューニャは命じた。
「読めるところだけでいい、読んでくれ」
「無茶を仰る……」
目頭をおさえて、セレネイドが呻く。
だが、忠実なる機身兵は、きちんと読める部分を読み上げた。
「キノコ」
一言。
「キノコ?」
「キノコです」
「キノコよ」
クニーガも頷く。
間違いなくこの展開は、キノコが生える前振りだが――
ぽん。ぽぽぽぽん。
「……」
シューニャは硬直した。愛用の机は木製だし、確かにとても古いが、こう唐突にキノコが生えるとなると、硬直するしかあるまい。
ウサギの尻のような、白くてふわふわしたキノコ。可愛らしいといえば可愛らしいが。
「ヤマブシタケ……」
クニーガがキノコの名前をぽつりと呟き、そして合点がいったように指摘する。
「気を付けて。このキノコ、木材を腐らせるの」
「っ!? 魔王め、そう来たか!」
砦は大半が石材で出来ている。だが、要所要所で木材も使用している。
今まで信者に対する攻撃だったが、建物に対する攻撃に変化した、というわけだ。
「セレネイド、伝達せよ! 白くてふわふわなキノコは見つけ次第収穫するように!」
「お吸物にすると美味しいわよ」
「収穫したら厨房へ運べ! 吸物を作るぞ! 以上だ!」
「承知しました」
す、と一礼してセレネイドが部屋を飛び出していく。
その背を見送って、クニーガが肩をすくめた。
「今代の魔王は懲りない男ね」
「ああ、そうだね……」
ぷちり、机のキノコを収穫しながら、シューニャは震える声で呟く。
「三回で終わらせてやろうと思ったのに。あいつ本気でアホだよ」
ぷちり、ぷちり、ぽんっ。収穫しても再び生えてくる、キノコ。
それを機械的に収穫し続けながら、くつくつとシューニャは笑った。
「先に手を出してきたのは、お前なんだからな」
建物を破壊し、駆除が困難で、かつ食用にもなる植物なら、心当たりがある。
かわいそうかなと思い、植えないでおいてやったのだが。
「お前がその気なら、俺にだって考えがあるんだよ? 新米魔王サマ」
シューニャが顔を上げると、目があったクニーガが怯んで一歩下がる。
ああ、今どんな顔をしているのだろうか。笑顔には違いないだろうが。
「ねえクニーガ。タケノコってどうすれば効率よく増えるかな?」
キノコタケノコ戦争、勃発の瞬間であった。