緑の海に沈むがいい
ヴェルムートは嘆息した。かの邪智暴虐の吸血鬼からの手紙が、目の前にひらりと舞い降りたからだ。
二度あることは三度ある。今やっと、魔王城内外の薄荷の駆除が完了したというのに!
「あ、お手紙だ」
薄荷の束を抱えて、ジャンヌが呟く。
「また教祖さんからかな?」
「間違いなく、そうだろうよ」
ヴェルムートは恐る恐る手紙に近づいた。きゅいん、と小さな音。
「呪われてないから安心して」
背後からジャンヌの声がした。今の音は手紙が呪われているかどうか確認したものだったのだろう。
呪われていないが、間違いなく呪いの手紙だ。
「読みが外れたなあ。手伝ってたの、精霊じゃなかったみたい」
魔具の手助けでもないなんて、どんな手を使ってるんだろうなあ。
背中にぶつかる不思議そうなジャンヌの声に、ヴェルムートは、はたと気づく。
対策を取られてないか、と。
ジャンヌが作って、裏切り者の処刑に使った、魔具と精霊に大ダメージを与える音を放つ石。
十個くらい魔王城にばら撒いたのだが、そのうちの一個を拾って、鬼に送り付けたのだ。
もちろん独断である。ジャンヌはそれを知らない。
自分達の耳には、その音が聞こえない。何らかの対策をとられていても、こちらからは分からないのだ。
ジャンヌには言えない。石を作るのに苦労していたようだから、泣かれるかもしれない。怒られるかも。出ていかれたら困る。
ヴェルムートは、このことを墓まで持って行くことに決めて、落ちている手紙と向き合った。
「……」
そっと手に取る。開けようとして、逡巡。
これを開けてしまえば、また魔王城は緑に覆われるのだろう。それは避けたい。絶対に、絶対にだ。
白い封筒。真紅の封蝋。中の文字は読みやすく、慇懃無礼の髄を極めたものだろう。読んでしまえば、何らかの術式が作動する――
くしゃりと、手紙を握りつぶす。このまま焼いてしまえば、何も起こらないのではないか。そう思った時だった。
発芽。
「何ッ!?」
「わあ!」
手紙を開封していないのにも関わらず、一斉に、植物の芽がまばらに生えてきた。臭いがしないだけ、今回はマシかもしれない。
「今度は何だよ!」
「ちょっと調べてみるね」
ジャンヌの声が頼もしい。魔導書か何かを召喚したのだろう、重めの本を受け取るような音が聞こえる。
ヴェルムートは考える。手紙の開封が発芽条件ではないのか。では何故、今ここで発芽したのだろう。
歌が聞こえる。
掠れた低い声、楽しそうに、誰かが歌っている。
魔王を嗤いながら!
声の主を探す。視線を上に向ければ、そいつは居た。
屋上だ!
「そこか!」
翼に力を込める。開き、飛翔。
数秒後には、ヴェルムートは屋上を見下ろす位置に居た。
見下ろす視線の先に、諸悪の根源が、血を喰らう鬼が居る。歌いながら、踊りながら、この災厄を撒き散らしている!
目が合う。そして、鬼は高らかに言い放った。
「緑の海に沈むがいい!」
今日こそは逃さない! 急降下から勢いのままに殴りつけるが、踊るようなバックステップで回避される。
「ばーか!」
心底馬鹿にした声音で嗤われる。連撃を喰らわせようとした拳が、展開した魔法陣を殴りつけた。
鬼の姿が掻き消える。まただ、また逃げられた。
「くそッ」
舌打ちひとつで気持ちを切り替え、再び翼を広げた。魔王城の入口まで飛翔する。
「お帰りー。いきなりどうしたの?」
ジャンヌが、魔導書片手に首を傾げる。
「……何でもない」
実際は何でもないわけがないのだが、説明したくなかった。負けたなんて言いたくない。
「で、これ、何の草だ」
「大きくならないと分かんないや」
即答。
「今度は何が生えるかな?」
ああ、我が右腕は楽天的だ。うきうきとしたジャンヌにため息ひとつ。
何だかんだ言って、ジャンヌはこの状況を楽しんでいる。喜んでるから、いいか。再び、そんな気分になった。
ヴェルムートが魔王になってからずっと、彼女は暗い顔をしていた。冷静に考えれば、当然のことだ。
理由は分からないが、逃げもせずについて来てくれた彼女だ。少しでも笑っていて欲しい。
レティシアに良く似た笑顔で。
「処分方法は任せるわ。俺は駆除担当な」
「はーい」
みるみるうちに育っていく謎の草。ヴェルムートは前回、前々回に引き続き、引っこ抜こうとむんずと掴んで、
激痛。
「いってえ!!」
「あれ、トゲがあるの?」
返事が出来ない。痛い、掌が痛い。何ぞこれ。握れない。武器なのに。拳が。
息を吸う。吐く。吸って、
「何ぞこれマジで痛ェ!!」
絶叫。
「ああ、これイラクサだよ! トゲが痛いやつ」
「痛ェこれ何ぞこれ助けてこれ手ェ熱いごめんなさい! ごめんなさい!!」
痛みがどんどんレベルアップしていく。時間経過で悪化する毒のようだ。
「大丈夫だよ、人を殺すレベルのイラクサじゃなさそうだし」
「あばばばばばばばば!!」
あまりの痛みに転がりだすが、ジャンヌは気にせず魔導書のページをめくる。
「おひたしにしても美味しそうだなあ」
「助けてマジで助けて痛いんだって解毒頼むってジャンヌ聞いて」
「あっ、これ干したらお茶になる!」
転がった先にも育った草。触る、刺さる、痛みが増える!
「ジャンヌうううううううううう!!」
「騒がないの。魔王でしょ」
痛みで埋め尽くされる意識の中、ヴェルムートは、吸血鬼の哄笑を聞いた気がした。