9. 秋の日、もしくはルヴィーの機転(上)
今回も、2話に区切らせて頂きました。
ソファーに長い足を投げ出して、寝転びながら読書に勤しんでいたウィードの元に、ジャスリンが彼の黒マントを片手に姿を表した。有無を言う間もなく、ジャスリンにマントを着せらかけられたウィードは、そのまま手を掴まれ、庭へと引っ張り出された。ジャスリンは意気揚々と栗の木立の方へと歩いて行く。
「また栗拾いか?」
「違います」
「?」
赤や黄色に色付いた葉が、あちこちではらはらと舞っている。庭の木々も随分落葉した。冬将軍の訪れも、もう間近であろう。そういえば、ジャスリンの冬物のマントをまだ作らせていなかったなとウィードは気付く。ハレンガルの冬は、厳しい。冬物の暖かい衣装なども、早々に作ってやらなければいけないなと、斜め前を歩く魔女の後ろ姿を目で追いながら、ウィードは考えた。
ぽこっという音と共に、魔女が奇怪な悲鳴を上げた。どうやら頭にイガが落ちて来たらしい。
「いっ....」
咄嗟に言葉が出ない程痛かったらしい。涙を浮かべながら両手で頭のてっぺんを押さえている。
「痛い...です....」
「ああ、痛そうだな」
ウィードの非情な言葉。
「きっ、危険です...栗のイガ..恐るべし.....」
「お前がトロいだけだろう」
「うぅ〜...ウィードは、今日も意地悪モード全開ですぅ〜」
ウィードは、ふっと微笑する。
「他人の不幸は蜜の味だぜ、何せ魔族だからな」
「ひょえっ、悪魔」
ジャスリンが頭を押さえたまま、きゃんきゃん怒り出す。ああ〜うるさい奴だと一言ぼやき、ウィードは手を伸ばしてジャスリンの頭のてっぺんを一瞬で癒してやった。
「ぎゃあぎゃあ騒ぐ前に、自分でさっさと癒せばいいだろうが」
「あ....、そうか...」
ジャスリンはてへっと笑って、舌をぺろりと出した。今日も魔女はおとぼけモード全開だなと、ウィードは内心思った。
「ウィード様ぁー!」
前方でルヴィーが手を振っていた。見れば焚き火を焚いている。
「お前、焚き火ごときで俺を呼んだのか?」
「違います」
ジャスリンは、ウィードの手を引きながら、あごをつんと上向かせて楽しそうに答える。何やら優越感にでも浸っているらしい。
「もう沢山焼けたよ、ジャスリン!」
「まあ本当っ!」
ジャスリンは、焚き火の側の地面を見下ろして嬉しそうにはしゃぐ。
ウィードもつられて見下ろすと、そこには焼き栗が沢山転がっていた。
「お前達、これの為に俺を呼んだのか?」
「「そうで〜すっ!」」
満面の笑みで答えるジャスリンとルヴィーに、軽いめまいを覚えながら、ウィードは小さな溜息をついた。ジャスリンは焚き火の傍らに敷布を広げると、その上に焼き栗をぽいぽいとほうった。ルヴィーもそれにならって栗をほうる。
「あちちっ!熱いです」
「だって焼きたてだもん!
「さあウィード、座って下さい、ルヴィーも」
そう言うジャスリンは、既に上機嫌で座っている。
内心、やれやれと思いつつ、取りあえずウィードも敷布の上に座った。
「さっ、食べましょ」
「俺は要らんぞ」
「どうしてですか?美味しいのにぃ」
「そうですよ、美味しいですよ、ウィード様」
そんな2人を一瞥すると、ウィードはごろりと俯せに寝転がり、手にしていた本を開いて読書を続行する。
「食わず嫌いですね?」
「栗の味くらい知ってる」
何ともウィードは素っ気ない。まあ、毎度の事ではあるのだが......。ジャスリンはそんなウィードを横目で見ながら、栗の皮むきに勤しむ。
「はい、ウィード、あ〜ん」
ウィードの目の前に、綺麗に剥かれた栗があった。それをつまんで差し出しているのは、確かめる迄も無く、ジャスリンである。ウィードは眉間に皺を寄せ、静かに目を閉じる。
「何の真似だ、一体?」
「いいですから、あ〜んして下さい、ウィード」
ジャスリンは、栗をウィードの唇にくっ付けた。
「今日も阿呆だな、お前は」
ウィードがジャスリンを見上げると、ジャスリンはジャスリンで、ルヴィーに栗を食べさせて貰っている。
「うふっ!美味しい!美味しいですよウィード」
ウィードは褪めた目で溜息をつくと、ジャスリンの手を掴んでその栗を口の中に入れた。
「ねっ?美味しいでしょう?」
「お前、今日はしつこいぞ」
てへっ!とジャスリンが笑った。笑いながらも次の栗を剥いている。
「はい、ルヴィーもあ〜ん」
「あ〜ん」
ルヴィーは嬉しそうに栗を口に入れてもらっている。
何だか、このところ、所帯染みてないか......、俺って....?と、自問するウィードであった。
すると、再び口元に栗が来た。眉間に皺を1本刻みつつも、ぱくりとその栗を口に入れると、ジャスリンが喜んだ。
「こんな事で喜ぶな、阿呆」
ウィードが顔も上げずに呟いた言葉など、当然の如くはしゃぐジャスリンの耳には入ってはいない。
そして又、栗が来る。ウィードは口に入れ、咀嚼し飲み込む。
そして又又、栗が来る。ウィードは口に入れ、咀嚼し飲み込む。
そして又又又、栗が来る。ウィードは(以下同文)。
眉間に皺を刻みながらも、実は内心、ジャスリンに栗を食べさせてもらう事が、決して嫌では無いウィードであった。それにしても、こう度々目の前に栗を突き出されては、読書も気が散って出来やしない。ウィードは本を閉じると、仰向けになり組んだ両腕の上に頭をのせ、空を眺めた。雲がゆっくりゆっくりと流れている。
又、栗が来た。ウィードはその栗をつまみ取るとジャスリンの口元に突き付ける。
「はい、ジャスリンあ〜ん」
面白くもなさそうに、ウィードはジャスリンとルヴィーの真似をしてみた。ジャスリンは、スミレ色の瞳を丸く見開いて瞬きした。そして素直に口を開ける。ウィードはその口に栗を放り込んでやる。ジャスリンは不思議そうにウィードを見詰めながら口をもぐもぐと動かした。
「美味いか?」
ジャスリンは頷く。こくりと、栗を飲み込んでも尚、ジャスリンは不思議そうにウィードを見詰めていた。何やら言いた気である。
「何だ?」
「ウィードが私の名前を呼びました」
「それがどうした?おかしいか?」
ウィードが問うと、ジャスリンは一瞬だけ逡巡し頷いた。ウィードは心持ち目を見開く。
「だって、ウィードはいつも私の事を、《阿呆》とか《馬鹿魔女》とか《おい》とかって呼ぶじゃありませんか?」
ジャスリンが首を傾げながら訴える。ウィードは改めて思い起こす。
「そう言えばそうだな。阿呆な奴を、つい阿呆と呼んでしまうのが俺の癖だ」
「悪い癖ですね。私はセクハラ吸血鬼の事を、セクハラ吸血鬼とは呼んだりしませんのに」
ジャスリンはどうやら気分を害したらしく、唇をつんと尖らせた。ウィードは、思わずくすりっと笑った。手を伸ばして、つんと横を向く魔女の頬に触れてみた。すると彼女はウィードに目も向けずに後ろへと遠ざかった。ウィードはジャスリンの柔らかな長い髪に指を絡ませた。
「ジャスリン.....」
彼女の名を呼んでみた。ジャスリンがウィードに目を向けた。ウィードは微苦笑すると、彼女の髪から手を離し、自らの頭の下へ戻して目を閉じた。
「何ですか?」
「何でも無い」
ウィードは微笑みながら目を閉じていた。
そんな主の様子に、ルヴィーもにこにこと微笑んでいる。最近の主は以前に比べて、断然笑う回数が増えたと思うルヴィーであった。
「まっ、まだいたんですかっっ!?」
ジャスリンは、ルヴィーの手を握ったまま反射的に後ずさった。
「だって私はここの住人だもん」
さも当然とばかりに胸を張って答えたのは、教会の悪魔払い、爽やか笑顔の神父クレシスであった。ジャスリンが生理的に嫌悪する、あの悪魔払いの純白の詰め襟の上着に、胸に下がった金に煌めく十字架。極めつけは、その癖の無い灰金色の髪に灰色の瞳の、一見優し気なその顔立ち。
「言っておくけど、私はもう教会本山とは関係無いから安心して、可愛いジャスリン。ルヴィーもね」
クレシスは微笑むと、傍らの丸太をひょいと取って、手にしていた斧を振り上げそれを割る。処はドード神父の教会の裏庭である。
「そっそんなにあっさりと、きっ教会を捨てたのですか?」
「まあね、元々好きで神父になったわけじゃないし」
「じゃあ、何故神父になったのですか?」
ジャスリンは警戒しながらも、疑問はしっかり口に出す。
「この特殊な能力のせいだよ。教会の力が及んでいる世界じゃ、こんな能力を持って生まれた子は、有無を言わされずに教会行きさ。私も物心ついた頃には、兄弟そろって教会に送られていた。君だって生まれた場所が場所だったら、今頃は悪魔払いだったかもしれないよ」
クレシス神父はさらりと言って薪を割る。
「でも、私には魔族の血が流れていますよ」
「関係無いさそんなの。教会の悪魔払いには、人間と魔族の混血だっている。知らなかったの?」
ジャスリンは困惑しながら頷く。
「使えるものは何でも使えっていうのが教会上層部のやり方さ、ろくなモンじゃ無いね。ろくな奴はいない。そもそも、あいつらは神の教えをうんぬんかんぬんと説きながら、その実、根本的なところは自分たちの都合の良い様に歪めているんだ。うんざりだね。あんな奴らと縁が切れて、私はせいせいしたね」
カッ、という音と共に、薪は気持ちがよい程にまっぷたつに割れて行く。ジャスリンのクレシスに対する固着観念は、あっさりと揺らいだ。
「ドードさんも貴方と同じ様な事を言っていました」
「うん、ドード神父は私と同じ考えを持っている人だ」
クレシスが瞳を輝かせた。
「私は決めたよ、ジャスリン」
「えっ?」
「一生ドード神父に付いて行く事に決めた。ドード神父亡き後は、私がこの教会を守って行く」
ジャスリンとルヴィーは目を丸くした。
「あぁ、何故もっと早くここへ来なかったんだろう...。教会の勢力が及ばず、あの馬鹿兄貴を恨んだ魔族に人違いされて寝込みを襲われる心配も無い、こんな天国みたいな処、大陸中探したって他には無いね。それに何より、教会本山と縁が切れたって事は、これからは胸を張って可愛い女の子達に愛を囁けるってもんだ、最高だね」
クレシスはうっとりと空を仰ぐ。
「結局はそこですか.....」
「だってジャスリン、神の教えは《愛》だよ。《愛》と一口に言っても様々あるが、女性に対する愛だって、立派な愛だ。それなのに教会は、聖職者達の妻帯を禁じている。私は、あれがどうしても納得出来ないね。世の中男と女しかいないってのに!」
クレシスは拳を握りしめて力説する。
「ドードさんと同じ事をおっしゃっていますね」
ジャスリンとルヴィーは目を見合わせた。