7. 再会(下)
メルスフォルトに入ったのは、その翌日の日暮れ前であった。人気の無い場所でハヤブサから元の姿に戻ると、ジャスリンは襷掛け(たすきがけ)に下げていた鞄の中から、例の人形を取り出し呪文を唱えた。人形は二人を導いて行く。導かれるままに進んで行くと、辺りはどんどん賑やかになって行った。
「メルスフォルトは結構大きな町の様ですね」
「ああ、王都程では無いにしろ、まあ開けた処だな」
初めて見る大きな都の何もかもが物珍しく、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていたジャスリンは、聖職者達の群れを見付けて顔を強ばらせた。身に着けている長衣から、彼らが悪魔払いの神父ではない事は見て取れるのだが、それでもジャスリンは、体を緊張させている。
「気にするな。あいつらには何も出来ん」
ウィードの言葉に、ジャスリンは小さく頷く。《暇つぶし》だろうが何だろうが、ウィードが傍にいてくれる事が心強かった。
ジャスリンは、ふとある事に気が付いた。
「あの、ウィード?」
ジャスリンは、長身の連れをまじまじと見上げた。
「貴方から魔族の香りが全然消えちゃっていますけれど.....」
「当たり前だろう、さもないと悪魔払いに嗅ぎ付けられる。厄介事はごめんだぜ」
「凄いですわ、ウィードったら...。ただのセクハラ吸血鬼じゃないのですね」
べしっ! という音がした。
「いたたっ。何故ぶつんですか? 褒めたのに....」
ジャスリンが不満気に頭をさすった。実際の処、己の魔族の気配を隠す事の出来る魔族というのは、相当の力量の持ち主である事は確かであった。魔女は心の底から感心しているのであった。ジャスリンには、もちろんそんな力量は無い。しかし幸いな事に、彼女の魔族としての気配は薄い。そう簡単に見破られる事はないだろうと、ウィードは考えた。
人形に導かれるままに進んで行くと、華やかな界隈はやがて、うらぶれた雰囲気へと変わって行った。
「あ....、ここ....」
人形を手に、ウィードの前を歩いていたジャスリンが足を止めた。目の前にあるのは今にも崩壊しそうな建物であった。汚らしい路地、けばけばしくだらしない服装の女や、目の空ろな酔っぱらい。この辺りがどんな階層の人間が住む界隈かは一目で知れた。この、日のあたらない場にあっては、夏だというのに黒マントを羽織っているウィードは別としても、純白の清楚な夏用マントに、緩やかに波打つくすんだ金髪を背に垂らしたジャスリンの姿は妙に目立った。辺りの者達はジャスリンとウィードに目を向けても、やがて興味を失ったように目をそらした。不思議な事に物乞いは寄り付こうとしなかった。何故であろうか.....。
ジャスリンは、一つ大きく息を吸い込むと、ためらいもせずにその建物へと足を踏み込んだ。細く急な階段は一段上がる度に派手に軋む。ジャスリンは、あまりに急な階段に驚いて口を開けて見上げる。
「ふにゃあ〜」
階段の途中で上を見上げたものだから、後ろへバランスを崩す。
「阿呆、何やってるんだ?」
ウィードに背を支えられた。後ろに彼がいなかったならば落ちていただろう。
「こんなに細くて、こんなに急では、太っている人は上がれませんね」
「いいから、さっさと上がれ」
ウィードに急かされ階上へと上がると、ジャスリンは手前のドアで立ち止まった。暫し手先の人形を見詰めると、ウィードを見上げた。
「ここですわ」
ウィードに目で促され、ジャスリンはドアをノックした。二人は無言で様子を伺う.....。反応は無い。ジャスリンはウィードを見上げ、もう一度ドアを叩く。やはり反応は無い。
「あれぇ...?」
首を傾げるジャスリンに、ウィードは冷たい目を向ける。ジャスリンはドアに耳をくっ付けてみた。
「おかしいですね....。お留守でしょうか....?」
「本人の前まで導いてくれるんじゃ無かったのか?」
「寝てらっしゃるのかもしれません」
ジャスリンは再びドアを叩き、花屋の娘の名を呼んだ。
「リリアンさんっ! リリアンさんっ! 私達、貴女のご両親のフンデルさんとミレさんの知り合いの者なのですが!.....お留守なのですか!?」
室内から、何か小さな音が聞こえた。続いてドアの鍵のはずれる音がしたかと思うと、ドアが小さく開いた。ジャスリンは嬉しそうにウィードを振り仰ぐ。しかし.......。
「あれ?」
ドアは細く開いたが誰もいない。
「下を見ろ」
「え?」
ドアの向こうで小さな人影がジャスリンを見上げていた。ジャスリンは、数度瞬きをするとその小さな人影に微笑み、そして身を屈めて視線を合わせた。
「こんにちは、私はジャスリンです。この人はウィード。私達はリリアンさんに会いに来たのですけれど.....」
ジャスリンの姿に子供は警戒を解いたのか、ドアをもう少し開いて自らの姿を二人に曝した。年の頃は五〜六歳であろうか? あどけない顔をした女の子であった。
「お母さんは、仕事でいないの」
少女はぽつりと言った。
「娘か.....」
ウィードが呟いた。花屋の幼い孫娘は、ウィードには見向きもせずに、ジャスリンを食い入るかの様に見詰めていた。
「お姉ちゃんは...、天使様なの?」
「えっ?」
ジャスリンは驚き、スミレ色の瞳をまあるく見開いた。
幼い少女が二人に見せたのは、古びた一冊の絵本であった。狭く日当りの悪い陰気な部屋に、ろうそくが一本灯されていた。調度品など無きに等しい。幼い少女は、恐らく彼女が持つ唯一の絵本なのであろうそれを、大切そうにジャスリンとウィードの前で開いて見せた。それは白い衣に金の髪を長く垂らし、背の翼を広げた天使の挿絵が入った頁だった。優しく微笑む天使の瞳はスミレ色であった。
「ふむ.....、なる程、似てるな。垂れ目なあたりがお前に...」
「そうでしょうか?.....でも」
ジャスリンは少女の頭にそっと手をのせた。
「私は、天使ではありません。ごめんなさい」
「どっちかっていやあ、その対極にあるもんだな」
後ろでウィードが余計な事を言うも、幸い幼い少女に意味は通じなかった模様である。
少女の名はシェリーといった。まだ五歳くらいかと思いきや、八歳になったという。それにしては小さい。体はがりがりで細く、背も低い。食事も充分に食べられないのだろうか.....と、ジャスリンは胸を痛めた。父親は、シェリーが三歳の時に病で他界したという。それからリリアンは、親の反対を押し切って飛び出して来た手前、ハレンガルに戻る事も出来ずに女手一つでシェリーを育てて来たのだろう。必死だったのだろう....。だからあのような仕事にも足を踏み入れたのだろう...。そう思うとジャスリンは居たたまれず、シェリーを優しく抱きしめた。
日のすっかり暮れた花街は、まだ夜も序の口であったにも拘らず賑やかであった。一目でそれと分かる売春婦達が、道行く男達をあの手この手で引っ掛けようと躍起になる。教会側が眉をひそめる彼女等の職業は世界最古の職業であり、いくら王国政府の手入れが入っても、彼女等がいなくなる事はない。そんな女達に混じって、男達へと鼻にかかった甘ったるい声をかけながら、一人の娼婦は今宵も内心こんな事を考える。
(いつまでこんな生活が続くんだろう....)
夫が病を得た時から、彼女は必死に働いて来た。高額な薬を手に入れるのに、それこそ骨身を削った。だがよそ者の彼女にそうそう割の良い仕事など無く、いつしかその身をここまで落としていた。夫の死後も、一度落とした身を引き上げる事かなわず、日々の糧を得るのに必死であったのだ。彼女は髪に手をやった。小さい頃、母が毎日丁寧に梳いてくれた赤茶色の髪も、今では酷く痛んでいる。
男が一人、彼女に目を留めた。見れば、背が高く細身でまだ若い。彼女は男に声を掛けようとして、すぐに口をつぐむ。男は女連れであったからだ。白の仕立ての良さそうなマントに、長く美しい髪を垂らし、両手には人形を大切そうに抱えている。とてもこの場にはそぐわない。その娘が、彼女に歩み寄ると微笑んだ。
「リリアンさん、貴女に会いに来ました」
女___リリアンは、驚きに目を見張った。その娘の顔には見覚えは無かったが、娘の後ろから近付いて来た青年の端整な顔には覚えがあった。
「アレスウィード様.....」
生まれ故郷ハレンガルの領主であった。
「何故....?」
ジャスリンが手にしていた古びた人形をリリアンに差し出した。リリアンは目を見開き、ゆっくりと手を差し伸べて人形を受け取った。忘れもしない、幼き日に母が作ってくれた人形だ。幼い頃は一番の宝物だった......。リリアンの瞳から涙が吹き出し、こぼれ落ちた。次から次へと落ちる涙は留まる事を知らず、ジャスリンが静かに両手を広げて抱きしめると。リリアンは声を上げて泣きじゃくった。
「幾度、この子と共に死のうと思ったか...、分かりません」
貧しい室内で、膝に乗せたシェリーを抱きしめながら、リリアンは呟いた。
「でも、この子の笑顔を見ると、決心が鈍って...」
リリアンは、先程散々泣いた為か今は涙も流さずに、無表情のまま淡々と言葉を紡いでゆく。むしろジャスリンの方が、鼻をすすり涙をこらえている。
「とても....、殺せなくて....。この子にだって、幸せになる権利はあるんだと思うと....」
リリアンは愛おしげにシェリーの頭を撫でた。
「それは賢明だったな」
窓辺に寄りかかり立っていたウィードが、外の暗闇を透かし見ながら言った。
「血を分けたからといって、お前に子の命を奪う権利は無いだろうからな」
抑揚の無い、冷たささえ感じさせる口調であった。ジャスリンは不満げな瞳でウィードを睨むも、彼はその深い碧眼で彼女を一瞥しただけで、再び窓外へと視線を戻した。
「ハレンガルに戻って来ませんか? リリアンさん?」
「あたしは、十年も前に故郷を棄てた身です」
ジャスリンの言葉に、リリアンは即答する。例の人形は今シェリーの手中にあった。
「棄てたなら、又拾えば良いのです」
ジャスリンの言葉に、リリアンは驚いた様に顔を上げた。
「フンデルさんとミレさんは......、彼らは未だに貴女を想って深く胸を痛めているのです。だから....。貴女が戻りたく無いのでしたら、詮も無い事。でも、貴女がハレンガルを恋しく想うのでしたら、どうか、戻って下さい...どうか....」
リリアンの閉じた唇が震えていた。人形を抱えていたシェリーが、気遣わしげに母親を見上げていた。ウィードが窓辺を離れジャスリンの背後へと立つと、漆黒のマントの奥から純白の鳩を取り出し、テーブルの上に置いた。それは良く目をこらして見ると、本物の様にも見えたが、全く動かないところを見ると、作り物なのか、それとも....。一体何処にそんな物を隠し持っていたのかと、ジャスリンは不思議に思う。
「ハレンガルに戻ろうと戻るまいと、それはお前達の自由だ」
ウィードが口を開く。
「もし戻ろうと願うなら、この鳩を空に投げるがいい。迎えを寄越そう」
ジャスリンは、ウィードの言葉に微笑んでいた。
「きっと、戻ってくれますよね? あの二人」
「さあな」
ジャスリンの前向きで明るい問いに対して、ウィードの返答は、今に始まった事ではないが、実に冷たく素っ気なかった。二人はリリアン親子の元を後にし、酔っぱらい達がふらふらと通り過ぎる様な通りを歩いていた。
「私、お腹が空いて来ました、ウィード」
ジャスリンは両手で腹を押さえつつ訴えた。
「食料は尽きたのか?」
ウィードの問いに、ジャスリンは上目遣いに頷いた。
「なら俺の血でも啜るか?」
「絶対に嫌ですぅ〜!」
ジャスリンは目を剥いて叫んだ。ウィードは楽しそうに笑った。
「俺も腹が減ったな。俺はお前の血でいいぞ」
「でも私はやです〜!
「じゃ、我慢しろ」
「ふえぇ〜」
ジャスリンの嘆き声に、無論ウィードが心を動かす事も無く、ジャスリンはがっくりと肩を落とし、悪魔の様な___というよりも、その通りであるのだが____ウィードの後ろを歩いていた。
突然ウィードが歩を止めた。俯いていたジャスリンは、ウィードの背中に額から突っ込んだ。
「何故急に止まるのですか? んもうっ」
額を撫でつつ、文句を言うジャスリンに目もくれず、ウィードは何やら辺りを伺っていたかと想うと、舌打ちした。
「厄介なのが寄って来たぜ」
「あ....」
通りの先に、足取りもしっかりした人影が現れる。街灯に照らし出されたその姿に、ジャスリンが息を飲んだ。こちらへ歩んでくる人物の胸の十字架が街灯の灯りを受けて鋭く煌めいた。神父であった。それも普通の神父ではない。その身に纏っているのは、一般の祭司達が身につける長衣ではなく、白の膝丈の詰め襟の上着。そう教会の悪魔払い達が身につけるそれであった。まだ若いであろうその顔は、ほんの少し垂れた眦のせいで優しげに見える。ある意味、美男子だと言っても良かったであろう。暗がりで髪の色までは定かに見て取れなかった物の、ジャスリンはその髪が灰金色である事を知っていた。ジャスリンは怯えた。自ずと体が震えだした。
「これは又、奇遇ですね」
神父が笑いを含んだかの様な、おっとりとした優し気な口調で言った。
「こんな処で貴方にお会いするとは.....,アレスウィード殿。何たる偶然でしょうね。それとも神のお導きかな。それに....、ライトン樹海の魔女殿。あれだけの手を負わせた故、てっきりこの世の者ではなくなっていると思っていたが、やはり魔族の血を引く者は人間よりも生命力が強いと見える....」
そう言って神父は笑った。爽やかとさえ言える様な笑い声であった。ジャスリンは震える手を伸ばして、傍らのウィードのマントを掴みきつく握りしめた。
「成る程、お前だったか、この魔女にあの手を負わせたのは....」
ウィードは、喰い入る様に神父を見詰めるジャスリンの震える手を握った。
「お前の事だ、さぞかし底意地の悪い追い詰め方をしたんだろうな」
神父はクスクスと楽しそうに笑う。
「人聞きの悪い事を....。魔に通ずる者等を消すのが、私の仕事ですよ」
「趣味の間違いだろう?」
「どうせなら楽しく仕事をこなしたいじゃありませんか」
「今度こいつに手を上げてみろ、お前が多くの魔族にしたのと同じ方法で、おまえの存在を消してやる」
神父は、吸血鬼の紅い瞳に見据えられながらも、全く動じる様子は無かった。怯える魔女の肩を抱きながら通り過ぎて行くウィードを、神父は振り返る。
「その魔女は、貴方にとって特別な女性なのですか? アレスウィード」
「大事な血液補給源だ」
ウィードは立ち止まりもせずに答えた。神父は、微笑みを浮かべたまま、彼らの背を見送った。
町を出た処で、アレスウィードは野宿の為に火を起こした。近くを流れる川でウィードが獲って来たらしい魚が、串刺しにされて火に焙られている。
「焼けてるぞ、腹が減ってるんだろ?」
ジャスリンは力なく頷くも、焼魚に手を出そうとはしない。膝を抱えたまま震えていた。夏とはいえ、夜は冷える。だからといって、ジャスリンは寒さに震えていたわけではない。あの神父に殺されかけてから、半年近くの月日が過ぎたというのに、あの神父の狂った瞳を思い出すと、未だに体が震えた。
ウィードは立ち上がり、ジャスリンの傍らに腰を下ろすと、無言のまま彼女を胸に抱きしめ、震えが収まるまで長らくその背を優しく撫でてやった。
それから......,幾日の日々が過ぎた頃であったか.....、ハレンガルに秋が訪れた頃であった。
「天使のお姉ちゃーんっ!」
ハレンガルの町の入り口に立つジャスリンの姿を目に止めた少女は、母親の元から駆け出した。手には大切そうに、あの古びた人形を抱えていた。ジャスリンはかがむと、勢い良く駆けて来たシェリーをぎゅっと抱きとめてやった。後から追いついたリリアンは、ジャスリンとウィードとルヴィーの前に立つと深々と頭を下げた。その後ろには用心棒が一人。ウィードがリリアン母子を迎える為に送った青年であった。ウィードが青年に言いつけた金子で調えたのであろう、母子は質素ながらこざっぱりとした旅装束姿であった。どぎつい化粧をしていない素顔のリリアンは、疲れた顔をしてはいたが、メルスフォルトで会った時よりも、幾分も若く見えた。
花屋の店の前には、町の人々が集っていた。今か今かとリリアン母子を待っていたのである。そしてその中心に立っていたフンデルとミレの夫婦は、娘の姿を認めるや否や、駆け出していた。そしてリリアンも.....。
シェリーは、ジャスリンの手を握ったまま、フンデルとミレに縋って泣く母の姿を、どうして良いのか分からぬ態で見詰めていた。ジャスリンはしゃがむと、笑顔でシェリーの顔を覗き込んだ。
「あなたのおじいさんとおばあさんですよ、シェリー。とっても優しい人達です。あなたもきっと大好きになるわ」
そう囁くとジャスリンは、そっとシェリーの背を押した。前方ではフンデルがシェリーに向かって両手を広げていた。シェリーははにかみながら、それでも嬉しそうに顔をほころばせると、その腕へ向かって駆けて行った。
「良かったですね....」
ジャスリンは立ち上がると、しみじみと呟いた。ウィードの指が、ジャスリンの頬にこぼれた涙を拭った。ジャスリンがウィードを見上げて微笑むと、彼は微かに口角を上げて鼻を鳴らした。ルヴィーはジャスリンに抱きついた。
「ルヴィーったら、甘えんぼさんですね」
ふふっと笑うと、ジャスリンはルヴィーを抱きしめてやる。親子の再会劇に、ルヴィーも鼻をすすり上げていた。ウィードの手は、いつの間にかジャスリンの細い肩を抱く様に、そこに置かれていた。
「あん....」
ジャスリンが振り返ると、長い髪が薔薇の棘に絡み付いていた。
「嫌だ、又絡まってしまいました...」
ぶつぶつと文句を言いながらジャスリンが手を伸ばすよりも早く、別の手が伸びて来た。
「ウィード...」
「お前は懲りないな、全く」
ウィードの指が、枝に絡んだジャスリンの髪を器用にほどく。
「ウィードも懲りませんね」
ジャスリンは引っ掻き傷の出来たウィードの手を取る。血の滲む小さな傷に唇を寄せるジャスリンの頬に、ウィードはもう片方の手で触れた。ジャスリンが不思議そうにウィードを見上げる。けぶる様なスミレ色の瞳と、紺碧の瞳がぶつかった。
「ウィード?」
じっと見詰められ、ジャスリンは彼の名を呼び首を傾げた。ウィードは答える代わりに彼女のおとがいをそっと掴むと、ゆっくりと背をかがめてそのふっくらとした唇をそっと塞いだ。血を啜るでもなく、ゆっくりと唇を重ね味わう。珍しくもジャスリンは抵抗もせず、されるがまま唇をウィードに委ねていた。唇を離すと、血を吸われたわけでもないのに、ジャスリンの瞳はまるで熱を帯びた様に潤んでいた。
「もう薔薇も終わったか....」
ウィードが呟けば、ジャスリンも花の終わった薔薇園に目を向けた。
「もう秋ですもの...」
その頬は、ほんのり染まっている。
「お前は薔薇ってイメージじゃ無いな」
「えっ?」
唐突な言葉に、ジャスリンはウィードの横顔を見上げる。
「どっちかって言うと....」
「どっちかって言うと?」
ウィードはジャスリンを見下ろし、にやりと笑う。
「ぺんぺん草あたりだな」
言うやウィードは背を向けた。
「ぺっ、ぺんぺん草っ!?」
ジャスリンは憤慨しウィードの後を追う。何やらジャスリンの抗議の声が聞こえてくる。
その二人のやり取りを物陰からこっそりと伺っていたルヴィーは、肩を震わせながら必死で笑いをこらえていたのでしたとさ....。