49.ウソかホントかグランフィナーレ!?の巻き(四)
そんな小さな平和が、ずっと続く事を彼は祈った。だが祈ったにも拘らず、ささやかな平和はある日いとも簡単に壊された。サヴィーンが、村人等に見付かり引きずり出されたのだ。石を投げつけられても何の反撃もしようとせずに逃げ回る妖魔の娘に、村人達の仕打ちは激化した。一人が棒を片手に打ち据えれば、回りの者達も皆それに倣った。
村の子供達が教会へと知らせに駆けつけ、息せき切って妖魔を捕えたのだと口々に訴えたとき、ドードは顔色を失い、子供達をねぎらう余裕も失い駆け出した。
「やめろっ! 何をしてるんだっ!」
ドードは駆け込むや、打ち据えられ踞っていたサヴィーンを背に立ちはだかった。悪意の籠った村人達の動きが止まった。
「それは悪魔の娘だぞ、神父様」
「そうだそうだ、その恐ろしい目の色を見てみるだよ、神父様!」
村人達が口々に叫んだ。
「だからといって、この娘があんた方に何をしたって言うんだ?」
若神父の言葉に村人達は一瞬押し黙るも、すぐに反撃の言葉が上がる。
「神父様、うちの母ちゃんはこないだから寝込んだまんまです。この悪魔の呪いに違いないんだっ」
「うちのばあさんもだよ。この頃、分けの分からん事を口走る様になっちまったんだ。きっとこいつのせいだ!」
「うちの羊も、きっとこいつに喰い殺されただよ」
無知な村人達は、これまでのあらゆる不運をサヴィーンのせいにし出した。
「ばかばかしいっ!」
ドードは、怒りの言葉を吐き出していた。
「何の抵抗もしないか弱い娘を、よってたかって嬲るとは! あんた方の心にこそ悪魔が住み着いているんだっ。恥ずかしいとは思わないのか!?」
若い神父の剣幕に、誰もが口を噤んだ。
「そうじゃな。確かに魔族の娘とはいえ、無抵抗な者を大勢でいたぶるのは良く無いかもしれん」
人々が口を噤む中、突如起こった威厳ある低い声は、教会の主である老神父の物であった。
「だが、魔族は魔族。本山の悪魔払いが到着するまでは厳重に捕らえておかねばなるまい」
「タロル神父! 魔族とはいえこの娘は無害です」
「それでも魔族は異端じゃ。その存在自体が悪しきもの。見逃せば我らも同様に異端の誹りを受ける事になろうて」
「そんな...」
絶望的な表情でドードはサヴィーンを見下ろした。地に踞ったまま震える魔族の娘のあまりの哀れさに、ドードは拳を握りしめた。
「教会の地下牢に入れておくが良い。本山の悪魔払いの呪が刻まれた牢なら、その娘も逃げられはしまい」
老神父の一声で、サヴィーンは教会の地下牢へと引っ立てられる事となった。
その夜、老神父と下働きの老女が寝静まるのを辛抱強く待って後、濃い闇の中を小さな蝋燭の明かりを手に、ドードは足音を忍ばせながら地下牢へと降りた。鍵を開けドードが牢内に入ると、膝を抱えて踞っていたサヴィーンは、力無く顔を上げ寒々と涙を流した。ドードは傍らへ屈むと、哀れなサヴィーンの頬の乱れた髪を優しく払い頭を撫でてやる。そして怪我の手当をし、青白い肌にこびり付いた血糊を優しく拭ってやった。胸の痛みにドードは涙を堪える。
「可哀想に、痛かっただろう? 怖かっただろう? だから、人里へは来るなと言ったのに...」
「ごめんなさい...ドード、ごめんなさい....。でも、あたし、ドードに会いたかったんだもの...」
そう言って泣き崩れるサヴィーンの折れそうに細い身体を、ドードは優しく抱き寄せた。
「分かってる。分かってるとも、サヴィーン。お前は、寂しかったんだろう?」
低い囁きにサヴィーンは泣きながらドードに縋り付いた。
「お前が邪な者で無い事は私が知ってる。お前は何も悪くない。このままむざむざ殺される事なんか無いんだ」
「ドード...」
「我らの神は、誠に総ての異教徒や魔族達を悪しき物だとお考えなんだろうか? 私はそうは思わない。教会本山の考えは間違ってる。神は無償の愛を説いてるってのに、それを歪めて受け止めてる。お前の様な罪も無いか弱い娘を、魔族だってだけで何故殺さなけりゃならないんだ。慈悲深い神が、そんな事をお望みになる筈が無い。本山の無慈悲な考えはもう沢山だ...」
ドードの押し殺した苦悩の声に、サヴィーンはのろのろと顔を上げた。その泣き濡れた小さな顔を、ドードのひたむきな瞳が見詰めた。
「逃げよう、サヴィーン」
迷いの色の無いその囁きに、暗がりの中で光を放つ金色の瞳が揺れた。
「ここにいたらお前は殺される。立てるか?」
ドードはサヴィーンを抱き抱える様にして立ち上がらせた。ぽろぽろと涙を零し続けながらサヴィーンは、されるがままに立ち上がった。
「おいで、一緒に行こう」
「ドード...」
サヴィーンは嬉しかった。ドードに手を引かれるままに呪文の刻まれた地下牢を抜け出して、狭い石段を上がった。人間に比べ魔族の治癒能力は高いとはいえ、サヴィーンの様な若く力無い妖魔ではたかが知れている。人間達に打ち据えられた身体の傷は、まだずきずきと痛んだが、それさえも気にはならなかった。大好きなドードが一緒に逃げてくれるのだという事が、サヴィーンに怪我の痛みを忘れさせたのだ。だが、その喜びもすぐに悲しみに変わった。地下牢の石段を上りきり外へ一歩踏み出したそこには、幾つもの松明が燃えていたのだ。ドードがサヴィーンを背に庇うとその手を強く握った。
「その悪魔にかどわかされたか、ドード神父よ」
「タロル神父...」
ドードが就寝したのだとばかり思っていた老神父が、村の男達を従えてそこに立っていた。
「お前は情の厚い優しい青年だ。その為に付け入られたのであろう。お前はまだ若い。その悪魔を牢に戻して悔い改めると誓うならば、若さ故の過ちとして、この件は見なかった事にしよう」
「罪も無い彼女を見殺しになど出来ません、タロル神父」
「何故に、その悪魔に罪が無いなどと言いきれる? 悪魔というものは、悪しき行いを何よりも好むものだ。我々の不幸を何よりも喜び糧とするものだ」
「私はそうは思いません。我々人間に邪な者がいるように、魔族にだって善い者はいるんです。彼女は何もしていない。村の人達の害になる様な事なんて、何もしていないんです!」
ドードの必死な叫びに、老神父は深い溜息をついた。
「では、その悪魔を牢へは戻さぬと言うのだな? ドードよ」
「どうか、彼女に慈悲を。逃がしてやって下さい、タロル神父」
「父なる神に背く事など許されぬ」
「仮令魔族とはいえ、罪も無いか弱い娘の命を無惨にも奪う事が、誠に父なる神のお心なんでしょうか? 私にはどうしてもそうは思えません」
「何と恐ろしい事を....。悪魔を擁護しようとするお前の考えは異端だ」
老神父が声を震わせると、背後の男達が武器を持つ手に力を込めたのが分かった。ドードは背後にサヴィーンを庇いながら、逃げ道を求めてじりじりと足を動かした。
「致し方ない、悪魔もろともこの異端を捕らえるのだ!」
タロル神父が怒りの叫びを上げたのと同時にドードは素早く背後のサヴィーンを横手へと押し出して、武器を振り上げた村人達の群れへと両手を広げて飛び込んだ。
「逃げろっ! サヴィーン!」
途端に乱闘になる。村人達にとってドードは最早敬うべき神父では無かった。悪魔に与した憎き異端者であった。何の躊躇いも無く棍棒を振り下ろす村人達の瞳には恐れと狂喜の色があった。
「ドードっ!」
「逃げろ、サヴィーン。逃げるんだっ!」
「いやぁぁっ! ドードっ!」
泣きながらドードに駆け寄ろうとしたサヴィーンの行く手を、屈強の若者達が阻んだ。その一人の手の棍棒が、サヴィーンをまるで、糧とする為の家畜を殺すかの様な手付きで殴り倒した。
「サヴィーン!」
打ち据えられながらもドードは殴り倒されたサヴィーンの元へ駆け寄ると、その細い身を抱え込んで我が身で庇った。常軌を逸した狂喜も露に、村人達はドードを打ち据えた。口々に罵りの言葉を浴びせながら、総ての不運を彼等に罪着せながら、その根源を今自分達の手で成敗しているのだという喜びに興奮しながら、村人達はサヴィーンを抱え庇う青年を殴り続けた。
ドードの腕の中に強く抱き抱えられたサヴィーンの中で、何かがぷっつりと音を立てて壊れた。サヴィーンには、最早押さえる事が出来なかった。恐れと怒りに身体がカッと熱くなった。一瞬の内にそれが耐えきれぬ程となり、爆発音と共に回りが見えなくなった。サヴィーン自身、何が起こったのかも分からなかった。
気が付けば駆けていた。夜目のきく魔族の目で。風の如く走る事の出来る獣の四つ足で。怒りの為に時折口から炎をまき散らしながら、赤毛のカモシカに姿を変えたサヴィーンは、傷付いたドードを背に乗せながら夜の闇の中を疾走した。
そしてやがて力尽きたサヴィーンは、意識の無いドードを背から降ろし人型に戻るや、その傍らに倒れ込むように突っ伏した。
「ドード...」
サヴィーンは、涙を浮かべながら神父の名を呟いた。漆黒の闇の中でも、魔族の目にはドードの頭から夥しく流れる赤い血の色が良く見て取れた。サヴィーンは鉛の様に重く疲れた身を起こして、いつかドードがしてくれたのと同じ様に己の服の袖を引き裂き、その布で意識の無いドードの頭の傷を押さえてやった。布は見るまに赤く染まってしまった。この血の臭いに狼などが寄って来なければ良いがと案じた時、突然サヴィーンの身に鳥肌が立った。サヴィーンは全身を緊張に強ばらせ、己の身でドードを庇う様にして辺りを伺った。
「ほう...。手負いの神父と妖魔の小娘か? 血の臭いに引かれて来てみれば、面白い取り合わせだな....」
闇に紛れた突然の低い声に、サヴィーンははっと息を呑みそちらを見上げた。背の高い黒尽くめの魔族が、言葉とは裏腹な面白くもなさそうな表情でこちらを見下ろしていた。その魔族の濃紺の瞳に、サヴィーンの背筋がぞくりと凍った。恐ろしく強い能力を秘めた魔族である事が一瞬にして分かったのだ。これ程の能力を持つ魔族だ、恐らくは吸血種族に違いない......。そう思ったら、サヴィーンの全身は瘧の様に震え出して止まらなくなった。それでもサヴィーンは、一抹の勇気を振り起こし、細い身体でドードを庇いながら目の前の魔族の男に訴えた。
「あたしの血は総てお捧げします。ですからどうか、彼の命だけはお助け下さい。どうか...」
あまりの恐ろしさに声が震えた。それでもサヴィーンは、その魔族の男を真っすぐに見上げたまま訴えたのだ。
「.......」
魔族の男は無言のまま、微かに呆れたかの様な溜息を零した模様であった。
「あ、あの...」
「お前は、魔族でありながらその神父を助けたいのか?」
「神父でも、この人は二度もあたしの命を助けてくれたんです。でも、そのせいで、人間達からこんな仕打ちを受けて.....」
サヴィーンは血に濡れたドードの顔を見下ろし、その赤く染まった頬にそっと触れた。
「出血が多いな。しかも頭か? 頭はヤバイな。打ち所が悪ければ人間の事だ、簡単にあの世行きだ。その様子だと、腕も折れているか?」
男の抑揚に欠けた声音に、サヴィーンは唇を震わせた。自分を救い守ってくれたドードが、そんなに簡単に死んでしまうなどとは、どうしても信じたくなかった。だが人間が弱い生き物だという事を知るサヴィーンの金色の瞳からは、ほろほろと涙が零れ落ちていた。
「その神父の傷を癒してやってもいい」
「えっ?」
サヴィーンは、吸血魔族の意外な申し出に驚き彼を仰ぎ見た。
「そのかわり、お前の血をよこせ」
サヴィーンは、考えるまでも無く大きく頷いた。
それを横目に確かめるや、魔族の男は神父の元に屈むとその傷に一つ一つ触れていった。目に見えてドードの様子が苦し気なものから穏やかな表情へと変わっていた。
「もう大丈夫だろう。さあ、お前の血をくれ。俺は腹が減っている」
サヴィーンは恐ろしさに青ざめながら、抵抗も出来ぬままに吸血魔族の腕の中に捕らえられ、首筋に彼の牙を受け入れ、その痛みに小さな声を上げた。サヴィーンの血を飲む魔族の喉の音が生々しく聞こえた。人間ではなく、魔族に殺される事になろうとは.....。
「ドード....、さようなら....」
血を抜き取られながら、サヴィーンは涙声で呟いた。その悲嘆にくれた呟きに、吸血魔族がげんなりと顔を上げた。
「お前は、何か勘違いしてやしないか?」
「え?」
「俺はお前の血を少し恵んで貰いたいだけだぞ」
「血を...、少し...?」
「腹が減ってふらふらなんだ」
魔族は、再びかがみ込みサヴィーンの首筋に吸い付いた。
「ん....」
ドードはぼんやりと目を開いていた。何故、こんな堅い地面の上になど寝ているのかがわからずに、闇の中を見回してみた。真っ暗闇の中、微かな物音が聞こえた。ふと、何があったかを思い起こした。目が闇に慣れた時、ドードは飛び起きた。
「サヴィーン? どうした? お前は誰だっ!? サヴィーンに何をしてるんだ!?」
ドードに荒々しく肩を掴まれ、サヴィーンの血を吸っていた魔族はゆっくりと顔を上げた。
「見て分からないか? 食事中だ」
「何だとっ!?」
「ドード!」
サヴィーンが野うさぎの様に跳ね、目覚めたドードの首に抱きついた。
「痛い所は無い?」
「ああ、どこも痛くはないよ」
「良かった...」
「サヴィーン?」
ドードが訝し気にサヴィーンの濡れた首に触れた。
「大丈夫か? 血が...」
ドードは、痛々しそうにサヴィーンの首筋を袖で拭ってやると、その背に庇った。そして、今しがたサヴィーンに襲いかかっていた男を睨みつけた。暗闇の中で相手の瞳が一瞬、蒼い光を放ったかの様に見えた。
「ドード? あの、この人はドードを助けてくれたのよ。だからあたし、お礼に血を分けてあげてたの」
「私を助けて?」
「村の人達に沢山殴られたのに、もう何処も痛く無いでしょ?」
ドードは、目を丸くしながら頷く。
「この人が、ドードの怪我を治してくれたのよ」
「そう..だったのか..? それは、大変失礼した」
ドードはあっさりと怒りを収めて、目の前の男に申し訳無さそうに頭を下げた。片膝を立ててすわりなおした魔族の男は、ふんっと鼻を鳴らした。
「おかしな神父だな。魔族に頭を下げるのか?」
「そういうあんたこそ、神父を助けてくれたんだろう?」
「その妖魔に血を貰う代わりだ。神父など、好きで助けるか」
「あの、もう血は良いのですか?」
おずおずとサヴィーンが口を挟んだ。
「お腹が空いてふらふらだったんじゃ...?」
「取りあえずは大丈夫だ。これ以上飲んだら、お前の方がふらふらになるぞ」
「え....」
サヴィーンが顔を強ばらせた。
「何なら、私の血を吸ってくれてもいいんだが」
ドードが申し出ると、魔族の男は実に嫌そうに眉間に深い皺を寄せた。
「神父の血なんぞ吸えるか」
「そ、そうか....」
ドードは、ほっと胸を撫で下ろした。
「と、兎に角、礼を言わせてもらうよ。私の名はドード、この通り神父だ。彼女はサヴィーン、この通り魔族の娘だ。で、あんたは?」
「...アレスウィード」
魔族は逡巡したのか一瞬の沈黙の後、低く素っ気も無い声音で名乗った。
「アレスウィード...古風な名だな」
ドードはその名を繰り返してみた。
「まるで貴族か何かみたいだな」
正直な意見と共に、ドードは愛嬌に溢れた笑顔を見せた。
「アレスウィード...様?」
細い声が呟いた。サヴィーンは、驚きにその名を繰り返していた。しかも、様付けで....。
「ハレンガルの.....?」
サヴィーンの問いにアレスウィードは答えず、唯、実に魔族的な微笑を見せるとその場から姿を消した。