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45.縫いぐるみ兎、再び(下)




 「「えっ!?」」

 アレスウィードの殺気に気付いてかどうなのか、ジャスリンと、未だ雪に突っ伏していたラーグの声がシンクロした。ジャスリンは、己を抱き上げている青年の顔をまじまじと見る。

 「ひょっとして、貴方はピーシャなのですか?」

 「恐れながら...」

 「まあ...」

 ジャスリンは、けぶるようなスミレ色の瞳を見開いて、青年の頬に触れてみた。

 「まあ...」

 縫いぐるみを撫でる様な手つきで純白の髪を撫でてみた。

 「まあ...」

 青年の頬が心做しか桃色に染まった。と、その時突然、凄まじい破砕音と共にウィードの傍らの木が一本、根元からぽっきりと折れて雪煙を上げて倒れた。そのあおりをくらい、回りの木々からばさばさと雪の固まりが落ちて来る。

 「うひゃっ!」

 吃驚したジャスリンは奇声を上げて青年の首に抱きついた。

 「大丈夫ですか? ジャスリン様?」

 耳元で優しく囁かれ、ジャスリンははっと顔を起こす。

 「はい、大丈夫ですよ、ピーシャ。ちょっと驚いただけです。でも、一体何が...?」

 ジャスリンが人型ピシャカレスの腕の中で首を廻らせると、折れた木の根元にはウィードが先程と変わらぬ体で立っていた。

 「ウィード? 大丈夫ですか?」

 たった今起こった事柄の元凶が誰かなど勿論気付かぬジャスリンは、先程吐いた暴言も忘れてウィードの身を案じたのだが、鼻を鳴らして不機嫌そうに目を背けられた為、ジャスリンの機嫌も再び悪くなる。

 「まあ、ウィードったら。とっても可愛くありませんね」

 ジャスリンは口元をつんと尖らせた。

 「どうやらご機嫌麗しく無い御様子ですね、アレスウィード様は」

 「今日のウィードは、とっても意地悪さんなのです」

 「今日に限った事じゃねぇっちゅ〜の....」

 依然雪に突っ伏したままのラーグが、人知れずぼそりと呟く。

 「可哀想なピーシャ。こんな処まで放り投げられて...。でも怪我が無くて良かったです」

 「あれしきの事は何でもございません。ただ、落ちた拍子に思わずこの姿に戻ってしまいましたが.....」

 「あら、ふわふわ縫いぐるみの姿も可愛いですけれど、その姿もとっても素敵ですよ、ピーシャ」

 再び縫いぐるみを撫でる様に、ジャスリンはピシャカレスの純白の髪を梳く様に撫でた。

 「ピーシャの髪は、縫いぐるみのときと同じ手触りですね。うふっ!」

 そんな事を言いながら嬉しそうにピシャカレスの髪を撫でるジャスリンの姿と、髪を撫でられほんのりと頬を染めているピシャカレスの姿に目を走らせたウィードの中で、再びぶちりと何かが切れた。と、同時に起こる破砕音。

 「ひゃあああああっ!」

 ばさばさと枝に積もっていた雪をまき散らしながら倒れる木に、ジャスリンが悲鳴を上げる。気のせいか「ぐえっ!」という、悲鳴とも何ともつかない蛙の潰れる様な声が共に聞こえた様であったが、気に留める者などいない。

 「又、木がっ!? ななな何が起きたのでしょう、一体!?」

 驚きの為に再びピシャカレスの首にしがみついたジャスリンの元に、不機嫌な冷気をまき散らしながらウィードが歩み寄って来た。尤も、そんな雪景色の中であるので、ウィードの発する冷気は幸い気にならない。

 「どっちだ?」

 「はい?」

 ピシャカレスの腕に抱っこされたままジャスリンは首を傾げた。

 「挫いたのはどっちの足だ」

 「あ...、左足です...」

 ジャスリンがおずおず答えると、ウィードは無言のまま長いスカートに隠れた魔女の左足首に触れて一瞬の内に癒す。

 「ほわっ、治りました、ウィード」

 「ならさっさとそのウサ公から下りろ」

 「 “ウサ公” じゃなくて彼のお名前は “ピーシャ” ですよ、ウィード」

 どこまでも空気を読まないジャスリンに、ウィードは「ふんっ」と鼻を鳴らして踵を返した。

 「アレスウィード様ともあろうお方が、ひょっとして、まさか、こんな小悪魔に嫉妬なさっておられるのですか?」

 ピシャカレスの相変わらずの慇懃無礼な態度にウィードの足が止まる。

 「いやいや、まさか。魔族の中の魔族であられる貴方が、私の様な取るに足らない者を相手に...」


 「ぶはっ!!」

 少し離れた処では、雪に埋もれていたラーグがちょうど息を吹き返した処であった。

 「くそウィードめ。俺を殺す気か!?」

 毒突きながらもラーグは何とか雪山の中からもがき出る。と、その時に起こった三度目の破砕音。

 「えっ? ウソっ!? うわわわ〜っ!!」

 どさどさと落ちて来た雪に、哀れなラーグの悲鳴はかき消された。


 「今すぐに消えろ」

 「貴方の御命には従いかねます。私の主はジャスリン様唯お一人ですので」

 「なら地の果てまで投げ飛ばしてやる」

 「ウィード、酷いです。どうして私のピーシャを苛めるのですか?」

 「そんなの焼き餅に決まってんじゃねぇ?」

 と、今のは、頭から雪を払いながら人知れずぼそりと呟かれたラーグの言葉である。

 「あ〜あ、しかもまだお姫様抱っこされたままだし...」

 使い魔の腕の中の魔女とウィードの様子に、ラーグは嘆かわし気に頭を振った。


 「ピーシャが何をしたというのですか? 今朝だってウィードのお世話をしてくれましたのに。そのピーシャを外に放り投げるなんて、あんまりです」

 「ふんっ。ぶつ切りにされなかっただけ感謝しろ。ウサ公に焼かれる世話なんぞ、ありがた迷惑だ」

 「まあっ! ウィードったら酷いです。何て意地悪さんなのですか!? ピーシャに謝って下さるまで、もうウィードとは口ききませんからっ!」

 「勝手にしろっ」

 互いにぷいっと顔を背ける魔女と吸血鬼。険悪な空気が辺りを包み込んでいる。四度目の破砕音こそ起こさなかったものの、ウィードは不機嫌な冷気を節操無くまき散らしながら一瞬の内に姿を変えて空へと飛び去った。

 漸く思い出したかの様にピシャカレスの腕から下ろしてもらったジャスリンは、頬を膨らませ唇をつんと突き出したままウィードの飛び去った空を見上げていた。


 「あ〜らら、喧嘩だ。喧嘩しちゃった〜」

 突然起こった楽しそうな声に、ジャスリンは振り返った。

 「まあ、ラーグ。いつからそこに?」

 目を丸くするジャスリンに、ラーグはカクリと肩を落とす。

 「さっきからずっといたんだけど...。そのウサちゃんとの “らぶしーん” くらいから」

 「ららららぶし〜ん!? ななな何て事いうのですかっ!? ラーグったらっ!」

 途端に顔を真っ赤にしてわたわたと怒り出すジャスリンに、ラーグは笑い出す。

 「冗談だよ。ジョーダン! それよかさ、ウィードとも目出たく喧嘩別れ出来たわけだし、これで俺達晴れて恋人同士だよな〜」

 「は?」

 軽いノリでジャスリンの肩を抱き寄せるラーグ。ジャスリンとウィードの仲違いが余程嬉しかったと見える。と、そこにすかさず割って入ったのはピシャカレスであった。ジャスリンの肩を抱くラーグの腕を掴んだかと思うと、無表情のまま容赦無くぺっと振り払う。

 「何すんだよ、ウサちゃん」

 「ジャスリン様に寄って来る悪い虫を退治するのも、私の役目ですので」

 「悪い虫ってなんだよ、失礼しちゃうよなぁ」

 「それにジャスリン様は、アレスウィード様と仲違いはなさいましたが、まだお別れなさったわけでは無いかと」

 「何だよ、ウィードの味方すんのか? ウサちゃんてば」

 「まさか。お戯れを。私はジャスリン様唯お一人だけの味方です」

 「まあ、ピーシャ」

 使い魔の言葉に甚く感動したらしいジャスリンは、ピシャカレスの手を取って握り締める。

 「私も、いつでもピーシャの味方ですよ」

 「あ〜らら。じゃ、ウィードは敵ってわけだ」

 「えっ?」

 「ん〜ん、何でもねえ。それよか帰ろうぜ。俺、寒ぃよ。くそウィードのせいで全身びしょ濡れんなっちったんだもん」

 「まあ、大変。ピーシャも雪に埋もれてびしょ濡れなのでした。二人とも、早く帰って着替えなくては。風邪でもひいたら大変です」

 「はい、ジャスリン様」

 頷くやピシャカレスの姿は、薄らとした煙をまき散らしながら一瞬にして縮んだ。かと思えばポンっという音と共に、そのふわふわな毛皮に被われた背中からぱさりと純白の羽が開いた。

 「あ、縫いぐるみに戻りやがった。しかも魔族のくせに天使の羽付き? すんげえ “めるへんちっく” でやんの」

 「お褒めに与り光栄です。ラーグフェイル様」

 「いや、別に褒めてねえし...」

 「さあ、早く帰りましょう。二人とも」

 ジャスリンは、地を蹴ると一瞬でハヤブサの姿に化け空に羽ばたいた。ピシャカレスとラーグは、一瞬目を見交わすと次々にその後を追った。

 




 無表情な縫いぐるみ兎の頬は、先程からほんのり桃色に色付いている。それが勢い良く燃え盛る暖炉の炎による為であるのか......。

 「人の姿も勿論素敵でしたけれど、ピーシャはやっぱりふわふわなその姿の方が断然可愛いですね。うふっ」

 暖かな暖炉の前で礼儀正しく正座している縫いぐるみ兎の純白の毛並みに、先程からジャスリンは丹念に櫛を通してやっている。

 「いいなあ〜。俺もジャスリンに髪の毛梳かして欲しい...」

 居間の長椅子に凭れながら、ラーグが湿った銀髪をかき上げれば、その片側に凭れて古書を繙いていたウィードがちらりと不機嫌な視線を上げた。一気に室温が下がる。

 「寒っ! さみいよ〜、ウィード」

 ぶるっと身体を震わせながらラーグが抗議の声を上げた。向かい側にちょこんと座ったルヴィーは、先程から互いに言葉を交わさないウィードとジャスリンの様子におろおろと落ち着かな気である。

 

 ジャスリンがちらりとウィードを見る。口をきかない宣言をしてはみたが、やはり気になるらしい。

 「!」

 紺碧の瞳と目が合った途端に、ジャスリンは息を啜り込み、唇を尖らせながらぷいっと顔を背ける。とても七十三年も生きて来た大人の素振りでは無い。

 「お前はガキか...」

 呆れるウィードの呟きは、しかしジャスリンには届かなかった。

 「あ〜らら。嫌われちゃったね、ウィード」

 「嬉しそうだな」

 「うん、超絶に嬉しい」

 満面の笑みで答えるラーグ。そのあまりに素直で正直過ぎる言葉にウィードは、最早怒る気にもなれずにうんざりと息をついた。ちょうどそんな時であった。何かが居間の縦長の窓硝子を、こつこつと叩いた。

 「あら? 何でしょう...」

 ジャスリンが顔を上げれば、また、こつこつと鳴る。硝子越しに何かが羽ばたいていた。

 「さあ、また使い魔か?」

 ラーグが立ち上がり窓を開くと、一羽の雀が飛び込んで来た。

 「えっ!? 雀?」

 ラーグの銀髪を掠めて飛び込んだ小さな雀は、ウィードの開いていた古書の端にちょこんと停まった。見れば雀はくちばしに紙片をくわえていた。ウィードが手を出せば、雀は素直に紙片を落とした。そんな様子にラーグが目を丸くする。

 「伝書雀かよ」

 「大方、レジスかクレシスだろう」

 ウィードは小さな紙片を開いて目を通す。

 「......」

 微かに眉間を寄せたまま沈黙するウィードに、皆が注目していた。

 「あの、何のお手紙だったのですか?」

 ジャスリンが首を傾げながら尋ねれば、ウィードが視線だけを向ける。

 「口をきかないんじゃなかったのか?」

 片眉を上げるウィードに、ジャスリンは目を見開き、慌てて己の口を押さえた。ウィードは紙片を傍らから覗こうとしていたラーグに押し付け立ち上がった。

 「ドードが倒れたらしい」

 ウィードの素っ気無い声に、ジャスリンとルヴィーがそろって驚きの声を上げ、ピシャカレスは無表情のまま主を見上げる。

 「出掛ける」 

 一言告げると、ウィードは居間を出て行った。

  



 

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