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43.縫いぐるみ兎、再び(上)





 太陽が久方ぶりに、空の低い位置で弱々しくも自己主張を再開したその日、ハレンガルの人々は朝から多忙であった。

 何処も彼処も銀色に被われた世界は幻想的で美しくはあったものの、日常生活には不都合もある。あちらこちらの屋根の上には、眩し気に目を眇めながら雪を下ろす男達の姿があり、それぞれの家の前では、雪かきに精を出す住人達の姿があった。そんな中を、子供達がはしゃぎ戯れながら走り回る。



 ハレンガル唯一のささやかな教会でも、青年が二人、労働に精を出していた.....かと思いきや、どうやら労働はとっくにすませていたらしく、背丈といい何といいそっくりな二人の青年は、お揃いの外套を身に纏い、これ又そっくりな顔に涼し気で爽やかな笑みを浮かべながら雪の無い教会を見上げていた。


 「ほほ〜う、誠に便利なもんじゃなあ、お前達の能力ちからは...」

 外へ出て来たドード神父が、教会を見上げながら感嘆の溜息をついた。

 「でしょう? 悪魔払い以外にも使えますからね」

 振り返ったクレシスがにこやかに答えれば、同様に振り返ったレジスも同じ笑顔を見せて頷く。

 一昨日から降り続いた大雪の為に埋もれた教会を、二人は一瞬にして雪の中から救い出した。現在では、教会とその半径三メートル内には微塵の雪も残ってはいない。

 「でも、ちょっとやり過ぎちゃったかなぁ」

 レジスが腕を組みながら微苦笑する。

 「何を? 兄貴」

 「だって、少し位は雪を残した方が風情があって良かったじゃないか、クレシス。そう思わない?」

 「う〜ん、そうだけどさ。もう遅いよ、兄貴」

 「まあ案ずるな、レジスよ。雪なら又降るじゃろうて。次は、風情ある程度に雪を残せば良いじゃろが」

 そう言ってドードは、ひゃっひゃっひゃっと笑った。

 「そうですね、老師」

 レジスも素直に同意しながら笑い声を零した。

 「じゃあ、町の皆さんの手助けに行くとしようか? 兄貴」

 「ああ、そうしよう、クレシス。ちょっと行ってきます、老師」 

 「だからわしは、“してぃ・ぼーい” じゃと言うておろうが。その呼び方はよさんか」

 「はい、はい、分かってますって、ドード神父。風邪を引かないうちに中に戻ってて下さいよ」

 「そうですよ。もう若くないんですから」

 「なんじゃい、人を年寄り扱いしよって」

 ぶつぶつと不満を零しながらドードは双子の神父を見送る。言葉を交わしながら遠ざかって行く兄弟の様子に、ドードはやがて相好を和らげ笑い声を零す。

 「仲の良い兄弟じゃのう。何処へ行くにも一緒で、よく飽きんものじゃ」

 ドードはのんびりと呟き、やがてぶるりと身を震わせながら室内へと戻って行った。




 そして月夜城では、ちょうどその頃.....、大雪が降ったからといって特別に早起きなどするわけも無い城主が、当然の如く惰眠を貪っていた。いつもは表情に乏しいその口元には、ほんの微かな笑みまで浮かべている。

 今この時、ウィードは胸に心地良い重みを感じていた。愛しの魔女が、横たわるウィードの胸の上に恥じらいつつも、今日は珍しく積極的に身を伏せ頬を擦り寄せているのだ。彼は、幸せな気分で魔女の長い髪の柔らかな手触りを楽しんでいた。白っぽくくすんだ金色の髪に指を絡めては、優しく撫でる。そのように幾度となく魔女の髪を撫でていると、どこからか咳払いが聞こえた。

 「...?」

 威圧的ではないが、控えめでもない。ウィードのこの幸福な一時を遮る慇懃無礼な咳払。それと同時に魔女の柔らかな髪の手触りが消えた。そしてそれに変わる、何故かふわふわな手触り。

 「..??」

 ウィードは、ふわふわな毛並みをまさぐりながら、ぼんやりと瞳を開いてみる。無機質な紅い色が二つ、至近距離に並んでいた。胸の重みの心地良さが途端に重苦しいものに変わり、ウィードは何故か壮絶に気分が悪くなる。完全に夢から醒めた。


 「お早うございます、アレスウィード様」 

 至近距離からこちらを覗き込んでいる無機質な紅い点は、無機質な瞳に変わっている。

 「未だ嘗て無い最悪の目覚めだ...」

 「それは、ようございました、アレスウィード様」

 アレスウィードの胸の上に正座をしながらその顔を覗き込んでいた使い魔は、低い男の声で慇懃無礼に相槌を打った。

 「ところで、いつまで私の毛皮のふわふわな感触を楽しんでおられるおつもりですか? ちなみにそこは、私の “きゅーとなお尻” です。全く手の早いお方だ」

 無意識の内に毛皮をまさぐっていたウィードの手が、熱湯にでも触れたかの様な勢いで引っ込んだ。かと思うと、いきなりその使い魔の自慢の長い耳を鷲掴みにしていた。半身を起こしたウィードの双眸は、紺碧から怒りの紅に染まっている。

 「お前は、何故ここにいる?」

 背筋に寒気が走る様なウィードのすごみの利いた低い声。

 「ジャスリン様の御命で、アレスウィード様のお世話を」

 「ウサ公に世話なんぞ焼かれてたまるかっ! 胸くそわりぃっ!」

 哀れ、ジャスリンの白兎の縫いぐるみ型使い魔ピシャカレスは、ぽいっと部屋の隅に投げ捨てられた。


 

 最悪の気分で寝台を抜け出したウィードは、眉間に深々と皺を寄せたまま水差しを取ると無造作に洗面器に水を注いだ。水滴を辺りに飛び散らしながら冷たい水で顔を洗うと、ウィードは傍らへ手を伸ばしてタオルを掴む。ふとそちらへ視線を向ければ、再び無機質な紅い瞳と目が合う。掴んだタオルを差し出していたのは、無表情な白兎の縫いぐるみであった。

 「 ..... 」

 「 ..... 」

 無言で睨み合う事一時。ウィードは忌々し気にタオルを引ったくると、顔の水滴を拭う。

 「お着替えです、アレスウィード様」

 抑揚の無い声で縫いぐるみ兎がウィードの着替えを差し出す。それも同様にウィードは引ったくると、徐に夜着を脱ぎ、慇懃無礼な使い魔に荒々しく投げつけた。

 「あいつは、何をしてる?」

 「はて? “あいつ”、とは?」

 「ジャスリンだ」

 「私のジャスリン様は、只今表の雪かきに励んでおられます」

 「誰がお前のだ?」

 「ジャスリン様です」

 ウィードの手が再び縫いぐるみ兎の耳を乱暴に掴み上げた。

 「鍋にしても、美味しくありませんよ」

 「ぶつ切りにして、禿鷹の餌にしてやる」

 「そんな事して御覧なさい。ジャスリン様に一生口きいてもらえなくなりますから」

 ウィードが凄まじい笑みを浮かべる。

 「ジャスリンには、バレない様に殺るさ」

 「やれやれ、私如き下級魔族相手に本気で嫉妬なさるなど、貴方様も存外子供じみたお方ですな」

 ブチッと、何処かで何かが切れた様な音がした。



 「うをぉぉっ! すげえっ!」

 ジャスリンを手伝って雪かきに精を出していたラーグが歓喜の声を上げた...と言うよりは、おもしろ半分に能力ちからを奮っては月夜城を被う雪が盛大な湯気を上げて解けていく様子に、大はしゃぎしていたとでも言うべきか.....。

 「ラーグ様ってば、子供みたいだね」

 「うふふっ。本当ですね」

 そんなラーグの様子に、ジャスリンとルヴィーはクスッと笑いを零す。そのラーグのはしゃぎ声が突然止んだ。

 「あれぇ?」

 ラーグが素っ頓狂な声と共に空を仰いだ。

 「何だぁ、あれ?」

 「「えっ?」」

 ラーグにつられてジャスリンとルヴィーも空を見上げてみれば、何かが放物線を描いている。

 「何か飛んでく」

 「何でしょう...?」

 「あれ、ちょうどジャスリンの部屋辺りから飛んでったぜ」

 「えっ!? 本当ですか?」

 「うん、ほんとほんと」

 三人は、雪かきの手を休め、雪に被われた木立の方へと降下して行く未確認飛行物体を見詰めた。

 「私のお部屋の辺りから飛んで行ったのですか....?」

 ジャスリンが再度問うと、ラーグは強く頷いた。

 ジャスリンの部屋....、すなわち、現在ウィードがいるであろうと思われる部屋。そしてそのウィードの世話を頼んだ友人のピシャカレスがいるであろうと思われる部屋。ジャスリンの胸に沸き上がる一抹の不安。

 「ちょっとウィードとピーシャの様子を見て来ます」

 ジャスリンは言うや、雪に足を取られそうになりながらも城の中に駆け込んで行く。残されたラーグとルヴィーは何となしに目を見合わせたが、間も無くして次々にジャスリンの後を追った。





 「ええええええええええええ〜っっ!!」

 ダイニングルームにジャスリンの悲鳴が尾を引いた。

 「朝っぱらからうるさい」

 眉間に皺を寄せながらウィードは、たった今ルヴィーが入れてくれた濃いめの茶を口にする。

 「ななな何て事を、ウィード」

 ジャスリンは毛皮の裏打ちされたマントを脱ぎもせずに、年代物のカップを手にするウィードの前で顔色を失っている。

 「禿鷹の餌にされなかっただけ、有り難いと思え」

 「なっ、何て酷い事をっ! 私のピーシャにっ!」

 両手を握り締めながら肩を震わせるジャスリンに、ウィードは不機嫌に鼻を鳴らす。カップの中身は、今のジャスリンの一言で瞬時に凍り付いていた。傍らではティーポットを片手にしたままのルヴィーが、不機嫌な主と怒り心頭に達したらしき主の恋人へ交互に視線を向けながら困惑している。ラーグフェイルはというと、やはりマントを着たまま壁に凭れて事の成り行きを楽しそうに傍観している。

 「ウィードの人でなしっ!」

 「フンっ」 (訳・俺は人じゃねえ)

 「悪魔っ!」

 「フンっ」 (訳・だったら何だ?)

 「ウィードの、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っっ!!」

 「フンっっ」(訳・お前に言われたくねえ)

 何を言っても答えずに鼻を鳴らすだけのウィードに、ジャスリンの蒼白だった顔も怒りの為か紅潮していた。

 「ウィードなんか、ウィードなんか」

 ジャスリンのスミレ色の瞳が涙に被われた。

 「ウィードなんかっ、大っ嫌いですぅっ!!」

 うわぁぁぁ〜ん! という泣き声と共に、ジャスリンはばたばたと飛び出して行った。

 「フン」(訳・・・・・・・・・・・)

 「あ〜らら、泣かしちゃった〜」

 傍観していたラーグが壁から背を起こした。

 「かわいそ〜、ジャスリン。俺、慰めてあげよ〜っと。ついでに口説いちゃお〜っかな〜」

 「ラーグ様ってばっ!」

 「チャンス、チャ〜ンスっ!」

 ルヴィーの抗議の声も何のその、ラーグは上機嫌でジャスリンを追って飛び出して行った。

 「放っておけ」

 「ウィード様...」

 「それより、新しい茶を入れてくれ。又、凍らせてしまった...」

 「ウィード様...」

 気のせいか元気を失った模様である主の為に、ルヴィーは新しい茶を注いでやった。 



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