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42.風邪(下)





 「何、硬直してんだよっっ!?」


 業を煮やしたラーグが、ウィードの肩を掴み乱暴に揺さぶった。

 「あれ、ぜってぇ勘違いしてるぜ。相手はジャスリンだぜ。ぜってぇ、何か変な誤解してるってばさぁ。何とかしろよ〜。俺、やだぜぇ。そっちの気なんか全然、これっぽっちもねえってぇ〜のにぃ〜。よりによって相手がウィード!?やだ〜っ!ぜってぇ〜、やだ〜っっ!死んだ方がマシだ〜っ!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐラーグの脳天を、硬直していたウィードの拳が突然がしっと殴った。

 「いってぇっっ!何すんだよっ、くそウィードっ!!」

 両手で頭を押さえながら、さらにぎゃあぎゃあと喚くラーグを無視して、ウィードは寝台に歩み寄って羽布団をそっと剥ぐった。踞っていたジャスリンが首をわずかに廻らせウィードを見上げた。

 「気分はどうだ?」

 ジャスリンの額に片手で触れながらウィードは尋ねた。

 「大分楽になりました」

 「そうか」

 ウィードはジャスリンを抱え起こすと、傍らのテーブルの水差しからグラスに水を注いで、それをジャスリンに差し出した。

 「飲んでおけ」

 ジャスリンは素直にグラスを受け取り水を飲む。熱の所為で喉が渇いていた。水を飲み干すとジャスリンは目尻を下げ、ふぅっと満足げな息をつきウィードとラーグを見上げる。ウィードを見、ラーグを見、そして又ウィードを見..........。

 「.......」

 空のグラスを寝台の脇のテーブルに置くと、ジャスリンは再びもそもそと羽布団の中にもぐり込む。

 「お邪魔しました」

 「ちょっと待て」

 頭までもぐり込もうとしたジャスリンの腕を、素早くウィードの手が掴んだ。

 「お、お邪魔するつもりはなかったのです。ほっ、本当ですぅ〜」

 片腕を掴まれながらも、まるでヤドカリの様に布団の中にもぐり込んでしまったジャスリンに、ウィードは盛大な溜息を吐き出した。

 「えっ?ちょっ!待てっ!待てって、ジャスリン!?」

 叫びながらラーグが寝台の元に駆け寄る。

 「へっ、変な誤解すんなよ!いきなり襲いかかって来たのはウィードだかんなっ!俺じゃねえかんなっ!大体、俺、女専門だし」

 必死の形相で訴えるラーグの隣で、ウィードは羽布団をひょいと持ち上げそのまま沈黙した。何も言わないウィードに、ラーグも何となく口を噤んで布団の中を覗き込む。

 「.....寝てる....?」

 羽布団の中で丸くなっているジャスリンは、熱っぽい寝息を洩らしながら眠りに落ちていた。

 「速ぇ....。もしかして現実逃避?ウィードのホモ疑惑に、ジャスリン現実逃避?いってぇ〜っ!」

 ウィードの鉄拳が再度飛んでいた。

 「痛ぇっつってんだろ〜がっ!くそウィードくそウィードくそウィードっ!暴力反対〜っ!」

 脳天を押さえながら再びぎゃあぎゃあと喚くラーグに、ウィードは、やれやれと軽く頭を振りながら掴んでいたジャスリンの腕を布団の中にそっと収めてやった。




 

 冬も真っ只中のある朝の事。

 

 ジャスリンはパッチリと目覚めると、「う〜〜〜ん♪」と猫の様に思い切り伸びをした。かれこれ五日程寝込んでいたジャスリンであったが、まだ本調子では無かったものの熱も下がった様で、今朝はすっきりとした表情で寝台から抜け出した。

 「う〜ん、まずはお風呂に入る事にしましょう」

 少しハスキーな声で元気に宣言する。声の調子も大分良くなった。もはや老婆の様なガラガラ声ではない。鼻唄など唄いながら上機嫌で続き部屋へと駆け込むと、ジャスリンは自分でちゃっちゃとお風呂の仕度を始める。そこは彼女とて魔女。腐っても魔女であるので、然程骨を折る事でも無いのである。あっという間に暖かな湯で満たされる琺瑯ほうろうの猫足バスタブ。その前をきちんと衝立てで被う事を忘れない。ウィードが突然入って来ないとも限らないからである。尤も、今頃はまだ夢の中の住人である筈なのだが....。

 夏の内に作っておいた薔薇のエキスを湯に垂らすと、薔薇の良い香りが部屋に漂った。タオルやら石鹸やらを準備すると、ジャスリンは喜び勇んで夜着を脱いで湯の中に足を入れる。ちょうど良い湯加減に、そのまま身体を沈めると、ジャスリンは「ふぅ〜」っと満足げな溜息を洩らした。

 「生き返りますぅ〜」

 暫く湯の暖かみと薔薇の香りを楽しむと、ジャスリンは石鹸に手を伸ばして泡立て始めた。



 ウィードはジャスリンの部屋の扉をいきなり開いた。何せウィードにとってジャスリンの部屋は、己の部屋も同然なのである。まあ、この五日程は、ジャスリンが寝込んだ為に、ウィードもさすがに彼女の寝台にもぐり込む事はしなかったのであるが.....。

 「.......」

 寝台はもぬけの空であった。どうやら続き部屋にいるらしい。ウィードは迷いもせずに続き部屋の扉を叩くと、ノブを捻った。

 「入るぞ」

 いや、もう入っている。部屋の中程を衝立てが阻んでいた。その向こうから小さな悲鳴と、水音が上がった。薔薇の香りの湯気に、ウィードは魔族らしくほくそ笑む。


 突然のウィードの声に、ジャスリンの血の気は一気に引いていた。

 「熱は下がったのか?」

 気のせいか声と共に足音が近付いて来る。

 「さ、下がりました。あ、あの、ウィード?すみやかに出てって下さ」

 足音がジャスリンのすぐ間近で止まった。

 「何だ?」

 「ひぃぃぃぃっ!」

 衝立てなど、当然の如く無視するウィード。

 「おっ、乙女の入浴を覗くなんてっ!ウィードのえっちぃっ!!」

 ジャスリンは湯を派手に跳ね上げながら、両手で貧弱な胸を被って縮こまった。

 「別に否定はしないが?」

 顔を真っ赤にしてきゃんきゃん騒いでいるジャスリンの様子などおかまい無しに、ウィードはバスタブの中のジャスリンの背後まで歩み寄ると、何を考えているのか腕まくりをする。

 「寄越せ」 

 ウィードがジャスリンの背後から手を伸ばす。

 「は?」

 差し出されたウィードの掌に、ジャスリンは分けが分からずにきょとんと首を傾げた。

 「石鹸を寄越せ」

 「石鹸...?」

 ジャスリンは咄嗟に胸を被った両腕の、片方の掌が握り締めていた石鹸に視線を落とす。

 「早くしろ。湯が冷めるぞ」

 「......?」

 ジャスリンは、益々身を縮こまらせながら、おずおずと石鹸をウィードの掌に委ねた。

 「ななな、何をなさるのですか?お、乙女の入浴を、じゃ、邪魔しにいらしたのですか?し、紳士にあるまじき行いだと、おおお思いますけれど、ウィード?」

 「大人しくしてろ。そもそも、俺は紳士でも何でも無いし、お前もとっくに“乙女”とやらは卒業してるだろうが?」

 その言葉にジャスリンが息を呑む。

 「......えっ?」

 大分間を置いてから、小首を傾げて問い返す小さな声が起こる。

 「“乙女”の定義を知らないのか?お前は?」 

 身を縮こまらせたまま呆然とするジャスリン。“ガ〜ン”という効果音まで聞こえて来そうである。ウィードは石鹸を泡立てながら、やれやれとばかりに溜息を吐く。そして....、泡立てた石鹸の泡を、その色の薄い金色の豊かな髪に塗り付け洗い始める。

 「あ...、あの.....」

 「ん?」

 「何を....?」

 「お前の髪を洗ってるんだが....」

 ウィードの泡だらけの手が、困惑気味のジャスリンの額の生え際を撫でる。

 「嫌か?」

 「....嫌では...ありませんけれど....」

 「けど?」

 「恥ずかしいですぅ...」

 消え入りそうなジャスリンの呟きに、ウィードはフッと悪魔の様な笑みを零す。

 「もっと恥ずかしい事は経験済みなんじゃないのか?」

 「ひぃぃぃぃぃっ!!」

 途端に上がった悲鳴と共に、ジャスリンは両手で真っ赤に染まっている顔を被い突っ伏した。だが、いかんせん湯船の中である。次の瞬間には派手に咳き込みながら顔を上げたジャスリンは、バスタブの縁にぐったりとその額を預けていた。

 「全く.....。大人しくしてろって言ったそばから....」

 呆れ声を上げながらもウィードは、脱力しているジャスリンの髪を洗い続ける。

 「いいいいいいい〜っ」

 「そんなに好いか?」

 否、そんなわけは無い。ジャスリンは俯いたままふにゃふにゃと情けない泣き声を上げている。

 「目が痛いですぅ〜」

 どうやら目に石鹸の泡が入ってしまったらしい。ひんひんと泣きながら両目を押さえているジャスリンを後ろから抱き抱えると、ウィードは己の掌でジャスリンの両目を被う。一瞬暖かな熱を感じると同時に、ジャスリンの両目の痛みは消えた。

 「全く世話が焼ける。少しは成長しろ。湯をかけるぞ、目をつぶってろ」

 ウィードは小さな桶で湯をすくうと、ジャスリンを仰向けさせて額から湯をかけ泡を流してやる。ジャスリンの口から「ほわあ〜」っと、吐息が漏れる。

 「....気持ち良いです。ウィード」

 「良かったな」

  

 「何故、今朝はそんなに早起きさんなのですか?」

 「まだ寝てない。これから寝る」

 「え?」

 「厄介などこぞの魔女のお陰で、俺はこの五日間、殆ど寝てない」 

 「ええと...、それは...その....」

 湯船の中のジャスリンがウィードを見上げた。ふかふかのタオルでジャスリンの髪を拭いてやっていたウィードの手がふと止まる。

 「ご迷惑をおかけしました...」

 「全くだ。しかもお前が寝込んでくれた所為で、俺は貧血を起こしてクソ不味いラーグの血なんぞを啜らなきゃならないはめになったぞ」

 ウィードの眉間に深々と皺が寄る。思い出したく無い事を、思い出したのだろう。ジャスリンは、きょとんと首を傾たが、すぐに昨夜の件を思い出す。

 「あ.....、昨日の.....?」

 心底から嫌そうな顔をするウィード。それが何やら可笑しくて、ジャスリンは思わずくすくすっと笑い出した。

 「人の災難を笑うのか?お前は?」

 「だ、だって..」

 ウィードの顔を見ながら笑い続けるジャスリンに、ウィードはげんなりと溜息を一つ洩らすと、次の瞬間には背を屈めて笑い声を零すジャスリンの口を塞いでいた。

 「ん?ん!?んんん〜!」

 ジャスリンの抗議の声には当然貸す耳など持たず、ウィードはジャスリンの唇を奪ったまま濃厚に重ね合わせる事ひと時。やがてジャスリンの唇を解放したウィードの唇は、細い首筋から徐々に下がり....。

 「ウィ、ウィード?そろそろお風呂から上がりたいのですが...?あ、あの..?」

 「そうか」

 ウィードから答えは返るも、口付けの雨は止まない。ウィードの腕が己の胸元を隠していたジャスリンの腕を捕らえた。ささやかに膨らんだ胸元に口付けが落ちる。

 「きゃっ」

 バスタブの湯が刎ねた。もはやウィードのシャツも大半が湯に濡れていた。

 「い、いけませんっ!ウィードっ!こ、こんな処でっ!」

 「なら、ベッドへ行こうじゃないか」

 言うやウィードはジャスリンを抱き上げる。

 「へっ!?」

 「この処ずっとご無沙汰だったからな」

 「ななななっっ!?」

 ジャスリンはウィードの腕の中でじたばたともがきながら、頭に巻かれていたタオルを掴んで辛うじて素っ裸の身体を隠そうと試みる。

 「わ、私は病み上がりですぅ〜、ウィード」 

 「そうだな。なら今日は一日ベッドの中で過ごす事にしよう」

 「ひぃぃぃっ!た、助けてぇっ!ルヴィーっ!!」

 ルヴィーに助けを求めたところで、救いの手など差し伸べられる筈も無い。




 「はあぁぁぁぁ〜」

 ジャスリンの口から大きな溜息が吐き出された。 

 「助かりましたぁ〜」 

 安堵の溜息であった。

 そんなジャスリンの胸の上に頭を乗せて細い腰を抱き締めたまま、ウィードが静かな寝息をたてていた。さすがのウィードも寝不足と貧血で随分と疲れているのだろう。寝込んでいたこの五日間、目を覚ませば、いつも傍らにウィードの姿があった事をジャスリンは思い、そして微笑む。そろりそろりと身じろぎしながら、ウィードの頭を自分の胸の上から枕の上にそっと移してやると、その酷く整った顔を暫し眺める。男にしては長い睫毛の目元にかかる少し癖のある黒髪を、優しい手付きでそっとかきあげてやりながら、ジャスリンは「フフっ」と、ごく小さな笑みを零す。元々白皙である顔が、今朝はさらに蒼白い。 

 「この処、ずっと血を差し上げていませんでしたね」

 ラーグの血を啜ったと言ってはいたが、やはり吸血種族の血では、薄いのだろう。 

 「目が覚めたら、好きなだけ血を差し上げますからね。....えっと、死なない程度にですけれど.....」

 ジャスリンは囁くと身を屈め、眠るウィードの唇にそっと不器用な口付けを落とした。しかし次の瞬間には顔を真っ赤に染めながら慌てて辺りを見回す。他に誰がいるわけでも無いのだが......。暖炉で炎がばちっと爆ぜた。炉の火を絶やさない様にしてくれたのもウィードなのだろう。ジャスリンは羽布団をウィードの肩まで引き上げると、そっと寝台から抜け出した。



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