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41.風邪(上)

 




 冬も真っ只中のある日の事であった。


 吸血種族らしからず、一年を通して夜は健全に夢の中の住人となる事に何ら疑問を抱かないアレスウィードは、一年を通して朝寝坊を好む。夏は強い陽射しを嫌って中々寝床から出たがらず、冬は冬で寒さを厭って寝床を出たがらない。そんなアレスウィードの日常といえば、一日の半分は寝床の中で時間が費やされるのである......。という事は、....一年の内の半分、十年の内の五年、百年のうちの五十年。アレスウィード四百一年の生の内、二百と半年は寝ていた計算になる.....のであろうが.........。まあ、例外とてある、念の為.........。





 もうそろそろ魔女が起こしに来る頃合であろうかと、うつらうつら考えながらウィードはそれを楽しみに待っていた。しかし今日はどうした事か、いつまでたっても優しい魔女の声は聞こえて来ない。いい加減脳内も覚醒したウィードは、そこで不覚にも初めて気付く。愛しの魔女はどういった訳か、未だウィードの傍らに横たわっていたのだ。

 「.......?」

 ウィードは身を起こしてそっとジャスリンの顔を覗き込んでみた。息づかいが普段よりも早く、頬が熟れた林檎の様に赤い。額に触れてみれば案の定、酷く熱を持っていた。

 「........」

 やはりこんな事もあるのかと漠然と思いつつ、ウィードがジャスリンの汗ばむ顳かみを手で拭ってやっていると、彼女の瞳が薄らと開いた。

 「起きたか?」

 「ウィード....」

 「酷い声だな」

 「風邪を引いちゃったみたいです....」

 情けなくも酷い掠れ声を押し出すと、ジャスリンは咳き込んだ。

 「魔族が風邪を引いたなんぞ、いい笑い話だな」

 「私は半分人間ですぅ〜」

 辛いのだろう、喉を押さえて半べそをかき始めた。




 真っ赤な顔で水銀体温計を口にくわえているジャスリンの額に、氷水で堅く絞った手巾をのせてやると、ウィードは哀れな病人の口から体温計を引っこ抜いた。

 「39度8分か....、熱が高いな」

 体温計を片手に呟くウィードを、ルヴィーが今にも泣き出しそうな表情で見上げている。そんなルヴィーに、ウィードは体温計を手渡しながら安心させるかのように微笑んで見せる。

 「曲がりなりにも魔族の血を引いてるんだ、これくらいじゃ死なんだろう。安心しろ、ルヴィー」

 「はい.....」

 従順に頷きながらも、ルヴィーの表情は変わらない。まるでジャスリンの辛さを己自身も又感じているかの様な表情である。そんなルヴィーを一瞥しながら、ウィードは徐に片手を桶の中の氷水に浸けた。暫しの後にウィードは、ジャスリンの額の手巾をつまみ上げ、己の濡れた手の水滴を拭き取ると、冷えきった掌をジャスリンの熱い額の上に置いた。

 「ほわぁ〜、気持ち良いですぅ〜」

 誰の声かと思わせる様なガラガラ声と共に、ジャスリンの半べそをかいていた情けない表情に、ほんわりと笑みが浮かぶ。荒かった呼吸が、心持ち穏やかになったところで、ウィードは手を放し再び桶の中に浸した。途端にジュッと音を立てて湯気が.....上がるわけは無いのだが.....、ウィードの手が吸い取ったジャスリンの熱により、氷水の氷がかなり溶け出したのは確かであった。

 「メシは食えそうか?」

 体温が下がり、目に見えて楽になったらしいジャスリンにウィードが尋ねれば、ジャスリンは眉間に皺を寄せ唇をつんと尖らせる。食べたく無いらしい。

 「口移しで食わせてやってもいいぞ」

 意地悪く口角を上げるウィードの表情が艶めく。それと同時に「びゃっ!」と、まるで尻尾を踏まれた死にかけの猫の様な奇声が上がる。

 「ねねねねね、ね、ね、ね.....」

 「根がどうした?」

 「.......」

 

 どうやら言い返す気力は持続しなかったらしい......。再び荒い息を吐いているジャスリン。恐らくは、熱が上がったと言いたかったのであろう......。実際の処、せっかくウィードに吸い取ってもらった体温は、再び一気に上昇してしまった模様である。ウィードは、呆れた様に溜息を零した。

 「冗談だ.....」 

 「ウィード様.....」

 「すまん.......、つい.......」

 傍らのルヴィーの潤みに潤んだ瞳に責められ、ウィードは極り悪そうに目を逸らした。

 



 「全く、町の者達を癒しに回って病を貰って来るとは....、お前らし過ぎて、笑っていいのか悪いのかさえも俺には分からん」

 寝台に深く腰掛け片腕に抱き抱えたジャスリンの口元に、ゆっくりと匙を運んでやりながらウィードは毒突く。それでいて、その一挙一動は酷く優しい。

 寝台の上にちょこんと膝を折って座っているルヴィーの差し出す椀から、丹念に潰して漉された野菜のスープを再び匙に掬い、ウィードはゆっくりとジャスリンの口元に運んでやる。

 「味も何も分かりません.....」

 ウィードの胸に、ぐったりと背を預けながらジャスリンは息をつく。熱に潤むスミレ色の瞳が、今日は変になまめかしく見える。

 「雛に餌を与える親鳥の気分だ....」

 「僕もです。ウィード様」

 「どうせなら、親鳥らしく口移しで食わせたい.....」

 「僕もです。ウィード様。あ....」

 ボンっ!と音こそしなかった物の、ジャスリンの顔が湯気を立てんばかりに真っ赤に染まったかと思うと、クテッと首が折れた。

 「.....しまった...、つい....」

 「.....僕もです。ウィード様....」 

 相変わらず微妙なほど微妙にしか表情の変わらないウィードに対し、ルヴィーは一瞬にして金色の瞳をうるうると潤ませる。

 「わ〜んっ!ごめんね、ごめんね!ジャスリンっ!」

 泣き出すルヴィーの首根っこをウィードの手がひょいと掴み、寝台から下ろした。

 「やれやれ、世話の焼ける奴だ」

 ウィードは溜息混じりに呟くと、ジャスリンの熱い額に手を置いた。


 


 この処ハレンガルでは流感が流行っていた。魔族にとって何でも無い病も、人間にとっては命取りになる事もある。殊、幼い子供や年寄りなどにとっては....。この一ヶ月程、ジャスリンはあっちで世話を焼き、こっちで世話を焼きと、まるでコマドリの様に流感に倒れた人々の世話を焼いて回ったのである。そして....、その流感も下火になった今頃になって寝込むはめに陥ったというわけである。尤も、次々に寝込んだ人々を癒しに回ったのは、ウィードも同様ではあったが、そこが純血の魔族とそうでない者との大きな違いであったらしい。まあ、感冒などとは無縁とはいえ吸血種族は吸血種族で、極度の貧血症という、ある意味それ以上に厄介な問題を抱えていたわけではあるが....。



 今年の感冒は厄介だな...などと思いながら、ウィードはジャスリンの寝台の傍らで椅子の背に身を預けていた。時折暖炉の炎の爆ぜる音が聞こえる他は、室内はしんと静まっている。ジャスリンの呼吸も大分落ち着き、今は穏やかである。ジャスリンの寝顔を眺めていたら、突如床がぐらりと揺れた様な気がした。

 「...!」

 ウィードは緩慢な動作で腕を上げて両目を被った。形の良い口元から小さな舌打ちが洩れる。座っているにも拘らず、目眩に襲われたのだ。そういえばこの一ヶ月の流感騒ぎの忙しさの為に、ジャスリンの甘い血を殆ど口にしていなかった事に思い至る。最後に血を貰ったのはいつの事だったか.....?少なくとも二週間は口にしていないか?否、三週間だ.......。

 その事に思いいたると、ますます目が回り出し、終いには目の前が真っ暗になった。情けない事に、ジャスリンの寝台に突っ伏し毒突くも、そんな事は無論薬にもならない。

 血が欲しかった。あまりに飢えれば、理性よりも本能の方が勝ってしまう。それは、人間であろうが魔族であろうが大差は無い。ウィードの手が寝台に横たわるジャスリンの火照った首筋に伸びる。その脈を探り当てると同時に、ウィードの背筋はゾクリと震えた。ジャスリンの血の甘さを思い、身が震え、知らず知らず呼吸が荒くなった。だが......、ウィードはそこでふらりと立ち上がり、ジャスリンから遠ざかろうとした。一応理性の方が勝ったらしい....のだが......。寝込むジャスリンの身を思っての事なのか、それともジャスリンの承諾無しに勝手に血を頂戴した後の顛末を案じての事なのか......、まあ、その辺は本人に尋ねてみないと分からないのではあるが........。とにかくウィードは、ふらふらとよろめきつつも歩き、結局は壁に激突した。と、それと同時に扉がノックされた。時刻は真夜中。ルヴィーはとっくに就寝させていた。

 「誰だ?」

 「俺。ラーグ。入るぜ」

 ウィードの返事も待たずに扉が開き、ラーグフェイルがひょっこりと顔を出した。室内に黒い影が動く。

 「ジャスリンの様子、どう?って、何やってんの?ウィード」

 扉の傍らの壁に凭れたまま動かないウィードの背中に気付き、ラーグは瞬きする。 

 「立ちながら寝てんの?もしかして...うわっ!」

 不思議に思いながら近付いたラーグは、驚きの声を上げた。何せウィードの手に突如首を掴まれたのだ、そりゃあ吃驚もする。俯き壁にぐったりと預けられていたウィードの顔がゆらりと動いた。

 「一体、な......」

 ラーグに尋ねる間も与えずにウィードは彼に抱き着き、容赦無くその首筋に牙を立てていた。

 「いって〜ぇっ!」

 ラーグの叫び声が上がる。

 「何すんだよ、痛えだろ〜がっ!」

 じたばたともがくも、ウィードの両腕はがっちりとラーグを捕らえて放そうとしない。

 「放せっ!くそウィードっ。気色悪ぃぞ、この変態っ!俺にそのはねぇっ!くそっ」

 一頻り毒突き、そこでラーグははたっと気付く。どうやら血を吸われているらしいという事に.....。首筋に噛み付かれた時点で気付いても良さそうなものだが.......。

 途端に怒る気も失せたラーグは、もがくのを止めて大人しくなる。

 「もしかして貧血起こしてたのか?」

 ウィードに血を提供してやりながら、ラーグは呆れた様に尋ねた。それに反応したのか、ウィードは血を吸うのを止め、そのままラーグの肩に頭を持たせかけて力無く溜息をついた。

 「.....不味い」

 いきなり牙を立て勝手に血を吸っておきながら、横柄な呟きをもらすウィードに、ラーグは鼻息を荒くする。

 「んなら吸うなよっ、ったく!何が哀しくて俺は野郎なんかに血ぃ吸われなきゃなんねぇんだよっ。気色悪ぃなあ」

 「全くだ...。何だってお前の血なんか啜らなきゃならないんだ......」

 不本意そうな声音で言うと、ウィードは再びラーグの首に吸い付いた。

 「ったく情けねえの。ジャスリンに血ぃ貰えねぇなら、街の誰かに恵んでもらえばいいだろうが。皆喜んで恵んでくれんだろ?あんたなんかに抱き着かれて血ぃ取られる哀れな俺の身にもなれってんだ。俺まで貧血起こしたらどうしてくれんだよ〜?」

 ラーグは心底嫌そうな顔でぶつぶつとぼやきながら、それでもウィードに大人しく血を吸われている。俺にはそっちのは全然ねえっつーのに、ぶつぶつぶつ、ぶつぶつぶつ...、などと文句を垂れ流し続けつつ動かした視線がジャスリンの寝台の上で止まる。

 「あ.....」

 ジャスリンが目をまん丸にしてこちらを見詰めていた。端から見れば、男二人が抱き合ってる様にしか見えないだろう。ラーグは引きつった笑顔を浮かべながらウィードの肩をばしばしと叩く。 

 「あははは...あはは...、お早うジャスリン、気分はどうだ?」

 不自然に明るいラーグの声に、ウィードががばっと身を起こした。スミレ色の瞳と紺碧の瞳、見詰め合う事幾許か.....。

 「ええと....、お邪魔しました...」

 相変わらずガラガラの掠れ声で酷く冷静にそう残すと、ジャスリンはもそもそと羽布団の中にもぐり込んで隠れてしまった。

 「.........」

 ウィードはそんなジャスリンに目を向けたまま沈黙している。

 「おい」

 「.........」

 「おいってば」

 「.........」

 ラーグが声をかけても無言のままである。どうやら硬直しているらしかった。


 


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