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40.魔女と吸血鬼と狂信者(五)

 




 夜更けの事であった。いつもなら就寝している筈のドードは、この日ばかりはまだ僧衣を解かずに礼拝堂で祈りを捧げていた。そして暫しの後に顔を上げ、浮かぬ表情で小さく嘆息した時、勝手口の扉を叩く音に気付いた。こんな遅い時刻にドードは“おや?”と思い、腰を上げると勝手口へと向かう。戸を開くと、そこにはジャスリンと不機嫌極まりないウィードが立っていた。

 「今晩は、ドードさん」

 「ジャスリンや! 寝とらんで大丈夫なのか!?」

 「怪我はウィードが塞いでくれましたから、大丈夫です」

 心配顔のドードに、ジャスリンは微笑んで見せた。





 焼ける様な痛みに意識を彷徨わせていたレジスは、自分を見下ろす哀しそうな弟の瞳を幾度か見た。そして、自分を見詰める慈愛に満ちたスミレ色の瞳を見た。彼女が手を翳すと、焼ける様な痛みが和らいだ。白っぽく輝く金色の長い髪に、天の御使いが降臨したのだと思った。

 




 「ウィードよ、お前、良く許してやったな」

 ドードは薄荷茶を入れながら、何やら嬉しそうに言った。

 「俺が許したと思うのか?」

 ドードがテーブルに置いたカップには目もくれずに、ウィードは吐き出す様に言った。

 「結果的に許したから、嬢ちゃんをここに連れて来たんじゃろが?」

 ドードは自分のカップを片手にウィードの向かいの席に座ると、薄荷茶の香りを堪能しながら美味そうに啜った。そんなドードの様子を横目にしながらウィードは鼻を鳴らす。

 「んな分けがあるか」

 気のせいか力無いウィードの反論に、ドードはひゃっひゃとからかう様に笑った。

 「じゃろうな」

 横目にウィードを見やるドードは、まだ笑っている。

 「嬢ちゃんが飛び出して来たのに引っ付いて来たってのが、まあホントのとこなんじゃろ?」

 「何故そんなに楽し気なんだ? このくそじじい」

 ウィードは恨めしそうな瞳でドードを見やり、苛立たし気に息を吐く。

 「俺には全く理解出来ない。一度ならず二度までも己に手をかけ様とした奴を、何故助けようとするのか」

 「そりゃあ、ジャスリンだからじゃろ?」

 「あのくそったれレジスめ。今度何かやらかしたら、あの阿呆がどんなに泣いてごねようとも、その時こそ八つ裂きにしてくれるぜっ」

 「さて、どうかのう? 次はあるかのう?」

 そう言ってドードはひゃっひゃと笑った。





 表で小鳥が朝のさえずりを上げていた。クレシスがカーテンを半分程開けると、小さな窓からは朝日が差し込み、然程大きくも無い部屋を暗がりから掬い上げる。ジャスリンは明るさに目をしばたたかせながら夜の明けていた事を知り、そして寝台に横たわる人物に視線を落とすと、手巾に手をのばして汗ばんだ額を拭ってやった。 


 「天使....」

 「えっ?」

 突然の呟き声にジャスリンは驚き、慌てて手を引っ込めた。寝台の中の人物...レジスは微かに開いた焦点の定まらない瞳をジャスリンへと向けていた。

 「兄貴、気が付いたのか?」

 クレシスが覗き込み声をかけると、レジスの意識もしっかりと覚醒したらしく幾度か瞬いた。そして今度は焦点の定まった灰色の瞳でジャスリンを凝視した。

 「あの私、お薬を煎じて来ます」

 慌てて立ち上がろうとしたジャスリンの腕を、レジスは素早く掴んでいた。ジャスリンは驚き狼狽え、掠れた悲鳴を洩らす。

 「何するんだ!? 兄貴っ!?」

 クレシスがすかさず凄い剣幕でレジスの腕を掴んだ。己にそっくりな顔の両目の下の隈に、恐らくは一睡もしなかった事をレジスは見て取る。

 「何もしないよ、何も....。そんな気力は残っていないよ、分かるだろう?」

 「今度ジャスリンに何かしたら、アレスウィードだけじゃない。俺も絶対に許さないからな」

 弟の抑えた怒声にレジスは分かってるとばかりに頷き、そして怯えるジャスリンを再度見上げ、掴んだ手首をゆっくりと離した。

 「私の傷を癒したのは貴女だったのですね? 魔女殿。私はてっきり....」

 「え?」

 じりじりと後ずさっていたジャスリンの歩が止まる。

 てっきり天使かと....、という言葉は口にはせずに、レジスは真剣な面持ちでジャスリンを見詰める。声に、いつもの涼やかさは無い。

 「何故私を助けたのです? 二度も貴女を殺めようとした私に情けをかけるなんて...、正気の沙汰とも思えない。あのまま放っておけば、私は今頃亡き者だったでしょう。その方が貴女に都合の良い事は明白だったでしょうに?」

 「それは.....」

 ジャスリンは言い淀む。

 「ここで助けておけば、それを私が恩に着て、二度と貴女方を襲わないとでも考えましたか?」

 「何て事を言うんだ、兄貴!?」

 クレシスが諌めようとも、レジスは言葉を続けた。

 「アレスウィードが貴女に言った事は正しい。命を長らえた私は再度貴女方を襲うかもしれない。それが私の仕事ですからね」

 「.....そうですね、分かっています。」

 叱られた子供の様に肩を落としながら言葉を続ける魔女の淋し気な瞳を、レジスは射る様に見詰め続ける。

 「私は唯、ウィードに貴方の命を奪う様な真似をして欲しく無かっただけです。だって貴方は、クレシスさんのたった一人のお兄さんなのですもの。唯それだけです」

 ジャスリンの名を呟いたクレシスの声が、溜息の様に聞こえて来た。

 「私は、きっと、貴方自身を助けたかったわけでは無いのです.....」

 まるで懺悔の様にジャスリンは俯き呟いた。

 「私は、クレシスさんが悲しむ事と、ウィードがクレシスさんを悲しませる事が、嫌だったのです。だから貴方に何かを期待したわけではありません。でも出来れば、もう二度とあんな事はしないで頂きたいですけれど、お仕事なら仕方がありませんね.....」

 そう言って最後に小さな溜息を吐くと、ジャスリンは薬を煎じる為に部屋を出て行った。レジスは驚きに目を見開き、さも呆れと言わんばかりに息を吐いた。


 “お前の言った意味が分かったよ”

 暫しの沈黙の後に弟の心に話しかけたレジスは、力無く苦笑を浮かべていた。

 “何?”

 “私も、そう思う...、クレシス....”

 “だから何が?”

 訝しむクレシスを見上げながら、レジスはそれ以上何も言わずにただ微笑む。

 その様子にクレシスはふと自身が兄に言った言葉を思い出した。 

 

 『まるで.....聖女のよう.....』


 クレシスは驚き兄を見詰めたが、やがて表情を和らげた。






 それから......、月日は過ぎ行き.......、ここハレンガルの秋も大分深まり、吹く風も日々冷たくなって、冬将軍の訪れももう間近かという頃合い。


 今朝もダイニングルームには、香り高い紅茶の湯気が立ち上る。


 「はい、どうぞ。濃いめに入れて差し上げましたよ、ウィード」 

 「.........」

 魔女のご機嫌麗し気な声にも答えない吸血魔族は、今朝も又、機嫌は最悪らしい。

 「やれやれ、まだ頭ん中が働いとらんのかぁ? この低血圧が...。鳥の肝でも食え。それとも生き血の方が良いんじゃったら、ここに生きの良いのが二人おるぞ。少し分けて貰ったらどうじゃ? ひゃっひゃっひゃっ!」

 ドード神父の言葉に、ウィードの手にしていた年代物のカップの中身が“ピキっ”と、小さな音を立てた。ウィードは眉間を寄せながら、手にしていたカップを逆さまに傾ける。凍り付いた紅茶が零れ落ちるわけも無い。

 そんなウィードの様子に、ドードはさらにひゃっひゃと笑い、ルヴィーは毎度の如くミルクのコップを手にしたまま、白いヒゲの付いた愛らしい顔で心配そうに主の様子を伺っている。

 「まあ、ウィードったら、やっぱり凍らせてしまいましたね? しょうの無い人ですね」

 「..........」

 ジャスリンはどうやら予測していたらしく、くすくすと可憐な笑い声を零しながら、すぐに新しいカップに紅茶を注ぎ出す。

 無言のまま、新たに注がれた香り高い紅茶に口を付け、ウィードはカップを受け皿に置いた。


 「......で?」

 「「??」」


 不機嫌なウィードの口から低く発せられた音を、向かい側に揃って座る二人が、同じ顔で、これまた声を揃えて繰り返した。二人共、お揃いの黒の詰め襟の僧衣姿である。室内の気温が一気に下がった。


 「何故、お前達が朝っぱらから揃ってここで和んでいる?」

 「悪いか? 午前中の茶を、嬢ちゃんとルヴィーと楽しみたいと思って来たのじゃ」

 ウィードの脇で、ドードがカップを手にしながら飄々と答える。更に室温が下がる。

 「こりゃ、ウィードよ。寒いぞ」

 灰色の古風な僧服姿のドードがブルッと体を震わせた。

 「血圧が低いと、怒りっぽくもなろうなぁ。素直に血を分けてもらったらどうじゃ? 全く」

 「神父の血なんぞ吸えるかっ。消化不良を起こす」

 「それは残念。お望みなら分けて差し上げても良いと思ったのに」

 「うん、私もだよ。領主殿」

 双子の神父はそれぞれカップを片手に、涼やかで爽やかな笑顔をウィードへと向けている。

 「死んでもお前等の血なんか吸うか、気色悪い」

 「ウィードったら、折角のクレシスさんとレジスさんのご親切を....」

 「親切? 嫌がらせの間違いだろう? とっとと消えろ」

 「んもうっ! ウィードったら。今日は、お二人とも私のお手伝いにいらして下さったのですよ」

 「何?」

 「今日は、お庭の林に薬草を摘みに行くのです。お二人とも薬草の知識をお持ちですし助かります」

 「そう言って先週も薬草摘みに行ってなかったか?」

 「先週は、湖の近くの林のを摘んだのです。今日は月夜城のお庭の林のを摘むのですよ。この時期にしか取れない薬草だって沢山あるのです。それに薬用の木の実や種も」

 にっこり微笑むと、カップを口元へ運びコクリと紅茶を一口飲むジャスリン。それに反して恐ろしく不機嫌なウィードの瞳は目の前の神父を睨みつける。

 「良い度胸だな、のこのこと俺の前に顔を出すなんざ」

 「こそこそと、ネズミの様に隠れているよりは良いでしょう?」

 余裕の笑顔でカップを手にする双子神父の片割れに、ウィードは「ふんっ」と鼻を鳴らす。  

 「おや? ひょっとしてお忘れですか? アレスウィード? 私のこの命は、貴方にお預けすると申し上げたでしょう? お好きな時に奪えばいい。私は逃げも隠れもしませんよ」

 「いっその事、逃げて隠れろ、くそったれ。お前の命、奪えるもんなら、とっくに奪ってる」

 「そんな事なさったら、向こう百年は口をききませんからね、ウィード」

 ジャスリンがにっこりと微笑みながら、すかさず口を挟んだ。

 「くっ.....」

 絶句する主の姿を心配そうに見詰めるルヴィーの瞳には、心做しか哀れみの色が浮かんでいる。

 「さあ、そろそろ行こうか?」

 「そうだね、クレシス。美味しいお茶もごちそうになった事だし」

 「はい、行きましょう」

 四人がそれぞれ立ち上がり、マントを身に着け籠を手にする。

 「行ってきます、ドードさん、ウィード」

 「行っておいで。気を付けてのぅ」

 声を揃えて返事を返すジャスリンとルヴィーの後に付いて、クレシスとレジスの二人も月夜城の広大な庭へと出掛けて行った。

 

 「やれやれ、不満そうじゃなあ。ウィードよ」

 「当たり前だ」

 「案ずるな。レジスは二度と愚かな真似はしまいよ」

 「分かってる」

 「クレシスと二人揃って、ああして甲斐甲斐しくジャスリンの手伝いに精を出しとる。罪滅ぼしのつもりなんじゃろう」

 窓の外に見える四人の後ろ姿に目を向けているドードのしみじみとした言葉に、ウィードも又、無言のまま窓の外へと瞳を巡らした。


 

 月夜城の庭の外れの林の木々は、すっかり紅葉ないしは黄葉し、あちらこちらではらりはらりと葉が降っていた。

 「うわぁっ! 見て見て! ジャスリンっ! キノコが沢山生えてるよ!」

 「まあ〜っ! ルヴィー、凄いです!」

 ルヴィーにならってジャスリンも辺りの枯れ葉を何気なくどけてみる。

 「うわぁ〜! 見て見て見て下さいっ! こっちにも沢山っ!」

 ジャスリンがはしゃぎ声を上げれば、双子の神父もそれぞれ木の根元の枯れ葉をはぐる。

 「すごいな。美味そうなのが一杯だ」

 「どうやら薬草摘みでは無く、キノコ狩りになりそうだね」

 「良い考えですっ、レジスさんっ! 今日はついでにキノコ狩りもしちゃいましょう!」

 ジャスリンとルヴィーのはしゃぎ様に、レジスとクレシスは苦笑しながら目を見合わす。

 「わっ、こんな紅いきのこもあるよ!? もしかして毒キノコかなぁ?」

 「あ、これは緋色傘といって食べられるキノコですよ。ウィードとラーグの喜びそうな色のキノコですね。採って行ってあげましょう」

 ジャスリンが嬉々としてキノコに手を伸ばすと、他の面々もキノコ狩りに打ち込み始める。そんな和気あいあいの雰囲気の中、ジャスリンは思い起こす。

 

 『私は、間違っていました。心よりの謝罪を、貴女に』


 そう言ってジャスリンの前に跪いたレジス。そして、生かすも殺すも自由とばかりにその命をアレスウィードに託した。

 ジャスリンはレジスとクレシスの様子を盗み見ながら、嬉しそうに微笑んだ。


 「ねえ、ジャスリンっ! こっち来てっ!」

 「あ、はいっ?」

 ルヴィーに呼びかけられ、ジャスリンは我に返りルヴィーに駆け寄ろうとする。その拍子に木の根に足を取られたジャスリンは、「わきゃあっ!」との奇声を上げて籠の中のキノコをまき散らしつつ顔面から地面に突っ込むところを、間一髪でレジスの腕に助けられた。

 レジスに抱えられたまま、ジャスリンは深々と安堵と冷や汗混じりの溜息を吐き出した。

 「大丈夫ですか? 魔女殿?」

 「はい、ありがとうございます、レジスさん」

 照れながらも、無邪気に笑うジャスリンの細い腰から腕を外すレジスの様子に、クレシスは思わず首を傾げる。 

 (兄貴.....?)

 ルヴィーの元へ歩み寄るジャスリンへと向ける兄の眼差しに、クレシスはあっけにとられ溜息を洩らした。しかし、それもすぐに笑顔に取って代わった。


 “やれやれ、兄貴....”

 “何だい?クレシス?”

 “彼女は、アレスウィードの恋人だよ”

 “分かっているよ”

 “頼むから、惚れたりするなよ”

 “何故?”

 “何故って!”

 律儀にせっせとキノコを取りながら兄を諌めていたクレシスは、さらりと言葉を返して来る兄に、思わずがばっと立ち上がる。

 「どうしたのですか? クレシスさん??」

 「あ...、いや、何でも無いんだ、ジャスリン。ムカデに驚いただけだよ」 

 クレシスの適当な言い訳にジャスリンとルヴィーとの間で、「ムカデさんっ! ムカデさんがいらっしゃるのですかっ!?」、「そりゃあ、いてもおかしくないよ、ジャスリン」、「あきゃっ! 願わくばお会いしたく無いですぅ〜」、「触らなきゃ大丈夫だよ、ジャスリン」などなどとの押し問答が俄に起こる。クレシスの心に、兄の笑い声が響いた。 


 “彼女は愛されるべき女性だね、クレシス”

 

 クレシスは無言のまま、ジャスリンを熱っぽく見詰める兄の姿へ視線を戻す。

 

 “私は、ドード老師やお前同様、教会本山の思想をきっぱり捨てた身だよ。しかもこの命は、今ではアレスウィードの物だ。私は何時死んでも悔いは無い。要は、怖いもの無しって事さ”

 “あ....、兄貴.......”

 やはり一筋縄ではいかぬ兄に、クレシスは内心頭を抱える。

 “でも、心配しないで、クレシス。私は唯、お前の様に魔女殿を崇拝しているだけだから。アレスウィードから奪おうなんて、間違っても考えてはいないよ。魔女殿が彼に心を寄せている限りはね”

 そう言って涼やかにクスクスと笑うレジスに、クレシスは再度溜息を吐く。


 当の魔女はといえば、そんな兄弟のそれぞれの心の内も知らずに、あっちに駆け寄り、こっちに駆け寄りしながら、嬉しそうにキノコ狩りに精を出している。そんな無邪気な魔女の姿と、思想が変わってもやはり根本的な面は変わっていない困った兄の姿を交互に見ながら、クレシス神父は再度大きな溜息を吐いておりましたとさ........。




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