38.魔女と吸血鬼と狂信者(三)
「あの〜ぅ、ウィード?」
「ん?」
書庫の梯子に寄りかかり読書に勤しんでいたウィードが首を巡らせると、そこにはジャスリンとルヴィーがそろってにこにこと、何やら物言いたげな作り笑いで立っていた。
「止めておけ」
「まだ何も言っていませんっ!」
すげ無く古書へと視線を戻すウィードに、ジャスリンは思わず数歩踏み出し、突っ込みの声を上げた。ウィードが再度視線を巡らすと、ジャスリンとルヴィーは、揃って胸の前で両手を握り締めながらこちらを見上げている。その期待に満ちた瞳を見れば、彼等の言おうとしている事など聞くまでもなく分かる。分かっていながらも、ウィードは一応素っ気無く尋ねてやる。
「何だ?」
「え、えぇとですね。ほら、あの人は今日出て行くってドードさんが言っていたではないですか?もうきっと出て行った筈ですから、ルヴィーと街へ行って来たいのですけれど.....」
「止めておけ」
再び即答され、ジャスリンは首を竦めてウィードの顔を伺い見る。
「まだ出てって無いかもしれないぞ」
「だって、もうお午も過ぎましたよ」
「駄目だ。城で大人しくしていろ」
ぴしゃりと言われ、ジャスリンとルヴィーはそろってしゅんと肩を落とすと、とぼとぼと書庫から出て行った。
「ウィードったら、案外心配性さんですね。知りませんでした」
ジャスリンは頬を膨らませている。どうやら外出を許してもらえなかった事が不満らしい。
「しょうが無いよ、ジャスリン。代わりにお庭の散歩でもしようよ」
「そうですね」
ルヴィーの提案に、ジャスリンはころっと機嫌を直して手を叩く。
「そうだ、木の実を拾いに行ってみましょう」
「うんっ!」
今日も意気投合した二人は、楽し気な声を上げながら階段を駆け下りた。広い玄関ホールまで下りて来ると、壁際の衣紋掛けにかかっているマントに手を伸ばす。
「栗もハシバミもクルミも、もう沢山落ちているかもしれませんね、ルヴィー」
「うん、そうだね。沢山拾ったらドードさんとクレシスさんにも持ってってあげようね」
「はい」
と、ちょうどそんな話をきゃぴきゃぴと楽し気にしている処に、顔色を変えたドードが慌てた態で月夜城の扉を開き、よろける様に飛び込んで来た。
「ドードさん!どうなさったのですか?」
驚き駆け寄るジャスリンとルヴィーに、ドードは己の胸を叩き呼吸を整える仕草を見せた。余程に急いで月夜城までの丘を上がって来たのであろう。
「ジャスリンや、大変なのじゃ。門番のピートが腹痛で酷く苦しんどってのう。ちょっと見てやってくれんかのう?」
「まあ、それは大変!分かりました。すぐに行ってピートさんを癒して差し上げましょう。彼はどちらですか?」
「番所におる筈じゃ。頼んだぞ、ジャスリンや」
マントも着けずに外に飛び出すジャスリンの後から、ドード神父とルヴィーも足早に表に出るも、その時にはジャスリンの姿は最早無く、街の方へと飛び立って行くハヤブサの姿が小さくなっていくのみであった。
「ドードさん、クレシスさんのお兄さんて、もういなくなりましたか?」
ルヴィーは一抹の心配を胸に尋ねてみたのだが、予想に反してドード神父からの答えは返らない。ルヴィーは不思議に思い、ドードを見上げながら僧衣の袖を軽く引っ張った。すると空を見上げていたドードの身体は、ふいに揺れたかと思うと地に頽れた。とっさに老神父の身体を支えようとするも、小さなルヴィーにそれが敵う筈も無く、一緒に倒れ込んだ。
「えっ!?ドードさん!?どうしたの!?ドードさんっ!?」
びっくりしたルヴィーは、必死になって老神父の名を呼んだが反応が無い。
「どっ、どうしよう。ウィード様っ!」
ルヴィーが、バネ仕掛けの様に飛び上がって扉へ駆け出そうとしたちょうどその時、勢い良く扉が開いた。
「どうした?」
低く尋ねるウィードに、ルヴィーの強ばった表情がわずかに緩んだ。
「ウィード様!ドードさんが、急に倒れてっ!」
「とうとうくたばるか、くそじじぃ」
いつもの素っ気無い表情でそんな憎まれ口を叩きつつ、ウィードはかがみ込んでドードの脈を確かめようと手を伸ばす。用心深く意識の無い老神父の様子を確かめていたかと思えば、突然ウィードはドードの頬を引っ叩いた。
「おいっ!起きろっ!くそじじぃっ!」
「ウィ?ウィード様っ!?」
「フガっ」
「えっ?」
この場には何となくそぐわないのではと思われる奇声に、ルヴィーは思わず金色の目を見張った。
「今、ドードさん、“フガっ”て......」
「..........」
ルヴィーが見上げれば、ウィードはその眉間に深々と皺を刻み込んでいた。目が据わっている。
「んごっ」
再び奇怪な音声。
「「.........」」
二人共無言でドードを凝視する。
「んごっ.......ヒュゥぅぅぅ.....、んごっ.......」
奇怪な音声が規則正しくなりだすと、ウィードの紺碧の瞳は益々据わり、掌には小さな白い稲妻が育ち始める。ウィードはルヴィーの首根っこを掴みながら立ち上がると、掌の可愛らしい白い稲妻をぽいと投げた。
「うぎゃああああああっっ!!」
バチバチバチっ!という不穏な音と共に、壮絶な叫び声が起こり、ドード神父が目を剥いて飛び起きた。
「なっなっ、なんじゃあっ!?」
何が起こったのか俄には把握出来ないらしく、ドード神父はきょろきょろと辺りを見回している。
「ありゃぁ?何でわしゃあ、お前んちにおるんじゃ?」
程よく焦げたドードは、目をぱちくりと瞬きウィードを見上げた。
「おかしいのう。わしゃぁ確か、庭仕事をしとったんじゃが......?何時お前んとこに来たんじゃろう..??あっ、もしやお前、このいたいけな老人を拉致ったのか!?」
「お前を拉致って俺に何の得がある?」
苦虫噛み締めモードのウィードを、ルヴィーが心配そうに見上げている。まあ何時もの事ではあるが....。
「それもそうじゃなあ...」
ドードは頭をぽりぽりと掻き、そこで初めて己の焦げ具合に気付いた。
「ありゃぁっ!?何じゃあっ!?焦げとるっ!わしゃあ、焦げとるぞっ!?」
「自業自得だ」
「はぇ?」
ウィードは起き上がったドードの前に再び屈み、老神父の瞳を覗き込んだ。
「お前、暗示をかけられたな?」
「ほえっ?暗示?とな?」
そこでウィードははっと顔を上げ辺りを見回した。
「ジャスリンはどうした!?」
「門番のピートさんが病気で、癒してあげに行きました」
「いつだ?」
「え、今さっきです。ウィード様」
「ピートが病気とな?」
驚きの表情で問い返すドード神父に、ルヴィーは顔色を変えて驚きの声を上げた。
「ドードさんが知らせに来たんだよ!?覚えてないの!?」
ルヴィーの不安気な顔に、ドードも又不安気な表情となる。その様子にウィードは素早く立ち上がると、一瞬の内に姿を変えて空へと飛び立った。
地に降り立ったジャスリンは、急ぎ市門の番所へと駆け込んだ。しかしそこは、ジャスリンの意に反してもぬけの殻であった。
「あら?ピートさん?どちらですか?ひょっとしてお手洗いですか?」
小狭い番所でジャスリンが声を上げてみても、返って来るのはしんとした沈黙ばかり。
「ピートさん、どちらでしょう...」
ジャスリンは石造りの狭い階段を上がって行く。上の見張り窓まで上がってみたが、やはり門番ピートの姿は無かった。
「おかしいですね...」
ジャスリンは呟きながら見張り窓の外へと目をはせた。そこで息を呑み、ジャスリンは窓へと駆け寄る。門の外の方に、倒れている青年の姿があった。
「ピートさん、あんな処に!」
ジャスリンは大急ぎで螺旋状の石段を駆け下りると、番所を飛び出し市門を飛び出して、地に伏す門番ピートの元まで一目散に駆けた。
「ピートさんっ!大丈夫ですか!?」
身動き一つしない門番の元まであと数歩という処で、ジャスリンは突如強烈な光に瞳を射られて、思わず両目を覆った。
目を覆っていてさえ、その強烈な光の出所が分かった。足元から発せられる強烈な能力の波動にジャスリンは翻弄された。逃げようにも逃げ場が無かった。恐ろしい程のその波動は、ジャスリンの周りをぐるりと囲み込んでいるのだ。吸い取られる様に身体から力が抜けてゆく。
「これは、魔法陣!?」
何者かによる結界に閉じ込められたジャスリンは、恐ろしさに悲鳴を上げた。両手で両目を押さえたまま、立っている事もままならなくなり惨めにも頽れる。不意に起こった笑い声にジャスリンはびくりと肩を震わせ、やがて恐る恐る両目を覆っていた両手から顔を上げた。地面に這いつくばりながら見上げたその先には、いつの間にか涼やかな笑顔の悪魔払いが立っていた。
「おやおや、相変わらずたわいも無いですね、魔女殿。こんなに簡単に引っかかってくれるなんて。正直言って、拍子抜けしましたよ」
「レジス...さん.....」
表現のしようも無い程の気分の悪さに、ジャスリンは意識を手放しそうになる。それでも必死に首を起こし、ピートの姿を探した。
「...ピートさんは....?」
レジスは一瞬、きょとんとした表情を見せる。己の息が苦しみにあがっていながら、地に伏せる門番の姿を認めると、そちらへ這って行こうとする魔女の姿に、レジスは一瞬複雑な表情を浮かべた。案の定、彼女を囲む結界は凄まじい白光と共にそれを簡単に阻み、更に彼女から体の力を奪う。
「結界を破らない限り、出られない事くらいご存知でしょうに。浅はかな真似はお止めなさい。あの門番は眠っているだけですよ。別に何の危害も加えてはいませんから、その内目覚めます」
「何故...、こんな酷い事を....するのですか?私は....、貴方に.....、何も悪い事.....、していないと....思います.....」
「そうですね、貴女は何もしていない。ただ魔族の血を引く魔女だというだけであり、アレスウィードの愛人だというだけだ。何故貴女がそんな目に遭うのかは、すぐに分かりますよ、魔女殿」
にこやかに告げ、レジスは空を仰ぎ灰色の瞳を細めた。
「ほうら、来た」
悪魔払いは、クスクスと楽しそうに笑う。あっという間に飛来して来るハヤブサの姿に、レジスの手は何時の間にか聖別された剣を抜いていた。ハレンガルを壁の様に取り囲む木々の間で、キラリと何かが光った。ジャスリンはそちらへと目を凝らし、そして門を挟んだ反対側の林へも目を巡らす。
「あ......」
レジスの思惑を悟ったジャスリンは、鉛のように重く感じられる身体を起こし、蒼白な顔を空へと向ける。
「駄目です、ウィード!来ては駄目っ!」
叫んでみても、声は掠れ、とてもウィードには届かない。それでもジャスリンは首を横に振りながら叫んだ。だが、それも虚しい事であった。
ハヤブサから一瞬にして人型へ戻るウィードの足が地上に降り立つ前に、四方八方から光の矢が走り、豹の様にしなやかな全身を絡めとるや、雷の轟音と共に凄まじい白光が彼を包み込んだ。
「ウィードっ!」
ジャスリンの瞳は見開かれ、全身はぶるぶると震え出す。どっしりとした門の両側に広がる林の木々の間から、幾人もの悪魔払い達が聖剣を手に歩み出て来た事にも気付くゆとりは無かった。
先程とは打って変わった厳しい表情でレジスは押し黙っていたが、弱まった光の中で膝をつき踞る魔族の姿を認めると、やがて残念そうに溜息を一つ吐く。
「やれやれ、これくらいじゃ死なないか...。さすがですね、アレスウィード」
その声に反応して、踞っていたアレスウィードがゆっくりと首を起こす。服や髪のあちこちが焦げ、煙を上げていた。遠目にも分かる程に、その瞳は怒りの紅に染まり光を放っていた。
「良い度胸だな、お前達.....。余程死にたいらしいな....」
「さて、その有様で私達を消せますか?七人の悪魔払いが紡いだ縛めです。幾ら貴方でもそれは壊せはしないでしょう?」
体中に絡み付く、目には見えない縄。じわじわと能力を吸い取られて行くのが分かる。
「貴方を祓った後は、そこの魔女殿も貴方の元へ送ってあげますよ、アレスウィード」
ウィードの瞳が、地に弱々しく臥せって彼を見詰めるジャスリンへと留まり、苦し気に細まる。
「観念して下さい。さもなければ、私は彼女を傷付けなければならなくなる。貴方の大事な魔女殿を苦しめたく無いなら、大人しく祓われる事です」
ジャスリンのスミレ色の瞳からぽろぽろと涙が流れ落ちた。
レジスが聖剣を片手に一歩を踏み出すと、それが合図ででもあったかの様に、ウィードの周りを囲んでいた他の悪魔払い達も一歩を踏み出した。皆が一様に白の聖衣姿に、首から彼等の言う処の聖なる印を下げている。そして、一斉に手にしていた聖剣を剣呑にかまえた。
七人の悪魔払いが一斉に踞るアレスウィードに襲いかかる。
「いやあぁぁっ!」
七つの聖剣がウィードの身体を方々から貫こうとした瞬間、ジャスリンは悲鳴と共に両目を被った。