37.魔女と吸血鬼と狂信者(二)
「何しに来た?弟を取り返しに来たって事なら、今すぐに連れ去れ」
アレスウィードは、瞳こそ紅く染めてはいなかったものの、凍える程の冷気を辺りにまき散らしながら、招いた覚えなど微塵も無い訪問者を睥睨した。普通の人間であったなら、その尋常では無い空気に恐れ身震いした事であろう。しかしその人物は、先程から微塵もその涼し気な笑顔を崩しはしない。純白の詰め襟の聖衣に、首から下がる金の十字架。言わずと知れた悪魔払いの神父であった。
「相変わらず、随分と剣呑な空気をまき散らしてますね、アレスウィード」
悪魔払いレジスは、まるで親しい友人に再会したかの様な気楽な表情で、階段に立つ城主を見上げている。
「クレシスを取り返したいのは山々ですが、彼は大人しく私に連れ去られてなんかくれませんよ。あの通り、貴方の領地での生活を甚く気に入ってしまっている。元々悪魔払いの仕事に疑問を抱いてましたしね。だから簡単に貴方の手に落ちたんでしょう。...いや、あの魔女殿の手に落ちたのかな....?まあどちらにしろ、魔族の手に落ちた彼を連れ戻した処で、本山で異端審問にかけられ火炙りにされるのが落ちだ」
「そりゃあ結構な事だ」
「おやおや、慈悲深いとの評判の貴方も、所詮は魔族ですね」
芝居じみた仕草で驚いて見せるレジスに、ウィードは忌々しそうに鼻を鳴らす。
「くだらん評判を勝手に立てるな。そもそも人間の尺度で魔族を計る事自体が愚かだ」
「それは失礼。でも貴方だって魔族の尺度で人間を計るでしょう?お互い様ですよ。おや?私の弟が来た様だ」
にこやかな神父の偽物めいた笑顔にウィードが毒突いた時、重々しい扉が勢い良く開いて息を切らしたクレシスが飛び込んで来た。
「....やっぱりここだったか、兄貴」
「どうしたんだい、慌てて?私は彼に挨拶に罷り越しただけだよ、クレシス」
「馬鹿な事をして、アレスウィードの怒りを買って、消されてやしないかと心配しただけだ」
「ああ、怒りなら買ってるよ。私がここにいるってだけで。ねえ、アレスウィード?」
「それが分かっているなら、とっととハレンガルから出て行け」
「言われなくとも、長居はしませんよ。私も結構忙しい身ですから」
晴れやかなレジスに対して、クレシスの表情は浮かない。
「すまなかった、領主殿」
クレシスは一言謝ると、兄の腕を掴み扉へと引っ張った。
「アレスウィード、弟を連れ去っても良いという言葉、嘘では無いですね?連れ去ろうとした途端に、こちらの命を奪おうなんて魂胆じゃないでしょうね?」
レジスが弟に引っ張られながら首を巡らせそんな事を問うと、ウィードはフッとほの暗い笑みを洩らした。
「成る程、良い考えだ。悪魔払いを二人そろって片付けられるな」
「私はもう悪魔払いじゃ無いよ、領主殿。酷いな」
クレシスは、少し寂しそうな表情をした。
「魔女殿!」
レジスが奥へ向かって声高に呼ばわった。
「そこにいるのでしょう?」
その言葉に、階段の影に身を潜めて聞き耳を立てていたジャスリンは、口から心臓が飛び出す程にびっくりし、思わず両手で口を押さえた。
「相変わらず臆病な魔女殿ですね。私は数日中にはハレンガルから出て行きますからご安心を」
一体何がそれほど楽しいのか、レジスはくすくすと笑いながらクレシスに引っ張られるままに月夜城を後にした。
双子の神父が去った後、ジャスリンはおずおずとウィードの前に姿を見せた。
「あの人は、クレシスさんを連れて行ってしまうつもりでしょうか?ウィード」
ジャスリンの心配そうな表情に、ウィードは内心不満げな溜息を吐く。
「クレシスは魔族に与した異端者だそうだ。ここを出て行けば火炙りが待っている。恐らくレジスにはそんな気は無いだろう。仮にあったとして、クレシスがみすみす引っ立てられて行くとは思えん。俺としてはその方が清々するがな」
「酷いです、ウィードったら」
酷薄なウィードの言葉を責めながら、ジャスリンはほっと胸を撫で下ろした。だがその反面、何やらもやもやとしたわだかまりも胸の内に残る。たった一人しかいない兄弟と離ればなれだなんて、と.....。そんな気持ちで顔を上げると、その様子を伺っていたウィードの物言いたげな瞳に出会う。
「ウィード?」
「あいつが去るまで、お前は城を出るな」
「.......」
「クレシスと違って、あの兄の方は何をしでかすか分からない奴だ」
「ここでは、何もしないって言っていましたけど.....」
「狂信者の言葉なんぞ信用するな。あいつはクレシスとは違う。それはお前だって良く知っている筈だ」
「それは...、そうですけれど......」
「けれど?何だ?」
歯切れの悪いジャスリンに、ウィードは厳しい目を向ける。
「その...、あの人は怖いですけれど.....、でもクレシスさんのお兄さんです。とっても小さな頃にご両親と別れたクレシスさんにとって、あの人はたった一人の家族なのですよ、ウィード」
「だから何だ?」
「だから、あの人にとっても、クレシスさんはたった一人の家族ではないかと.....」
「あの忌々しい神父は、ただ純粋に弟の顔を見に訪れただけだとでも言いたいのか、お前は?」
「ええと、その.....」
上目遣いに小さな声で口ごもりながらも、首肯するジャスリンに、ウィードは苦々しい溜息と共に顳かみを押さえた。この魔女に出会ってから、自分は一体幾度こんな苛立たしい気分を味わわされた事かとウィードは思う。幾度こんな苦い溜息を吐いた事か....と。そもそも彼女にこれ程執心している理由も、改めて考えてみると良くわからない。不機嫌な思いでジャスリンを横目に見やると、その口から「ひゃっ」という小さな奇声があがった。白っぽくくすむ金色の髪に縁取られた小さな顔とけぶるスミレ色の瞳。その顔を見詰めていたら、先日の嫌な夢が突如甦りウィードは息を呑んだ。突然目を瞠ったウィードの様子に、ジャスリンもまた驚き首を傾げる。
「ウィード...?」
声をかけたと同時にジャスリンは、腕を強く捕まれ荒々しく引かれた。ウィードの両腕の中にすっぽりと捕われ、息が詰まる程の力で抱き竦められた。
ジャスリンを腕の中に捕らえながらウィードは改めて理解する。理由など分からなくとも、ジャスリンを失う事など到底考えられないという事を.....。
「ぐっ、ぐるじいですぅ〜」
風情も何もあった物では無い、首を絞められた仔山羊の様な哀れな声に、ウィードは腕を緩めてやる。するとジャスリンは、はふ〜っと大仰な呼吸をし、紅潮した顔でウィードを見上げた。
「ウィードったら、何だか昨日から変です」
「とにかく暫くの間は城から出るな」
「ウィードがそう仰るなら、出ませんけれど....」
少し不満げに唇を尖らせるジャスリンを、見下ろすウィードの紺碧の瞳。そこに過った憂えの色に、ジャスリンは一瞬瞳を見開いた。ウィードの指が頬に触れると、まるで雪が融けるかの様にジャスリンの顔には優しい微笑が浮かんだ。
「心配しないで下さい、ウィード。きちんと大人しくしていますから」
その微笑に引き寄せられる様にウィードは背を屈めて、ジャスリンの唇を奪う。
ゆっくりと深く唇を重ねられ、ジャスリンは目眩に襲われた。ウィードの腕に捕われていなかったなら、自力で立っている事など出来なかったかもしれない。自分でも気付かぬ内にジャスリンの両手はウィードに縋り付いていた。
「じゃ、私は行くよ。せいぜい他の悪魔払い達に見付からない様にね、クレシス」
「本当に、一体全体何しに来たんだ?兄貴は.....」
クレシスは脱力感から肩を落とした。しかし兄へと向けられた眼差しには、不審の色がありありと浮かんでいる。
「お前に会いに来たって言っただろう?」
「どうだか......。本当に大人しく去ってくれよ、頼むから」
「冷たいね、私はお前の半身だっていうのに」
「半身だから、心配してるんだろうが....」
普段の飄々とした様子からは想像も出来無い様な、猜疑とも不安とも憂えともつかぬ、もしくはその総てをない交ぜにしたかの様な表情でクレシスは呻く。
「半身だから、兄貴の考えそうな事は良く分かる。兄貴が俺の顔を見る為だけにハレンガルへやって来たとは、どうしても思えないよ」
そんな弟の様子にレジスはフッと笑みを零し、小さく苦笑混じりの溜息をついた。
「やれやれ.....。分かったよ、お前に免じて大人しく帰るよクレシス。しょうが無いなぁ.....」
その兄の言葉を耳にしても、クレシスはどうしても安堵の息を吐く事が出来ない。
「ところで、お前はあの魔女を憎からず思っているの?クレシス?」
「えっ!?」
突然の予想外の問いにクレシスは灰色の瞳を見開いた。
「......彼女を一人の女性として憎からず思っているのかって問いなら、答えは否だよ。それ以前に彼女はアレスウィードの想い人だしね。でも友人としてかって事なら、俺はジャスリンが好きだよ。彼女は驚く程に純粋なんだ。....まるで聖女のように......」
ふと優しい表情を垣間見せた弟に、レジスは皮肉な笑い声を上げた。
「あれは魔女だよ、クレシス。おまけに魔族の血を引いている。そんな女を聖女に例えるなんて冒涜だ。お前が弟でなかったら、私はこの場でお前を消すところだよ」
「弟だから見逃すのか?」
「そう、お前は私の半身だから見逃してあげるよ」
レジスは意味ありげな微笑みを投げると、複雑な表情で見送るクレシスに背を向けハレンガルを去って行った。