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30.純愛(上)

 




 真珠湖は、ほんの少し欠けた月の光を静かに受け止め、その水面にたたえていた。青年が独り、岸辺に佇んでいた。長い絹糸の様な黒髪が印象的な青年であった。女性とも見紛う程の美しい中性的な顔立ちと、暗がりの中で光を放つ翠緑の瞳が、彼が人間では無い事を物語っていた。


 魔族の青年は辺りを見渡した。小さな丸いシロツメクサの花がここ彼処に沢山咲いているのが分かった。瞳を閉じれば、ここでシロツメクサの花冠を編んでいた少女の姿がいとも容易に彼の脳裏に甦る。

 『お前の髪にはシロツメクサの白い花冠がとっても似合うわ、お前はとっても綺麗だから、誰よりも花冠が似合うわ』

 子供だったこの自分の頭に花冠を乗せて、少女は幾度そう言ってくれただろう....。少女は数えられない程、ここでこの自分の為にシロツメクサの花冠を編んでくれた。そして....、自分は、幾度ぎこちない仕草で少女の花の様な唇を塞いだのだったか........。


 「子供だったからとはいえ....,私は愚かでしたね.....」

 青年は自嘲気味に呟いた。よりによって、契約で縛られた主人あるじの娘に恋をし、なまじっか手を出すなどと....。いくら子供だったからとはいえ........。



 その頃....、ダヌベス卿の居城ではちょっとした騒ぎが持ち上がっていた。

 「家出します....。お父様、今生のお別れです。探さないで下さい。ネフェイラは新たな土地で幸せになります。さようなら、お父様..................」

 ダヌベス卿は、素晴らしく良く通るバリトンの声で娘の置き手紙を音読し....、そして絶句した。

 「ななななな何っ!? い、一体何があったのだ!? ネフェイラよ。ひょっとしてアレスウィードめに袖にされたのを苦にしての家出か!?」

 うろうろあたふたと、卿はそこら中を歩き回り始めた。吸血種族は出生率が低いとはいえ、さすがに千年以上も生きていれば、それなりに幾人もの子を得た。それらの子供達の中でも、やはり末っ子というのは、魔族にとっても一番可愛いらしい。

 「うがーっっ! 可愛いネフェイラよ、この父を置いて何処へ行ってしまったのだ」

 ダヌベス卿はおろおろと頭を抱えて歎き叫んだ。



 


 処はハレンガルの、勿論月夜城である。

 居間のソファーに、何故かネフェイラが婉然と座っていた。その周りを城の住人が総出で取り囲んでいる。おまけに、何故かデルフェンの夫婦までその場に加わっていた。長く痛い沈黙が流れていた。さすがに居心地が悪くなったのか、ネフェイラが “コホんっ” とわざとらしい咳払いをした。

 「そんなに怖い顔をしないで頂戴、アレスウィード」

 「地顔だ」

 ネフェイラの正面に座るウィードは、先程から不穏な冷気を発し続けている。

 「別に押し掛け女房する為に来たんじゃないのよ、安心なさいな」

 「違うのか?」

 ラーグが少し落胆しながら、先程からウィードの隣で小さくなっているジャスリンをちらりと盗み見た。

 「違うわ。あたくし新しい恋を探す為に家出して来たのよ、アレスウィードの為なんかじゃなくってよ。そもそも、初めからアレスウィードの様な不能者の事など、血統以外では何とも思っていなかったもの」

 何とも酷い言われ様である。

 「ちょっと待て、誰が不能者なんだ、誰が?」

 「あらだって、あたくしがあそこまでして差し上げたのに、貴方ったら、何の反応も示さなかったじゃないの」

 ぐっと、言葉に詰まるウィード。

 「ちっと質問、 “あそこまで” って何したの、ねえ何したの?」

 「そーだそーだ、何したんだい!?」

 ラーグとエディラスジーナが片手挙手しながらネフェイラに迫った。

 「黙れ、大体何故どさくさにまぎれてお前達までいるんだ?」

 ウィードが忌々し気にエディラスジーナとヒースラーグを睨んだ。

 「《カフェ黒猫》のトマトジュースが飲みたかったのだ」

 「わざわざ来るな、それだけの為に.....」

 ヒースの大真面目な返答に脱力するウィード。

 「とにかく、あたくしはもう家には帰らないわ。ここで自由に恋をして暮らす事にしたの」

 高らかに宣言するネフェイラに、苦虫を噛み潰した様な表情をする魔族数名。

 「ふ〜ん、恋するのは結構だけど、ここらにはあんたのお好きな純血種の吸血魔族はウィード以外にいないんだよ、分かってるのかい?」

 「ええ、分かってますわ、エーデルワイズ伯夫人。あたくし、もうそんな事にはこだらないわ。もうどうだって良い事よ」

 周りが驚きの声を上げる中、ネフェイラは扇を開き、涼しい笑顔でゆっくりと煽ぎ始めた。

 「貴方のせいよ、アレスウィード」

 「.......」

 「貴方の言葉で、あたくし目が覚めたのですもの。だから、あたくしが仮に人間とでも恋をしたとして、お父様がここまで怒鳴り込んで来たら、貴方にはあたくしを守る義務があるっていう事、きちんと覚えておいて頂戴」

 「.......」

 勿論身に覚えはあるウィードであったが、まさかあれ式の事でこのネフェイラの目が覚めるとは......、信じろという方が無理な話ではないか.....と、内心自問自答するウィード。本来喜ぶべき事なのであろうが、今のこの状況を鑑みるに、これはこれで恐ろしく厄介なのではなかろうか.....。


 「さてと...ルヴィー、あたくしの部屋はどこ? 疲れたから休みたいわ。用意して頂戴」

 ウィードの心の内の葛藤などつゆ知らずのネフェイラの高飛車な命令に、ルヴィーはどうしたものかと主人に助けを求める。

 「あの、私が準備してきますわ」

 慌てて出て行くジャスリンに、ウィードは眉間を押さえながら、溜息を吐いた。





 「恋人と元婚約者が、一つ屋根の下....」

 ぷっくくっ..と、エディラスジーナが笑いを洩らした。

 「ネフェイラが婚約者だった事なんか一度も無いぞ。勝手に作るな」

 ネフェイラがジャスリンの整えた部屋へ引っ込んでから、エディラスジーナはここぞとばかりにアレスウィードをからかい始めた。

 「あんな事を言っておったが、結局お前を狙ってここまで出向いたのでは無いのか? 彼女は」

 ヒースも軽くそんな事を言う。

 「この際、あのタカビーと結婚しちゃえば? それがいいぜ〜、ウィード」

 「何がいいものかっ」

 「そうだよ、ラーグ様が結婚すればいいじゃないか」

 ウィードと共に、ルヴィーも憤慨する。

 「やだよ、俺ジャスリンのがいいもん」

 「ほぇっ!?」

 ラーグは、間の抜けた声を上げるジャスリンの肩をすかさず抱き寄せる。

 「ウィードがタカビーと結婚したら、俺と結婚しようなジャスリン♪」 

 「け、結婚....ですか?」

 「うん、だって俺たち年頃じゃ〜ん」

 ウィードが二人の間に割って入る前に、ルヴィーが二人の間に割り込んだ。

 「ラーグ様の冷血漢っ! 愛し合う二人を引き裂こうだなんてっ!」

 「ああああ愛し...合う.....?」

 ジャスリンがルヴィーの言葉に顔面を真っ赤に染めた。何故疑問形なのだと、内心少しだけ傷つくウィードである。

 「え〜、俺だってジャスリンの事、愛してるもん、ルヴィーちゃんの馬鹿〜」

 「こないだまで、羊飼いのレーナちゃ〜んとか言ってたくせにっ! その前はお針子のキアラちゃんでしょ、その前は未亡人のキャリーさんでしょ、その前はアーニャちゃんでしょ、その前は金物やさんちの妹の..」

 「だあああああっ〜!」

 指折り数えながら過去のラーグのハレンガルでの女性遍歴を総て暴露しようとするルヴィーに、ラーグは叫び声を上げた。

 「もしかして全部覚えてるの? ルヴィーちゃん?」

 「覚えてるよっ、ラーグ様のすけこましっ!」

 ルヴィーの怒声に、ヒースとエディラスジーナがそろって笑い声を上げた。

 「お前は、ハレンガル中の女達に手を付けるつもりか? 馬鹿者っ」

 ウィードが顳かみに青筋を浮かせた。

 「だって、皆可愛いんだも〜ん。皆喜んで血液提供してくれるし〜、でも俺、ジャスリンが一番好き」

 「はあ、それはどうも.....」

 複雑な表情で一応ラーグに礼を言うジャスリンの傍らで、ルヴィーは「やれやれ」と呟きながら、妙に大人びた仕草で顳かみを押さえた。

 



 

 ネフェイラは、故郷から唯一隠し持って来た物を懐からそっと取り出した。

少し古びた紅いリボンが重力に従って零れた。彼女は長い事、手にしたそれを見詰めると、やがて頬で触れた。

 「馬鹿みたい.....、こんな物持って来るなんて.......」

 子供の頃、城の庭園に咲いていた大振りな薔薇の棘で指を傷付けてしまった時、タマフィヤンドラカスが髪を結んでいたこのリボンで傷を縛ってくれたのだ。子供の頃はいつも一緒にいた。年がそう変わらなかった事もあり、何処へ行くにも、何をするにも一緒だった。年頃になるにつれ、父が吸血種族の青年達をあれこれ物色する様になってから、タマフィヤンドラカスとはいつまでも一緒にはいられないのだと気付いた。そして、年頃になるにつれ、彼はネフェイラに距離を置く様になり、編んだ花冠を頭に乗せてやっても、最早口付けをくれる事もなくなった。それが淋しくて哀しくて腹立たしくて、彼に邪険にあたる様になった。どんなに邪険にしても、どんなに酷い蔑みの言葉を吐いても、タマフィヤンドラカスは最早、しもべとしての態度を崩す事は無かった。その上、人形ひとがたの姿をこの自分の前では滅多に見せなくなってしまった。だが、それで良いと思った。あの絹糸の様な黒髪を見ると、あの鮮やかな翠緑の瞳を見ると、あの酷く美しい顔を見ると、どうしても昔を思い出して哀しくなる。



 突然のノックの音に、ネフェイラは思考を遮られ、手にしていたリボンを慌てて懐に押し込んだ。

 「どうぞ、開いているわ」

 声を返すと躊躇いがちに扉が開いた。

 「あの、お邪魔します、ネフェイラさん」

 「あら、ジャスリン」

 魔女が手に何かを抱えて、おずおずと現れた。

 「これ、私の夜着ですみませんが、よろしかったら使って下さい」

 「......」

 「あの...、ネフェイラさん、着替えも何もお持ちにならなかったんじゃないかと思って....」

 「....気がきくのね...」

 ネフェイラの言葉に、ジャスリンは微笑んだ。

 「明日、宜しければ一緒に町へ行きませんか? ご案内しますけれど...」

 「町へ?」

 「ええ、町の人達は皆とっても親切で良い人達ばかりなのですよ。ネフェイラさんもきっと好きになります」

 「町って、人間達の?」

 「はい」

 「....」

 ネフェイラが返答に窮していると、ジャスリンが心配そうに首を傾げた。

 「嫌...ですか?」

 「そうね、興味が無い事も無いわ、アレスウィードを慕う人間達っていうのも。いいわ、明日はその町へ案内なさい」

 やはり高飛車な物言いである。それにも拘らず、ジャスリンは嬉しそうに微笑み頷く。

 「それでは、ゆっくり休んで旅の疲れを取って下さいね、ネフェイラさん。おやすみなさい」

 「ええ、おやすみ」

 ネフェイラは、魔女の背を見送った。

 彼女の微笑みがどうにも理解出来なかった。自分は、あの魔女に随分と酷い事を言った筈だが、何故彼女は自分に親切なのだろう...。城主であるアレスウィードが自分の滞在を喜んでいない事くらい、ネフェイラにも分かっていた。喜ばれない事が分かっていながら、このハレンガルにやって来たのは、ひとえに教会が手出しを出来ない土地であったからであり、アレスウィードが血統などへとも考えていない魔族であったからだ。アレスウィードの言葉のせいで、はっきりと自覚した。自分が一体誰を愛していたのかを.....、一体誰を、未だに愛しているのかを.......。そしてはっきりと拒絶された。あれだけ邪険にあたってきたのだ、当然と言えば、当然の事だ。ネフェイラは一人自嘲の笑いを零した。今頃気付いたって遅いのだ。


 「血筋が何だって言うのよ....、そんなのくそくらえだわよ.....」

 ネフェイラは憎々し気に呟いた。



 

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