29.ネフェイラとタマフィヤンドラカス(下)
これがジャスリンだったら......と、心の内で思いつつウィードはすり寄って来た女を引きはがした。
「お前はここで何をしてる?」
「あら、見て分からないの?」
目の前には、上半身を起こしながらしなを作る女がいた。どうやら一糸纏わぬ姿らしく、掛布で胸の前を申し訳程度に隠している。どこぞの魔女の様に、一枚脱がすのに多大な手間と努力を強いられるのも厄介だが、惚れてもいない魔族の女にいきなり全裸ですり寄られるのも考えものだ....と、ウィードは思った。
「ネフェイラ.....」
「なあに、アレスウィード」
ネフェイラの手がウィードの頬に触れ、首筋に触れ、夜着の前をそっと開けようとする。だが、その手もすぐにつまみ上げられ、ぽいと振り払われた。
「すぐに出て行け、俺は眠い」
「........」
ウィードは、そのままごろりと寝返りをうつと、素っ裸のネフェイラに背を向けた。
「でしたら、眠気を覚まして差し上げてよ、アレスウィード」
言うやネフェイラは、掛布の中に手をつっこみ後ろからウィードの________《以下自主規制》。
ウィードが珍しくも叫び声を上げ跳ね起きた。
「何するんだ、この淫売っ!」
エディラスジーナでさえそこまでした事はないし、しかも真っ裸で夜這いを仕掛けて来た事も無い。
「目が覚めたでしょう?」
覚めたなんてものでは無い、いきなり握られては思わず元気に........《あ、いや失礼、自主規制》。
しなだれ掛かってくるネフェイラをウィードはぎろりと睨みつけた。
「俺は間に合ってる、他へ行け」
「あら、嫌ですわ、貴方じゃなきゃ。さあ、婚前交渉といきましょう、アレスウィード」
「ふざけるのもいい加減にしろ、俺はお前を娶るつもりはないって幾度も言った筈だ」
「据え膳食わぬは何とやらって言葉を知らないの?」
「知るかっ!」
「ああっ!もう、あたくしがここまでして差し上げてるっていうのにっ」
痺れを切らしたネフェイラは、とうとうウィードにがばりと襲いかかり押し倒した。
何ともはや、こういう時に限って、一番現れて欲しく無い人物というのは現れるものであり......、お約束の様に部屋の扉がノックも無くがちゃりと開いた。
全裸の美女に押し倒されているウィードと、部屋に数歩踏み込んだジャスリンの目がばっちりと合った。
「........」
「........」
ネフェイラを押しのけ慌てて飛び起きるウィード。
「あ.....、おじゃましました」
殊の外冷静なジャスリンが、礼儀正しくぺこりと頭を下げてそそくさと部屋から出て行った。扉は無情にもばたんと大きな音をたてて閉じた。
「アレスウィード?」
ネフェイラが声をかけるも、ウィードは無表情のまま反応が無い。どうも硬直しているのか......。余程ショックが大きかったらしい.......。
何処をどう歩いたのか、全く記憶に無かった。ただ足を動かし、否、それさえも記憶に無いのだ。ただ、気が付けば先程の四阿の前に立っていた。
「あらら....、いつの間に......」
ジャスリンは、数度瞬きをすると、今は無人であるその四阿に上がり、すとんと椅子に腰掛け、これまでに無い程深々と溜息を吐いた。
「ふわあぁぁぁぁぁぁぁ〜、びっくりしてしまいました.....」
先程の光景が脳裏に甦る。
「ひゃあぁぁっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいぃぃぃ〜!!」
ジャスリンは頭を抱えてテーブルに突っ伏し、独りごろごろじたばたと悶えた。恐らく、何故自分が謝っているのかさえ分かっていない。一頻りの間、じたばたと暴れ、悶え、そしてジャスリンは冷静になった。落ち着いてみたら、涙が零れた。
一糸纏わぬ美しいネフェイラを抱き寄せるウィード(注;ジャスリンの妄想)。自分のくすんだ色の髪とは異なる、光り輝く金髪が寝台の上に波打ち、それに手指を絡み付かせるウィード(注;ジャスリンの妄想)。吸血鬼特有の蒼白く透き通るなめらかな白い背と、程よい肉感的な尻と、ウィードに絡み付く形良い足(注;ジャスリンの妄想.....、あ、これは事実か.....)。見詰めあう瞳と瞳(注;ジャスリンの...以下省略)。交わされる息づかい....(注:面倒なので以下省略)、触れあう唇と唇...(注;おいっ!....以下省略)、貪り絡み合う....(注;すみません....以下省略)。
「ドアは....、ノックしないといけないのでした.....。うっかり忘れてしまいました......、てへっ.....」
涙を零しながら、ジャスリンは自分で自分の額をぺしっと叩いた。...そして....脱力し、項垂れた。
どこぞからか、はたはたした羽ばたきの音が聞こえて来たかと思うと、すたっっと、身軽な身が地に降り立つ足音がした。
「ジャスリン様」
名を呼ばれ、ジャスリンは身をすくませた。
「ジャスリン様?」
気遣う様に再度名を呼ばれ、ジャスリンは慌てて涙を拭うと笑顔を作る。
「はい、何でしょうか?......カササギさん...」
「........」
タマフィヤンドラカスは、ジャスリンの傍らに腰掛けると、そっと彼女の両手を取り自らの手で押し包んだ。
「大丈夫ですか?
鮮やかな翠緑の瞳がジャスリンを心配そうに覗き込んでいた。
「元気を出して下さい......と申し上げても、今は難しいでしょうか?」
「カササギさん.....」
ジャスリンの瞳から零れる涙を、タマフィヤンドラカスは優しく拭ってやった。
「アレスウィード様を、愛しておいでなのですね」
「カっ、カササギさんっ」
ジャスリンは、べそかき顔のまま、わたわたと顔を赤くした。
「この期に及んで、照れますですか.....、貴女は...」
超絶美人顔に、物憂げな微笑を浮かべ、小さな溜息を零すタマフィヤンドラカス。
「貴女の味方をして差し上げられたら、どんなに良いかと思いますです、ジャスリン様。でも私は.....、ダヌベス様の使い魔ですので.......」
俯き、ダヌベス卿の使い魔は呟く様に言った。
ジャスリンは、タマフィヤンドラカスの両手の中から自らの両手を抜き出すと、逆に彼の両手を包み込む様に握った。
「ありがとうございます、カササギさん」
タマフィヤンドラカスが顔を上げると、ジャスリンが優しく微笑んでいた。
「あら、お邪魔だったかしら?」
突然降って湧いた声に、二人はそれぞれの理由でドキリとする。
「お嬢様...」
タマフィヤンドラカスは、立ち上がりジャスリンから数歩離れる。
「又、その見苦しい姿?」
ネフェイラは露骨に眉を顰めた。その刺々しい言葉に、タマフィヤンドラカスは翠緑の瞳を哀し気に翳らせて、一瞬にしてカササギの姿を取った。
苛立たし気な溜息を一つ吐くと、ネフェイラはジャスリンを振り返った。最早当然の如く一糸まとわぬ姿では無かったものの、ゆったりとした部屋着姿に、髪は背に垂らしたままである。嫌でもジャスリンに先程の光景を思い出させる。いかにも今寝台から抜け出して来ましたと言わんばかりの姿なのだ。
「アレスウィードも、ペットを飼うのは良いけれど、躾がなってないわね。いきなり主の寝室に踏み込むなんて」
そこでネフェイラは、意地悪な笑いを零す。
「でも、お陰で分かったでしょう?お前は所詮血液を補う為のペットなのよ、ジャスリン。あたくしとしては、アレスウィードがお前を飼い続けても何ら構わないのだけれど、お父様はお前をこのタマフィヤンドラカスに妻あわせたいのですって。でも今の様子からして、お前達二人共満更では無さそうじゃないの。アレスウィードとお前では、あまりに釣り合いが取れないけれど、タマフィヤンドラカスなら、下々の者同士とてもお似合いだわよ」
それだけ言うと、ネフェイラは顔色を失っているジャスリンにはそれ以上目もくれずに四阿を去った。ただ四阿を離れる時、ほんの一瞬だけ、小さなカササギへと視線を泳がせた。
アレスウィードは、素っ裸のネフェイラを血も涙も無く部屋から追い出した後、暫くの間脱力した。あの単純馬鹿なジャスリンだ、200%程の確率で誤解しているだろう。明け方寝台に潜り込んだばかりだと言うのに、窓の外を見れば日はまだあんなに高い。今日は本来の吸血種族らしく、少なくとも夕暮れまでは寝ていたかったのに......。
(くそっ!あの淫乱)
ウィードは、怒り任せに夜着を脱ぎ床に叩き付けた。洗顔もそこそこに大急ぎで着替えを済ませると部屋を後にした。
先程の事を思い起こしたら、はらわたが煮えくり返る程の怒りが沸き起こって来た。未だ嘗て、ここまでこの自分を侮辱した男はいなかった。ここまでこの自分になびかなかった男もいなかった。父共々、彼を口説き続けて早幾年.......。
(このあたくしが、とうとうあそこまでしてやって見向きもしないなんて、不能に違いないわ、アレスウィードっ!それを、事もあろうに、あたくしのせいにするなんてっ!)
アレスウィードの決定的な一言が甦る。
『相手がお前じゃ、○○○○○○○○○』(注;さて○の中にはどんな文字があてはまるでしょう....?)
「くっ!」
怒りに任せて拳を強く握りしめると、すぐ傍に植わっていた若木が一本ぼきりと折れた。
(それなのに、あの貧弱な小娘.....)
アレスウィードが、あの人間の血を引く痩せっぽちな小娘に執着しているらしい事は、舞踏会の折、すぐに分かった。
(よりによって、あんなみっともない小娘に...。ゲテモノ好きも度が過ぎてよ、アレスウィード、許さなくってよ)
ネフェイラには分かっていた。彼が必ずあの小娘を追って来るだろう事を.....。そしてそれは、正しい憶測であり、ネフェイラに凍える程の冷たい眼差しを向けるアレスウィードが今、城から庭園に足を踏み出すところであった。
アレスウィードにとって、ジャスリンの居場所を突き止める事など朝飯前の何でも無い事であったが、ネフェイラが邪魔立てするであろう事は、予想上の事であった。案の定、行く手を彼女が塞いでいる。
「ヤボな事はしない方がよろしくってよ、アレスウィード」
険のある瞳を向けながらも、口元は笑みを浮かべるネフェイラが視線を庭園の四阿へと流した。アレスウィードもそちらを一瞥したが、無表情のまま何も言わなかった。
「あの娘には、きちんと似合いの相手がいるのよ。貴方にあたくしがいるように」
アレスウィードはネフェイラを無視し、彼女を避けて先へと歩を進めようとした。
「アレスウィードっ」
ネフェイラは、ウィードの腕を掴んで引き止めた。
「放せ」
「嫌よ、あんな小娘の何がいいって言うの?完全な魔族でさえ無いじゃないの。貴方には吸血種族としての誇りが無いの?」
ウィードが酷く冷たい怒りの表情でネフェイラを振り返った。
「お前を娶るくらいなら、そんな誇りなんかいらん。これ以上俺を怒らせると、後の事は保障しないぞ。この辺で手を引け。そもそもお前が欲しいのは俺の血統であって、俺自身じゃ無いだろう?」
「な、何を言うの?」
ネフェイラの声が僅かに震えた。
「あたくしは血統も含めて貴方が欲しいわ。貴方を愛してるもの」
「気のせいだ、お前は俺を愛してなんかいない。いい加減目を醒せ」
「アレスウィードっ」
「俺もお前には、これっぽっちの興味も無い」
凍る様な一瞥を残し、アレスウィードはネフェイラの手を振りほどいた。
「許して下さい......、昔はあれでも優しい方だったのです、お嬢様は.....」
「カササギさん....」
「種族を残さねばという義務感が、お嬢様を変えてしまったんです......。本当は、優しい方だったんです......」
再び人形に戻ったタマフィヤンドラカスは哀し気に呟いた。ジャスリンは立ち上がりその両手を取ると、先程の椅子に彼を座らせ自分も座った。
「カササギさんは、もう長い事こちらにお仕えしているのですか?」
「はい、私はほんの子供の頃にダヌベス様に拾われまして、使い魔の契約を結びました」
「まあ、お子さんの頃からですか」
「はいです、ジャスリン様。当時は幼かったお嬢様も、私を甚く気に入って下さいまして、昔は、私はお嬢様の遊び相手を務めたものでした。.......昔は、私のこの姿を厭うどころか、とても愛して下さったんです。お嬢様は、真珠湖へ行っては私の為にシロツメクサの花冠を編んで下さったものでした......。シロツメクサの白い花は、私の黒髪にとても似合うからと仰って........」
幸せそうに語るタマフィヤンドラカスに、ジャスリンもいつの間にか優しい微笑を浮かべていた。
「あ......、スミマセンです......、余計な事を.....」
「カササギさんは、ネフェイラさんが、とってもお好きなのですね」
優しいジャスリンの言葉に、タマフィヤンドラカスの表情は、再び翳る。
「私は、お嬢様の僕ですから....」
沈んだ声に、ジャスリンの表情も再び翳る。
「あ、ジャスリン様、ほらアレスウィード様がお見えですよ」
タマフィヤンドラカスの示す方を振り返ってみると、アレスウィードがちょうど四阿の階段を上がって来る処であった。
「きちんとお話しなさい、ジャスリン様」
タマフィヤンドラカスは優しく言うと立ち上がり、カササギになって飛び去って行った。
「ウィード.....」
ジャスリンはゆっくりと立ち上がった。そして俄に顔を赤らめた。
「ああああの....、さっきはすみませんでした。ノックもせずに、突然、その、お二人の仲に水を差す様な事を.....」
「あれは俺の意思じゃ無い」
「え?」
ジャスリンは、四阿の柱に寄りかかり腕を組むウィードを見上げた。
「誤解するな、あれはネフェイラが勝手にもぐり込んで来ただけだ。だからここへは来たく無いって言ったんだ。今すぐハレンガルに帰るぞ」
そう言って四阿を出ようとするウィードを、ジャスリンが呼び止めた。
「お話があります、ウィード」
ジャスリンが珍しく真顔で真剣な表情をした。ウィードは片眉を上げながら、再び柱に寄りかかった。
「私は、そろそろ月夜城をおいとましようかと思います」
ウィードは軽く目を見張った。暫くの間、無言でジャスリンを見詰めていたが、やがて小さな溜息を吐いた。
「お前がそう望むなら、止めはしないが...」
「はい、止めないで下さい」
「理由を言え」
ジャスリンは少し戸惑い俯き、そして意を決したかの様に顔を上げた。
「ネフェイラさんと結婚して下さい、ウィード」
「.........」
あまりの事にめまいがした。馬鹿だ阿呆だと思ってはいたが、やはりその通りだと再認識した。
「それが理由なのか?」
「ウィードの義務だと思います」
「答えになってない」
「ウィードは純血種なのですから、同じ方をお嫁さんに貰って、お子さんを成さなければ」
「それで?」
「吸血種族が滅亡してしまわないように」
「だから?」
「....だから」
「言いたい事はそれだけか?」
「.......」
「お前は、それでいいのか?」
ジャスリンは頷いた。
「......なら、何故泣く?」
「へっ?なっ、泣いていませんよ」
ジャスリンはびっくりして両手で己の頬を被った。
「誰に何を言われたかは、大体想像つくが、吸血種の血が貴重だなんて、俺は思って無いからな。厄介なだけだ。この通り生き血が無いと生きて行けない。惚れてもいない女を娶ってまで残そうだなんて、俺は考えていない」
「........」
ウィードはふと物憂げにジャスリンから視線を逸らした。
「仮令、貴重だろうが、種族が滅びようが、俺はお前以外の女なんかごめんだ.....」
真剣な口調の微かな呟きに、ジャスリンは息を啜り込んだ。ぽろりと涙が頬を滑る感触。
「ほら泣いた」
ウィードの指摘に、ジャスリンは慌てて涙を拭う。
「出て行きたいなら、好きにしろ。俺を厭うなら止めやしない。だが、もしもそうでないなら....、阿呆な頭で阿呆な事を考えるのは止めろ」
「又....、阿呆って言いましたね.....」
ジャスリンはいじけた様な顔をした。ウィードは柱から離れると、ジャスリンへと歩み寄る。
「という事で尋ねるが、どうするんだ?出て行くのか?」
素っ気無いウィードの口調に、ジャスリンの両目からぶわりと涙が吹きこぼれた。
「ふえっ」
色気も何も無いジャスリンの子供の様な泣き顔に、ウィードは呆れ顔に溜息を零しながら彼女を胸に抱き締めた。そうなるとジャスリンも、ウィードの胸に顔を埋めて箍が外れた様に声を上げて泣き出した。
「えっ、えっ、うっ、ひっく、ふえっ」
「全く.....、泣く位ならあんな阿呆な事は金輪際考えるな。お前の阿呆さ加減には毎回呆れるが、今回程呆れさせられた事は無いぞ、少しは反省しろ」
「だって...、ひっく....だって....」
「だってもへったくれもあるかっ」
ウィードの背に両手を回してしがみつきながら、声を上げて泣くジャスリンが落ち着きを取り戻すまで、ウィードはずっと、魔女を胸に抱き締めていた。
座り込んで愕然としていたネフェイラの前に静かに跪く者がいた。顔を上げるとそこには、女とも見紛う程の美しい青年が心配そうな表情でネフェイラを見詰めていた。
「大丈夫ですか?お嬢様」
その鮮やかな翠緑の瞳を、放心した様にネフェイラは見詰めた。
「お嬢様?」
先程のアレスウィードの言葉が幾度も幾度も脳裏を過る。
『お前は俺を愛してなんかいない。いい加減目を醒せ』
『お前が欲しいのは俺の血統であって、俺自身じゃ無いだろう?』
「そうよ....、あたくしが欲しいのは血統よ....、お前が手に入らないなら、代わりに血統を欲しがって何が悪いって言うの?」
「お嬢様........」
突然、ネフェイラは自嘲気味に笑った。
「嘘......、本当は全部嘘よ......」
「........」
「嘘...、血統が欲しいって言ったのも、アレスウィードが欲しいって言ったのも、お前の事、醜いから目障りだって言ったのも......全部嘘よ。本当は、何もいらない、お前さえいたら何もいらないのに.....」
タマフィヤンドラカスは、苦し気に瞳を閉じた。その滑らかな頬を、ネフェイラの細い指が触れた。
「子供の頃は良かった。血筋とか、種族とか、そんな事何も考えずに幾度も口付けを交わしたわ、私達.......」
「貴女も私も、子供でしたから.....」
「もう一度、あの時の様に口付けを頂戴、タマフィヤンドラカス」
「........御命令とあらば」
ネフェイラは酷く傷ついたような顔をした。タマフィヤンドラカスは翠緑の瞳を伏せたままネフェイラを見ようとはしなかった。庭園にバシッという音が響いた。頬を張られてもなお、タマフィヤンドラカスは彼女を見ようとはしなかった。ネフェイラが慌ただしく駆け去ってから漸く、彼は物憂げに顔を上げ、張られた頬に触れた。
漸く泣き止んだジャスリンの唇を、ウィードは優しく塞いでいた。唇を舌でなぞり、幾度も幾度も重ねて彼女の甘い唇を味わった。やがては舌を絡めとり深く深く口付け、ジャスリンの息が上がるまで止めようとはしなかった。苦し気な声を洩らす彼女の表情が、たまらなくウィードを煽った。
「今すぐ、お前を抱きたい.....」
ウィードはジャスリンの耳元に囁いた。 途端にジャスリンが奇怪な悲鳴を上げる。
「ななななっ、ここんな処で、こここんなにお日様が高いのに、いいいけませんっ、ウィウィウィードっ!」
案の定、わきゃわきゃと騒ぎ立てる魔女をきつく抱き締めるウィード。
「ちぇ〜っ、部屋にいないと思ったら、あんなところでいちゃついてやんの」
ルヴィーと一緒に庭園をぶらついていたラーグが、四阿の中に従兄弟と魔女の姿を見付けて口を尖らせた。
「いいなあ〜、ウィードの奴〜。俺もジャスリンとちゅーして〜」
「エディラスジーナにしてもらえば?」
ルヴィーは言ってから、身を震わせた。エディラスジーナの口付けなど、ルヴィーにとってそれ程恐ろしい物は無いのだ。
「ん〜、俺、若いお姉ちゃんの方がいいなあ〜」
「何だって?」
突然後ろで沸き起こった殺気を孕んだ声に、ラーグは固まり、ルヴィーは飛び上がった。
「あれ、エディラ、起きたの?早いね....、あはは、あははははは」
「あははは、で、ごまかすんじゃないよ、坊や」
エディラスジーナが指をぽきぽき鳴らし始めた。
「若いお姉ちゃんでなくて悪かったねえ」
「あ、いや、エディラは魅力的だよ、年喰ってても“ないすばでぃー”だし」
フォローがフォローになっていないラーグの言葉に、エディラスジーナの後ろでヒースが顔を覆った。ラーグはすかさず逃げ出した。
「こらっ、お待ちっ、ラーグ!」
「待てって言われて、待つ馬鹿はいないぜ〜っ!」
「やれやれだな、ルヴィーよ...」
「やれやれですね、エーデルワイズ伯爵」
派手な追いかけっこを始めた二人を、傍観するあとの二人。四阿の中のウィードは、突然沸き起こった喧噪には無視を決め込み、いつまでも魔女をその腕に抱き締めておりましたとさ。