28.ネフェイラとタマフィヤンドラカス(中)
おどろおどろしい城の外観とは打って変わって、内部は何ともきらびやかであった。その溢れる灯りは、紛い物かと思われる程である。着飾った男女が談笑し、舞踏に興じる様子など、ジャスリンには初めて目にする光景であり、あまりの華やかさにすっかり目を奪われている。
「その阿呆ヅラ、何とかしたらどうだ?折角の盛装が泣くぞ」
口を半開きにして辺りを見回していたジャスリンは、ウィードの冷めた声に慌てて口を塞いで、てへっと小さく照れ笑いを零す。
マントを脱いだジャスリンも、今宵は何とも煌々(きらきら)しい。くすんだ金髪は、幾つもの宝石の付いた飾りで、これでもかという程凝った形に結い上げてある。ハレンガルの髪結い師の力作であった。そして、その身に纏うのは、金糸の縫い取りのされた純白の繻子に、これ又純白の見るからに手の込んだ繊細なシルクレースとリボンがふんだんにあしらわれた清楚な夜会服に長手袋であり、言うまでも無くイエニーの作であった。又、耳と、細い首筋から開いた胸元を彩るのは、血の如く紅い大小の紅玉と金剛石を幾つもあしらった耳飾りと首飾りであった。嘗ては、ウィードの母の胸元を飾ったという年代物の首飾りは、驚いた事にジャスリンにも良く似合った。そして片手には、象牙のこれまでに無い程に薄く削られた透かし彫りの扇をきちんと握っていた。顔にはほんのりと化粧まで入れており、今宵のジャスリンは落ち着いて微笑んでいれば、普段よりも幾分大人びて見える、文句無しの貴婦人であった。
ちなみにウィードとラーグとルヴィーの姿は、詳しく記すまでもない。黒の燕尾服にエナメル靴姿である。
「まるで双子の様ですね」
並んで立つウィードとラーグの姿を見て、ジャスリンはクスッと笑ってそう言った。にかっと笑うラーグと、眉間に皺を寄せるウィード。その髪の色といい何といい正反対ではあったが...。
広間に進んで行く間中、すれ違う魔族達が皆ウィードに目を向ける。黙礼する者、話しかけて来る者、手にしていた杯をウィードに向かって掲げる者、そして傍らのジャスリンとラーグには興味深げな瞳を、蔑みの瞳を、嫌悪、嘲笑といった様な様々な色の瞳が向けられた。
前方の人垣が割れたかと思うと、壮齢の見目良い紳士が魔族的な笑みを浮かべつつ両手を広げて歩み出て来た。
「待っておったぞ!アレスウィード!」
音楽的な声であった。
「有難迷惑な招待、一応礼を言っておく、ダヌベス」
その招待主の握手に応じながら、ウィードがにこりともせずにそんな憎まれ口を叩くと、ダヌベスはバリトンの笑い声を響かせた。
「相変わらず横柄な奴だな。まあ、私はそなたのそんな処を気に入ってはおるがな」
ダヌベスはそう言うと、再び上機嫌に笑う。
「元気そうだな。棺桶に片足突っ込んでいたんじゃなかったのか?俺としては、今生の別れに来たつもりだったんだがな」
喧嘩を売っているとしか思えないウィードの言葉に、ジャスリンは内心はらはらするも、ダヌベスは一向に気分を害する様子も見せない。何て寛容的な方なのでしょう.....と、心の内でジャスリンは感心する。
魔族の寿命は千年と言われているが、齢、千と三百十六であるダヌベス卿は、魔族の中でもかなりの高齢である。鮮やかな金髪を撫で付けた壮年の大柄な姿には気品がある。その姿は勿論の事、その仕草からも老人臭さなど微塵も感じられない。そのダヌベス卿の薄い水色の瞳が、間も無くウィードの後ろに立つラーグフェイルに止まる。ほほう...という感嘆の呟きが洩れた。
「そなたがロディスラーグの子か?生き写しであるな....」
ラーグは一瞬目を見張った。
「ロディスラーグを知ってるのか?」
ラーグの無作法にも、ダヌベス卿は全く眉を顰める事も無く楽し気に笑う。
「そなたもアレスウィード同様、無礼だな。ああ、無論知っておるとも。そなたの父、ロディスラーグは我が娘婿にと見込んでおった魔族故な。それを人間の娘などに現を抜かしおって.....。可惜混じりけの無い吸血種族の貴重な血を、人間などの血で穢しおって。だが、そなた、吸血種の血が色濃く出たは、不幸中の幸いであったな」
その卿の言葉がラーグにとって面白い筈は無かった。ラーグは無言のまま卿を睨みつけるも、卿の方は気にも止めない。珍しくも不機嫌となったラーグの顔は、正にウィードにそっくりであった。ジャスリンとルヴィーが心配そうにラーグを伺い見ていると、ダヌベスはその二人にも目を止めた。
「愛玩動物が増えた様だな、アレスウィードよ」
その言葉にジャスリンは、ダヌベス卿へと目を向ける。卿の方もまたジャスリンに好奇の目を向けながら歩み寄ると、彼女の華奢な顎を捕らえ上向かせた。そこで初めてジャスリンは、卿の言う“愛玩動物”というのが己を差している事に気付く。
「俺を怒らせたいのか?ダヌベス」
ウィードがダヌベスの腕を掴んだ。瞳こそ紅くは染めなかったものの、辺りを冷気が包む。
「何と人間臭い娘だな。これも人間との雑り種か。そなたの趣味にも困ったものだ」
そう言って卿はジャスリンを解放した。ウィードはすかさずジャスリンの細い腰を抱き寄せた。今やアレスウィードだけでは無く、ラーグもルヴィーも不機嫌さを隠そうともしない表情で卿を睨め付けていた。
「まあ、そう怒るな、アレスウィードよ。そなたの人間好きが今に始まった事では無い事くらい心得ておる。それに反対する心づもりも無い。実際その娘は愛らしいしな」
「何が言いたい?ダヌベス」
「つまり、そろそろ身を固めろと..」
卿の言葉はそこで途切れた。というよりは、女の声にかき消されたと言うべきか....。官能的な真紅の夜会服に身を包み、髪を結い上げ、豪華な宝飾品でその豊満な身を飾り付けた美女の声であった。
「エディラスジーナさんっ」
ジャスリンは我に帰り、その表情はたちまち満面の笑みに取って代わる。
「ジャスリンちゃん!」
エディラスジーナは両手を広げ、足早に歩み寄るとジャスリンを抱き締めた。
「達者だったかい?まさか、ここで会えるとは思わなかったよ、ジャスリン」
ジャスリンの頬を撫でながら、エディラスジーナは優しく言った。
「似合うじゃないか、その夜会服、何処の貴婦人かと思ったよ」
「エディラスジーナさんこそ、とっても綺麗です」
女達は顔を見合わせ、手を取り合い、実に嬉しそうに再会を喜ぶ。エディラスジーナは、続いてラーグをぎゅっと抱き締め、後ずさるルヴィーの頬に面白がってぶちゅりと紅い唇マークを付けてやり、不機嫌なウィードの頭へ手を伸ばしてさっと抱き締めた。その間、ヒースラーグも加わり、貴族然とジャスリンの手を取った。
「何と、今宵はいつもにも増して愛らしく美しいな、乙女ジャスリン」
相変わらず気障な言葉と共に、その甲に口付けを落としたりしている。
フォン・エーデルワイズ伯とその夫人が、アレスウィードよりもまず先にジャスリンとの再会を喜ぶ様に、ダヌベス卿はどうやら興味を引かれた様子である。
「ちょっと、ダヌベス卿!」
エディラスジーナが、ジャスリンに接するのとは打って変わった冷めた微笑をダヌベス卿へ向けた。
「まさか、この娘を侮辱したりしてないだろうね?」
「何を言うか」
ダヌベスは、変わらぬ笑顔でしらっと嘘をつく。
「アレスウィードの連れだ、懇ろに持て成しておるとも」
しゃあしゃあと答えバリトンの笑い声を響かせる卿に、「どうだかねえ〜」と不審顔で呟くエディラスジーナ。
「卿はいつだって、やたらと血筋にこだわるじゃないか。あたしだって散々貶された覚えがあるけどねぇ」
「それは仕方あるまい。そなたの混じりけのある血を恨むのだな、エディラスジーナよ」
何とも尊大な____これに比べればヒースラーグなど可愛いものである____ダヌベス卿の態度に、エディラスジーナは艶やかな顔を思い切り顰めて、“ふんっ!”と鼻を鳴らした。
「ったく、相変わらず古くさい考えのじいさんなんだから」
などと、ぶつぶつ毒突くエディラスジーナ。
「やれやれ、その分だとあと百年程は長生きされるであろうな、ダヌベス卿よ」
ヒースラーグは給仕の差し出す盆からひょいと杯を取り上げながら苦笑している。エディラスジーナは、もう一度“ふんっ!”と鼻を鳴らすと、ヒースラーグに手渡された杯をぐいと呷った。
「じゃあなダヌベス、貴様の当分くたばりそうに無い顔も拝めた事だし、俺たちは適当に時間を潰したら帰るぞ」
素っ気無く言って背を向けようとするウィードに、ダヌベスは大仰に驚いてみせた。
「何と!暫しゆるりと滞在して行けば良いではないか、アレスウィードよ、その為に出向いて来おったのでは無かったのか!?」
「んなわけが無いだろうが、全く老いぼれたな、ダヌベス」
ジャスリンの背を押しながら、何の未練も見せずダヌベスに背を向け去ろうとするウィード。ジャスリンに手を握られたルヴィーも自然そちらへと引っ張られ、そうなると当然の様にラーグもそれにくっ付いて行く。
「まあ待て、そう急くな」
ダヌベスが素早く不機嫌なウィード達の前に立ちふさがる。
「せめて数日はゆっくりして行け、盛大に持て成す故。なあジャスリンとやら」
「はい??」
急に話を降られたジャスリンは、ウィードに半ば縋り付く様にして身体を堅くした。
「たまにはハレンガル以外の地で楽しむのも良いではないか、ジャスリンとやら。この地は風光明媚なる地ぞ。そうだ、明日は湖へ案内して進ぜよう、真に美しい景色だぞ、どうだ?」
「人間共にとっ捕まるぞ」
「人間なぞ、恐るるに足らんわ、どうだ?ジャスリン?」
ダヌベスは、中年___実際には老人であったが____の魅力を惜しみなくその笑顔にのせて、再度ジャスリンに尋ねる。
「はあ......」
「よしっ、決まりだ!」
ジャスリンの戸惑いの声に、ダヌベスはすかさず諸手を打ち鳴らし上機嫌である。ウィードの仏頂面とは対照的であった。
「さすが伊達には歳くってないねえ、あのじいさん。誰を籠絡すればあのウィードが頷くか、もう見抜いてるよ」
「真だな、全く食えないご仁だ。おや....、アレスウィードの災厄が嗅ぎ付けて来た様だぞ」
妻に囁くヒースは、楽しそうにくすくすと笑いを零した。エディラスジーナの方は、夫とは対照的に目を細め殺気さえも放ち始めた。ダヌベス卿と同じ色の鮮やかな金髪を高く結い上げ、縦ロールの髪を肩に背に散らしながら、金糸の刺繍と宝玉のふんだんに縫い付けられた瑠璃色の派手な夜会服を翻し、これまた派手な顔立ちの美女が、後ろに幾人もの取り巻き達を引きつれて足早に駆け寄って来た。否、脇目も振らずに駆けて来る美女を取り巻きの青年達が追いかけて来た、と言った方が恐らく正しいのであろう。
「アレスウィード!」
父親と同じ、薄水色の瞳を官能的に潤ませながら、彼女はアレスウィードへと駆け寄った。
「久しいな、ネフェイラ」
ウィードはやはり、小指の爪程も表情を緩める事無く、実に儀礼的にネフェイラの手を取りその甲に口付けた。
「真にお久し振りです事..、こんなに長らくほうって置かれるとは思いもしませんでしたわ、つれない方ね」
ネフェイラはウィードの腕をがっちりと捕らえ、媚を含んだ声で拗ねてみせた。
「へえ〜、その姉ちゃんが婚約者か?ウィード」
ラーグの楽しそうな声に、ネフェイラが振り返った。ラーグとジャスリンとルヴィーの存在に、今初めて気付いたといったような態でネフェイラは瞬いた。
「驚いたか、ネフェイラよ」
「ええ、お父様。ですけれど、その者、姿はアレスウィードに似ていても、人間臭いですわ。それにその貧相な娘も、随分と人間臭いです事」
「ちょっと、それ以上何か言ってご覧、その横っ面をひっぱたくよ、ネフェイラ」
ウィードが口を開く前に、エディラスジーナがしゃしゃり出ていた。
「あら、いらしたの?相変わらずお口の悪いエーデルワイズ伯夫人です事」
ネフェイラはつんと肩を聳やかした。
「このタカビー女が、その娘に何かしてご覧、只じゃ置かないよ」
「あら、あたくしがアレスウィードのペットに酷い事でもするとお思いなの?心外ですわ」
ダヌベス卿の末娘ネフェイラとエディラスジーナは犬猿の仲、根本的に性格が合わないのであろう。ウィードは忌々し気な溜息を再度吐くや、ネフェイラの腕をほどく。
「お前達には付き合いきれん、勝手にやってろ。行くぞジャスリン」
「は、はい」
急に手を取られ、ジャスリンは戸惑いながらも素直に付いて行った。その姿を見送るネフェイラの瞳に冷たい影が降りた。ダヌベスはそっと愛娘の肩を抱く。
「案ずるな、ネフェイラよ。あの様な雑り種、アレスウィードもすぐに飽くであろうよ」
ネフェイラは父親を見上げ、にっこりと微笑む。
「ええ、分かっていますわ、お父様」
だが、再びアレスウィードとジャスリンの姿へと視線を戻したネフェイラの表情には、氷の如き冷たさがあった。その表情を、エディラスジーナとヒースラーグがじっと見据えていた。
というわけで、湖である。
「真珠湖?」
ジャスリンが問い返すと、ダヌベス卿は鷹揚に頷いた。満月の夜であった。蒼白く輝く月が、惜しみなく注ぐしっとりとした光を浴びて、湖も又、ぼんやりと輝きを放つ。その上を、瀟洒な屋形船が音も無く滑っていた。
「その静かな輝きは、あたかも真珠のそれの如きであろう?尤も、人間共は、又、別の名で呼んでおるがな」
「何て美しいのでしょう....。ハレンガルの湖は、ホッと心が安らぐ様な美しさですけれど、この真珠湖は涙が零れそうな美しさです。
「そうか、そうか、気に入ったか、ジャスリンよ」
ジャスリンの賛辞に大いに気を良くしたのか、ダヌベス卿は上機嫌であった。
「ウィードもそう思いませんか?」
「俺は、涙なんか出ないぞ」
ジャスリンの傍らのウィードはやはり、今宵も機嫌が悪いのであろう、素っ気無い。
「湖の美しさに涙を流すなど、まるで下等な人間、純血種の魔族にはあるまじき事ですのよ、ジャスリン」
ネフェイラが毒気の隠った瞳をジャスリンへと向けながら、笑顔でやんわりと言う。
「はあ....、あるまじき事なのですか....」
ジャスリンは小さく呟く。
「ジャスリンよ、気にするでないぞ。そんなのは時代遅れな考え故な。私は愛するエディラの為なら涙を見せる事も恥とは思わぬ」
「ヒースちゃん!」
ヒースラーグの言葉に、エディラスジーナはうっとりとした表情で身を寄せた。
「お〜お〜、熱い、熱いねえ〜、相変わらず〜」
ラーグが口笛を吹いて、二人をちゃかした。
「何だい、羨ましいのかい?坊や」
「べっつに羨ましくねえって。ってかさあ、坊やってのやめてっつってんじゃん。エディラが歳くってんのは知ってるけどさあ」
「んなにをぉ〜!このっ」
途端に鬼の形相でラーグに掴みかかるエディラスジーナ。ジャスリンの隣に大人しく座っていたルヴィーが、びくりと身体を震わせジャスリンにしがみついた。
「きゃあ〜、助けてぇ〜、襲われる〜ぅ」
「勝手に襲われてろ」
ウィードの冷めた一言に、ラーグはエディラスジーナに首を絞められながらも、ぎゃいぎゃい言い返した。
「本当にうるさい人達ね、雰囲気が台無しですわ」
優雅に扇を煽がせながら、ネフェイラが騒がしい二人に冷たい視線を向ける。
「悪かったな、タカビー。俺たちはあんたと違って“雑り種”なんでね、お上品なのは性に合わねえの〜」
「そうそう、“雑り種”だからねぇ、タカビーにはなれないのさ〜」
急に意気投合するラーグとエディラスジーナ。根本的に性格はぴったり合うらしい。“やーい、やーい、タカビー、タカビー”と、二人仲良く、肩を組んで歌い出した。
「何ですの、そのタカビーってっ!?」
怒り出すネフェイラを相手に、二人は声を揃えてひゃっひゃっひゃっと、どこぞの神父の様な笑い声を上げている。その傍らではヒースが嘆かわし気に顔を背けた。片手で顔を覆っている。しかし、その肩が微妙に震えている処を見ると、恐らく笑いをこらえてでもいるのであろう。ダヌベスはといえば笑顔を崩さぬまま、やれやれとでも言うかの様に首を横に振っていた。
「うふっ、楽しそうで良かったですね、皆さん」
そう言いながらジャスリンは、瞼の殆ど閉じてしまっていたルヴィーを自分の膝の上に寝かしつけてやった。
「お前も楽しいのか?」
返って来る答えなど分かり切っていたが、ウィードは何となく尋ねてみる。すると予想通りジャスリンは笑顔で頷いたので、ウィードは軽く肩を竦めた。
誰かが密やかに寝台の中に潜り込んで来る気配がした。半ば夢の中でウィードは訝る。ジャスリンは隣室でルヴィーと一緒に休んだ筈だ。月夜城以外の場所での独り寝を、ルヴィーは極端に怖がるのだ。
「....誰だ....?」
相手は密やかな笑い声をたて、ウィードに身体を擦り付けて来た。
もう午に近い時刻であった。昨夜は真珠湖で船遊びをし、眠りに就いたのは今朝方であった。恐らく他の皆はまだ夢の中であろう。普段は早起きのルヴィーも、まだぐっすり眠っていた。一人目覚めてしまったジャスリンは、ぶらぶらと中庭へと散歩に出た。
「ほわあ、きらきらしくて立派なお城ですけれど、中庭も素晴らしいですね」
美しく造園された中庭の中央には噴水も吹き出している。あちこちに古代の神々を象った彫刻などもあり、こちらも城内に劣らず中々派手である。花々を愛で、彫刻に感心しながら、ジャスリンはつれづれなるままに歩いていた。気付くと、屋根にツタの絡み付いた小さな四阿の前まで来ていた。
「ほう、これはジャスリンではないか」
四阿から艶のあるバリトンの声が聞こえた。
「ダヌベスさん、お早うございます。吸血種族でらっしゃるのに、お早いのですね」
「年を重ねるとな、目覚めが早くなるものだ。そこは人間と一緒だな」
ゆったりとした部屋着にガウン姿のダヌベス卿は、そう言って笑った。どうやらゆったりと茶を楽しんでいるところなのであろう、テーブルには趣味の良いティーカップが置かれている。
「ちょうど良い。暫し相手をしてくれぬか?」
ダヌベスがカップを軽く持ち上げながら、ジャスリンに尋ねた。
「あ、はい、喜んで」
ジャスリンは素直に頷くと、促されるままに四阿に上がり、ダヌベスの向かい側に腰を下ろした。
「タマフィヤンドラカス、彼女にも茶を」
「はい、旦那様」
「え?カササギさん?」
タマフィヤンドラカスの名を呼んだ事も無いくせに、きちんとその名だけは記憶しているジャスリンは、カササギの姿を求めて辺りを見回すも姿は見当たらない。代わりに見目麗しい魔族が一人、端の小さなビュッフェでジャスリンの為に茶の用意をしていた。
(まあ、男性でしょうか?それとも男装の麗人でしょうか?)
その魔族の性別の分かりづらい美しい横顔に、ジャスリンは首を傾げる。赤いリボンで一つに結わえられた長いストレートの黒髪が又、印象的な魔族である。
(髪が長いから女性でしょうか...?)
ジャスリンがあれこれと内心憶測していると、その魔族がジャスリンをちらりと振り返って微笑んだ。
(ほわ〜....、悩殺すまいるです〜。なんて美人なのでしょう...)
ジャスリンは頬を少し赤らめた。
「お早うございます、ジャスリン様」
「お、お早うございます.....、って.....、えっ、まさか、カササギさん!?」
「はいです」
確かに口調はあのカササギではあったが、その声音は幾分か低く甘かった。そして...そしてその姿....、女とも見紛う程の美貌の青年は、どことなく人なつこい微笑を浮かべながら、驚くジャスリンの前に、ティーカップをそっと置いた。
「ほわぁ〜、びっくりです〜。一体どちらが本当の姿なのですか??」
「勿論こっちです、はい」
ジャスリンはスミレ色の瞳を、それこそまん丸に見開いてしきりに感心する。
「そんなに美人なのに、何故いつもカササギさんの姿だったのですか?」
「ええと..、それは....」
少し困った様に口ごもるタマフィヤンドラカスに、ダヌベスが助け舟を出した。
「娘がどう言う訳か、厭うのだよ」
「ネフェイラさんがですか?」
「うむ。昔はそんな事は無かったのだが、成長するにつれ、あれは人型のタマフィヤンドラカスを厭うようになってしまってな」
「私の顔は、どうもお嬢様の美的感覚からは大きく外れている模様でして....。醜くて、目障りだと......」
「大方、女よりも美しいそなたに嫉妬でもしておるのだろうよ、あれは。そなたは醜くなど無い故、気に病むな」
「そうですよ、こんなに綺麗なのに....、カササギさん」
「ふむ.....、ジャスリン、そなたこのタマフィヤンドラカスを気に入ったか?」
「は?」
「うむ、これはひょっとして良い縁組みでは無いか?」
「縁組み....ですか?」
「そなたがこのタマフィヤンドラカスに嫁ぎこの地に暮らし、ネフェイラがアレスウィードに嫁ぎハレンガルに暮らすのだ」
「そ....、それは....」
ジャスリンは、困惑に口ごもった。
「アレスウィードの事は、あきらめよ」
ジャスリンの内心を読み取ったかの様なダヌベスの非情な言葉であった。
「そなたとアレスウィードでは、身分が異なり過ぎる、分かるであろう?」
「........」
「アレスウィードは恐らく、そなたが傍にいる限りネフェイラを娶ろうとせぬであろう。だからそなたが、いっその事このタマフィヤンドラカスと結婚でもしてくれるとありがたい。アレスウィードは純血種の吸血魔族だ。あの血がどれ程貴重であるかは、そなたも知る処であろう?現在、世界にどれ程の純血の吸血魔族が残されているか、その数は減る一方なのだよ。我らは子孫を残さねばならぬ。。この血を守るのは義務なのだ。さもなくば、我らは、将来滅びてしまう.....。アレスウィードには、純血種の妻を娶り、子を成す義務があるのだ」
ダヌベスのその言葉と苦悩する様子に、ジャスリンは酷く衝撃を受け、言葉も無く項垂れた。タマフィヤンドラカスは哀れみの瞳をジャスリンに向け、そして同様に項垂れた。