27.ネフェイラとタマフィヤンドラカス(上)
ぽかぽかと柔らかな日和である。
優しい太陽の恵みに花々は咲き乱れ、魔女の花壇は色取り取り。薔薇の蕾も日々大きくなりつつある、そんな季節である。
爽やかな風がさわさわと流れ行き、アレスウィードの読みかけの古書の頁をさらさらと弄んで行った。木陰に座って刺繍を刺していたジャスリンは、ふと手を止め膝の重みを見下ろすと、“うふっ”と小さく眦を下げた。魔女の膝を枕にして、黒髪の魔族が何とも気持ち良さそうに眠っている。ジャスリンは、少し癖のある艶やかな黒髪にそっと触れてみた。
(今日もとっても綺麗なお顔ですね、ウィードったら....)
内心そんな事を考え、ほんのりと頬を染めたジャスリンは、端から見れば何とも幸せそうな微笑みを浮かべていた。
「いいなあ〜....」
ラーグの惚けたような声に、隠元豆の筋取りに熱中していたルヴィーは、“へっ!?”と間の抜けた声と共に傍らの魔族を見上げた。
「俺も膝枕でおねんねしてぇなぁ〜」
隠元豆を片手に弄び、ラーグは頬杖をついて、向こうの木陰にいる城主と魔女の姿を眺めながらぼやいている。
「はいはいっ、これ終わったら僕が膝枕してあげるからっ、ねっ♪、ラーグ様っ」
ラーグフェイルは、テーブルの上の隠元豆の小山と、もくもくと手を動かしているルヴィーに、恨めし気な目を向けながら溜息を吐く。
「ルヴィーちゃんの膝枕なんか、ぜ〜んぜん嬉しくねぇ〜!」
「はいはい、何でもいいけど、ラーグ様ってば、さっきから全然手が動いてないんだけど.....」
「あぁ、わりぃ」
ラーグはベンチの上で姿勢を正すと、隠元豆の筋取りを再会する。暫くの間真剣に手を動かしていたラーグは、はたっと我に返り、隣にちょこんと座っているルヴィーに向き直る。
「ってかさあ、何で俺、こんな事してんの?ルヴィーちゃん?」
「だって暇でしょ?ラーグ様、今日はお天気もいいし、いいじゃん♪♪」
ルヴィーは、ニコニコと今日も機嫌が良い。
「天気がいいのと、隠元豆の筋取んのと、どう関係あんの?」
「だからね、こうやってお庭で隠元豆の筋を取るのも楽しいなって思ったの、僕」
「わけわかんねぇな」
ラーグはぶつぶつぼやきながらも、律儀なのか単純なのか、隠元豆に手を伸ばす。
と、そこに、バサバサっといういかにもな羽音と共にカササギが一羽、テーブルの端に降り立った。
ラーグとカササギの目がはたと合う。気のせいか、カササギはその場で固まっている様に見えた。
「何だお前は?どっかの使い魔か?」
ラーグの声にカササギはびくりっと飛び上がった。ルヴィーは不思議そうに目を丸くする。カササギは、体裁を取り繕おうとでもするかの様に、わざとらしい咳払いを二、三零した。
「こっ、これは失礼致しました、アレスウィード様」
そう言ってカササギは、ペコリと鳥としては大変礼儀正しいお辞儀をして見せた。
「俺、ウィードじゃねえよ」
「へっ!?」
カササギはぱちくりと瞬いた。
「ウィードなら、あそこで爆睡ぶっこいてるけど」
「えっ!えっ?」
カササギは、ラーグの指差す方向とラーグの顔を幾度も見直すと、何とか己を納得させたらしく、鳥にしては大きな溜息を吐いた。何やら安堵の溜息に聞こえた。
「ああ..どうりで.....、おかしいと思いました。あのクールなアレスウィード様が、そんな所帯染みた事をなさる筈がありませんものね。それに、私の黒羽の様に美しいあの黒髪が、暫くお目にかからない内にすっかり白髪になってしまわれたかと思って、心の臓が止まる程びっくら致しましたが....、なあんだ、別人でしたか....、良かった、良かった」
「よく見ろっ!このクソカササギっ!俺のは白髪じゃねえっ、銀髪だっ!」
ラーグの怒声を背に、「良かった、良かった、あはははは〜」と、笑いながらカササギは、ウィードの元へとぱたぱたすい〜っと飛んで行ってしまった。
「ああっっ!!」
ルヴィーが突然叫び、立ち上がった。隠元豆の小山も崩れる勢いに、ラーグも思わずカササギへの怒りを忘れる。いつもの可愛らしいルヴィーが、珍しく瞳孔を猫の様に細くして唸った。金色の瞳が普段にも増して光っている。
「....ルっ、ルヴィーちゃん?ひょっとして...、怒ってるの...かなぁ....?」
ラーグのその猫撫で声に反応し、ルヴィーはがばりとラーグに向き直る。ラーグは笑顔をやや引きつらせながら上体を仰け反らせた。
「あれは、ダヌベス卿の使い魔だよっ!ラーグ様っ!」
ルヴィーはこれでもかという程嫌そうに可愛い顔を歪め、ラーグに訴えた。
「という事で、是非ともアレスウィード様をご招待致したく.....と、主人が申しておりますです」
「鄭重に断っておけ」
即答であった。しかも幸せな微睡みを邪魔されたアレスウィードは、恐ろしい程に不機嫌な瞳で一瞥をくれたきり、この使い魔へ目を向けようともしなかった。
「ででですが、アレスウィード様」
カササギは両手....いや両翼を揉み絞る。
「そんなもん興味ねえ。毎回言ってるだろうが」
「そこを何とか、アレスウィード様」
「やだね」
取りつく島の無いウィードに、カササギはほろほろと大粒の涙を落っことし始め、くるりと背を向けるとその背を震わせ始めた。その声を押し殺して泣いているらしい小さなカササギの姿に、それまで傍観していたジャスリンは、哀れみを覚える。
「...あ、主人は....、もう先行き長くはありません。齢すでに千と三百十六を数えましたです。」
「そら生き過ぎだ」
「いつ消滅してもおかしくありませんです。きっと、この機会が最後になるかと....」
涙声でそれだけ言うと、カササギは背を向けたまま、よよよよっと泣き崩れた。
「その手には乗らんぞ」
ウィードのひどく冷めた声に、震えるカササギの背がぴくりと止まった。“コホんっ”という、白々し気な咳と共にくるんと向き直ったカササギは、一体何処から出したのか、白いハンカチで目元をちょちょっと押さえた。ウィードは忌々しそうに溜息を吐き、ジャスリンは瞳を丸くした。
「お前の泣き落としにはうんざりだぜ、タマ公」
「タマフィヤンドラカスです。アレスウィード様」
開き直ったらしいカササギは、今しがたの涙などどこ吹く風である。何とも変わり身が早い。
「今年こそ、本当に.....、ホントにホントにホントのホントに、主人は危ないです。何せ千と三百十六歳ですので.....。近頃は美女の生き血にもあまり食指が動かぬ様でして、臥せる事も多くなりましたです」
「まだ舞踏会なんぞ開けるだけの元気はあるんだろうが」
「めっきり気弱になられましたし....」
「そりゃ良かったな、タマ公」
「タマフィヤンドラカスです、アレスウィード様。それに主人は惚けが酷くなりましたです」
「そうか...」
「はいです」
「いよいよか....」
「はいです。アレスウィード様」
「葬式には行ってやる」
「主人も喜びますでしょう、アレスウィード様」
我慢比べの様に交わされる会話と共に、ジャスリンの瞳は先程から、膝の上のウィードの顔と芝生の上の小さなカササギの間を行ったり来たりしている。
「じゃあな、とっとと帰れ」
「いいえ、そうは問屋が卸しませんです。是非とも舞踏会にご出席を」
「くどいぞ、タマ公」
「タマフィヤンドラカスです」
「そんな無駄に長ったらしい名をいちいち覚えてられるかっ」
「主人は、お客様方の為に、人間の見目麗しい乙女達を用意すると申しておりましたですが...、健康な乙女達の生き血は、さぞかし美味なのでしょうなあ.....」
ウィードがぴくりと反応し、目を開けた。そこではたっとジャスリンのスミレ色の瞳と目がかち合う。
「..........」
ウィードは心無しか、気まずそうに目を逸らし、カササギへと目を向けた。
「行かんと言ったら、行かん。いい加減諦めろ」
「そうは参りませんです。命がかかっておりますもので...」
「は?」
「今回もアレスウィード様にお出で頂けなかったら、今度こそ、本当に、ホントのホントに、私はネフェイラ様に焼き鳥にされてしまいますです」
「あの女なら、やりかねないな」
ウィードはさらりと流した。
「そうでしょう?そう思われますでしょう?あの方にとって、私のような下級魔族なんて、クズなのですから...、クズクズ、ゴミですよ....」
そう言ってカササギは、瞳をうるうると潤ませた。
「所詮、私の人生...、あ、いや魔族生なんて、そんなもんです。羽を毟られ、焼き鳥にされ、食べられちゃって、ハイ、終わり....、トホホホホホ.....」
カササギは、どうやら今度は本当に泣き出したらしい。
「タマ公の焼き鳥か...、不味そうだな」
「ウィードったら、酷いです」
それまで大人しかったジャスリンが、軽くウィードを睨みながら口を挟んだ。
「行って差し上げたら良いではないですか、その舞踏会」
カササギは、涙をぽろぽろ流しながらジャスリンを見上げた。
「阿呆言え、冗談じゃないぜ」
「カササギさんが可哀想ではないですかっ」
「俺の知った事か」
そう言い捨てて、ウィードは再び目を閉じた。
ジャスリンは息を吸い込み、次の瞬間には唇を尖らせ勢い良く立ち上がっていた。
「いてぇっ!」
ウィードが後頭部を押さえながら起き上がった。
「何するんだ、この阿呆魔女っ」
「ウィードの人でなしっ!」
「俺は人じゃねえっ!」
「カササギさんが、焼き鳥にされちゃっても良いのですかっっ!?」
ジャスリンは両手を握り締めながら叫んだ。瞳をうるうると哀れなカササギ以上に潤ませ、今にも涙が零れそうであった。
「おっ、何か揉め始めたぜ」
「ああ....、まずいなあ...、きっとジャスリンが、あの使い魔の口車に乗せられちゃったんだ、困ったなあ....」
「ウィードの奴、ジャスリンにはてんで弱えもんな」
全く人事のように、ケッケッケッと笑うラーグ。
「もうっ!笑い事じゃないのにっ、ラーグ様ってば」
「ええ〜、おもしれ〜けどぉ」
頬杖をつき隠元豆を弄びながら、ラーグは楽しそうな瞳を、隣で浮かない顔をしているルヴィーへと向けた。
小悪魔達があちらこちらを飛び交う、いかにもな古城。何処かの夫婦の住居に似ていない事も無い。そのおどろおどろしい古城に灯る灯りも、何やら禍々しい。概して魔族というのは、こういったグロな住居を好むらしい。アレスウィードはどうやら例外の様である。
「俺、やっぱ気が進まねえなあ〜、何かかったるそ」
ラーグがダヌベス卿の居城を見上げながらぼやいた。
「俺もだ...」
横から不機嫌な声が返って来る。
「気位高い魔族の女なんか、興味ねえし」
「俺もだ...」
再び返って来る不機嫌な声。
「大体、何で俺も顔出さなきゃなのよ〜?俺、関係ねえじゃん」
「ダヌベスが、お前の顔を見たいんだと」
「け〜っ、どうせあんたの顔と代わり映えしねえのになあ」
結局、カササギを哀れむジャスリンに押し切られ、ダヌベス卿の舞踏会に渋々出向いて来たアレスウィードとその一行。
「何だか....、月夜城とは随分と趣が違いますね...」
ルヴィーの手をしっかりと握るジャスリンが怖々と辺りを見回しながら呟いた。...と、暗がりからカササギがすい〜っと飛んで来た。どうやら魔族なので、鳥でありながらも夜目はきくらしい。
「皆様、ようこそお越し下さいましたです」
「今晩は、カササギさん」
ジャスリンが挨拶と共に手首を差し出してやると、カササギはパサリと羽音をさせてそこに止まった。
「ジャスリン様、アレスウィード様を説得して下さって、ホントにホントにありがとうございましたです。御陰さまで、私は焼き鳥にされずにすみましたです」
「良かったですね、カササギさん」
ジャスリンの笑顔に、“カササギさん”ことタマフィヤンドラカスは頬をポッと染め____実際には鳥なので、そんな事は分からなかったが____もじもじしながら「はい」と頷いた。その横からさっと手が伸び、カササギをむんずと掴んだ。
「さっさと案内しろ、タマ公」
「タマフィヤンドラカスです、アレスウィード様。ネフェイラ様が首を長〜くしてお待ちです」
「俺は別にネフェイラに会いに来たわけじゃない」
「またまた、貴方の婚約者ではないですがああああああっっ!」
カササギがウィードの手の中で悶えた。見ればウィードは、無言のままカササギの首を絞めている。
「何なさるのですかっ!?ウィードっ!?」
ジャスリンが慌ててウィードの片手の内から哀れなカササギを助け出し、優しく胸に抱いてその背を撫でてやった。
「へえ〜、婚約者なんていたんだ.....」
ラーグが冷めた目をウィードに向けた。
「タマ公の言う事なんか本気にするな」
「タマフィヤンドラカスですぅ〜」
カササギは、ジャスリンの然程大きくも無い胸に埋もれながら、心地良さそうに気の抜けた声を出す。ウィードの不機嫌値がぐんっと上がった。
「婚約者がいるのに、ジャスリンを独り占めなんて、きったねえよなぁ〜」
横目でウィードを責めながら、ラーグはジャスリンに近付き、その肩を抱くや耳打ちを始める。
「いい機会だぜジャスリン、ウィードなんか止めて俺に乗り換えろって。俺の方が絶対優しいし、浮気なんか絶対しないからさ」
「えっ?ええっ??」
「どーせ顔は一緒なんだし」
「ラーグ様ってば、手当たり次第女の子に手を付けてるくせにっ!説得力全然無いよっ!」
ルヴィーが文句を言えば、ラーグも「何お〜っ!」っと反論を始める。ジャスリンは一人話について行けず、呆然とした。そのジャスリンの肩に置かれたラーグの手を、ウィードはつまみ上げ振り払うと、ラーグの抗議の声にも無視を決め込み、ジャスリンの肩を無言で抱き寄せる。そしてすかさず、彼女の胸で恍惚としていたカササギをもつまみ上げると、これもポイッと放り捨てた。
ジャスリンがウィードを見上げると、物言いたげな紺碧の瞳とぶつかった。ウィードはすぐに視線を逸らし、何やら言い訳がましく、「タマ公の言う事なんぞ本気にするな。ついでにここで会う連中の言う事もな」と、眉間に皺を刻みながら言った。