26.ルヴィーの一日
ルヴィーは早起きである。少なくとも、この月夜城の住人の中では一番の早起きであった。今朝もぱっちりと目を醒したルヴィーは、「ふわぁ〜」っと可愛らしい伸びをすると、ぴょんと寝台から飛び降りた。水差しの水を洗面器に注ぎ入れ洗顔し、鏡の前で鮮やかな金色の髪を整えると、ルヴィーはにこりと笑顔を作った。
「えへっ!僕って可愛いっ!」
................ルヴィーは、思いの他ナルシストであった。
部屋を出ると、ルヴィーはまず厨房に直行し竃に火を入れる。大好きなジャスリンの為に朝食の仕度をするのだ。主のアレスウィードは、紅茶か香草茶以外、朝食を摂る事は無かったが、ジャスリンは毎日朝食を摂る。ルヴィーは今朝も、ジャスリンの喜ぶ顔を胸にパン造りに勤しむのだ。
日が昇って暫くするとジャスリンが起き出して来る。その頃には、パンもちょうど焼き上がり、卵もちょうど良い具合に茹で上がる。
「わぁ〜、良い匂いですね。お早う、ルヴィー、今日も早起きさんで、おりこうさんですね、貴方は」
そう言ってジャスリンは、ルヴィーのほっぺにちゅっと朝の口付けを落としてくれる。
役得、役得.....、くふっとルヴィーはほくそ笑む。以外と腹黒いかもしれないルーヴィーである。
今日もジャスリンは幸せそうにルヴィーの焼いたふかふかのパンを頬張り、その隣でルヴィーは木の実とベリーの朝食を摂る。
「美味しいです、ルヴィー。ほっぺが落ちそうです。ルヴィーは天才ですね。厨房の魔術師ですね」
ジャスリンがにひゃら〜と喜ぶと、ルヴィーも幸せであった。
バターのたっぷり入ったふかふかパンも、木の実の入った香ばしいパンも、干し葡萄の入ったのや、砂糖衣のかかった甘いパンも、干しトマトの入った甘酸っぱいパンも、ルヴィーが焼いたどんなパンも、ジャスリンは無邪気に喜んでくれる。明日はどんなパンを焼こうかな......、そうだ向日葵の種の入ったパンにしよう!ジャスリンはきっと喜んでくれるだろう...。ルヴィーはちらっとジャスリンを見上げ微笑んだ。
ジャスリンは朝食を終えると、主を起こしに行く。朝にてんで弱い吸血種族の主は、それでも以前はきちんと自力で起き出して来たものであったが、ジャスリンが月夜城の住人となってからというもの、彼女に起こされなければ起きて来ない事の方が多くなってしまった。ルヴィーは知っている。主はジャスリンに朝の微睡みを優しく壊される事に、無上の幸せを感じているという事を。目立って感情を面に出さない主の微妙な表情の動きから、ルヴィーは主の気持ちを汲み取る事が出来るのだ。
ジャスリンに起こされた主が、すんなりと寝台から抜け出すのが稀である事もルヴィーは知っている。今日も恐らく、暫しの時間がかかるだろう。その間にルヴィーはテーブルを片し、主の為に茶の仕度をするのだ。ジャスリンも主に付き合って茶を飲むので、年代物のカップを二つ並べる。そして主の為に茶葉を選び、暖めたポットにさらさらと入れる。そこでふとルヴィーは神経を研ぎ澄ます。そして数拍をおいてから、にこりと笑う。
「うん、ウィード様、やっと起きたみたいだ」
ルヴィーの聴覚は、実はすごいのである.....。
湯を注いだポットにカバーをかけトレーにのせると、ルヴィーは慎重にそれをダイニングルームへと運ぶ。絶妙のタイミングで主とジャスリンが姿を現した。
「お早うございます、ウィード様」
「ああ、ルヴィー」
低血圧である主は、まだ眠た気な瞳をしている。
「プリンセッシェか?」
主が香りで茶の銘柄を当てる。
「はい、ウィード様。昨日ハルケットさんがウィード様にって、くれたんですよ」
「そうか、ハルケットの商隊が戻ってるのか....」
主は満足そうに茶の香りを楽しみ、それを飲んだ。その向かい側のジャスリンもカップを手に微笑んでいる。
主の茶の時間が終わると、ルヴィーは主に頼んで使い魔を呼び出して貰う。何とも露出度の高い衣服に身を包んだ赤毛の使い魔が、腰に手を置き、不機嫌そうな顔をしてルヴィーを見下ろした。
「お早う、キキ。今日はお洗濯の日なんだ」
「あたしに洗濯しろって言うの?」
童顔な割にかなりのナイスバディなキキは、ルヴィーに対して少し高飛車である。
「そうだよ、お願いね。ちゃんとやってくれなかったら、この間君が、ワイン蔵を荒らして貴重な葡萄酒を二十本位一人で飲んじゃった事とか、サクランボの砂糖漬け、あの大瓶を全部一人でをつまみ食いしちゃった事とか、そのおっきいおっぱいが造り物な事とか、その他もろもろ、ウィード様に言いつけちゃうからね」
ルヴィーは満面の笑みで、キキを脅す。キキは腕組みし、ちっと舌打ちするも、渋々と言いつけられた事を実行に移す。
「ところでキキ、いい加減その格好やめたら?男のくせに...」
童顔ナイスバディのキキが、キッと、ものすごい形相でルヴィーを睨んだ。
「うるさいわねぇっ!あたしの心は女なのよぅ!!」
キーキーと奇声を上げながら、大きなたらいに一杯の洗濯物に八つ当たりを始める。
「はいはい、何でもいいけど、一枚でも破いたりしたら、君が実はジャスリンに邪な気持ちを抱いてるって事、ウィード様にばらしちゃうからね。そうなったら君、ウィード様を敵に回しちゃう事になるね、うふっ!」
キキの手がびくりと止まった。
「あっ、あんただってそうじゃないのよぅ」
キキが恨めし気にルヴィーを見る。
「僕のはこの上ない程に純粋な気持ちだよ。君みたいにさ、ジャスリンと....《以下自主規制》...したいとか、ジャスリンに....《以下自主規制》...なんかしちゃいたいとかさっ、ジャスリンを....《以下自主規制》...させちゃいたいとか、そんな邪な事、ぜ〜んぜん考えた事無いもんっ!ましてやウィード様と三人で....《以下自主規制....、良い子の皆さん、どうか想像なんかしないで下さい》....なぁんて、まかり間違っても考えた事なんてないもんねっ」
さらりと言われ、キキはますます卑屈な表情となる。
「それがあたしの愛の形なのよぅっ!文句あるのっ!」
「心は女なのに?」
「あたしはウィード様も愛してるわよっ!」
「男なのに?」
「魔族なんだからしょうが無いでしょっ!ふんっ!くそガキっ!」
「僕、君より年上だけど」
その言葉が届いたのかどうなのか、逆切れしたキキはぷんすか怒りながら洗濯物の大ダライをぽいと頭上に掲げ、鼻息も荒く洗濯場へと消えてしまった。
キキとの口争いは毎度の事であるが、やはりキキは、ジャスリンをネタに強請るのが一番効果があるなと、ほくそ笑んだ黒ルヴィーであった。
キキを無事に仕事に就かせると、ルヴィーは庭園へと駆けつける。ジャスリンが室内に飾る為の花を切っている最中なのである。
「お花持ってあげるよ、ジャスリン!」
先程とは打って変わり、無邪気な笑顔を惜しみなく浮かべた白ルヴィーはジャスリンから花の束を受け取る。
「ありがとう、ルヴィー」
ジャスリンがにっこりと微笑んだ。ルヴィーはこうして週に一度、ジャスリンが鋏で切る花を一本一本受け取り、室内に飾るのを手伝うのである。
花を活けた花瓶を両手に抱えるジャスリンの後にくっ付いて書庫へ行くと、主が今日も本にかじりついていた。
「ウィード、今日は午後から町へ行きませんか?」
ジャスリンが花瓶をテーブルの中央へ置きながら主に声をかけた。
「何の為に?」
本に目を向けたまま、興味も無さげな声で主が問う。
「先週、金物屋のモリーさんの赤ちゃんが生まれたのですよ」
「ああ....、そうだったな....」
主がゆっくりと顔を上げ、読んでいた古書を閉じる。ジャスリンがルヴィーに嬉しそうに目配せするので、ルヴィーも無邪気さを装い笑顔を返す。
ジャスリンが来てからの主は、町へ顔を出す回数が増えたなあとルヴィーは思う。
(ジャスリンは、ウィード様の事を“酷い内弁慶さん”って言うけど、前に比べたらぜ〜んぜんましになったよね)
人知れず頷くルヴィーである。
階下に降りて行くと、そこでもう一人の住人と出くわした。
「あ、お帰りなさい、ラーグ様。今日も朝帰りだね、っていうか、もうすぐ午だけど...」
「へへっ、まあな〜」
主に瓜二つである銀髪の魔族は、軽いノリの返事と共に、がしがしとルヴィーの頭を撫で回した。
「もぉ、やめてよラーグ様ってばっ」
ルヴィーは両手で頭を押さえながら、眉間に皺を寄せて訴えた。
「うひゃひゃ〜、ルヴィーちゃん、怒った顔もか〜わい〜ぃ!」
主の従兄弟は、主と違っていつも機嫌が良いが、今日もやはり上機嫌の様だ。何かに付けて、ルヴィーの金髪頭をわしゃわしゃと撫でくり回すこの主の従兄弟を、ルヴィーは鬱陶しく思いながらも、実は以外と好いていた。
「午後から皆で、金物屋のモリーさんの赤ちゃんに会いに行くんだよ。ラーグ様も行く?」
「俺、パス〜。昨晩殆ど寝てねえの。彼女が全然放してくんなくってさぁ、もうダメ、死にそ」
そう言うや、大欠伸を一つかます主の従兄弟。
「やれやれ、ラーグ様のすけこまし!ハレンガルの女の子を泣かしたら、ウィード様とジャスリンに叱られるからねっ」
「は〜い、気を付けま〜す、ルヴィーちゃん」
背中越しに片手を振りつつ、階段を上がって行く主の従兄弟を見送りながら溜息を吐くルヴィー。
「クレシスさん以上に手が早いんだから、ラーグ様ってば...」
いつの間にか主の従兄弟の目付役にもなっているルヴィーであった。
今日もルヴィーは、ジャスリンと仲良く手を繋ぎながら散歩がてら町へ行く。主も一緒である事が、ルヴィーには嬉しい。幼い頃、教会の悪魔払いに取り殺されそうになっていた処、ルヴィーはこの主に救われ拾われた。それ以来ルヴィーは、このハレンガルの月夜城で主と共に暮らしている。命を助けられ拾われた時から、主はルヴィーにとっての絶対的な存在となった。
町の目抜き通りまで来ると、その主が今日も女達に取り囲まれた。そしてジャスリンはといえば、今日もあちこちで呼び止められては、人々の肩こりやら腰痛やらを癒してやっている。
そんな二人の姿にそれぞれ視線を向けながら、それにしても....、とルヴィーは思う。ジャスリンは嫉妬という感情を知らないのだろうか...?主が女達に囲まれようが、思わせぶりな態度を取られていようが、怒った事が無い。
(ただ単に鈍いだけかな.....?)
ルヴィーは首を傾げながらジャスリンを眺め、うん、鈍いだけだな...と呟く。それに引替え、主はああ見えて結構焼き餅焼きである。否、結構どころかかなりの焼き餅焼きであるとルヴィーは分析する。
金物屋の赤ん坊のお祝いに出向いた後、いつもの様にドード神父とクレシス神父のところへ寄ると、又してもジャスリンに熱っぽい眼差しを向けて来るクレシス神父に、主はやはり静かな怒りを醸し出していた。ちなみにジャスリンは、そんなクレシス神父の熱っぽい眼差しも、主の水面下での怒りにも、当然気付いてはいない。
全く、ジャスリンってば魔女のくせに鈍いんだから....。でもそこが可愛いんだけど......。うふっ!などと内心思いながらも、無論そんな事は口には出さない賢いルヴィーである。
月夜城に戻ると、ルヴィーは厨房へと降りて行く。主とジャスリンに二人きりの時間をあげなくっちゃっ、それでなくても進展が遅いんだから....。そんな心配をしながら夕食の仕度に取りかかるルヴィーである。
「さてと、今晩のごはんはっと....」
ルヴィーは鼻唄を唄いながら、夕食の仕込みを始める。ルヴィーは料理が好きなのである。中々の腕である。だが、自分では食べない。ルヴィーの主食は木の実や漿果類である。まあ、もう少し大きくなったら食べる様になるかもしれないけれど....。それはルヴィー自身にも分からない事なのだ。
夕食の仕度が整う頃、主の従兄弟が起き出して来て食卓に着いた。彼は最近物を食べる。どうやら主の真似をしているらしいのだが、その結果血液の摂取量が減っているのかどうかは、ルヴィーも知らない。
「美味いっ!美味いぜ、ルヴィー!」
主の従兄弟は、ルヴィーの料理を無邪気に喜ぶ。そんな処は、まるでジャスリンの様である。
「物食うのってさ、一種の快楽だよな〜。俺、知らなかったぜ」
「でしたら毎日お食事したら良いのに、ラーグったら....、ねえ、ウィード」
ジャスリンが同意を求めれば、主は片方の眉を上げ“まあな”と答えた。
「でも、可愛いお姉ちゃん達の血の方が、もっと気持ちいいしなあ〜」
「死人だけは出すなよ」
「はいよ〜」
いつもと変わらぬ素っ気ない主の口調に、何とも間の抜けた返事を返す従兄弟。ルヴィーはジャスリンと目を見交わすとくすりっと笑う。
「何笑ってんの?ルヴィーちゃん」
「いたいいたいいたいよ、ラーグ様ぁ」
主の従兄弟は、口角をニ〜ッっと横に広げた作り笑いで隣のルヴィーの頭を捕らえると、拳でぐりぐりと撫で回した。
「ラーグもルヴィーも、お食事のときはふざけちゃいけないのですよ」
クスクスと楽しそうに笑いながらジャスリンが二人をたしなめた。は〜い!と人間の様な笑顔で答える主の従兄弟の横顔を、ルヴィーは上目遣いに睨んだ。
「もうラーグ様ってば、顔はウィード様にそっくりなのに、中身はぜ〜んぜん子供なんだからっ」
「だって俺、ウィードよりぜ〜んぜん若いんだもん」
顔を突き合わせるルヴィーと銀髪の吸血種族の青年に、主が“けっ”と毒突きながらも、傍らのジャスリンと目を見交わしながら微笑みを浮かべた事を、ルヴィーは残念ながら気付かなかった。
食後の後片付けは、勿論主の使い魔にお願いするルヴィーである。キキは実に嫌そうに、だがものすごい早さで命じられた仕事をこなした。さもないと後が怖いのである。ルヴィーは、主からの借り物である使い魔を、血も涙も無く脅してこき使う。そこは、やはり魔族である。
そして....、食後暫くすると、ルヴィーも睡魔に襲われる。
「ルヴィー、貴方はもうお休みの時間ですね」
居間で、ジャスリンと一緒に古い絵本を繙いていたルヴィーの瞼は、もう殆ど下瞼にくっつかんとしている。“いらっしゃい”という声と共に優しく手を引かれ、ルヴィーは半ば眠りながら、傍らの主に頭を下げた。
「おやすみなさい、ウィード様......、ついでにラーグ様も....」
主とチェス版を囲んでいた主の従兄弟が、ついでという言葉に不満気な声を上げたようであったが、最後に“お休み”という声が二つ、ルヴィーの耳に届いた。
優しい魔女に着替えを手伝ってもらい寝台に潜り込んだルヴィーは、今日も幸せであった。
「良い夢を.....」
声と共に、ルヴィーのおでこにほわりと温もりが降った。それが夢だったのか現実だったのか、残念ながら分からずじまいのルヴィーであったが、
“今日もお疲れさまでしたね、ルヴィー.....”
ジャスリンのその優しい声は、確かにルヴィーの耳に届いたのでした。
『ルヴィーの一日』.....お し ま い。
読んで下さった皆様、ありがとうございました。
この話は、正直なところ皆様にご披露するのは止めようと思っていたのですが、勇気を出してご披露してみました。
次回作まで、また暫くお時間かかるかと思います。あらかじめお詫び申し上げます。
秋山らあれ