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24.アレスウィード、隠し子疑惑(中)





 『逃げるのよっ、ラーグ!』

木の根に足を引っかけ挫いた女が、座り込んだまま切羽詰まった声と共に、幼い魔族の子を手で押しやった。

 『やだっ!かあちゃんといっしょじゃなきゃ、やだよぉっ!』

泣き叫ぶ幼子を、女は厳しい顔で叱りつけた。

 『お前は魔族の子であり、私は人間。いつまでも一緒には暮らせないの。行きなさいっ!』

幼子が未だかつて見た事の無い鬼神の表情で、女は泣きながら縋り付く魔族の子を容赦なく突き飛ばした。尚も駆け寄ろうとする我が子に、女は手元の木切れや石ころを掴むと闇雲に投げつけた。心が血を流していた。魔族の子は身を縮め、小さな両腕で顔や頭を庇い、やがて、しゃくり上げながらつたない足取りでのろのろと遠ざかった。

 引き裂かれた女の心は、悲鳴を上げ続けていた。我が子の姿が見えなくなると、女はふらりと立ち上がり、痛む足を引き摺りながら歩み始めた。よろけながら、涙を流しながら、幼子の逃げたのとは反対の方向へと進み、教会の悪魔払い達の手に落ち、魔族に通じた咎で殺された。


 野晒しにされ、ぐずぐずに腐った母親の死体を見いだした時、 幼い魔族の子の心の内に初めて暗黒が生まれた。人間を憎んだ。そして自分たちを捨てた父親を憎んだ。


 未だに母親の声がこだまする。

   

   お前のお父さんは、素晴らしい人よ........。

     素晴らしい人よ..........。


 くそっ!......その度にラーグフェイルは内心毒突く。その度に憎しみが募る。魔族に魅入られさえしなかったら、恋い焦がれる事も、禁忌の子を孕む事も、人間の世界から追われる事も無かったというのに........。力無い人間の身で、吸血魔族の子を抱えて教会の悪魔払い達から逃げ続けた。生きる為に食物を必要とした母は、しばしば食料が手に入らずに草をんで餓えを凌いだ。父の血を色濃く受け継いだ子は、食物が無くとも不都合は無かったものの、生きる為に生き血を必要とした。母は、滋養の足らぬ体であったにも拘らず、魔族の子に己が血を含ませた。

 魔族の子など産んだばかりに........

 魔族の子など愛したばかりに........

 子の父親を信じ続けたばかりに.......

 子の父親を愛し続けたばかりに.......

 悪魔払いの神父達に、惨たらしく殺された。


 ラーグフェイルは父親を憎み続けながら成長し、そして今、その父親を見付け出した。幾度夢見たか分からなかった。顔も知らなかった父親を殺す処を.........。

 




 いつの間に眠り込んでしまったのか、ジャスリンが再び目覚めた時、ラーグフェイルの姿は無かった。洞窟内は薄ら明るく、表の方から鳥のさえずりが盛んに聞こえてくる処を見れば、夜はすっかり明けているらしい。ジャスリンは立ち上がり、表へと出てみた。

 「ここは.......、ライトン樹海.....?」

ジャスリンは、緑の天井を見上げた。樹齢の進んだ大木の緑に覆われた上空。昨夜の嵐は、すっかり去っており、鬱蒼と生い茂る緑の間からは日が差し込んでいた。

 ライトン樹海は広大である。一体どの辺りなのだろう....と、ジャスリンは考え、辺りを見回してみる。少なくとも、嘗て彼女が暮らした辺りでは無かった。


 「あんたのメシだ」

ふいに気配も無く声が起こり、ジャスリンは驚き振り返る。銀髪のラーグフェイルが、片手に野兎をぶら下げて立っていた。

 「あんたは、物を食うんだろ?」

 「...食べますけど.....」

ジャスリンが少し不思議そうな顔をしながら答えると、ラーグフェイルは懐から小刀を取り出し、野兎をさばき始めた。あっという間に皮を剥ぎ、肉を枝っきれに刺すと、火を起こして焼き始めた。

 「食え。喉が渇いたら自分で何とかしろよ、魔女なんだろ?」

 「はあ.....、あの...、ラーグフェイルさんは、召し上がらないのですか?」

 「ラーグでいい。俺は物は食わねえよ。気が向いた時しか...」

答えながらラーグフェイルは、木の根元に座り寄りかかった。

 「じゃあ、私の為に?」

 「あんたには別に何の恨みも無いからな」

 「ありがとうございます」

ジャスリンは微笑んだ。


 日の光の元で見ても、やはりラーグフェイルはアレスウィードに瓜二つであった。その青みを帯びた銀色の髪が黒かったなら、見分けがつかぬ程である。ジャスリンは焼けた肉に手を伸ばし、数口食べた処で手を止め、ぼんやりとあらぬ方を眺めているラーグフェイルへと目を向けた。

 「これから、どうするのですか?ラーグ」

 「待つさ、あいつがあんたを取り返しに現れるのを」

 「現れなかったら、どうするのですか?」

 「又、他の方法を考えるさ」

ラーグは、寄りかかったまま気だるそうに答えた。

 「話し合って下さい、ウィードと」

ジャスリンの真剣な眼差しが、ラーグの闇の瞳とぶつかる。ラーグは答えずに瞳を細め、物言いた気にジャスリンを見詰めた。そして暫くの後に立ち上がった。

 「俺にもメシをくれ」

 「あっ....、はい」

ジャスリンが、火に炙られている兎の肉へ手を伸ばそうとした。だがその手が串に届くより早く、ラーグフェイルの手が彼女の首筋へと伸びていた。

 「そっちじゃねえよ」

笑いを含んだ声と共に、吸血魔族の両手はジャスリンの細い体を捕え、唇が白い首筋の脈を探った。いきなり体を密着させてくる魔族に、ジャスリンは恐慌をきたしもがく。

 「何をするのですかっ!?ラーグっ!?あうっっ!!」

首筋の鋭い痛みに、ジャスリンは悲鳴を上げ、ラーグフェイルの腕の中で体を硬直させた。

 「止めて下さい、ラーグっ!!嫌ですっ!!」

もがき暴れようにも、ラーグの腕はびくともしない。首筋を強く吸われた。

 「嫌っ!離して...、お願いです....」

力が抜ける。体が熱くなり、息が苦しくなり、鼓動が早くなる。

 (ウィードっ、助けて、ウィードっっ!)

手の親指の付け根から吸われるどころでは無い熱と感覚に襲われ、ジャスリンは恐ろしくなった。目尻に涙が浮かび、体が震えた。

 「....ウィード....」

喘ぎながらウィードの名を呼ぶ。ラーグフェイルは、満足気に細い首筋から顔を上げ、唇をぺろりと舐めた。腕の中の魔女はぐったりと体をラーグにもたれさせ、苦し気に小さな息を震わせている。まるで色事の真っ最中の様になまめかしい。

 ラーグフェイルは、ジャスリンのおとがいを掴み、彼女の顔を上向かせる。染まった頬に、涙の浮かんだ瞳、焦点が定まらないのかラーグをぼんやりと見上げている。

 「そんなにかったか?」

囁く声は甘い。ラーグフェイルは、潤んだスミレ色の瞳に目を奪われ、その薄紅色のふっくらした唇に目を奪われ、無意識の内にそれを求めて身を屈めた。

 「ウィード.....」

今まさに互いの唇が触れんとした時、魔女はその名を呟き、そして気を失った。腕にかかる重みを抱えたまま、ラーグフェイルは身動きしなかった。己の胸を占める重苦しい感情が理解出来なかった。魔女の口から零れた名、それが憎かった。そして、何故か哀しかった。





 黄昏時は逢魔が時、魔が好むという深い深いライトン樹海は、普通の人間ならまず足を踏み入れる事は無い。迷い込めば最後、生きては戻れないと人々からは信じられていたのである。そこに、くすんだ金の長い髪を四方に散らして、うら若い娘が倒れ伏していた。辺りには誰も、何も、いない。

 否、薄暗がりの中、近付く者があった。気配も無く、ただ黒い影は動き、そして娘の元へと跪く。

 「ウィードっっ!!」

悲鳴に近い叫び声と、黒い影が娘に手を触れるのとが同時に起こった。そして間髪も無く、雷鳴の如き轟音と共に、娘に手を触れた黒い人物はいかづちに打たれ、火花を散らしながらどっと倒れた。

 「ウィードっっ!!」

今一度絶叫が起った。倒れ伏す娘の声か....?否、倒れ伏していた娘の姿は、もはや消え失せていた。そこには煙を上げつつ倒れ伏す、漆黒の髪の男の姿しか無かった。我を忘れて駆け寄ろうともがくジャスリンを、ラーグフェイルは羽交い締めに押さえつけていた。

 「やめとけ、檻に飛び込む気か?」

ラーグフェイルの目は、檻の中へと据えられ、やがてにやりと笑う。檻の中の男は、身動き一つしない。

 「噂程にも無いな.......。ちゃちな奴だぜ...」


 倒れ伏す黒髪の魔族が、ラーグフェイルの結界に閉じ込められた事など分かっていた。そこへ飛び込めば、傷付く事も分かっていた。それでもジャスリンは、泣きながらラーグフェイルの手を振りほどくと、檻の中のウィードの元へと駆け寄ろうとした。

 と、その時突然、白い光と共にいかずちがラーグフェイルを打った。ジャスリンは驚き振り返り、声も無くその場に凍り付く。ラーグフェイルは、銀の髪や衣服の所々を小さな炎に焼かれながら倒れ伏し、微かに呻いた。

 「ちゃちなのは、お前だ」

どこからか、身の毛立つような冷たい声が起こる。ラーグフェイルの檻の中に捕われていた筈の黒髪の魔族の姿が、いつの間にか小さなコウモリに変わっていた。


 ラーグフェイルは、身じろぎしながら薄目を開けた。己が檻に捕われた事が分かった。向こうの暗闇から黒い影が現れた事も見て取れた。そして、その影が己に酷似している事も......。

 「ウィード......」

ジャスリンが弾かれた様に駆け出し、アレスウィードの首に飛びついた。

 「ウィードっ、本当にウィードですね?」

ウィードは、泣きじゃくりながらしがみついてくるジャスリンを強く抱きしめてやりながら、不敵な笑みをその口元に上せた。

 「俺が、あんな子供騙しな罠に引っかかると思ったのか?お前は」

 「だって、だって...、お猿さんだって木から落ちる事もありますもの、ウィードにだってお間抜けな失敗があるかもしれないじゃないですか」

 「.....言いたい放題だな.....」

ウィードはやや脱力しながらも、ジャスリンの頬に触れると、ジャスリンはおずおずと泣き顔を上げた。

 「無事だったか?」

真摯しんしな瞳で尋ねてくるウィードに、ジャスリンは鼻をすすり数度頷いた。ウィードは小さく安堵の息を吐くと、両手の親指で彼女の頬の涙を拭ってやり、その額に口付けを一つ落とした。そして.....、やがてウィードの紺碧の瞳はラーグフェイルの紅い瞳を捕え、同様に紅く燃え出す。

 ウィードはシャスリンから手を離し、ゆっくりとラーグフェイルの方へと歩み寄った。己と同じ顔の魔族を目にしても、アレスウィードは一分も表情を動かす事は無かった。

 「いい度胸だな...。俺の女を勾引かどわかすとは、それなりの覚悟あっての事なんだろうな?」

背筋も凍えさすかという様な、零下の怒りの籠った酷薄な声。しかしラーグフェイルには、怯えの色も恐れの戦きも無かった。ただ強い憎しみのみがあった。紅玉の瞳でアレスウィードを憎々し気に射ながら、銀髪の魔族は傷付いた体を起こそうとした。

 「ウィード、待って下さい!」

ジャスリンが慌てて走り出ると、ウィードの腕を取る。

 「彼をどうするつもりですか?」

 「決まってるだろう、この場で八つ裂きにしてやる」

アレスウィードは、銀髪の魔族を見据えたまま低く言う。 

 「ダメですっ!ウィード!」

ジャスリンはウィードの前に立ちはだかった。

 「何故だ?」

 「彼の顔を見て、何も感じませんか?彼は貴方のお子さんなのですよ」

 「ほう?」

 「然る人間の女性と、貴方との間のお子さんですわ」

 「それがどうした?この魔族が俺の子だろうとそうでなかろうと、お前に手を出した事実は変えられない。どいていろ」

 「嫌です!ラーグは私に、何も酷い事なんてしていませんもの!」

 「どけっ!」

ウィードはジャスリンを脇へと押しやりながら、片掌に白光を産み出す。ラーグフェイルは上体だけを起こして、怯む事無くウィードを見据えていた。

 「俺は死んでも忘れねえ。俺達母子を捨てたてめぇを憎み続けてやる」

 「そりゃあ結構だな」

ウィードの手から光の矢が放たれるかと思われたその時、ジャスリンが檻の中へ飛び込んだ。いかずちが轟音と共にジャスリンを打った。

 「!!」

煙と炎を上げながらも、ジャスリンはウィードから庇う様にラーグを抱きしめた。

 「ジャスリン......、何やってんだよ、あんたは....」

泣き出しそうな声で、ラーグは呟いた。ウィードは怒りの為に、己の掌に産み出した白光弾を握りつぶしていた。小さな稲妻が幾度か光って、やがて消えた。

 「阿呆も時と場合にしろっ、ジャスリン!一体どういうつもりだ!?」

ウィードは、心底怒っていた。

 「ウィードの分からず屋!実のお子さんを八つ裂きにしようなんてっ!!彼が今まで、どんなに辛い目にあって来たか想像出来ますか!?貴方さえ傍にいてあげていたら、彼のお母さんだって殺されずにすんだかもしれないのですよ!!」

ジャスリンはラーグを抱きしめたまま泣き叫ぶ。涙はぼろぼろと零れ散った。

 「彼の名前はラーグフェイルというのです。貴方が付けた名なのでしょう?ウィード?貴方のお父様の名なのでしょう?」

 「ラーグフェイル......」

ウィードは眉間に深々と皺を寄せたまま呟いた。

 「ラーグを殺すというのなら、私も一緒に殺したら良いのですっ!ウィードの馬鹿っ!」

最後の暴言を吐いた後、ジャスリンはラーグの肩に顔をうずめ、一頻ひとしきり泣き声を上げ続けた。


 周りの結界が解けた事にラーグは気付いた。やがてジャスリンの泣き声も小さくなった。

 「檻は解いたぞ、いい加減その胸くそ悪い奴から離れたらどうだ?」

ジャスリンは唇をつんと尖らせ、時たましゃくり上げながら、恐ろしく不機嫌なウィードを振り返った。

 「ラーグに酷い事、しませんか?」

 「そいつが阿呆な真似をしない限りはな」

ウィードの不本意そうな声音に、ジャスリンはラーグに向き直る。 

 「“阿呆な真似”はしないで下さい、ラーグ。良いですね?しないで下さいね?」

ラーグはウィードを睨みつけたまま答えない。

 「付いて来い」

ウィードはラーグフェイルに向かって苦々し気に言うと、くるりと背を向けた。

 「何処へ行くのですか?ウィード」

ジャスリンは慌てて立ち上がった。

 「デルフェンだ...。あの、くそったれ夫婦の処だ」

ウィードは足を止め答えると、再びさっさと歩き出した。




 

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