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23.アレスウィード、隠し子疑惑(上)

今回は、シリアスに参りますです。





 朝から珍しく雨であった。

 鏡台の前に座り、くすんだ金色の長い髪を象牙の櫛でゆっくりと梳かしながら、ジャスリンはふと窓の外を見た。空は灰色、雨はさらさらと、静かに地を打っている。

 ジャスリンは櫛を置き、傍らの小さな天鵞絨ビロードの小袋に手を伸ばした。中から絹を取り出しそっと開くと、赤い絹糸に括られた、ほんの一撮ひとつまみの黒髪が出て来た。ジャスリンは、指先で優しくそれを撫でると、小さな溜息を漏らした。


 『お前、俺の髪なんか切ってどうするつもりだ?呪いでもかけるのか?』

微かに口角の上がったアレスウィードの表情。紺碧の瞳はジャスリンをからかっていた。 朝に弱いウィードが目覚める前に、こっそりとほんの一房切り取っただけであったのに、しっかりとばれていた事にジャスリンは驚いた。

 『どっ、どうして分かったのですか!?もしかして寝たふりをしていたのですか??』

ジャスリンが焦って尋ねると、ウィードは肩を竦めて見せた。

 『お前が何時俺の髪を切ったかは知らないが、お前に髪を切られた事くらいは分かるぞ』

ジャスリンは、ぽか〜んと口を開けている。

 『いい加減、口を閉じろ。阿呆そのものだぞ』

ジャスリンは、素直に口を閉じる。恐るべし、アレスウィード!侮れませんね.....、などと内心考えながらも、そんな事は口には出さないジャスリンであった。

 『もしも、跡をつけるつもりで俺の髪を切ったんなら......』

そこでジャスリンは、ウィードにギロリと睨まれ思わず身を引いた。

 『べっべっ別に、ウィードの跡なんてつけないですもん!』

図星を指されたジャスリンは、それをごまかす様に唇をつんと突き出す。

 『本当だな?お前なんかにしゃしゃり出られた日には、間違い無く足を引っ張られるだろうからな。俺もまだこの年で死にたくは無い』

ウィードは魔族的な美しい笑みと共に言ってのけると、やがて手を伸ばし、ぷんとふくれている魔女を両腕の中に納め、唇を塞いだ。





 教会本山からの要請によって、アレスウィードがどこぞかの魔物退治に出掛けてから早十日程が過ぎ去っている。王国教会の手に負えぬ魔族を片付けてやる。それを条件にこのハレンガルは治外法権を認められている......と言うよりは、アレスウィードが強引に認めさせているわけであるのだが......。よってウィードは時たま、“仕事”の為に城を空けるのである。今回のそれは、ジャスリンがこの月夜城の住人となってより、初めての事であった。

 ジャスリンはウィードの髪を手に、鏡に向かって呪文を唱える。やがて鏡の表面は細波立つ。

 「鏡さん、お願い、この髪の持ち主を映しておくれ」

鏡は、暫くの間細波を立て続けていたが、結局ジャスリンの願いを叶える事無く、やがて静まった。

 「やっぱりダメですか....」

気落ちする己の姿をしか映さぬ鏡に、ジャスリンは今日も溜息を吐く。アレスウィード程の力を持つ魔族であれば、己の気配を巧みに隠す事など朝飯前であろう。それでもジャスリンは、ウィードを案じて毎日彼の姿を探すのだが、徒労に終わっている。





 「ジャスリン?」

床の毛皮の敷物の上に寝そべりながら、年代物の絵本を開いていたルヴィーが、ジャスリンを見上げていた。

 「何ですか?ルヴィー」

ジャスリンは優しく微笑む。

 「さっきから全然手が動いてないけど.....、大丈夫?ジャスリン?」

あ.....と、小さく呟き、ジャスリンは自分の手元に視線を落とした。刺繍を刺している最中であった事を思いだす。

 「ウィード様なら大丈夫だよ、ジャスリン。ウィード様は強いもん」

ルヴィーが、気遣わし気な目でジャスリンを慰める。

 「そうですね、ルヴィー。分かってるのですけれど.....、でも....、もう十日以上も過ぎてしまいましたし....」

ジャスリンの笑顔がふと翳る。

 「淋しいですね、ウィードがいないと.....」

 「きっと、もうすぐ帰って来るよ、元気出して、ジャスリン」

 「優しい子ですね、ルヴィーは」

ジャスリンは、うふふっと無理に笑って見せた。





 さらさらと優しかった雨足が、その夜には激しくなっていた。闇の中を、強い雨に打たれながら佇む者があった。空が蒼く光った。その稲光りに、黒々としたマントのフードを深々と被った人物の姿が浮かび上がる。一瞬の後に、雷鳴が不吉に轟いた。

 彼は嵐の中、古城に浮かぶ灯りを見詰めていたが、やがて足を踏み出した。驚いた事に、その古城は無防備であった。結界も何も張られていなければ、扉には鍵さえもかかっていなかった。城主が不在な所為なのか......。いや、城主の愛人は魔女だと聞いていた。結界を張る者がいない訳ではない筈である。このハレンガルには危険な魔物は寄り付かないと、本気で高を括っているのだろうか.....。男は、フッと意地の悪い笑みを零すと、何の苦労も無く城内へと体を滑り込ませた。

 重い扉は、高い悲鳴を上げながら外気を遮断した。激しかった雨音が僅かに遠ざかった。壁の灯りは、何とも古城にぴったりな蜜蝋燭であり、金色の反射板が焔を反射し辺りをぼんやりと照らしている。いかにも吸血魔族の好みそうな住処だ。ざっと辺りを見回した男は、そう独りちた。

 ぱたぱたと軽い足音を耳に捉え、男は前方の階段の踊り場を見上げた。大きなステンドグラスの嵌め込まれた窓。稲光りがその絵柄を浮き立たせる。そして轟く雷鳴。壁の灯りが造り出す長い影を踊らせて駆け現れたのは、長い髪を揺らした乙女であった。

 「ウィードっ!」

乙女は男の姿を認めると嬉しそうな叫びを上げ、階段を軽やかに駆け下りるや、ずぶ濡れの男の首に抱き着いた。

 「お帰りなさい、ウィード!」

だが男は答えなかった。乙女は満面の笑みで男の顔を見上げた。その時、再び空が光った。乙女はふと男に違和感を覚え、両手を伸ばして男のフードを下ろした。

 「!?」

乙女は、目を見開いた。

 その時、踊り場に子供が姿を見せた。だが子供はそこで息を飲み、凍り付いた。金色の瞳は、男の顔とその髪に縫い留められていた。

 「貴方は.....、ウィードではありませんね。一体どなたですか?」

乙女が数歩下がって尋ねると、男はにやりと笑った。そして、彼が乙女の細い体を捕えるのと、乙女の悲鳴と、子供の叫び声とが同時に起こり、男と乙女の姿はその場から掻き消えた。後には、ただ震える子供が取り残されるのみであった。





 激しい雨音と雷の音に混じって、質素な木の扉を叩く者があった。クレシスは起き上がり、教会の呼ぶ処の“聖なる力”でもって難無く蝋燭に火を灯した。

 「どうしたのだろう.....、こんな時刻に....」

嵐の中から、訪問者を救出すべく戸を開けると、小さな少年が飛び込んで来た。

 「ルヴィー!?」

濡れ鼠の魔族の少年がしゃくり上げていた。

 「どうしたんだい?ルヴィー?」

クレシスは背を屈め、ルヴィーの頭に手を置く。後ろで微かに物音がし、ドード神父も灯りを片手に起き出して来ていた。

 「ルヴィーではないか?一体どうしたんじゃ?」

ルヴィーの様子から、只事では無い事態を察した神父達は緊張する。

 「ジャスリンが.....、ジャスリンが.....」

泣きながら、か細い声でルヴィーは必死に言葉を紡ぎ出す。

 「攫われちゃったんだ......。ウィード様にそっくりな魔族に、攫われちゃったんだ」

 「何じゃとっ!?」

驚愕する神父達の前で、小さな魔族の少年は幼い子供の様にわんわん泣き出した。


 「ウィードにそっくりな魔族か....。何者かが化けおったのか?」

夜更け、嵐の中を月夜城へとたどり着き、厚手の雨合羽を脱ぎながらドードがルヴィーに尋ねた。

 「分かんない....。でも顔はそっくりだったけど、髪の色は違ったんだ。白っぽかったんだ」

 「ふうむ....、化けるなら、髪の色も真似るだろうね。って事は、それがその魔族の本来の姿だったのかな.....。だとすると、領主殿の血族か....?」

 「よりによってウィードの留守の時になあ....」

 「それを見越して来たのかもしれませんよ、老師」

クレシスは広い階段の前の、ルヴィーの指し示した、くだんの魔族の立っていた辺りへと歩を進めた。手には教会の呼ぶ処の“聖なる書”を、腰には聖別された剣を下げている。彼は、その場の残り香を認めると、傍らのルヴィーの肩に手を置いた。

 「君は着替えておいで、ルヴィー。いくら魔族だからって、濡れたままだと寒いだろう?」

神父の優しい声に、まだぐずぐずと半泣き状態のルヴィーは素直に頷き、とことこと階段を上がって行った。

 クレシスはその場に跪き、ほとんど声にせぬままに聖なる句を唱え、じっと何かに精神を集中させていた模様であったが、やがて跪いたままドード神父を見上げた。

 「領主殿程の強い魔族では無い様ですが、吸血種族の残り香がします」

 「ウィードの眷属か.....」

 「はい、その様です。その魔族は、強い憎しみの感情を抱いています、老師」

 「ウィードにか?まさか嬢ちゃんにではあるまい?」

 「十中八九、恨まれているのは領主殿ですね」

 「何と.....、嬢ちゃんはそのとばっちりを喰ったのか....」

ドードは悲愴な面持ちで大きな溜息を吐く。

 「何とかせねば、何とか....」

胸の十字架を握り締める老師に、クレシスは蒼白な顔で頷いた。





 ぴちゃーーーん

 小さな水音が聞こえた様な気がした。気のせいだろうか..........?

 ぴちゃーーーん

 ほら、又......、気のせいでは無い........。

 目を開けてみた。闇の中であった。背中が痛い。その寝心地の悪さに、そこが自室の寝台の上ではない事に思い当たる。

 「目が覚めたか?」

闇から突然聞こえた声に、ジャスリンはびくりとし飛び起きた。何が起こったかを瞬時に思い起こす。ジャスリンは掌の上に灯りを造り出し、辺りを照らしてみた。どうやら洞窟の中にいるらしい。声の主はすぐに見付かった。すぐ目の前で、背を丸めながら俯き座っていた。


 「あ、あなたは、どなたですか?」

ジャスリンの問いに、その魔族が顔を上げた。灯りに照らされたその面は、ウィードに酷似していた。異なっている点といえば、その銀色の髪の色と、黒い瞳の色のみに思われた。

 「知りたいか?」

魔族は、射る様な眼差しと囁く様な声で尋ねた。

 「私には、知る権利があります」

 「知る権利だと?」

ジャスリンは、深く頷く。

 「だって貴方は、無理矢理私をこんなところへ連れて来たのですもの」

言いながらジャスリンは、掌の上で燃える灯りをぽいと地面の上に抛って炎を大きくした。

 「いつまでも濡れたままだと、良くありませんよ。魔族だって風邪を引くでしょう?......引かないでしょうか...?」

ジャスリンは、ほとんど濡れていなかったが、目の前の魔族は、全身濡れているのが見て取れる。

 「私はジャスリンです。貴方は、ウィードの親族の方なのでしょう?だってそっくりですもの」

 「.........」

答えぬ魔族の顔を覗き込むようにして、ジャスリンは首を傾げた。誘拐された事など、すっかり忘れ去ったかの態である。

 「お名前位、教えて下さっても良いのではありませんか?」

 「あんた緊張感無いな。自分が攫われたって分かってんのか?」

 「ええと.....、一応分かってますけど.....、でも気になるものは気になりますもの」

ジャスリンは炎に両手を翳して暖を取りながら、上目遣いに言い訳をする。

 「それと、攫われてしまったものは仕方がありませんけれど、でも早目に家に帰して欲しいです」

 「生きて帰れると思ってんのか?」

 「えっ?」

目の前の魔族の、やや呆れた様な表情と言葉に、ジャスリンは目を見開いてびっくりする。

 「生きて帰しては下さらないのですか??それは困ります。でしたら自力で逃げなくちゃいけないのですね?」

 「阿呆か、逃がす訳ねえだろ。あんたは大事な人質なんだから」

 「まあ.....、人質ですか?じゃあ、身代金を要求するのですか?」

けっ!と、魔族は毒づいた。

 「俺が欲しいのは、あいつの命だ」

押し殺した様な掠れ声が、剣呑な言葉を紡いだ。黒曜石の瞳が紅く燃えて見えるのは、焚火の炎が映えている故か......?

 「......命?ウィードのですか?それは、無理だと思います。ウィードは強いです」

 「うるせぇ!ウィードってのは、あのハレンガル領主の事なのか?」

紅く輝く瞳が細まる。ウィードに恐ろしく似ているが、.....でも違う....。一体どこが...?ジャスリンは、炎の向こうに座る魔族を哀し気に見詰めた。そう....、ウィードの瞳には、怒りの色が浮かぶ事はあっても、こんなに酷く悲し気な憎しみの色が浮かんだ事など無い。少なくともジャスリンは、まだ一度も目にした事は無い。

 「あいつの名は、ロディスラーグってんじゃあ無いのか?」

 「いいえ、アレスウィードといいます。アレスウィード ディアルーユ フォン ハレンガルです」

銀髪の魔族は、鼻を鳴らした。

 「成る程、ロディスラーグってのは、適当に名乗った名か....」

彼は、そう呟き、憎々し気に親指を噛んだ。

 「貴方は何故、ウィードの命が欲しいのですか?貴方は一体、ウィードとどんな関係なのですか?教えて下さっても良いのではありませんか?減るものでもないでしょう?」

魔族はジャスリンを一睨みし、目を逸らした。

 「俺は.....、あいつの息子だ......十中八九」

ぼそりと零された言葉に、ジャスリンは一瞬ぽかんと口を開け、すぐに気を取り直すと、ポンと掌を打ち合わせて納得した。

 「どうりで.....、どうりで似ている訳ですね」

ジャスリンは笑顔を浮かべ、アレスウィードの息子だと言う魔族に優しい眼差しを向けた。ウィードに瓜二つな時点で他人だとは思わなかったが、まさか息子だとは.......。ウィードは喜ぶであろうか.....、ジャスリンは笑顔のまま想像してみるが、間もなく表情を曇らせた。この銀髪のウィードの息子は、父親を憎んでいる。


 「俺の母親は、人間だった」

ぽつりと、再び言葉が紡がれる。

 「ある日、ある処で、吸血魔族に魅入られた。そして生まれたのがこの俺だ。あいつは俺の母親を孕ませるだけ孕ませると、捨てやがったんだ。俺の母親は、独りで魔族の子を産み落とし、そのせいで人間達から追われ、そしてガキだった俺を逃がす為に殺されちまった」

ジャスリンのけぶる様なスミレ色の瞳が曇る。

 「魔族のガキなんぞ産んだばっかりに、酷い死に方をしたんだ。馬鹿な女だった。魔族の子なんか、生まれる前に殺しちまえば良かったんだ」

自分など、殺せば良かったんだ.....。恐ろしく悲しい言葉に、ジャスリンの瞳から見る見る涙が零れた。


 「あいつがどんな甘言を使ったか知らねえが、俺の母親は、最後まであいつを恨む事無く死んだ。馬鹿な女だったんだ......。全く....,馬鹿な女だったんだ.......」

ジャスリンは素早く立ち上がると、苦し気な表情の魔族の元へと駆け寄り、ふんわりと彼を抱きしめた。まるでルヴィーを抱きしめてやる時のように.....。彼は驚きに目を見開きつつも、拒む事はしなかった。

 「お母様の事を、そんな風に言っては可哀想です。ウィードにも、きっと事情があったのだと思います。どうか憎まないで」

ジャスリンの涙の訴えに、彼は暫くの間無言であった。だが、やがてジャスリンの腕の中で呟いた。

 「どんな事情があろうと、あいつの所為で俺の母親は殺されたんだ。その事実は変えられねえ。俺はあいつを許さねえ。やっと見つけ出したんだ、絶対に殺してやる」

 「家族を憎むなんて、何て悲しい事でしょう.....」

ジャスリンは腕から魔族の青年を解放すると、その傍らにぺたんと座り込んで、涙声で小さく呟いた。

 「ウィードは貴方の存在を知りません。貴方のお母様が身籠ってらした事を知らずに、彼女の元を去ったのではありませんか?ウィードは....、ウィードは身籠った女性を見捨てる様な人じゃありません。そんな人じゃありません」

 「あいつは知ってたさ。まだ生まれてなかった俺に名を付けたのは、あいつだからな」

 「.....でも...」

ジャスリンは口ごもり、もうそれ以上何も言えなかった。

 「俺は....、ラーグフェイルってんだ。あいつの父親と同じ名前なんだとよ」

そう言って、ラーグフェイルは、拳を地面に叩き付けた。



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