21.夫婦喧嘩は犬も喰わねぇ!(上)
町の目抜き通りを、背の高い黒尽くめの青年が二人歩いていた。二人が二人、端整な顔立ちをしていたので目立つ事この上ない。十数歩も歩くごとに町娘達に取り囲まれている始末である。
そして、四〜五十歩後方のこちらでは.........。
「魔女様ぁ、お助け下さい〜、家の婆さんが、ぎっくり腰んなっちまって」
「あらあら、それは大変」
ルヴィーと仲良く手を繋いで歩くジャスリンは、十数歩歩くごとに、やれ“婆さんのぎっくり腰が”とか、“家の父ちゃんの歯痛が”だとか、“家の母ちゃんの肩こりが”やら、“姉ちゃんの差し込みが”などと、そんな理由で町の人々に呼び止められている。まあ、いつもの事ではある。
ハレンガルには医者がいない。昔から領主であるアレスウィードが、無償で町人達の病や怪我を癒してやっていた。その為か、昔から医者になろうなどと考える者はいなかったのである。そして、今は........。
「今日は、何故だか多いですね。春先だからでしょうか....?」
「うん、多分ね。季節の変わり目って、調子崩す人が多いみたい」
「そのようですね」
ジャスリンは心配顔で頷いた。
娘達は、きゃあきゃあと歓声を上げていた。まともに相手をしているのは、ヒースラーグである。今日は、オールバックの髪型では無いせいか、幾分若く見える。
アレスウィードはといえば、何時までたっても追いついて来ないジャスリン達にしびれを切らし、とうとうその場を抜け、道を引き返した。
「あら、ウィード?どうなさったのですか?忘れ物ですか?」
引き返して来たアレスウィードの姿に、ジャスリンはほんのちょこっと首を傾げて尋ねる。
「まあな」
「何を忘れたのですか?」
「お前達だ」
ジャスリンとルヴィーは、目を見合わすと、くすっと笑みを交わす。
「行くぞ」
「「はーい!」」
素っ気ない吸血魔族に、魔女と小悪魔は満面の笑みと共に声を揃えて返事を返した。
「今日はパン屋か?」
ジャスリンの抱えていた紙袋の中身を覗いたウィードが尋ねた。紙袋の中身は、香ばしい焼きたてのパンであった。
「はい、パン屋さんのお婆さんがぎっくり腰になってしまったのです。お陰でこんなに沢山パンを頂きましたよ。それから役場のケレンさんが、突き指をしてしまい、それから警吏のルートガさんが訓練中に捻挫をしてしまい、それから鍛冶屋さんの奥さんが風邪をひいてしまって、それから仕立て屋のイエニーさんのいつもの肩こりと、あと、シェリーの歯がぐらぐらしていたので抜いて差し上げました。シェリーったらおりこうさんでしたよ、泣きませんでしたもの、うふっ」
ウィードは片眉を器用に上げて、小さく溜息を吐いた。
「警吏の訓練て?普段そんな事してないだろうが....、あいつらは....」
警吏、いわゆる警察官である。一応このハレンガルにも、警察はある。だがしかし、平和で事件らしい事件も無いので、警吏達の仕事も、町人達の為の雑用ばかりである。例えば....、失せもの、落とし物捜査(ジャスリンかウィードがいれば、その場で片付く)だとか、“お〜い馬車が通るぞ〜!”と声をかける程度ですんでしまう交通整理(?)だとか、やれどこどこのかみさんが寝込んだ、といった時の子守り(何故...?)だとか、喧嘩の仲裁(主に夫婦喧嘩)だとか、町の祭りの準備などなど.....。凡そ危険とは程遠い業務(?)ばかりである。まあ、強いていえば夫婦喧嘩の仲裁に入って、とばっちりを食う位か.....。ちなみに本日の彼らの訓練というのは........。
「喧嘩の仲裁の際、とばっちりを受けない為の訓練だったそうですよ、ねっ、ルヴィー」
「うん」
ジャスリンもルヴィーも何の疑問も無いらしく、にっこり微笑みながら答える。
「........」
どんな訓練だ....、そいつは.....、内心呆れるのはウィードのみの様である。
前方に、娘達に囲まれるヒースラーグの姿が見えて来ると、ウィードはすかざずジャスリンの肩に手を伸ばし、自分の方に引き寄せた。
「どうしたのですか?ウィード?歩きづらいのですけれど....」
「女達がうるさいんだ」
「は?」
ジャスリンには意味が分からない。ルヴィーがくすりと笑う。
「ジャスリンは虫除けですね?ウィード様」
「虫除けっ??」
「お前は賢いな、ルヴィー」
ウィードがルヴィーに、にやりと笑いかけた。
魔女の肩を抱きながら戻って来たアレスウィードの姿に、娘達が落胆の声を上げた。
「アレスウィード様ぁ......」
「魔女様は、やっぱりウィード様の恋人でらっしゃるのね....」
「否定はしない」
ウィードの一言に、周りから哀し気な溜息が漏れる。ジャスリンはスミレ色の瞳をぱちくりと瞬かせた。
「去年の暮れの口付け事件もショックでしたけど、改めてそう聞くと、やっぱりショックですわ」
「もう、私の血を吸っては下さらないのね、アレスウィード様ぁ」
「独り寝は身を切られる様に淋しいですわ」
美しく着飾った娘達の口々から艶っぽい言葉が飛び出す。ジャスリンはウィードを見上げた。目が半眼になっている。
「お前達も、いい加減身を固めて己の幸せを掴め。生涯独り身でいたいなら話は別だが」
ウィードの声は、心無しか優しく、周りの娘達は頬をぽっと染め、目を潤ませた。
「おいっ、行くぞヒース」
傍らで他の娘達と気障ったらしく、且つ楽しそうに歓談しているヒースに声をかけ、歩き出そうとしたウィードは、そこで突然殺気を感じた。ジャスリンはルヴィーを抱き寄せ辺りの娘達を見回す。だがこの殺気は見るからに普通の人間の物では無い。
「あ.....」
ヒースラーグが道の向こうに立つ美女を認め、故意にかどうか、一瞬切な気な表情を見せる。エディラスジーナは、その身から発する殺気とは裏腹に、にっこりと微笑んだ。
「おや、これはエーデルワイズ伯、まだいたのかい?」
「これは、エーデルワイズ伯夫人。当然だ、そなたが新たな夫に飽きるまでは、私もここに滞在する」
「目障りだよ、この浮気魔」
「気にするな、私は私で楽しくやるから、そなたも楽しく過ごすが良いぞ」
笑顔の美女の醸し出す殺気が一層強まる。
「おい、お前達、この場から逃げた方が良さそうだぞ」
ウィードは、町娘達に小声でそう促し、この場から遠ざけた。
「ったく、夫婦喧嘩は犬も喰わねえって言うのに」
「夫婦喧嘩ですか?大変、警吏さんを呼ばなくてはっ!」
「阿呆か、魔族の夫婦喧嘩を警吏が止められると思うのか?お前は.....」
「あっ、そうか....、てへっ」
笑ってその場を濁すジャスリン。だが、数分の後には、バタバタと煉瓦畳を踏む靴音も高く、三名の警吏達が駆けつけて来た。皆一様に紺色の仕着せを身に着け、制帽を被っている。このハレンガルは事実上の自治領なので、警吏の制服も王国の他の都市の物とは異なる。そして、その人員もわずかに3名。署長と副長と平警吏。平和過ぎてする事も大して無いので、3名もいれば充分なのである。
「おおっ、アレスウィード様、魔女様、ルヴィー坊ちゃん、夫婦喧嘩勃発の通報に駆けつけました!」
レンゾ署長が敬礼すると、後ろの二人も揃って敬礼する。
「そりゃ、ご苦労なこった。だがお前達の手には負えないと思うぜ」
ウィードが溜息混じりに言いながら、睨み合う魔族の夫婦を顎で示した。
「.....ですよねぇ......」
中年のレンゾ署長も肩を落とし、溜息混じりに返答した。
「取りあえず、二人を引き離しましょう、ウィード。町が壊れる前に」
「そうだな」
ウィードが同意するや、ジャスリンの行動は素早かった。彼女は、瞳を真紅に染めて怒っている空恐ろしい笑顔の美女に、すたたっと駆け寄ると、その腕を取り有無を言わさずに、皆が呆然と見守る中を、いとも容易くエディラスジーナを引っ立てて行ってしまった。
「俺が同じ事をしたらあの女、絶対に切れるだろうな...」
「はい多分.....、ウィード様」
「ジャスリンは、ある意味、すごいな....」
「はい、ウィード様」
残された男達は身動きもせず、素直に引っ張られて行くエディラスジーナの背と、ずんずんと美女を引っ張って行くジャスリンの背を見送っていた。
「何なんだい?ジャスリンちゃん?」
珍しくも強引なジャスリンに、教会まで引っ張られて来たエディラスジーナはやや狼狽えていた。
「あのままあそこにいたら、エディラスジーナさん、きっと町を壊していましたもの」
ジャスリンは笑顔でさらっと答える。
「う〜.....、そうかい....」
エディラスジーナは、テーブルに片肘を付いた姿勢でがっくりと項垂れた。
「ご機嫌斜めだね、エディラスジーナ」
何とも爽やかな声である。灰金色の髪をさらりと揺らし、神父クレシスが微笑む。
「まだ怒っとるのか?お前は」
ドード神父は呆れながらエディラスジーナの向かい側の席に腰を下ろした。
「これが怒れずにおれようかってんだいっ、ふんっ!」
「いい加減許してやらんか。ヒースラーグだって反省したから迎えに来たんじゃろが」
「ふんっ、どうだか?さっきだって娘達に囲まれて惚けてたよ」
エディラスジーナは、ぶつぶつと毒づいている。
「でも一昨日泣いていましたよ、ヒースラーグさん」
クレシスを手伝って茶器を出しながら、ジャスリンが心配そうにそう告げた。
「泣いた?まさか。幾らジャスリンちゃんの言う事でも、それは信じられないよ、あの自尊心の固まりが泣くだなんて」
エディラスジーナは一笑にふすも、すぐに不機嫌な顔に戻る。やっぱりあれは、嘘泣きだったのでしょうか.....?ジャスリンは首を傾げた。
「今頃は又、可愛い娘達の前で鼻の下でも伸ばしてるんだろうさ」
エディラスジーナは、忌々し気に鼻に皺を寄せた。
「そんな理由で彼を責めたら、何だか気の毒な気もするけどな...」
クレシスが茶を注ぎながら言った。
「何故さ?」
「だって...」
そこでクレシスは、一つ溜息を吐き美女に目を向ける。
「大方、娘達の方が寄って来るんだろう?ヒースラーグ殿に」
「どうだか」
「そうですよ、ヒースラーグさんもウィードも、ちょっと歩く度に女の人達に囲まれてしまうのですよ」
ジャスリンの言葉にクレシスは、「ほらね」..と言って笑う。しかし素直になれないらしいエディラスジーナは、不機嫌に鼻を鳴らした。
「まあ、頭を冷やして考えるんじゃな、エディラスジーナや。わしゃあ、いい加減言い飽きたぞ、この台詞。お前がハレンガルへ出向いて来るたんびに言っとる....」
「良ーく考えて、慌てる事は無い。私は気長に待っているからね貴女の事を、美しい人」
「余計な事を言うで無いぞ、クレシス」
ドードは苦虫を噛み潰す思いで、?十年前の己の思考回路そのままのクレシスを諌めた。
「それにしても、そんな事で腹を立てとるのは、お前がそれだけヒースラーグに惚れとるっちゅう事じゃろが?エディラスジーナよ」
老神父のその言葉に、エディラスジーナは碧眼を紅く染めて怒りを露にした。だがしかし、このドードが臆すわけも無く、飄々とクレシスの入れた茶を美味そうに啜る。
「そうか....、よく考えてみれば、そういう事か.....」
呟くクレシスに、ジャスリンが目を向ける。
「という事は、早いところ許してあげた方が良いかもね、エディラスジーナ。貴女がヒースラーグ殿の心を失いたく無いと望むなら.....。さも無いと、彼はいい加減貴女を諦めてしまうかもしれないよ」
「ええっ!?」
と、これはジャスリンの声。
「ヒースラーグ殿は、泣いたのだろう?」
クレシスの問いに、頷くジャスリン。エディラスジーナは下唇を噛んだまま、上目遣いにクレシスを半ば睨む様に見ている。
「彼にとって、貴女は掛替えの無い女性だという事でしょう。もしも彼が貴女の幸福を第一に考えたとしたら、どうかな?身を引くかな......?」
「.......」
「それとも、魔族はそんな事考えないで、どこまでも執着する?だとしたら....、ああ、そうか、貴女を愛している私は己の身を案じなければいけないのだね」
本気なのか冗談なのか、言葉とは裏腹に、にこにこと微笑んでいるクレシス。
「困りますぅ〜、そんなの困りますぅ〜!エディラスジーナさん〜。どちらに転んでも困ります〜!」
ジャスリンが涙目でエディラスジーナに訴えた。エディラスジーナは頭を抱え、テーブルに突っ伏した。