20.エーデルワイズ伯爵、只今見参!(下)
そろそろ決着もついた頃だろうと考えつつ、アレスウィードが居間を覗くと、がっくりと肩を落としてソファーに座るヒースラーグの姿があった。エディラスジーナの姿は無い。
「...........」
ウィードは思い切り眉間に皺を刻み込み、忌々しそうに息を吐く。いつもならば、もう今頃はとっくに仲直りをして、いちゃいちゃべたべたと辺りを憚らずに、バカップルぶりを披露している筈であるのだが、今回はどうした事か.......。
ウィードとしては、さっさと二人に仲直りしてもらい、さっさとこの月夜城から消えて欲しい。平穏な日常を取り戻したかった。それは金髪の小悪魔ルヴィーにとて同じ事。
ダイニングから居間へと続く扉口で立ち止まり、溜息を吐く主の傍らに駆け寄ったルヴィーは、ヒースラーグの様子に主人同様落胆する。二人の様子にジャスリンも立ち上がり、居間を覗き込むと、あらら.....と、間の抜けた声を洩らした。
「あの女は何処へ行きやがった?」
反応の無いヒースラーグ。
「おいっ、惚けてんじゃねえっ! ヒース!」
苛立つウィードの声に、ヒースラーグが顔を上げた。
「アレスウィード.....、いたのか...」
「いたのかじゃ無いだろうが.....、ったく...」
ウィードは呆れながら、ヒースラーグの前に腰掛けた。その隣にジャスリンが座り、その又隣にルヴィーがちょこんと座った。
「さっさとあの女を連れて帰れ。大体、迎えが遅いぞ、ヒース。一体何時まであの女をここにのさばらせておく気だ?」
「私にだって、息抜きは必要だ、そうは思わぬか? アレスウィードよ」
「知るかっ! お前の事なんぞ!」
ヒースラーグの上目遣いに、ウィードは冷たく言い放つ。
「だが貴様の言う通り、ちと迎えに来るのが遅かった様だ。それは認めよう。しかし.....、だからといって、新たな連れ合いを見出したなどと.....、愛しのエディラよ.....、我らの仲は、それ程に脆い物であったのか........」
そう言ってヒースラーグは、ソファーの背に突っ伏してさめざめと泣いた。
「「........」」
ジャスリンとルヴィーは、あっけにとられ言葉も無い。
「泣くなっ! うっとおしい、それでも魔族か」
「貴様などには分かるまい、この我が心の内。どれ程の熱き想いを、私がエディラに抱いているかなどな.......」
ヒースラーグは恨めしそうな目でウィードを見るや、再びさめざめと泣く。
「分かってたまるかっ」
冗談じゃねーぞ.....、などと愚痴りながら、ウィードは片手で顔を覆った。
「新たな連れ合いだと? ふざけやがってあの女....。ここに居座るつもりか...?」
ウィードの蒼い瞳が紅く煌めいた。横からその様子を伺っていたジャスリンがぴくりと身じろぎをする。
「ウィード....、お顔が恐いです...」
ジャスリンがぽつりと呟くと、ウィードが横目でじろりと睨んだ。しゃあぁ〜っと小さな奇声を発して、ジャスリンはルヴィーに抱きついた。ルヴィーは嬉しそうに、されるがままである。
「.........」
一瞬、ウィードの瞳が物言いた気に見えたのは、やっぱり気のせいであろうか.....。
「アレスウィードが妬いておるぞ、乙女ジャスリン」
さめざめと泣いていた筈のヒースラーグの言葉が、終わったか終わらぬかの内に、ウィードの手からは白光弾が放たれていた。
「えっ? ひゃあああ!?」
ヒースラーグに弾かれたウィードの白光弾が室内を白く焼いた。光をもろに瞳に受けたジャスリンは、滂沱の状態に陥り、ルヴィーに縋り付く。
「ジャスリン、くっ苦しいよぅ」
「何にも見えないですぅ〜、ルヴィー、ふえ〜ん」
「ウィード様ぁ〜」
ジャスリンの腕に締め付けられたルヴィーが、苦しそうに主に助けを求めた。
あ〜らら、こ〜らら〜、い〜けないんだ〜、いけないんだ〜っっ....、などと人差し指を振りながら唄っているのは、つい今しがたまでうじうじと泣いていたエーデルワイズ伯ヒースラーグである。
ウィードは奥歯をぎりぎりと噛みながらも無視を決め込み、ひんひんと情けない泣き声を上げている魔女へと片手を伸ばす。痛む両目を被う掌の感触に、ジャスリンはルヴィーを捕えていた腕を緩めた。ほんわりとした熱に吸い取られるかの様に、両目の奥の痛みが消えた。
「あ、治ってしまいました」
「毎回、世話の焼ける奴だな、ったく」
「ウィードこそっ! 家の中で破壊工作しないで下さいって、お願いしてますのにぃ」
「何も壊して無いだろうが」
「私の目が一瞬壊れましたもん」
「それはお前が阿呆だからだ。少しはルヴィーを見習え」
「又、阿呆って言いましたねっ!」
ジャスリンは、例の如く唇を尖らせてふくれた。
「傷心の私の目の前で痴話喧嘩か、貴様....」
恨めし気なヒースラーグの声。
「ちっ、ちわげんか!?」
絶句するジャスリンの横で、ウィードは片眉を上げて見せるや、彼女の腕を捕えて己の胸の中に抱きすくめた。
「ふぎゃっ」
「きっ貴様っ! いちゃつくのかっ!? 傷心の私の目の前でっ!」
悔し気なヒースラーグに、ウィードは挑戦的ににやりと笑う。
「羨ましいか?」
「くっ、この〜」
ヒースラーグは拳を強く握りしめた。
「ウィード、何をするのですか!? 放して下さいったら」
顔を真っ赤にしたジャスリンが、魔族の腕の中でもがいていた。
「ジャスリンが嫌がっておるではないか! 無理強いとは、男の風上にもおけぬな、アレスウィードっ!」
「 “嫌よ嫌よも好きの内♪” ねっ、ジャスリン?」
三人が一斉に金髪の小悪魔に目を向けた。天使の様な笑顔のルヴィー。
「ル....ルヴィー....」
少年の言葉に面食らったジャスリンは、状況を忘れた。フッ.....と、ウィードが斜に構えて笑い、抵抗を忘れたジャスリンの顳かみに、見せつける様にゆっくりと口付けを落とす。
「悔しいか? ヒースラーグ」
何とも意地の悪い笑みを浮かべながら、ウィードは問う。
「く〜っ、血も涙も無い奴めっ」
「魔族だからな」
平然と嘯くアレスウィード。
「まあ、悔しかったら、さっさとあの女を取り戻してデルフェンへ帰るんだな」
「そんな事は分かっておる! ....分かっておるが、こうなった以上はエディラがその相手に飽くまで気長に待つしか無かろう`.....。彼女はきっといつか私の元へ戻ってくれよう....。それを信じて待つ事にする」
「何処で待つんだ?」
「ここで」
ヒースラーグの、さも当然とばかりの返答にウィードの目が据わった。
「何故そうなる?」
「エディラがここにいるのだ、当然私もここに滞在する。愚問だな、アレスウィード。という事で、私は食事に行って来るぞ」
そう言って立ち上がったヒースラーグは、ウィードの腕の中で大人しく状況に気を取られていたジャスリンにはたと目を止めた。
「........乙女ジャスリンよ...、そなた美味そうだな」
ぽつりと呟かれたその言葉に、ウィードの瞳が深紅に染まる。ジャスリンが、ひゃぁぁ〜っ! という奇声とともにウィードに縋り付いた。
「美味しく無いです! 全然美味しく無いですぅ〜!」
目に涙まで浮かべている。
「こいつに手を出してみろ、命は無いと思え」
ウィードのドスのきいた低い声に、ヒースラーグは、ちぇっ、残念.....と、軽〜く答えた。先程までめそめそ泣いていたのが、嘘のようである。いや、やはり嘘泣きだったのかもしれない....。何せ彼も立派な魔族であるからして....。
「だが、ジャスリンの同意の上でなら良いのではないか?」
「ダメですっ!!」
叫んだのはジャスリンであった。
「ダメか?」
「ダメっ!! 吸血鬼の吸血行為には、多大な害がありますから、ダメですっ! ぷんっ」
「害...とな???」
ヒースラーグは、意味が分からずきょとんとする。
「感じちまうからダメなんだと」
ウィードの解説に、ジャスリンは頬を赤らめる。
「何故、それが害なのだ? 喜ばれこそすれ、害などと言われたは、五百年余りを生きて来て初めての事だぞ、乙女ジャスリン」
「分かってないなぁ、エーデルワイズ伯爵ってば。ジャスリンが言いたいのは、ウィード様以外の吸血魔族の吸血行為が害だって事なの。ジャスリンが感じたいのは、ウィード様だけなんだよ、ねっ、ジャスリン」
「ルルルルルルヴィ〜!?」
ジャスリンは、小悪魔の可愛らしい笑顔に気の遠くなる思いであった。
「成る程.....」
ヒースラーグはというと、深く頷きながら納得している。何やら感心さえしている様である。
「何と貞淑なのだ、そなたは、ジャスリンよ。アレスウィードに操を立てているのだな? 魔族でありながら、そなたはまるで、教会の言う処の聖女の様だな。アレスウィードが執着するのも分からんでも無い」
「下らん事をくっちゃべってるんじゃねえぞ、ヒース」
「下らんか? 貴様が独りの女に執着するなんざ、久しく無かった事であろうが? いつも手当り次第であった貴様が....」
「手当たり次第!??」
ジャスリンが目を剥いた。
「真に受けるな、真にっ」
「真実であろうが」
「真実なのですかっ!?」
「という事で、私は出掛ける。行ってきます」
妙に律儀な挨拶の口上を最後に残し、ヒースラーグは黒マントを派手に翻して逃げる様に姿を消した。
「くそっ、いい加減な事抜かしやがって.....」
「いい加減なのですか?」
ジャスリンの探る様な視線から、ウィードは何故か目を逸らす。ルヴィーは、少し心配そうに様子を伺っている。
「手当たり次第じゃない。俺だってきちんと選ぶ、血の美味そうな女を.....」
「血で選ぶのですか?」
「吸血鬼だからな」
「.......」
ジャスリンが口を閉ざした。眉間に一本皺を寄せ、何やら考え込んでいる様にも見える。ウィードは、そんな魔女にちらりと目を向け、視線を逸らし、そして又目を向ける。
「何をいじけてるんだ? お前は」
その言葉にジャスリンががばりとウィードを見上げた。
「いじけてなんかいませんもんっ」
そう言うや、ジャスリンはウィードの脇からするりと抜け出し、小走りに駆け出て行ってしまった。
「....何だあいつは...」
「ウィード様ぁ〜」
あっけに取られている主に、ウィードは溜息混じりの声を上げた。
「あれじゃあ、ジャスリンの価値は血だけって聞こえちゃいますよぉ」
「ある意味正しいが...」
「って事は、血が不味かったら、ジャスリンなんかどうでもいいとも聞こえますよぅ、ウィード様ぁ」
「....それでいじけたのか? あの阿呆は」
「十中八九....」
「面倒な奴...」
「ウィード様ぁ〜」
ルヴィーの金色の瞳に責められ、ウィードは溜息を吐きながら、面倒臭そうに渋々立ち上がった。
ノックの音が響いた。寝台につっぷし、ふて寝を決め込む事にしたジャスリンは答えない。いきなり扉が開いた。
「いるなら返事くらいしたらどうだ」
「留守です」
「遅い。お前、昼寝なら靴くらい脱いで寝ろ」
寝台へ歩み寄ったウィードが、ジャスリンの靴を脱がしてやると、ジャスリンは、きゃっ! と声を上げて跳ね起きた。
「乙女の足に触りましたねっ! ウィードったらっ!」
「悪いか?」
「悪いですっ」
ジャスリンはうっすら頬を染め、ドレスの裾で足先を隠しながら抗議する。その様子に、ウィードは思わず微笑した。いつもの斜に構え皮肉を帯びた様な笑みではなく、思わず目を離したく無くなる様な、美しい表情であったので、ジャスリンはドキリとした。熱を持った頬を隠す様に、ぷいとウィードに背を向けた。
「何か御用でしょうか? ウィード」
顎をつんと上げて尋ねると、答えは返らず、代わりに後ろから抱きしめられた。
「ウィ、ウィード?」
「お前の血が美味かろうと不味かろうと、別に問題じゃない」
ウィードがジャスリンの耳元で囁いた。
「お前が阿呆だろうが賢かろうが、それも大した問題じゃない」
「.........」
「お前がお前なら、それでいい.....」
「ウィード。.....」
普段とは少し違ったウィードの甘い囁き声に、ジャスリンの胸はドキドキと高く鳴った。
その頃ルヴィーは独り、子供らしからぬ何かを一心に期待しながら、にこにことほくそ笑みつつ、今宵の夕食のメニューを考えておりましたとさ。
「くそっ、いつまで居座る気なんだ、あの女!しかも、あのうっとおしいヒースまで」
貴方は今回も不機嫌ですねぇ、アレスウィードさん。
「当たり前だ、これが機嫌良くしてられるかっ」
でも、おかげでもう暫く、ジャスリン嬢ちゃんのベッドで寝られるじゃないですか。
「フッ...」
あ、皆さん、アレスウィードさんが何かほくそ笑んでいます。こんなだから、《むっつり》ってご指摘頂いちゃうんですよねぇ、この人....。(小声)
「何か言ったか?」
いえいえ、何も、って何ですか?その掌の上の可愛い稲妻は?(後退り)
「誰が《むっつり》だと?」(前進)
あはは、聞こえてましたか?そうですよね、地獄耳ですもんねぇ、うわっ!危ない!そんなもん投げたら危ないですよ!うわわ〜、皆さん、命の危険を感じますので、ここで失礼致します〜!インタヴュアーの秋山らあれでした〜。ごきげんよ〜......。(爆音)あ〜れ〜....