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19.エーデルワイズ伯爵、只今見参!(上)





 コツコツコツと、窓ガラスを軽く叩く者があった。雪も溶け出した、冬の終わりの日の事である。ジャスリンが窓辺へと近付いてみると、バルコニーの手摺には黒々とした大鴉が留まっていた。

 「まあ.....、何て大きな鴉でしょう....」

 あまりに立派な鴉であったので、ジャスリンは窓越しに首を傾げて、まじまじとその鴉を見詰めた。するとその大鴉の方でも、同じ側に首を傾げてジャスリンを見詰めて来るではないか。

 「まあ....」

 ジャスリンは少し驚き、今度は反対側に首を傾げてみた。すると大鴉も同様、反対側に黒い首を傾げる。

 「ん〜〜〜〜〜」

 ジャスリンと大鴉は暫し見詰め合う。

 「どうやら貴方は、魔族の方でいらっしゃる様ですね、鴉さん?」

 まるでその言葉が聞こえたかの様に、大鴉がぴくりと身動きした。

 “それが分かっているのなら、早く中に入れてくれぬか、娘よ”

 ジャスリンの頭の中に、大鴉の声が聞こえた。

 「嫌です」

 即答である。大鴉は気のせいか、かくっと脱力した様に見えた。

 “冷たいな...、娘よ....。私はこの城の客人ぞ、アレスウィードの友人であるぞ”

 「.......本当でしょうか....?」

 “まことだ、娘よ”

 「ん〜〜、じゃあ入れて差し上げます。でも特別ですよ。ここは乙女の寝室なのですから」

 ジャスリンがそう念を押し、バルコニーに続くガラス戸を開いてやると、大鴉はばさりと羽ばたきして室内に躍り込んだ。そして一瞬の内に人型となって優雅に床へと降り立った。


 全身黒尽くめの男であった。黒目黒髪、年の頃は.....、若い様なそうで無い様な、不明ではあるが、少なくとも見てくれだけなら、ウィードよりも年上に見える。

 「あのう、貴方は吸血魔族でいらっしゃいますね?」

 「ほう、良く分かったな、娘よ」

 何とも貴族的な笑顔で答える魔族。

 「だって、いかにもなお姿じゃありませんか....」

 ジャスリンは、感心してしまっている。黒の夜会服に、蝶ネクタイ。黒マントのその裏地は無論深紅であり、そしてオールバックのその髪型。誰がどこから見ても、吸血鬼以外にあり得ないでは無いか....。

 「ウィードもお出掛けの時は、黒の上着におリボンもしますけれど、さすがに蝶ネクタイはしませんわね」

 「ふっふっふっ、娘よ、これぞ 《正統派吸血鬼ふぁっしょん》、アレスウィードのは邪道だ」

 「でもウィードには、蝶ネクタイよりもおリボンの方が似合うと思いますけど....」

 「ふっふっふっ、まあ良い」

 一体何が良いのか、今一つ良く分からないジャスリンであったが、細かい事は気にしない事にする。


 「ところで娘よ、初めて見る顔だが....、名を申してみよ?」

 《正統派吸血鬼ふぁっしょん》を身に纏う魔族は、何とも尊大である。

 「ジャスリンですけれど、そういう貴方はどなたですか?」

 「ジャスリン....。う〜む、そなたに似つかわしい、愛らしい名であるな、見知り置こう」

 「それは...、どうも....」

 吸血鬼がジャスリンに向かって歩を進める。

 「そなたは、その名以上に愛らしい」

 「はあ....」

 ジャスリンは、何となく後退りする。

 「特別に我が名を教えて進ぜよう。ヒースラーグ・アルンベル・フォン・エーデルワイズ伯爵、それが我が名である」

 「伯爵様なのですか? 魔族なのに?」

 びっくりするジャスリンに、ヒースラーグは鷹揚に頷く。

 「フォン・ハレンガル伯爵家とは、縁戚関係にある」

 「フォン・ハレンガル伯爵家??」

 「うむ、アレスウィードの母は、わが一族からさきのハレンガル伯に嫁いだのだ」

 ジャスリンは、「質問〜」という、間の抜けた声と共に右手を上げた。

 「もしかして、もしかしてですけれど、それでは、今はウィードがハレンガル伯爵様なのですか?」

 「いかにも」

 ヒースラーグは、鷹揚に頷いてから目を丸くしてジャスリンを見た。

 「知らなんだか?」

 ジャスリンは、口をつんと尖らせて頷いた。

 「やれやれ、アレスウィードはフォン・ハレンガル伯爵家の現当主であり、我が眷属にして我が友人である」

 ヒースラーグはジャスリンの前で、胸をそっくり返らせた。

 「誰が誰の友人だと?」

 突然起こったその不機嫌な声に、ヒースラーグはがばっとマントを翻して振り返った。

 「お早うございます。今日もお寝坊さんですね、ウィードったら。もうお午ですよ」

 寝台で片肘を付きながらこちらに目を向けているウィードは、ジャスリンの不満顔にもどこ吹く風であくびをしている。ヒースラーグが寝起きのウィードに、びしりっと人差し指を突きつけた。

 「貴様、何故そんな処にいるのだ? アレスウィードよ」

 「悪いか? ここは俺ん家だ」

 「だがここは、貴様の寝室では無かろう? それとも何か? 暫し会わぬ間に、貴様はこんな乙女ちっくな趣味に成り果てたのか?」

 ヒースラーグは、正に乙女ちっくに飾られたジャスリンの部屋を見回す。ピンクと花柄、レースやフリルが溢れている。ヒースラーグは、ふらりとよろけた。

 「いや待てよ....。ここは 《乙女の寝室》 と先程そう申したな、ジャスリンよ?」

 「はい、言いましたけど....」

 ヒースラーグは、ほっと胸を撫で下ろし、そしてぽんと拳を打った。

 「何と、そう言う事か....」

 ヒースラーグは、意味ありげな笑みと共に、勝手に何かを納得したらしく、しきりにそうかそうかと頷いている。 

 「相変わらず回りくどい奴だな」 

 「貴様も、とうとうその気になったのか」

 「どんな気だ、くそったれ」

 アレスウィードの不機嫌など全く眼中に無い様子で、ヒースラーグはフッフッフッフッと笑いを洩らしている。ジャスリンには当然の如く、何の事やらさっぱり分からない。

 「おおっと、いかん! こんな処で寝起きの貴様の相手をしている場合では無かった」

 「誰も相手してくれなんて頼んでねえぞ」

 「ではな、後ほどまみえよう、アレスウィードよ、そして乙女ジャスリンよ」

 ウィードの毒舌など完全無視のヒースラーグは、ばさりっという音をさせて大仰に黒マントを翻すと、わっはっはっはっ...という笑い声と、我が愛しの妻よ〜....という芝居がかった台詞と共に去って行った。彼の去り際の笑いの意味も、 “我が愛しの妻よ〜” の意味も、今一つ理解出来なかったジャスリンは思わず、

 「面白い方ですね、ヒースラーグさんて....」

 と、ステレオタイプの吸血魔族の感想を口にしていた。

 「面白過ぎて笑えん....」

 毎度の事ながら、今日もウィードは忌々し気である。

 「さあ、ウィードもいい加減起きて下さいな」

 寝台に歩み寄ったジャスリンは、ウィードの片腕を引っ張った。

 「お前も毎日毎日、良く飽きもせずに俺の安眠を妨害しに来るな」

 「だって起こしに来なければ、ウィードはずーっと寝ていますでしょ?」

 ぶつぶつ言いながらも、ウィードはジャスリンに腕を引っ張られるまま、素直に半身を起こした。実は毎朝、この魔女に起こされ目覚める事に、ほのかな幸福を感じるアレスウィードであった。

 「さあ、お客様もいらしている事ですし」

 言いながらジャスリンは、洗面器に水差しの水を注ぎ入れる。

 「客? あいつがか?」

 ウィードは鼻を鳴らしつつ寝台を抜け出た。

 「だってヒースラーグさんはウィードのお友達なのでしょう?」

 顔を洗うウィードの傍らで、ジャスリンはきょとんとしながら尋ねた。ウィードが不機嫌な顔を上げた。滴が首筋に流れ、はだけた胸元にまで流れる。

 「冗談はお前の阿呆な脳ミソだけにしろ」

 「また、阿呆って言いましたね?」

 ジャスリンはぷんとふくれて、ウィードに背を向けた。

 「おい、タオル」

 ジャスリンは、ハッと手にしていたタオルを見ると、くるりとウィードに向き直り、水の滴るウィードの顔面にそのタオルを押し付け再びくるりと背を向けた。ウィードはわずかに眉を上げつつ顔を拭くと、いきなり背後から魔女を抱きすくめた。

 「何するのですかっ!? ウィードっ...ん....」

 もがく魔女がウィードを見上げた処を、この魔族は透かさず彼女の肩越しから、その柔らかな唇を奪った。貪る様に深く口付けられ、ジャスリンの喉から声が洩れる。一頻り続いた濃厚な口付けから解放されると、ジャスリンは悲鳴と共に、真っ赤な顔で直ぐさま後ろへ飛び退った。


 「ウィードのせくはら吸血鬼ぃっ!!」

 「今のは機嫌取りだ」 

 「余計悪くなりましたっ! ぷんっ!」

 「ほう....」

 ウィードはにやりと笑った。空恐ろしい.....。

 「不充分か?」

 「へっ?」

 ジャスリンは固まった。

 「唇だけじゃ不充分なら、その先に進もうじゃないか」

 「何故そうなるのですかっ!?」

 ジャスリンは、慌てる。にやりと微かな笑みを浮かべながら歩み寄って来る魔族に、ひいいぃぃぃっ!! という悲鳴を上げて、ジャスリンは一目散に部屋を飛び出して行った。後には珍しく、肩を震わせて笑うアレスウィードが残された。




 ジャスリンが階下へ下りて行くと、居間の扉口にルヴィーが立っていた。何やらあっけに取られた顔をしている。

 「おお、我が愛しの妻よ...」  

 「へ? あの声は....」

 ジャスリンは、ルヴィーの背後から居間を覗き込んでみた。ソファーには美女が悠然と座り、足を組み腕を組んで女王然としている。その傍らには、先程のステレオタイプの吸血鬼、ヒースラーグが跪いていた。

 「今更、何しに来たんだい?」

 エディラスジーナは、つんとそっぽを向いて素っ気ない。

 「そなたを迎えに来たに決まっておろう、エディラよ」

 「何さ、あの娘に振られたのかい?」

 「何を言うか、振るも振られるも、あれはただの血液補給源。色恋沙汰とは無関係だと申したであろうに」


 ジャスリンの口も、ルヴィー同様半開きになっていた。

 「ヒースラーグさんの 《愛しの妻》 がエディラスジーナさんという事は......、ヒースラーグさんは....」

 「あの女の伴侶だ」

 背後から降って湧いた面白くも無さそうな声に、ジャスリンはびくりとする。

 「また気配を殺しましたね。心の臓に悪いですったら!」

 「お前の心の臓が止まったら、口移しで人工呼吸してやるから安心しろ」

 ウィードは、魔族らしい笑みを残しさっさとダイニングへと行ってしまった。ルヴィーも主人の茶の仕度の為に走り去ってしまった。残されたジャスリンは、つんと尖らせた唇をすぐに元に戻し、首を傾げた。

 「伴侶.....?」

 ジャスリンは、慌ててアレスウィードの後を追った。



 「夫婦喧嘩の度に押し掛けて来る、進歩の無い阿呆どもだ」

 ウィードは苦々し気に言うと、ルヴィーの入れた花の香りのする紅茶に口を付けた。

 「.......そうだったのですか...」

 ジャスリンは年代物のカップを片手に瞬きし、暫しの後、ふと隣のルヴィーに目を向けた。金髪の魔族の少年は、何となく嬉しそうに見える。

 「何だか嬉しそうですね、ルヴィーったら.....、又白いおヒゲが出来ていますよ」

 ジャスリンはカップを置くと、ハンカチーフを取り出す。うふっ、可愛いですね、ルヴィーは....、などと言って微笑みつつ、ルヴィーのミルクのヒゲを拭ってやる。その光景にちらと目を向けたアレスウィードの蒼の瞳は、何やら物言いたげである。.......いや、気のせいであろう。

 「やっと迎えも来たし、エディラスジーナはもうすぐデルフェンに帰るよ、ねっ、ウィード様」

 「ああ、多分な」

 ルヴィーはいつもにも増してニコニコ顔である。

 「まあ.....、淋しくなってしまいますね...」

 ジャスリンは心底そう思い、ぽつりと呟く。ウィードとルヴィーが、一瞬固まった。

 「えっ? どうしたのですか? 二人とも.....」

 そんなジャスリンに、魔族達は揃って溜息を吐いた。ジャスリンはぱちくりと一度瞬きし、あ...と、小さな声を上げた。

 「そう言えば、ウィードに尋ねたい事があるのでした」

 「下らねえ事だったら、 “でこぴん” するぞ」

 ウィードは、ジャスリンに目も向けもせずにぼそりと言うと、紅茶を飲み干した。ジャスリンはジャスリンで、そんなウィードの言葉など耳に入らなかったかの態で身を乗り出す。

 「ウィードは伯爵様だと言う事、どうして隠していたのですか?」

 ジャスリンとウィードの目がぶつかる。

 「別に隠した覚えは無い」

 「でもウィードは教えてくれませんでした」

 「いちいち言わなきゃいけない事か? 下らん.....」

 アレスウィードは鼻を鳴らした。

 「ルヴィーは知っていましたか?」

 「うん」

 「じゃあ、町の人達は?」

 「知ってると思うよ」

 素直なルヴィーの答えに、ジャスリンは唇を尖らせ上目遣いにウィードを見た。

 「皆知っているのに、私だけ知りませんでした」

 ウィードは面倒そうに溜息を吐く。

 「あのなあ、魔族の持つ爵位に何か価値でもあると思うのか? 四〜五百年前ならまだしも、ある分けないだろうが。そもそも俺の家系で生き延びてるのは、エディラスジーナと俺の二人だけだぞ。しかもエディラスジーナは嫁に行ったし....」

 「......成る程...そうですね、二人しかいない家系で伯爵ぶっても虚しいだけですね.....。そもそも伯爵様なんて、ウィードには似合いませんし....」

 ジャスリンは、うふっと笑う。

 「そりゃ、どーも....」

 ウィードは溜息混じりに呟く。

 「ねえウィード、吸血種族は出生率が低いって本当なのですか?」

 「ああ、本当だ」

 ウィードはさらりと肯定した。

 「だからウィードの家系も、ウィードとエディラスジーナさんだけになってしまったのですね.......」

 「まあな.....。あの女とヒースラーグもかれこれ三百年以上結婚してるが、未だ子が出来ない。俺も.....、一度も子が出来た事は無いしな.....、まあ、俺たちは絶滅危惧種なわけだな」

 ウィードは遠い目をする。

 「絶滅だなんて....、何て悲しいのでしょう...」

 ジャスリンは胸の前で両手を組み合わせ、スミレ色の瞳をうるうると潤ませた。

 「ウィードは頑張ってお子さんを儲けて下さい。絶滅だなんて悲し過ぎます」

 ジャスリンの様子を大人しく見守っていたルヴィーが主へと目を向けると、彼は魔女から視線を逸らさぬまま、にやりと笑った。

 「お前がそう言うなら、これから励もうじゃないか、子作りに」

 ゆらりと立ち上がったウィードはジャスリンに近付く。

 「えっ? 子作り??」

 「お前の望みだろうが?」

 「いえっ、あのっ、わた、私が産んで差し上げるなんて言ってませんっ! ここはやっぱり吸血種族の女性がお相手の方が...」

 掴まれた手首は、振りほどこうにも振りほどけず、ジャスリンは冷や汗を一筋垂らす。

 「俺はお前でいいぞ」

 「そそそんな....、どうしましょう.....、ルヴィーっ、助けて下さいっ、ウィード、早まらないでくださいっ! 幾ら何でも、こんな真っ昼間からなんて、いいいいいけませんっ」

 ジャスリンはあたあたと、パニック状態であった。その様子に、ウィードは小さく吹き出した。


 「冗談だ」

 「へ?」

 「それに眷属を増やす手段なら他にもあるしな」

 ウィードはジャスリンの手首を解放すると、背を向けて出て行く。

 「冗談!?」

 ジャスリンは引きつった笑顔のまま固まっていた。そしてやがて思い出すウィードの言葉。

 『加減を間違えた時が厄介だ。下手したらその子を吸血鬼にしちまう恐れがある』

 眷属を増やす他の手段......、ウィードがその手段を使うとは、ジャスリンには考え難かった。


 「んもぅ....、ウィードったら....」

 誰にとも無く呟くジャスリンに、ルヴィーは一人大人しく苦笑した。



 

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