14.雪の日(下)
え〜ん....え〜ん......
雪の中、か細い子供の泣き声が聞こえる。
え〜ん....え〜ん......
まだ幼い子供の泣き声に、ジャスリンも又、切なくなる。
何がそんなに悲しくて泣くのだろう........。
その泣き声に、引き寄せられる様に歩を進めると、一面の銀世界の中に、うずくまってしゃくり上げている白っぽい金髪の幼い少女がいた。その姿に、いつしかジャスリンも声を上げて泣いていた。少女とジャスリンの泣き声が同調する。
「ジャスリンや....、ジャスリンや.....」
ぼんやりと朧げに響くその懐かしい呼び声に、幼いジャスリンは顔を上げ、辺りを見渡した。
「ジャスリンや」
先程よりもはっきりとした声が、ジャスリンの名を呼んだ。長い白髪を後ろで束ねた、柔和な表情の老婆が、向こうの方で手招きしていた。幼い少女は、ぱっと顔を輝かせ、駆け出した。
「マルガっ!」
柔和な老魔女は、転ぶように駆けて来た幼子をそっと抱きしめると、しっとりとした低い笑い声を零す。
「ジャスリンは、いつまでたっても甘えん坊だねぇ、困った子だねぇ」
そう言いながら、幼いジャスリンの頭を優しく優しく撫でる。その表情は、まるで、教会の言い表すところの聖母の如き。
「でもねえ、可愛いジャスリンや、そろそろ独りになる事を、覚えなくてはいけないのだよ」
「どうして?」
幼いジャスリンの、スミレ色の大きな瞳に、再び涙が盛り上がる。マルガは答えずに、微笑んだまま、ジャスリンの頭を撫で続ける。
「ジャスリンは、もう、独りで結界を張れる様になった」
「うん」
「ジャスリンは、癒しの術も、大分上手くなった」
「うん」
「変わり身の術も、身につけた」
「うん」
「後は、いざという時の為に、攻撃の術を、もう少し学ばねばねぇ、ジャスリンや」
「攻撃の術はキライ」
「嫌いで良いのだよ。好きになる必要など無いのだよ」
「じゃあ、どうして?」
不思議そうに首を傾げる幼い少女に、老魔女は変わらぬ柔らかな笑みを向けている。
「人々は、きっとお前を恐れるだろう。教会の神父達は、お前を見出せば、お前の命を奪おうとするだろう。そして又、お前は、魔物達に見入られやすい質をしているのだよ。だから、いざという時の為に、己の身は己で守れる様にしておかねば...、ね。」
幼いジャスリンは、教会の神父の姿をまだ見た事は無かったが、マルガの話に恐れ戦いた。そして、マルガの言うところの魔物達___魔族___の姿は、時たま目にしてはいたが、やはり幼心に恐ろしかった。それらは、大抵人型をとっていたので、非常に美しかったのだが、幼いジャスリンには、その魔族達の身に纏う、人間達とは異質の気の様な物が恐ろしかった。
「私は、もうすぐ去らなければならないのだよ、ジャスリンや」
マルガは、ジャスリンを撫でる手を休める事無く、そう言った。
「私は、それ程遠く無い日に死ぬ。魔女には、己の死期が分かるのさ。ジャスリンや、お前も死すべき時が来れば、おのずと分かるだろう」
「そんなの嫌っ!マルガっ!」
「私は、随分と長い事生きたのだよ。普通の人間よりも長い事ね」
ぐずるジャスリンを、諭す様な口調でマルガは続ける。
「幼いお前を残して逝かなければならない事だけが、心残りだよ.....、可愛いジャスリンや」
「嫌だ、マルガっ!死なないでっ!」
ジャスリンは、マルガに縋り付いて再び泣き出した。
「マルガっ、逝かないで、側にいてぇ、独りにしないで、独りにしないで.....」
ジャスリンは、声を上げて泣きじゃくった。
誰かがジャスリンの名を呼んでいる........。
マルガの声......?
幾度も幾度も......。
マルガの声だと思っていた呼び声が、いつの間にか、低い囁くかの様な男の声に変わっていた。ジャスリンは、その声に少し安堵する。誰の声....?でも、知っている声....。そう、知っている声..........。ジャスリンは、心から安堵し、酷く重い瞼を持ち上げようとした。
涙で滲んだ視界には、紺碧の双眸があった。ジャスリンの名を呼ぶ声は、いつの間にか止んでいた。
そっと髪を撫でられた。そっと、頬の涙を拭われた。
視界がはっきりとする。そこにあったのは、少しくせのある漆黒の髪に縁取られた白皙の顔。その端整な顔立ちに、ジャスリンは暫し見蕩れる。魔族だ........。息が触れる程の近しい距離から、黒髪の魔族がジャスリンを見詰めていた。
「......ウィード?.....」
「他に誰がいる?」
そんな吸血魔族の素っ気ない口調に、ジャスリンは現実に引き戻された。すぐ傍らに、暖炉の炎が赤々と燃え、爆ぜる。
「夢....?」
ジャスリンは、無意識の内に呟いていた。
「夢だ」
ウィードが、静かに答えた。その時ジャスリンは気付く、自分がウィードに抱き抱えられているという事実に。
「ウィード.....」
返事の代わりに、ウィードはジャスリンの頭を一度撫でた。ジャスリンは、例えるならば、親猫の毛皮に包まれて眠る仔猫の様に、安堵してウィードの胸に頭を預けた。
「とっても、悲しい夢を見ました。私を10歳まで育ててくれたマルガが、もうすぐ死んでしまう夢.....」
暖炉の炎が爆ぜる。それ以外の物音は、何一つ無い。
「マルガが死んだのは、こんな雪の日だったのです。あんな夢を見たのは、雪のせいでしょうか....」
ジャスリンはウィードの腕の中でくすんと鼻をすする。
「人間族であろうと、魔族であろうと、命には終わりがある、呪われた者以外はな....。終わった命は、やがて再生するってのに、何故悲しむ必要がある?」
ジャスリンがウィードを見上げると、彼の瞳は真っすぐに炎へと向けられていた。
「ずっと傍にいた人が、突然いなくなったら淋しくありませんか?......独りぼっちになってしまったら、...とても..、淋しいです....」
ジャスリンの頬を,再び涙が零れる。その涙を、ウィードの指が再び拭う。
「全く、良く泣くな、お前は...」
「だって.....」
軽い溜息混じりのウィードの言葉に、ジャスリンは濡れた瞳のまま、唇をつんと尖らせる。
「お前を独りにはしないから、安心しろ」
いつもの素っ気ない口調ながら、その言葉に、ジャスリンの胸はきゅんっと鳴る。ほんのりと頬を染めながらウィードを見上げていると、唇に触れる程の軽い口付けを落とされた。胸がとくんと鳴った。少し息苦しい。ジャスリンは、高鳴る胸を押さえようと、手を動かしてみて、はっと我に返る。自分は大きな毛皮に全身くるまれている。その事実にはとっくに気付いていた。だが、その毛皮の下は.......。
「....っっ!!」
一瞬にしてジャスリンの頬が真っ赤に染まった。
「ウィ、ウィードっ!」
「ん?」
「わっ、わたっ」
「綿がどうした?」
ウィードはジャスリンの様子にほくそ笑んだ。
「私、...、ひょっ、ひょっとして...、服を着ていませんか?」
「ひょっとしなくても、着てないぜ、脱がしたからな」
アレスウィードの、そのさらっとした答えに、ジャスリンは脳天に、巨大な岩石を落とされたかの様な衝撃を受けた。文字にするなら正に、ガーンっっ!!!...である。たった今、真っ赤になったジャスリンは、今度は青く顔を引きつらせている。
「ウィードの....、ウィードの.....、ウィードの.....」
蒼白のまま,ジャスリンはぶつぶつと呟いている。
「何だ?はっきり言え」
依然としてほくそ笑んでいるアレスウィード。
「ウィードの....、ふぇっ...、どっ、どっ、どっ、どスケベ〜っっ!!」
ジャスリンの叫びに、ウィードは悪魔の笑みと共に、ぽつりと呟く。
「何を今更...」
ジャスリンは、再びはっとする。何を今更......、ああ、そうだったのだ。何を今更...なのだ。自分の裸など、初めてここへ来た時に、すでに見られているのであった事に、ジャスリンは思い至る。
「安心しろ、お前のその何処に付いてるんだか分からん様な胸じゃ、昂奮できん」
「ひぃぃぃっ」
そう、アレスウィードがそそられるのは何と言っても、血を採られている時のジャスリンの困った様な、苦し気な、ほんのりと頬を染めた、耐える様な表情である。だがそんな事は、勿論口にはしないウィードであった。
ジャスリンは、再度真っ赤になりながら、もぞもぞとウィードの腕の中から這い出ようとする。その拍子に、毛皮がまくれてジャスリンの白いふくらはぎが露になった。ウィードの口笛と共に、ジャスリンの悲鳴が起こった。
「目が覚めたのかい?ジャスリン」
ノックも無しに扉が開き、エディラスジーナが顔を出した。
「どうしたんだい?お目覚め早々賑やかな様だけど」
「エディラスジーナさぁん〜」
ジャスリンは半べそを掻きながら,毛皮にくるまった身を縮こまらせている。
「ウィードが..、ウィードがぁ〜、わたっ、私の服を〜、ふぇ〜」
エディラスジーナはきょとんとするも、瞬時に納得する。
「あ〜あ、雪解け水で濡れちまったから、全部脱がしちまったよ。風邪でもひいたら困ると思って。あんた半分人間だからさ.....。ウィードもルヴィーも、見てないから安心おしよ」
「へっ?」
ジャスリンは、はたと泣き止んだ。
「私の服を脱がしたのは....」
「あたしだよ、当たり前だろう」
ジャスリンは、絶句したままウィードを見る。
「俺が脱がしたなんて、言ったか?」
ウィードは、にやりと口元をほころばせていた。
「んもうっ!紛らわしい言い方しないで下さい!ウィードったら」
「早とちりなお前が阿呆なんだ」
「ウィードの性格ぶすっ!!」
「何だぁい?ジャスリンちゃん。ウィードに脱がして欲しかったのか〜い?」
エディラスジーナが、突拍子も無い言葉と共に、流し目を送る。無論初心な魔女に対するからかいである。ジャスリンは、真っ赤な顔を、激しく横に振った。ぶんぶんと音が聞こえそうな程であった。
「そいつは悪かったねぇ、気がきかなかったよ、あたしとした事が。ウィード、さっさとジャスリンと寝室へお行き!邪魔しに行ったりしないからさっ」
「エエエエエエディラスジーナさん!?」
ジャスリンの震え声に、ウィードの蒼い瞳が光る。珍しい事に、彼は天敵とも呼べるエディラスジーナに一言も言い返さず、ゆらりと立ち上がると、固まっているジャスリンを軽々と抱き上げた。
「ウィ、ウィード?何をするのですか?下ろして下さい。ちょちょっと、何処へ行くのですか?」
「決まってるだろ....」
「行ってらっしゃ〜い!ウィード、しっかりおやりよ〜!バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ!」
万歳三唱で彼らを見送るエディラスジーナは、よく分からない。
「助けて〜!エディラスジーナさん!」
ジャスリンにとって、味方と信じていたエディラスジーナは、やはり魔族であった。居間から連れ出されて行く哀れなジャスリンに、彼女は満面の艶やかな笑みと共に手を振っていた。
さてさて、その日はジャスリンにとって、何やらの記念すべき日になったのかといいますと....、残念ながら、ならなかった様でありましたとさ。
こんにちは、インタヴュアーの秋山らあれです。こちらのジャスリンさんとルヴィーさんから、皆さんにお知らせがあるんだそうです。
「こんにちは、皆さん、お元気ですか?あのですね、実は、来月ウィードのお誕生日なのです。ね、ルヴィー」
「うん」
「それでですね、素敵な贈り物を、今ルヴィーと一緒に考えているところなのです、ね、ルヴィー」
「うん」
へえ、そうなんですか。アレスウィードさんにもあったんですね、誕生日なんてものが.....。
「そうなのです、あったのですよ。でも、何を送ったらウィードが喜んでくれるのかが、分からなくて...、なので皆さん、次のお話まで、少し待っててくださいね。ごめんなさい」(ぺこり)
「ごめんなさい」(ぺこり)
ああ、成る程、そうですか。要は更新が少し遅れるという事ですね。はい、そういう事です。皆さんすみません。(ぺこり)