10.秋の日、もしくはルヴィーの機転(下)
ドード神父は.....というと、鼻の頭に小さな丸い老眼鏡をのせて、縫い物を始めようとしている処であった。針の小さな穴に糸を通そうとしているのだが、随分と難儀している模様であった。
「おーぉ、嬢ちゃんにルヴィーや、良い処に来てくれたな、この針の穴めが小さ過ぎて、てんで糸が通らんのじゃぁ」
「あらあら、貸して下さいな。ついでに縫い物も私がして差し上げましょう、ドードさん」
ジャスリンはマントを脱ぐと、喜ぶドードから針と糸を受け取る。
「大丈夫?ジャスリン」
ルヴィーが心配そうな顔をした。
「大丈夫ですとも。私は縫い物は得意なのですよ」
胸を反り返らせるジャスリンに、そうじゃなくて.....と、ルヴィーが呟く。
「ジャスリンは、ナイフとか針とか持つと、いっつも指に怪我するから.....」
「あたっ!」
言われているそばから、ジャスリンは指に針を刺している。
「大丈夫か?ジャスリンや?」
「大丈夫ですぅ、大丈夫、てへっ」
「気を付けてね、ジャスリン」
「は〜い」
小さなルヴィーに気遣われながら、ジャスリンは針に糸を通すと、繕い物を始める。
「さてと、それじゃわしは、嬢ちゃんとルヴィーの為に茶でも入れようかの。表にも肉体労働に勤しんどる者がおるしな。ルヴィーには、牛の乳をあっためてやろうな」
「うんっ!」
ルヴィーは嬉しそうに頷いた。
「ねぇ、ドードさん。あのクレシス神父さんは、何だかドードさんに似ていますね」
「ん?そうかのぅ」
ドードは湯を沸かす支度をしながら、はて?と、首を傾げた。
「だってドードさんと同じ事を言っていましたよ、あの神父さん」
ははぁ〜と、ドードは大きく頷く。
「そうじゃな、わしと同じ事を言いおったな、あの若者は」
そう言って、ドードはひゃっひゃっと楽しそうに笑った。
「まあ、あれは悪い者では無さそうじゃよ。町の者達とも仲良くやっとる様じゃし、特に娘っ子達とな。ひゃっひゃっひゃっ」
「そうなのですか」
ジャスリンは、眉を上げ、微笑んだ。そこへ噂の主が顔を覗かせた。
「ご老体、頂き物をしましたよ」
「何じゃ、又か!」
眼を丸くするドードに、クレシスはにっと笑って、手にしていた包みを差し出した。
「青物屋の家のララ嬢が、心を込めて焼いてくれた菓子だそうですよ。ジャスリンとルヴィーもいるし、ちょうど良かったですね、ご老体」
「その《ご老体》っちゅうんを、よせと言うとろうが。わしゃ、《してぃーぼーい》じゃぞ」
「はいはい、茶が入ったら呼んで下さいね、神父」
クレシスはドードを軽くあしらうと、さっさと薪割りへと戻って行った。ジャスリンとルヴィーは目を見合わせて、同時にくすくすっと笑った。
「ほぉ〜、こりゃ美味そうな焼き菓子じゃ。あのクレシスが来てから、何やら毎日貢ぎ物が舞い込んで来よるのじゃ。ひゃっひゃっ」
ありがたや、ありがたや〜、などとドードは唄う様に唱えている。
「ハレンガルの娘達は、皆健気で可愛いですね。私は幸せだなあ〜」
言葉通り、実に幸せそうな笑顔でクレシス神父はララ嬢の菓子にフォークを刺した。薪割りの途中で熱くなったのであろう、詰め襟の上着は脱いで、今は白のシャツ姿である。そのシャツの襟にも、ご丁寧に小さな十字架の縫い取りがされてあった。
「こりゃクレシスよ、娘っ子達にモテるのは結構じゃが、手当たり次第、手を付ける様な真似はするで無いぞ」
「しませんとも、そんな事。私は心から愛する女性としか愛の営みはしませんよ」
ジャスリンは、頬を染めながらカップを口へ運ぶ。
「その心から愛する女性っちゅうんが、どうもお前の場合、不特定多数出てきそうな気がするのは、わしだけかのう......」
「神は万人への愛を説いています、神父」
クレシスは悪びれもしない。
「何と.....、まるで50年前のわし自身を見とる様じゃ....。あや?ジャスリンが赤くなっとる」
ジャスリンが恥ずかしそうに俯く。
「嬢ちゃんには早い話じゃったか、すまん、すまん。ルヴィーには全然分からん話じゃったのぅ、ひゃっひゃっ」
「僕、分かるよ」
何とルヴィーは、無邪気に笑うとそんな事を言った。3人が目を丸くしてルヴィーに注目する。
「ほっ、本当ですか?ルヴィー....」
ジャスリンが、赤らめた頬に手を当てながら困惑気味に尋ねる。
「うん、僕ジャスリンより分かってると思うよ」
ルヴィーの爆弾発言であった。
「ま、まあ、ルヴィーったら、私より若いのに、な、何て、おおおしゃまさんなのでしょう...うふっ、うふふっ」
ジャスリンの笑いは少し引きつっていた。
「ジャスリンももう少し大人にならないとね」
「そうでしょうかぁ....」
何やらこれでは、どちらが大人なのやら......。
これは傑作と、ドードとクレシスは笑い出した。
「もう....2人とも、そんなに笑わなくても....」
ジャスリンは、赤い顔でつんと唇を突き出した。
「可愛いなあ.....、ジャスリンは....。私が今まで出逢った女性の中で一番可愛い。本気で惚れそうだな」
クレシスが頬杖をつきながら、本気とも冗談ともつかぬ事を言う。
「ダメだよっ!ジャスリンに手を出しちゃ!アレスウィード様の恋人なんだからっ!」
ルヴィー、クレシス神父を睨んでの、本日2度目の爆弾発言であった。
「何じゃあ〜!?やっぱりそうじゃったんかあ?ウィードの奴め、ただの居候なんぞと大嘘吐きおって。...ひょっとして、照れとったのかぁ?あの表情欠陥万年貧血低血圧男は....。ジャスリンや、結婚するならこのわしが式を取り持ってやるからのぅ。まあ教会で結婚する吸血鬼がおったって良いじゃろ、ひゃっひゃっ」
「けっけっ結婚式...ですか...?」
「問題は子供じゃな」
「こっ、子供....?」
「嬢ちゃんに似れば良いが、ウィードに似たら、事じゃなあ....。顔は100歩譲って良しとしても、あの性格悪いのが似ると事じゃなぁ....」
ドードは腕組みし、深刻な顔で案じている。片やクレシス神父は、困惑するジャスリンに切な気な瞳を向けながら溜息をついている。
「ただの居候じゃあ、無かったんだ.....」
ルヴィーは一人、幸せそうに菓子を頬張っている。
「あ、あの、ルヴィー?」
「なあに、ジャスリン?」
ルヴィーはきょとんとジャスリンを見上げる。
「わ、私は、知りませんでしたけど....。その、こ、こ、こ、恋人って?」
ジャスリンの問いに、ドードとクレシスが、再び目を丸くする。
「だってちゅーしたでしょ?」
「ちゅー???ちゅ、ちゅ、ちゅーぅっっ!?」
まるで爆音が聞こえるかの勢いで、ジャスリンの顔面が真っ赤に変わった。
ほえ〜っと、ドードが意味不明な声を上げた。
「ちゅー...」
呟くクレシスは目を丸くしたままである。
「あ、あれは、そのけっ、血液を差し上げただけですわ、ルヴィー!」
ジャスリンはおたおたと、言い訳をする。
「じゃあ、こないだの薔薇園でのは?」
ルヴィーは容赦が無い。
「へ?」
「ぺんぺん草」
ルヴィーの可愛い囁きに、ジャスリンはひゃーっっっ!っと悲鳴を上げ、両手で真っ赤な頬を押さえた。
「みみみみ見てたのですか!?ルヴィー?」
「うん、見ちゃった!てへっ」
ルヴィーはぺろりと舌を出した。
「あうっ、あうっ〜」
ジャスリンは取り乱し、もはや言葉も上手く出て来ない。大好きなジャスリンを、こんな調子でからかう事に、この上ない幸福を感じるルヴィーは、やはり魔族の子であった。
燃え盛る暖炉の前に座り込んで、マーブルのチェス版を睨みつけているのは、ウィードとルヴィーである。ルヴィーが白のナイトを動かす。
「そこ、危ないぞ」
ウィードが呟く。
「あ、ほんとだ....」
危ない危ない...と呟きながら、ルヴィーはもうひとますナイトをずらした。
「ジャスリンは何してるんだ?」
ウィードはチェス版を見詰めたまま尋ねる。黒のポーンが動いた。
「部屋で『お肌のお手入れ』って言ってましたよ」
ルヴィーもチェス版を睨んだまま答える。白のビショップが、黒のポーンを取った。
「そんな事を覚えたのか?ジャスリンは....」
黒のナイトが、白のビショップを取った。
「あ....」
「甘いな」
ルヴィーは、唸りながらチェス版を睨みつける。
「あの悪魔払いは、まだいるのか?今日、ドードのところへ行ったんだろう?」
「はい、いました。ずっといるんだそうです。ドードさんが死んだら、あの人がドードさんの教会を守るんだそうですよ」
ルヴィーは白のポーンを動かす。
「けっ、ご苦労なこった。腐れ神父がもう一人増えたってわけか...」
黒のクィーンが動いた。
「あのクレシス神父は、何だかドードさんの様な人ですね」
「ああ、あのくそったれの若い頃に雰囲気が似てる」
「やっぱりですか...?」
白のクィーンも動いた。
「クレシス神父は、ジャスリンが好きなんだそうですよ。今まで会った女の人の中で、ジャスリンが一番可愛いって言いました」
黒のナイトが、白のクィーンから逃げた。
「世の中、物好きもいるだろうさ」
「ジャスリンは赤くなりました」
ルヴィーは、かなり話を端折った。白のキャストルが動く。
「ふん....」
ウィードは、傍らの葡萄酒のグラスに手を伸ばした。
「クレシス神父は、ジャスリンを狙ってます」
黒のナイトが動く。ウィードはグラスに口を付ける。ルヴィーがチェス版から顔を上げた。
「ちゅーだけじゃ不十分ですよぅ、ウィード様ぁ!!」
ウィードは咽せて咳き込んだ。
「何の...ゴホッ..話だ...ゴホッ..ゴホッ...一体..ゴホッ..ルヴィー?」
咳き込みながらウィードもチェス版から顔を上げた。
「ジャスリンは押しに弱いから...」
言いながらも、ルヴィーは白のビショップを動かす。
「今日一日で、ジャスリンのクレシス神父に対する考えも、ころっと変わっちゃいましたし...」
ウィードは、あっという間に無表情に戻り黒のクィーンを動かす。
「何が言いたいんだ?」
「下手したら、クレシス神父にジャスリンを取られちゃいます。ウィード様、チェック」
「.......」
ウィードは無表情のまま呆然とする。
「のー うぇい あうと 、僕、チェックメイトですね、ウィード様?」
ルヴィーはにっこりと笑った。
「あっ、ジャスリンだ。僕もう眠いから寝まぁーす。頑張ってくださいね、ウィード様。おやすみなさーい!」
ルヴィーはさっさと立ち上がり、駆けて行く。
「あら、ルヴィー」
「僕、もう寝るよ、おやすみなさい、ジャスリン」
「はい、おやすみなさい、ルヴィー、良い夢を」
ジャスリンはかがんでルヴィーの頬にチュッとキスをしてやる。金髪の小悪魔はジャスリンと入れ違いに居間を出て行った。暖炉の前では、ウィードががっくりと脱力している。
「なんだかルヴィーったら嬉しそうでしたけど、ひょっとして.....?」
「俺が負けた....」
「まあ、手加減し過ぎましたね?ウィードったら」
「ほとんどしてない....」
「じゃあ、ルヴィーも腕を上げたのですね」
くすくす笑いながら、ジャスリンはウィードの向かい側に座る。ふわりと薔薇の香りが漂った。そういえば、夏に薔薇の花びらを煮詰めてエッセンスを作っていたなあと、ウィードは思い起こす。ウィードはジャスリンから目を逸らし、小さな溜息をついた。
「あいつの話術に動揺した.....。己の腑甲斐無さが呪わしいぜ」
「まあ、ウィードらしく無い事を言いますね、おかしなウィードですね。今度は私が相手ですよ。ちゃんと手加減して下さいね」
駒を並べながらジャスリンはにこっと微笑む。そんな屈託無いジャスリンを、ウィードの瞳が見詰めた。ジャスリンは小首を傾げる。
「どうしたのですか、ウィード?」
ウィードは視線を横へ逸らすと、ふっと笑う。
「何ですか?その斜に構えた笑いは?とってもウィードらしいですけれど」
「俺も物好きだと思ってな」
「物好きですか?ウィードが?」
くすっとジャスリンが笑い声を立てる。
「一体何がお好きなんですか?」
「お前だ」
即答であった。
ジャスリンは、数度瞬きする。そして頬をほんのり染めた。
「はぁ...、それは、どうも....って、何故、私を好きだと物好きって.....」
ウィードはジャスリンの文句を最後まで言わせなかった。ジャスリンがせっかく並べたチェスの駒も、乗り出したウィードの右手に倒された。邪魔なチェス版を脇へとどけると、ウィードはジャスリンの細い体を腕の中へと引き寄せた。彼女の唇など、とうに塞がれている。 ..。さすがに免疫がついたのか、ジャスリンは大人しくされるがままである。深く重なり合う唇と唇。幾度も幾度も....。
「抵抗しないのか?」
ジャスリンの潤んだ瞳がウィードを見上げている。額に、瞼に、頬に、ウィードは口付けを落とす。
「抵抗して欲しいのですか?ウィード?」
「それも一興だな」
ウィードはジャスリンのやわらかな髪を手で梳きながら囁き、その豊かな髪を片側に寄せて、細い首筋に唇を這わせ始める。
「あ、あの、ウィード?」
「何だ?」
「あ、あの、一体何を?」
「決まってるだろう」
答えながらも、ウィードは魔女の首筋に口付けを降らせ続けている。何やら背中がもぞもぞする。はっとしたジャスリンが身をよじろうとした時には、彼女のドレスの背中の釦は、ウィードの器用な指によって総て外されていた。恐るべき早さである。
「ひぃいいいっ!何をするのですかぁっ!?」
「知りたきゃ、大人しくしてろ」
笑いを含んだウィードの囁き。露になったジャスリンの肩は微かに震えた。そこへゆっくりと口付けを落としてゆくウィードの吐息は熱い。手は、彼女の下着の前釦を外し始めていた。ジャスリンは体を締め付けられるのが嫌なのか、コルセットは付けていない。
「ウィ、ウィード、は、早まらないで下さい、いいいいけません!」
「安っぽい三文小説みたいな台詞吐くな」
ジャスリンは顔を真っ赤にしながらもがくも、哀れ、今回も全く焼け石に水状態である。
ウィードはジャスリンを抱く腕に力を込める。
「くく苦しいです〜、胸が〜」
「ここでするか?それとも寝室へ行くか?」
「ななな何を、すすすするのですか?ウィウィウィード!?」
恐慌を来たし抗うジャスリンに、ウィードは悪魔の笑みを浮かべる。
その頃、ルヴィーは主人と魔女の関係の進展を期待しながら、すでに寝台の中でぬくぬくと夢の入り口におりましたとさ。