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1. 魔女

あまり深く考えず、あまり細かいところを突っ込まず、

よろしくお願いイタシマス。

 


 

   


 そこは、なかなかに立派な書庫であった。

 ざっと見回してみても、かなりの蔵書が納められている様子が良く分かる。素晴らしい年代物と思しき、数々の巨大な書架に納められた蔵書も又、年代物。そこに青年が一人。書架に立てかけた梯子の随分と高い位置で、器用にその梯子に寄りかかりつつ古書をひもといている。

(もう日没か.....?)

 本の文字が読み取りづらくなって、初めて彼は気付いた。早いものだと独りごちながら、読んでいた古書を片手に梯子を下りた。辺りはすっかり闇に飲まれている。本来ならば、灯り無しで書物をひもとける様な時間では無かったであろう。灯りを付けようかと青年が燭架へと手を伸ばしかけた時、表で何やら不穏な音が鳴った。青年が窓へと目を向ければ、闇の中、表の木々は風に嬲られている。

 「一雨来るのか....」

 青年が呟くと、まるでそれに反応するかのように空に稲妻が走った。やがて強い雨が降り出す。稲妻は、窓辺に立つ彼の端整な顔を浮き上がらせる。

 「ルヴィーの奴、きっと怖がってるな...」

 みるみる盛大に鳴りだしたいかずちに、微塵も表情を変える事無く彼は古書を手にしたまま書庫を出た。

 その時、何処かでガラスの割れる音が響いた。この激しい雷雨の中、常人の耳であったなら、そんな音も届かなかったであろうが、青年は、ずば抜けた聴覚の持ち主であった。何せ彼は、人間では無かったので.....。



 

 

 ルヴィーは、恐る恐る部屋の扉を開けると中を覗き込んだ。ガラスの割れる音、あれはきっと窓を割って何者かがこの城に侵入したに違いない。泥棒だろうか? まさか....。ルヴィーはびくびくと震えながら手にしていた灯りで室内を照らし、意を決して踏み込んだ。割れた窓から吹き込む風で重いカーテンがバタバタと大きく翻っている。

 稲妻が光った。床に散らばったガラスの破片が、一瞬星のように煌めく。その真ん中で、一羽のハヤブサが弱々しく羽をばたつかせていた。

 「何だ、鳥が飛び込んだのか..」

 ルヴィーはホッと緊張を和らげると、そちらへ近付いた。大きな雷の音に、ひゃっと小さな声を上げ首をすくめつつ、ハヤブサの元へとかがみ込んだ。見れば、苦しげなハヤブサは血にまみれている。

 「ガラスで切っちゃったのかな...?」

 ルヴィーがそう呟いたとき、ハヤブサに異変が起き、少年はびっくりして飛び退いた。ハヤブサの輪郭が一瞬にして崩れ、人型を成したのである。髪の長い、それはどうやらうら若い女の様であった。荒い息をして、もぞもぞと身を起こそうとしている模様である。

 「それか? 窓を割ったのは」

 いつの間にか、ルヴィーの背後には青年が立っていた。

 「ウィード様...」

 青年の低い声に気付いてかどうか、手負いの侵入者は苦し気に頭を起こし、二人の人物を凝視した。その瞳には明らかに怯えの色があった。青年が近付くにつれ、それが恐怖の色に変わり、そして侵入者はぐったりと動かなくなった。

 「死んでしまったんでしょうか?」

 ルヴィーが主人の肩越しに侵入者を覗き込む。

 「いや、気絶しただけだ。随分と酷い手を負っている」

 「ガラスで切ったんじゃないんですか?」

 「違うな、それだけじゃない」

 青年は、娘の血と雨に濡れた衣を引き裂いた。その背には、袈裟懸けに切り裂かれた傷があった。大きな傷はそれ一つの様だったが、小さな傷は無数にあった。

 「湯の用意をしとけ、ルヴィー」

 少年は、返事と共に飛び出して行く。青年は、無表情のまま娘の背の傷に手を翳した。



 

 

 彼女は目覚めた時、己の置かれている状況を把握するのに暫しかかった。辺りはしんと静まり返っている。見知らぬ豪奢な部屋の、随分と立派な寝台に己が横たわっている事にやがて気付く。

 (ここは何処なのでしょう....?)

 娘は、目を閉じてゆっくりと記憶を手繰る。迫害に遭い、住処を逐われ、危うく殺されかけた事は鮮明に覚えていた。

 そうだった、ハヤブサに化けて逃げたのだった。そして...? 雨と雷の中を、死に物狂いで飛んだ。でも暗くて、鳥の目では視界がきかなくなって....、そして....。

 突然娘の脳裏に、黒髪の男の影が甦った。背筋にゾクリと冷たいものが走った。暗くて顔は良く見えなかった。ただ黒髪と背の高い細身のシルエットだけが脳裏に残っている。

 あれは人間ではなかった。娘は思い起こす。あれは絶対に人間ではなかった。ではここは魔族の住処か.....? 娘は不安に身じろぎする。身体が痛んだ。そういえば、背に傷を負った覚えがある。

 その時、娘は初めて気付いた。自分が一糸まとわぬ姿で寝台に横になっている事に。包帯の類いでさえ身にまとってはいない。傷を負った筈の背に手を回してみると、つるりとして傷らしき手触りなど見付からない。自分にはこれほどの治癒能力など無い。という事は、誰かがあの傷を塞いでくれたのだ。あの魔族の男だろうか...? 

 

 娘がぼんやりと考えていると、誰かが部屋に入って来る気配がした。年の頃は十歳程の、金髪の愛らしい少年が、娘を見て笑顔を見せた。愛らしい少年の、人間にはありえない異質な気配に娘は飛び起きた。

 「魔族!」

 少年は、びくりとして立ち止まった。娘は全身を怒りのヴェールで被いながら、掛布で裸体を隠しつつ寝台から抜け出た。娘に睨みつけられた魔族の少年は、猛獣の前の小動物の様にその場で震えだした。見る見るうちに金色の瞳をうるませて、今にも泣き出しそうな顔になった。その様子に、娘はどうして良いか分らなくなる。逃げるべきだろうかと内心思い、ドアの在処を目で探る。すると突然、そのドアが荒々しく開かれた。そして姿を見せたのは、瞳を怒りの紅に染めた魔族であった。

 

 「そいつに手を上げてみろ、この場でお前の息の根を止めてやる」

 静かな口調であったが、その低く抑えた声音の恐ろしかった事。娘の身体が震えだす。寒さの為などではない、恐怖の為だ。彼女は瞬時に知った。この黒髪の魔族は、自分よりも遥かに強い能力ちからの持ち主である事を....。

 

 青年はゆっくりとした足取りで近付いて来る。娘はずるずると後ずさった。恐ろしかった。これほどの恐怖は生まれて初めてだった。迫害にあって殺されかけた時でさえも、これ程に、身体が動かなくなる程に怖かった事など無い。

 娘は、青年の紅い瞳に見据えられ、その場にくずおれた。青年は跪き、彼女に手をのばしてきたが、娘は身体を被う掛布をきつく握りしめ、ただ震え、逃げる事も、ましてや防御や反撃に出る事など、とても出来はしなかった。娘は観念し、きつく目をつぶったのだが、案に反して青年は、ただそっと娘を抱え上げ、寝台へと横たえただけであった。

 「怯えなくていい、お前がその子を傷付けなけりゃ、俺もお前に手を上げはしない」

 娘は、恐る恐る目を開ける。自分を見下ろす青年の瞳は、もはや怒りの紅ではなく、今はまるで夜空の如き紺碧であった。

 「俺はアレスウィード、お前の名は?」

 青年は無表情であり、その口ぶりはそっけない。娘は声を出そうと努力しているのであろう、息を吸う震える息づかいが伝わる。娘はやっとの事で、己の名を口にする。

 「....ジャスリン....」 

 小さな声は震えていた。

 アレスウィードの親指が、ジャスリンの、まなじりにたまった涙をそっと拭った。

 「お前は...、魔女か?」

 その問いに、ジャスリンは小さく頷いた。

 そうか...と、呟きつつアレスウィードは寝台の傍らの台に置いてあった布を取ると、ジャスリンの額の汗を拭ってやった。

 「傷は塞いでおいたが、まだ痛むんだろう? 熱もあるようだ。もう暫く大人しく休め。そこのルヴィーがお前の面倒を見る」

 ジャスリンが目をやると、少年ルヴィーは先程と同じ位置から不安げに娘を見ていた。青年は背を向けると戸口へと向かった。

 「何か食わしてやれ」

 途中、アレスウィードはルヴィーにそう指示し、従順に返事を返す少年の頭を撫でながらジャスリンを振り返った。

 「いいか、変な気を起こすな。こいつに何かあれば、お前を殺す」

 そう言うと、アレスウィードは美しくも空恐ろしい微笑を見せて部屋を後にした。後には乙女と魔族の少年が残された。ジャスリンの全身から力が抜け落ちた。

 「あ、あの...」

 ルヴィーがおずおずと口を開いた。ジャスリンは少年に力ない視線を向けた。

 「僕、あなたに悪い事しないよ......。本当だよ。だから、もう怒らないで...」

 語尾は、消え入りそうな声であった。ジャスリンは、魔族の少年に弱々しく頷いて見せた。

 「さっきは....ごめんなさい」

 ルヴィーは、見るからにホッとした態で、少しはにかみながらにっこり微笑んだ。

 「お腹すいてるでしょ? 僕すぐに用意するよ!」

 そう言い残し、少年は姿を消した。





 翌日、目覚めたとき、ジャスリンの背中の痛みは昨日程では無くなっていた。昨日ルヴィーは、ジャスリンの食事の世話をしながら、彼女がこの古城にたどり着いてから、丸二日の間眠り続けていた事を教えてくれた。

 ジャスリンにはもう一つ、どうしても気になる事があった。自分の衣服を脱がしたのは....。

 

 「アレスウィード様だよ。だって、ジャスリンは酷い怪我で、服は破れてたし血でよごれてたし...」

 ルヴィーは事も無げに明るく答えた。ジャスリンは耳まで赤くなり、恥ずかしさのあまり目に涙まで浮かんでしまった。やっぱり...、呟きと共に頭を抱えた。尋ねるまでもない事であった。


 ルヴィーがいつの間にか、湯の支度をしてくれていたので、ジャスリンは喜んで身体を清め長い髪を洗った。

 ルヴィーは、ジャスリンに隣室の衣装棚を開いて見せた。そこには随分と古くさい、いわゆる年代物の女物の衣装がぎっしりと並んでいた。

 「ウィード様が、とりあえずここにある服で我慢するようにって。多分あなたの身体には合うだろうって」

 「まあ....」

 ジャスリンは再び赤くなりながらも、その中から比較的フリルの少ない白一色の簡素なドレスを選んだ。なかなか苦労しつつ、何とかその年代物の衣装を独りで着込むと、ジャスリンは改めて室内を見回してみる。続き部屋の衣装棚といい何といい、元々女性の部屋だった様である。彼女は化粧台を見付けると、両開きの鏡を開いた。長いくすんだ白っぽい金髪が目に入る。けぶる様なスミレ色の瞳がこちらを見詰めていた。確か頬にも傷を負っていた筈だが、そんな傷は跡形も残ってはいない。


 引き出しの中に、見事な象牙細工の櫛を見つけたジャスリンは、化粧台の前に腰掛け、長い洗い髪をゆっくりと梳かし始めた。豊かな髪はまだ湿っていて少し重い。随分と伸びてしまった。今では尻よりも長い。椅子に腰掛けると床に届きそうな程である。

 「少し長過ぎるでしょうか...?」

 鏡の中の自分に尋ねてみる。長い髪は霊力を呼び寄せると言われてはいるが.....。

 「まあ、いいか....」

 そう呟きジャスリンは思わず大きな溜息を漏らした。

 「これからどうしましょうか...」

 もうあの森には帰れない。家も焼かれてしまった。魔女は邪悪だと、教会の神父達は言う。ジャスリンにはそれが何故だか分からなかった。自分がどんな悪い事をしたというのだろう。確かに魔女は魔を使う事もある。中には悪い魔女もいるのかもしれない。でも、ひっそりと森の中に隠れ住んでいた自分が、一体どんな悪い事をしたと神父達は言いたいのであろうか.....。彼らの言うところの 《神》 を敬わないからか?それとも特別な能力ちからを持っているからか? 能力ちからなら教会の悪魔払い達だって持っているではないか.....。彼らの能力は良くて、何故、魔女や魔道士の能力は許されないのだろう.....。ジャスリンには納得出来ない。

 「神父のいない国に行きたい.....」

 ジャスリンは肩を落として、今一度溜息をついた。


 手持ち無沙汰になったジャスリンは、そっと部屋から回廊に顔を出してみる。やはり、しんっと、耳が痛くなる程の静寂が漂っていた。

 (あの人は何処でしょう....)

 あれから見ていなかった。ルヴィーが 《ご主人様》 と呼んでいたアレスウィードという名の魔族。あの紅い瞳を思い起こし、ジャスリンは身を震わせた。とても恐ろしかった事を思い起こす。とてもとても恐ろしかった。なのに、もう一度会ってみたい。何となくそう思うのは何故だろう。

 ジャスリンは歩き出す。ルヴィーが、ここの事を 《古城》 と呼んでいた。それは正しい様であった。回廊の壁には、切り出された花崗岩がむき出しであり、ひんやりとした空気が辺りを占めている。明かり取りの窓にはガラスがはめ込まれている。築城から今まで、きちんと人の手が加えられて来たのであろう。

 回廊を抜け、階段を下りる。ステンドグラスから陽が差し込んでいる。見上げるとそれは、古い神話の絵柄の様であった。教会の神父達が口を揃えて異教と蔑むところの、古い神々の絵柄であった。ジャスリンはステンドグラスから再び階段を下りる為に踵を返してぎょっとした。一体いつの間に現れたのか、城のあるじが階段をほんの五〜六段下がった処で腕を組み、手すりに寄りかかってジャスリンを見上げていたのだ。白いシャツに黒のズボン、一城の主にしては地味な姿である。

 「ふむ、悪く無いな.....、少し丈が短いようだが...」

 アレスウィードは、まるで独り言のように言った。ジャスリンは初め、何を言われているのか分からなかったのだが、青年の視線にすぐにぴんときて、己の足下に目をやる。裾から足首と履き古されて汚れた靴が覗いている。この衣装の元々の持ち主は、どうやらジャスリンよりも背が低かったようである。

 「調子はどうだ?」

 「....悪く無いです.....少し痛いですけれど.....」

 「そうか...、まあついて来い。昼飯でも食おう」

 そう言って、彼は踵を返して階段をトトッと下りて行く。

 (もうお昼時ですの?)

 そんなに長々と湯浴みをしていただろうか、などと考えつつ、ジャスリンは青年の後に続いた。





 「何故、あんなに酷い手を負っていたんだ?」

 アレスウィードはルヴィーの入れた香草茶を一口飲むと、おもむろに口を切った。ジャスリンは、やや口を尖らせてうつむく。

 「教会の魔女迫害に遭いました」

 青年は別段驚きもしなかった。

 「何処でだ?」

 「ライトン樹海ですわ」

 「ふーん。で、ハヤブサに化けて逃れて来たってわけか...」

 ジャスリンは頷く。

 「身寄りは?」

 ジャスリンは首を横に振る。

 「行くあては?」

 再び首を横に振ると、そのまま小さな溜息と共に項垂れた。傍らにいたルヴィーが物言いたげに主人の顔を伺う。アレスウィードは、少年を安心させるかのように微笑んで見せた。

 「なら、いたいだけいろ。ルヴィーに悪さしないなら、俺はかまわん」

 ジャスリンはびっくりして顔を上げた。何か言わなければと思い、口を開こうとしたが、それよりも先に目に涙が溢れてしまった。ジャスリンは考えた。今まで、人に優しくされた事があったであろうかと.....。そう、自分を十歳まで育ててくれた老魔女以外には、今まで優しくしてくれた人などいなかった。親の顔を知らず、ライトン樹海の奥深くに住む老魔女に拾われ育ててもらい、十歳のときに老魔女が死んでからこのかた、ずっと独りぼっちであったのだ。

 「何故泣くんだ? お前は....」

 青年の無表情の中に、わずかな戸惑いがのぞいた。

 「いたくないなら、別にいなくてもいいんだぞ」

 ジャスリンは、慌てて首を横に振った。

 「お前の好きにしろって言ってるんだ。どうせここには、俺とルヴィーしかいないからな。部屋は腐る程ある」

 その言葉に、ジャスリンの涙はさらに止まらなくなった。あげくの果てにはしゃくり上げる始末。

 「おいっ」

 アレスウィードは人間ではなかったが、まるで人間の数多くの男達の様に、乙女に泣かれる事は、あまり得意ではなかったのであろうか.....。

 「おいってば、何故泣くんだ?........俺はこれでもお前に親切にしてやってるつもりなんだが....」

 アレスウィードは眉間に皺を寄せている。

 「分りませんけど.....、涙が出て来るんです.....、あなたのお言葉が..、とってもとっても...嬉しいからでしょうか....」

 ジャスリンはしゃくり上げつつ答えた。

 

 こうしてジャスリンは、アレスウィードの城に住み着く事になったのであった。





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