私の知ってる日本と違う
単身アメリカ留学中。盛大にホームシックにかかる私の元へ、現地の友人が一人訪ねてきた。
名前はブレンダ。金髪碧眼の麗しいかんばせに、豊満なボディがまぶしい。ぴちぴちのTシャツにジーンズという、典型的なアメリカンギャルである。
彼女を一言で表すなら、間違った日本像を抱く親日派である。
そんな彼女と私が、突然に奇妙な日本を訪れることになった。その顛末をお伝えしようと思う。
○
思えばよく、ブレンダは「日本に行きたい」とのたまっていた。
「サムライが歩いてシノビが空を飛び、宇宙人にはガンダムで応戦するオンミョウジがいるんでしょ? クール!!」
そんな日本は知らない。
私の知る日本は地味で几帳面で、電車の時間は狂わず、バスが遅れればお詫びする。学生たちは几帳面に同じ服を着込み、気弱そうなサラリーマンが淡々とエスカレーターに並び、お年寄り同士が我先にと席を譲りあう。そんな地味で謙虚で慎ましい日本。
ああ、我が故郷日本。とにもかくにも感情を押し殺し、表面上は常に笑顔の平和の国日本。和をもって尊しとする日本。アメリカの常時アクティブモードな感情表現には、私はもう疲れた。今はただ、愛しい故郷に帰りたい。
それだけだったのだ。
それだけだったのに。
ここにたしかに、「日本へ行きたい」と願う人間が揃ってしまったのだ。
○
部屋でアニメを見ながら、ホームシックの私を慰めようと架空ニッポンの話を続けるブレンダは気がつかなかった。
私たちの足元に謎の魔法陣が現れ、光放っていたことに。
「ああ、やっぱり日本に行きたいわあ。スズカが帰国する時には、私も一緒に連れて行ってね」
「ブレンダ」
「ん?」
足元光ってますよ。
私の指摘に、ブレンダが「ワオ!」とアメリカンに驚いた。これが光の渦に巻き込まれる前の、私の最期の記憶である。
○
目を覚ますと日本だった。
何とも言えず日本だった。
板張りの床の上。尻をついて座り込む私とブレンダは目を瞬かせる。
元の部屋の面影はなく、テレビも愛郷の念に泣きぬれていたソファもない。ただただ広い木組みの建物の中に放り込まれていた。
私たちを取り囲むのは、和装の男たちだった。袴に狩衣、黒烏帽子。足は当然足袋である。
人種のサラダボールから一転、一様に薄い顔の群れに絶句する。
「…………ここ、ニホン? スズカの部屋にいたはずじゃ」
ブレンダがつぶやいた言葉に、私は耳を疑った。彼女の言葉は典型的なアメリカンイングリッシュである。しかし今は、流暢な日本語に聞こえた。
「ブレンダ……」
恐る恐る声を上げ、床に手をついた。ひやりとした木目の感触に目をやれば、魔法陣を形作る文字が、漢字に似ていることに気がつく。呆然とそれを見つめていると、心を落ち着かせる隙もなく、今度は周りを取り巻く和装の男どもが叫んだ。
「金の髪……」
「青い瞳……!」
「巫女様だ!」
「巫女様が降臨なされた!!」
巫女とな。
「MIKO?」
瞬きしながらブレンダがつぶやく。やっぱり発音はちょっとアメリカンだった。
「聞いたことあるわ。ミコ。日本のジンジャにいるSHINTOという武術の使い手でしょう?」
神道は武術だったのか。
「ということは、やっぱりここはニホン? スズカが帰りたいと思ったから来たのかしら」
「どんな理屈?」
「ニホンだもの。ミノフスキー粒子で瞬間移動も可能なんでしょう?」
「どんな理屈!?」
アニメの見すぎだ。
私を差し置いてブレンダは一人で納得し、感激していた。憧れのニホン。彼女の理想にたがわぬ有様である。映画で見るような和装の男がいて、巫女がいて、ミノフスキー粒子の片鱗も見られる。ならば興奮するなと言うのが無理なこと。
そこへ、ざわざわと騒いでいた和装の男たちの一人が近づいてくる。烏帽子が一段と高く、紺の衣装を身に着けた男。手には勺。お内裏様の姿を想像していただければおおよそ間違いがない。むろん眉は麻呂である。
「巫女様、ようこそいらっしゃいました。いつまでもこんな場所ではいけません。さあ、すでに部屋もご用意してありますのでどうぞ」
そう言うや否や、和装の男たちが一斉に私たちを取り囲んだ。あれよあれよという間に担ぎ上げられ、部屋から運び出される。
部屋の外は渡り廊下につながっていた。白い砂利でできた枯山水が目に移り、頭が痛くなった。神道なのか寺なのか。
「あれらはすべてヴァーチャル映像でできています」
見とれていると麻呂の一人が解説した。
「屋敷の地下にあるマザーコンピューターが制御しています」
「まざー……なに?」
「いざというときは変形してロボットになります」
「お、おう……」
他になんと答えられるだろうか。戸惑う私を尻目に、ブレンダは感極まったように言った。
「ニホンってすごいわねえ!」
うん、すごいね。
どちらかというとNIPPONって感じだけどね。
○
畳の部屋に移されると、私たちは猛烈な解説を受けた。
ここはやはり日本であり、京の都のお屋敷なのだとか。この日本は現在危機にあるのだとか。日本の空間に歪みが現れ、それがこの国を飲み込もうとしているのだ。それを修正するには、異世界から来た金髪碧眼の特徴を持つ神子にしかできない。等々。
確かに歪んでいる。私の持つ日本人観と比べて相当に、という感想は飲み込む。解説ラッシュに口をはさむ隙もない。
とにかく、日本は歪んでいる。そしてブレンダは日本、ひいては世界の歪みを正すために召喚された巫女であるらしい。
「……私は?」
ブレンダを横目に、私は解説役の男に尋ねた。眉は剃らず、凛々しい口髭を整えた目の前の男は、どうやらONMYOUJIらしい。それに対して「ニホンってすごい!」とはブレンダの感想である。私の知ってる日本と違う。
「鈴香さまはブレンダ様をお導きになる式神でございます。巫女様が日本を想ったとき、式神が世界を渡らせるのだと伝えられております」
今度はSHIKIGAMIとな。しかもそれが私とな。アメリカで人間をやっていたつもりだったのだが、私の勘違いだったのだろうか。
「ニホンってすごい!」
私の知ってる日本と違う。
「世界の歪みは巫女様とその式神によって封じられるのです。この召喚はお二人で一つ。ブレンダ様は式神である鈴香様を用いて、歪みを正してくだされよ」
「つまりミコはシキガミを使って戦うシントーのファイターなのね! KAKKOII!!」
私は用いられる方なのか。頭が痛い。
「引き受けてくださりますか」
「オーケイオーケイ」
ブレンダは軽快に引き受けた。さすがアメリカ人は展開が早い。
こうしてブレンダは巫女となった。
○
金髪碧眼が巫女さんというのもなかなか趣深いものがあると勘違いされる方も多いだろう。
はっきり言ってしまうとただのコスプレである。そもそも服が一般的な巫女の服ではない。いわゆる脇巫女を想像していただければだいたいあってる。横からの乳がこぼれかけ、男どもをご不浄に向かわせるその姿は、ある種の趣があるにはある。たとえコスプレであろうと、アメリカ製の豊満な肉に日本が勝てないことを知らしめる姿であった。
しかしこのコスプレも、ブレンダはご満悦らしい。機嫌よろしく畳に足を伸ばし、鼻歌でも歌いだしそうな声色で私に言った。
「ニホンに帰れてよかったわね、スズカ。ずっと帰りたがっていたものね」
私は対照的に、ホームシック継続中である。元の日本に帰りたい。最悪アメリカでも構わない。もはやこれをホームシックと呼んでいいのかわからないが、愛郷の念だけは強くなっていく。
「……私の知ってる日本と違う」
平素と変わらず座布団の上に身を丸め、しとしとと泣きながらそう言うと、ブレンダは肩をすくめた。
「あら。じゃあどんなニホンが正しいというの」
「なんというかもっとこう……!」
私は半身を起こし、窓の外を睨んだ。枯山水かと思ったら、今度は正統派の庭園である。人工池に水が注がれ、鯉が泳いでいる。小川には朱塗りの橋。その傍で麻呂集団が蹴鞠をしていた。ししおどしがあるのがまた、違和感に拍車をかけている。
「日本は日本であるんだけど……!」
なにかいろいろ混ざっているというか。時代背景が混沌としているというか。私の歴史知識が試されている。少なくとも、私の帰りたかった日本とは違う。
そのようなことを述べると、ブレンダは首を振った。「オーケイ、わかったわ」
「もしかしてここがニホンではないと思っているのね。実は私も、少し疑っている部分があるわ」
「ぶ、ブレンダさん!」
意外に冷静な言葉に、私は感極まって敬称をつけた。この異常な環境に対し、同じ気持ちの誰かがいるとは心強い。思わず涙もこぼれ出す。
「おかしいとは思っているのよ。本当にニホンなら、ガンダムがいるはずなのに」
「うん……おかしいね……うん…………」
私は泣いた。この世に人間など一人きりである。
涙にまみれて空を見上げると、突然暗い影が下りてきた。見上げると、追い打ちをかけるようにガンダムであった。金の額当てがまぶしい。
「Hooooo! ガンダム!」
私に遅れて、ブレンダが空を飛ぶ巨大な機体に気づいた。目を輝かせ、興奮もあらわに叫んだ。
「超! エキサイティン!」
ブレンダは間違った日本通である。
はしゃぎまわっていると、閉じたふすまが遠慮がちに開かれた。失礼いたします、と言って下女が頭を伏せ、入ってくる。
「ブレンダ様、いかがなされたのですか?」
興奮に息を切らすブレンダを見て、下女が恐る恐る尋ねた。空のあれを見て興奮したのだと伝えると、なるほどと心得たように頷く。
「カンタムロボですね」
「カンタム!?」
「折り紙に付喪神の力を籠め、巨大兵器としてあやかしと戦うんです。京と江戸でしか見られないですから、驚かれる方が多いんですよ」
「ORIGAMI!? オリガミって紙でできているんでしょう!? ニホンCOOOOOOL! さすがニホンのロボットアニメ!」
折り紙ロボットは戦隊ヒーローの方だ。
もう悩む方がバカバカしくなって、私はため息をついた。涙は止まった。
ところで下女がなにをしに来たかといえば。
「殿がお呼びです。巫女様とぜひお話しされたいと」
TONOである。
○
「苦しゅうない、ちこう寄れ」
と言われたので、私とブレンダは畳の大広間をにじり寄り、殿と呼ばれる男の元へと近づいた。
殿は丸々と太った小男である。握りたくなるような立派な髷を結い、肘掛けに手を当てて半ば身を乗り出している。どうやらブレンダに興味津々らしい。彼の横には二人のSAMURAIが控え、鋭く私たちの挙動を見守っていた。
私は殿から一メートルほど離れた場所で止まったが、ブレンダはもう真正面である。それはもう虹彩まで見えるほどに真正面である。日本人にはない距離感に、思わず殿は身を引いた。
「そなたが巫女ブレンダか。遠い世界からはるばるよくまいった」
「お会いできて光栄だわ、殿」
「うむ。これからの使命、辛いこともあるだろうが遠慮なく儂に頼るがよい。助力は惜しまん」
「サンキュー」
軽やかな返事である。NIPPONに時代劇のような重みを求めてはいけない。
「うむ、よい返答だ。あっぱれあっぱれ」
どこから取り出したか扇子を開き、殿は快活に笑った。と思うと扇子の影に顔を隠し、ブレンダにじっとりとした視線を向ける。さすがニッポン、乾湿の差が激しい。
値踏みするようにブレンダを一通り見まわし、殿は粘り気のある笑みを浮かべた。
「ううむ、しかし異世界からの巫女とは、なかなかどうして、ううむ、ううむ」
訴訟ものの視線を受け、ブレンダの表情が曇る。不快そうに殿をねめつけるが、残念ながら金髪美女の侮蔑は豚にとってのご褒美である。殿はかすかに頬を染め、なおも言葉を言い募る。
「ううむ、よい。その気の強そうな顔つき。異国めいた容貌、肉感的な体……ううむ」
殿はちらりと私を一瞥した。
「実にふくよかな体つきであるな。はちきれんばかりではないか」
ほっほっほと浮かれた声を上げた瞬間だった。
「シット!」
ブレンダ怒りの張り手が殿の頬を直撃する。殿は「ファット!?」と悲鳴を上げて、幸せそうに倒れた。
「ぶ、ブレンダ!?」
肩を震わせるブレンダを後ろから見つめながら、私はこわごわ呼びかけた。突然の手出しに驚くばかりである。腰も抜かしかねない。
私の声掛けに、ブレンダはやはりというべき怒りの形相で振り返った。今から一人殺すこともいとわない目をしている。
「ふくよか、ってつまりはデブってことでしょう!? なんて無礼な男なの! シット!!」
アメリカ人は怒るのも早い。しかし無礼であることには同感である。自らの絶壁を見下ろして、私はブレンダに「グッジョブ」と答えた。よくやった。
そんなやりとりをしている横で、殿は大変であった。目を回したまま起き上がらず、二人の侍があわてて駆け寄る。うめきながら「もっと」とつぶやく白豚は錯乱状態にあり、侍たちはすぐに声を張り上げた。
「曲者! であえ! であええええ!!」
その声が聞こえた時にはすでに遅し。ふすまを破って何人もの侍が乗り込んでくるところだった。
私とブレンダはすぐさま捕えられ、地下牢へと落とされることに相成ったのだ。
○
展開早くも地下牢である。二時間ドラマよりもなお詰め込まれたスケジュールに、私はすっかり疲弊してしまった。
暗く冷たく息苦しい土牢。窓は天井近くに一つのみ。入口は鉄格子でできており、見張りが一人、牢の中を油断ない目で睨んでいる。
「私たち、どうなってしまうのかしら」
同じ牢に入れられたブレンダが、不安そうに言った。さすがの彼女も陽気なアメリカンではいられないらしい。窓の外を眺め、ほろりと一つ涙をこぼした。
窓の外にはおぼろ月。淡く輝く月の色を眺めながら、私も郷愁誘われた。天の原、ふりさけ見れば春日なる。思わず一句よみがえるが、続く下の句は出てこない。
なんだったかと白けかけた気持ちを振り払い、心に悲しみを強制的に誘導する。ああ、この月は私の知る日本のものと同じであるというのに、いったいここはどこなのだろう。
人工的な悲しみに目を細めれば、月に向かって伸びる一筋の光。よくよく見れば、昼夜問わず飛翔する、カンタムロボの雄姿である。本当にここはどこなのだ。
センチメンタルに染まるに染まれず、私は腑抜けた心で牢の外を眺めた。
そのときである。
私たちを見張っていた侍の首が落ちた。それはもう見事なまでにきれいに落ちた。ウィザードリィで言うところの「くびをはねられた!」である。プレイヤー発狂物の惨状に私も発狂する。いったい何が起こったのか!?
しかし、悲鳴を上げかけた私の口を何者かが塞ぐ。わけもわからず視線を回せば、ブレンダが少し離れた場所で、驚いたようにこちらを向いていた。
ならば私の口を押さえるこの手は彼女のものではない。二人きりの土牢に何者? なにごと? なにごと!?
「お静かに。ブレンダ殿、鈴香殿、拙者はお二人を助けに参った者でござる」
「GOZARU!?」
困惑に相手の手を噛み、私は思わず繰り返した。「ござる」とはまた、コテコテの人間が来たものである。
「大声を上げてはなりません。人に見つかってしまいます。とにかくこの場を脱して、それからすべて説明いたしましょう」
「……あなた、何者?」
ブレンダは相手の姿を見据え、戸惑いがちに声をかけた。相手はそこでようやく私を解放し、月明かりの下に立った。
「拙者、忍の者でござる」
おぼろな月の光に現れたのは、黒い布で顔を覆い隠した一人の男であった。腰には小刀、足は足袋。首にはよくわからないスカーフを巻いたその姿。見るものすべてにSHINOBIと思わせるその出で立ちに、私はただただ圧倒された。
○
どうやって彼がここまで来たかといえばNINJUTUである。それさえあればなんでもできる。空を飛ぶことも厭わず、影分身も無論のこと、写輪眼だって当たり前のように使えるし、科学忍法でマザーコンピューターにも侵入する。
なぜならそれが忍者だからだ。影の世界の住人である、SHINOBIの生き様だからだ。なにを言っているかよくわからないが、私もなにを言っているかわからない。超スピードとか超!エキサイティン!とかそんなチャチなものでは断じてない。奴のしたことはただの蹂躙である。
そんな圧倒的な忍者力によって、私とブレンダは無事に土牢を脱出。忍者と言いつつほとんど正面突破で屋敷を抜け、そのまま忍者の手配した烏天狗の空輸により、私たちは京の都を発った。
あまりの急展開に、空輸されるまで疑問を挟む余地すらなかった。そして、烏天狗に小脇に抱えられ、夜空を羽音とともに飛んでいる今。ようやく息つく暇ができたと思えども、どこの疑問から手を付ければいいのかわからない。
ただ、空から見下ろした京の都に京都タワーの姿が見え、「ああ、もしやここは本当に日本なのか」と謎の絶望を味わったことだけは、心の底に響いた。
○
さて、京から江戸へ来たわけだ。
ござるの本拠地は江戸でござった。彼は私たちを城へ招き、一宿一飯を提供した。枯山水からマザーコンピューターまで、果てしなくハイブリッドな寝殿造りの京とは違い、江戸の城はどことなく武骨な印象を受けた。優雅な庭はなく、城から目に映るのは城壁と堀。そして塀の外に広がる街並みと、ひときわ目につく東京タワーの姿だった。
ライトアップされた東京タワーを見つめながら、「スカイツリーがないだけ、現代日本ではない可能性もある」などと一縷の望みを繋ぎつつ、その日の夜は更けていった。
○
翌朝、別室で寝ていたブレンダがござるを引き連れ、私の部屋へとやってきた。
ブレンダは相変わらずの脇巫女である。一方のござるは、昨晩の顔を覆っていた黒布をはぎ取った、すっきりとした姿であった。無論、例にもれずイケメンである。薄い顔立ちの柳眉な男で、背中まである長い黒髪を後頭部で一つに縛り上げていた。
昨晩はそんな尻尾のような髪はなかったではないか。と問えば、NINJUTUであるとの答えである。そして私は考えることをやめた。
「ブレンダ殿、鈴香殿、拙者はこれから貴女らに、すべての真相をお話しいたします」
現実から逃げ出した私の精神はさておいて、ござるは畏まった口調でそう言った。私とブレンダを部屋の半ばに座らせて、実に神妙に語ったことには以下のとおりである。
今回の件は盛大なマッチポンプである。
世界の歪みとは、異世界から人を召喚することにより生じるのだ。つまり私たちが呼ばれたことにより世界に歪みが生じた。そして私たちが帰ることにより、その歪みが閉じる。これこそが巫女の役目である。すなわち早々に帰れということだ。
「……どうしてわざわざ歪みなんて生じさせたのかしら?」
ブレンダが真面目くさって問うと、ござるが深刻そうにうなずいた。
「歪みが生じると、そこからあやかしがあふれて人の世の理を乱すのでござる。陰陽師たちはあやかしと通じていたのでござろう。魑魅魍魎と手を組んで、この国を恐怖で支配するつもりだったはず。おそらく奴らは貴女らを帰す気もなかったのでござる。拙者の主はそのことを憂い、貴女らを帰すために拙者を遣わしたのでござる」
「ん、……元の世界に帰してくれるの?」
AYAKASHI周辺は聞き流し、私はそこだけ尋ね返した。
「無論。貴女らの帰還は拙者たちにとっても望むところでござる。この世の歪みを正し、これ以上のあやかしの蔓延を防がなくてはならぬ」
なるほどなるほど。希望が見えてきた。
「……あなたの主人は誰なの?」
「拙者の主人でござるか?」
ブレンダの疑問に、ござるは姿勢を正して答えた。
「拙者の主は、江戸の第二百八十代将軍、徳川秀円舞曲江熱我にござる」
なるほど、どうやらここは日本でもなければ、私たちは過去に逆行したわけでもなさそうだった。一安心である。
○
かの忍者の名は服部半月と言うらしい。徳川将軍家に仕える由緒正しき忍者であり、忍術においては右に出るものはなし。カリスマと政治手腕もまた秀でており、忍者衆の若き頭領であるという。さらに実は帝の傍流の血を汲んでおり、将軍家の秘された末姫を母に、敵対するあやかし集団の頭目と父に持つという設定に、これはまた随分と詰め込んできたものだと感心したことを覚えている。
半人半妖の彼は自らの出自を隠し、忍者をしているとか。半月の夜にはあやかしの力が強まりうんぬん、実は不老不死の呪いをかけられうんたん。身に余る過密な設定にめまいがした。
しかしそんなことはどうでもよろしい。
慎重な討議の結果、明日にでも世界の歪みとやらと対面し、元の世界に戻るということを半月に約束させたのだ。おかげで半月とブレンダが出て行ってからは、久しぶりに満足のいく睡眠を得ることができた。
○
そして私は今、世界の歪みと対面している。
それはものの見事に歪んでいた。空間に入った亀裂とでも言おうものか。その空間だけ、背後の景色が揺らぎ、途絶えている。
町はずれの街道に浮かび上がる歪みは異常であり、周囲に人の影もない。通常なら驚き叫ぶところだが、すでに私の驚きは飽和状態にあり、特に感動を抱けないことが残念である。
「どうすればいいの?」
「歪みには歪みで向かうほかにないでござる」
つまり突っ込めということだ。単純明快なことだ。
「なんだか怖いわ……」
「ブレンダ殿」
半月が弱気な声を出すブレンダの肩を抱いた。なんだと。
「怖いのなら、無理をしなくてもいいんでござるよ。拙者がそなたを必ず守り通すでござる」
「ハーフムーン……いいえ、でも私はやらなくてはいけないわ」
「ブレンダ殿……」
固く抱き合う男女の図。いや待て、いや待て待て。
「ちょっと待て!!」
思わず割って入ると、ブレンダが驚いたように私を見た。
「どうしたの?」
どうしたのはこっちの台詞だ。
「昨日の今日だよね!? なにそれ、急激にそういう関係なの!?」
「イエス、フォーリンラブ」
ブレンダは間違った日本通である。
「い、いつの間に……」
出会ってから実に二日の出来事である。超スピードとかそんなチャチなものでは断じてない。さすがアメリカ人の展開は早い。純正日本人にはついていくのがやっとである。ただし半月は日本人とは認めない。
「初めて見たときから、きっと恋に落ちていたんだわ」
「拙者も、ブレンダ殿の美しい御髪と……その……豊満なお体に目を奪われてしま」
「ファッキン!」
ブレンダの肉々しさに関する言葉は禁句である。彼女の鉄拳を受け、半月は「ラード!?」と驚き叫んだ。悲鳴にそこはかとなく悪意を感じる。
「あなたも私のことをデブと言うのね! 確かに私はスレンダーではないわよ!」
「い、いいえ、拙者は細身の女性より」
半月は一度私を見やった。
「肉感的なブレンダ殿の方に魅力を感じるでござる」
「ハーフムーン……」
「ブレンダ殿……」
私は置いてけぼりである。
二人は存分に愛を誓い合ったあと、軽いハグとブレンダからのキスでようやく落ち着いた。
「そろそろ行かないと」
とブレンダが言い出すまで、私がなにをしていたかといえば草むしりである。街道のわきに生えた草をむしっては捨てむしっては捨て。無我の境地を極めようとしていた。
「愛しているわ……あなたのことを忘れない」
「拙者も……拙者もでござる」
「さよなら……」
やれやれと立ち上がった私の手を取り、ブレンダは重い足取りで歪みに向かった。半身が空間の亀裂に埋まり、なにやらひどい違和感を覚えた。地に足がつかないような感覚だ。思えばこの世界に来てからずっと地に足ついてはいなかったが、この空間はその感覚もひとしおである。
浮き上がるような奇妙さを感じつつも歩み続けると、体がすべて歪みの中に納まった。と思うと、歪みの入口が消えていく。亀裂から見える外の景色が狭くなり、私たちを見送る半月が消えていく。
「ブレンダ殿!」
消えていく半月が叫んだ。ブレンダは思わず歩みを止めた。
「拙者、そなたのことを忘れないでござる! もう一度同じ世界で会えるのならば、必ず、必ず迎えに行くでござる!」
「ハーフムーン! 私……待ってるわ!!」
「ブレンダ殿ぉおおおお!!」
半月が消えゆく亀裂に手を伸ばした。ブレンダも振り返り、必死にその手を掴もうとする。
しかしその手は再びつながれることはなく、空間の歪みは消えた。もう、あの世界は見えない。
○
SHIKIGAMIの能力かは知らないが、私は地に足つかない空間を、ブレンダを導きながら抜けることができた。
どうやって歩いたのかは、もう覚えてはいない。だが、気がついたら元の私の部屋にいた。あの光にさらわれた時と同じく、アニメが流れ続けている。時計を見れば、ちょうど私が泣きぬれていた時間と変わらなかった。戻ってきたのだ、と実感した。
ブレンダは一人、呆然と立ち尽くし、重たげに肩の力を落とした。ため息をつき、私を一瞥する。
「私、帰るわね」
彼女の言葉はまぎれもなく英語だった。
「ブレンダ……」
「帰ってこれて……きっと良かったんだわ。日本がアヤカシに支配されたら大変だったもの」
「ブレンダ……あの、送っていくよ」
ありがとう、と言ってブレンダは寂しげに笑った。
ブレンダを導き、アパートの外に出ると、私のポストに手紙が刺さっていることに気がついた。
手紙というか矢文だった。文字通り刺さっていた。どこからか、遠ざかっていく馬の足音が聞こえた。
いやな予感におののきつつも、見過ごせずに私は矢を引き抜いた。手紙をひらけば、英語と日本語がハイブリットに混ざった文面が飛び込んでくる。
「約束通り、迎えにいくでござる。 ハーフムーン・ハットリ」
私は気が遠くなった。
唖然と空を見上げれば、本日も晴天なり。ところが一転にわかに掻き曇り、空を黒い影が横切る。
カンタムロボだった。アメリカの空の下でも変わらぬ雄姿である。どこからともなく「HOOOOOO!!」と歓声が聞こえた。あたりを見回せば、道を行く母子の姿がある。子供が空を指さし、母親が「もう何度も見たでしょう」と当たり前のようにたしなめていた。
「日本ってすごいわねえ」とブレンダが言った。
「歪みを正したら、日本の文化がこんなに浸透するのね!」
「うん……すごいね……NIPPONって感じだけどね…………」
飛行機雲だけを残し、カンタムロボの去って行った空がまぶしい。どうやら私のホームシックは悪化したようだ。