第6話──ガール・ミーツ・ガール
彼女は、虎治佳世と名乗った。
その格好から予想していたとおり、奏目神社の巫女さん。生まれも育ちもこの島で、義務教育を終えたあと、ずっと神社で働いているらしい。離島って年配の人ばかりのイメージがあったから、そういう子がいたというのがまず驚き。ああ、これも偏見かな。
で、彼女がわたしに襲いかかってきた理由はというと──。
「──じゃあ、てめえは本当に監視とかやってねえんだな?」
監視。穏やかでない言葉だけど、彼女はここ一週間ほどずっと誰かに見られているような気がしていたという。そして、犯人を捕まえてやろうと山道を回っていた時にノコノコやって来たのが、このわたし。デジカメとか持ってたし、確かによそ者で怪しかったんだろう。勘違いされた身としては、そういう早とちりはやめてほしいんだけど。
「だから違います……違うって」
自分の口調が自分で不自然に思え、わたしは途中で言い直した。同年代だし(この小柄な体で中学校を卒業している、というのが一番びっくりだったり)別に敬語を使わなくていいような気がする。うん。そうしよう。
「証拠はあんのか?」
「だって島に来たの今朝だし」
財布からフェリーの半券を取り出し、彼女の前でひらひらと振ってみせる。半券に書かれているのは昨日の日付。他にも降りるときに押してもらったスタンプカードやら、合宿期間の書かれた学割の申請書とか、証拠になるものはいくらでもある。大人げないかな、と思ったけど、そうでもしないと納得してくれなさそうだし。
「……ああ、そういや兄貴が言ってたな。物好きなジョシコーセーが来るとか」
「お兄さんがいるの?」
「まあな」
きっと兄妹仲は悪くないんだろう。彼女の態度がちょっと軟化する。よかった。人間嫌いだとか人付き合いが悪いとか言われるわたしだけど、やっぱり誰かから敵意を持たれるのは嫌だし。
「で、他の奴らはどこだよ? 兄貴からは三人って聞いてたぞ?」
視線をキョロキョロと動かし、わたしが一人なのを確認し、怪訝そうな顔。うわ、そんな細かいところまで話が回ってるんだ。狭い島の情報網を痛感すると同時に、少し怖くなる。先輩から「歓迎されてないかも」みたいな話も聞かされていたから、なおさら。
「えっと……今は一人、かな」
「迷子か?」
「そうなるのかも」
「……マジかよ」
信じられねえ、と言いたげに彼女が肩をすくめた。うん、わたしだって島に来て早々こんなことになるなんて思わなかった。自分でも信じられない。
「ま、お前鈍くさそうだしな。ぼーっとしてたら置いてかれたとかそんなだろ?」
「違うってば」
「どうだか」
くくくく、と口に手を当てて笑われる。出会って間もないというのにひどい言われようだ。微妙に、三割くらいは合ってるような気がしないでもないのがまた微妙な気分。
「ま、てめえがストーカー野郎じゃねえってんならそれでいいさ」
わたしへの呆れと、犯人が見つからなかったという悔しさ。そんな複雑な表情をにじませつつ、彼女が山頂のほうを指差す。
「ウチの神社、見学に来たんだろ? 案内してやるよ。ついて来な」
「え? あ、うん。ありがと」
わたしの戸惑いを遠慮か何かだと思ったのか、「気にすんな」と一言残して歩き出す。神社の見学。正解だ。ちょっと考えれば分かることなんだろうけど、説明してないのに当たり前のように言われると少し驚いてしまう。彼女、こう見えて洞察力はわたしよりあるのかも。いきなり鈍くさいとかぴしゃりと言われたし。
「そういやお前、名前は?」
歩きつつの、背中を向けたままの質問。そういえばわたしの名前は言ってなかったっけ。さっきは「この虎治佳世に付きまとうたあ、どういう了見だ!」という、なんかの時代劇みたいな名乗りに絶句してしまい、完全に気圧されちゃってたし。
「あ……っと、沙恵。来宮沙恵」
下の名前だけでいいかな、と思ったけど、彼女に合わせてフルネームで返す。
──ぴたり、と彼女の足が止まったのは、その時だった。
「くるみや……さえ、だと?」
「うん」
振り返り、まじまじと見つめてくる彼女に、こくんと頷く。来宮沙恵。自分でもごく普通の名前だと思う。少なくとも、名乗るだけで人の気を引くようなことはない、はず。
なのに、この反応はどういうこと? 目を丸くして、唾を呑み込む音が聞こえるほどに押し黙ってしまって。何がそんなにおかしいの?
「──ッ!」
次の瞬間、短い、口から空気を漏らすような声を上げながら、彼女がその場にへなへなとへたり込んでしまった。……ちょ、ちょっとっ?
「ど、どうしたの!?」
「触んじゃねえ!」
思わず伸ばした手が、甲高い声と共にぴしゃり、と振り払われる。さっきわたしに襲いかかってきた時とは方向性の違う、拒絶の叫びだ。
「来宮沙恵だと……? 人違いか? いや、このタヌキみたいなマヌケ面、どっかで見たことあると思ったら……! 高校? 合宿? ウソだろ、おい! ……くそっ、なんて偶然だよ……!」
逡巡するわたしを尻目に、額を押さえ、焦りにも似た小さな声でぶつぶつと呟き続ける。またさりげなく悪口を言われた気がする。タヌキって。赤茶けた地毛のせいかな。けっこう気にしてるんだけどなあ。ずっと前にも同じこと言われたことあるし。
──え?
モヤモヤした思考の中に入ってきた記憶に、わたしは自分で驚いてしまった。前にも言われた? いつ? 誰に? どこで? すごく昔だ。何年も前。転校を繰り返していたころ。
それ以上は思い出せない。だけど、確かにあった。そう言われたことが。
それが意味するのは、一つしか考えられない。
「ねえ。わたしたちって、もしかして……」
「うるせえっ!」
わたしをはね除けるように吐き捨てると、彼女がいきなりあさっての方向へと駆け出していった。正しい道を外れ、高低差を関係なしに神社を目指すように、木々が林立する山の斜面をいきなり登り始め……って、えええええぇぇ!? そこ行くの? というか行けるの? まるで猿みたい。しかもよくよく見ると足元、草履に素足だし。寒そう。
露出している根っこや岩を足がかりに、本当に器用に。はためきながら視界から遠ざかっていくスカート状の赤い袴を、呆然と見送ることしかできない。
「あー……」
無意識のうちに、間抜けな声が出てしまう。
不思議な子だ。挑むような視線、つり上げられた眉。そして笑ったときの、子犬みたいな仕草。ちょっと怖いところもあったけど、整った顔立ちだった。同性にも息を呑ませる……とか、そういう神秘的な雰囲気は全然なかった。でも、普通に、かわいい子だと思った。子供扱いするなって怒鳴られそうだけど。
その顔が、わたしの名前を聞いた瞬間に固まってしまったのだ。
「……うん」
ほんの数秒だけ悩んで、気合を入れるように小さく頷く。コートのポケットから軍手を取り出し、坂に傾いて立っている大木の幹を掴み、体重をかけ、勢いをつけて足を踏み出す。……うん、大丈夫そう。彼女みたいに俊敏にはいかないけど、高さは十メートルもないし、滑らずに登り切るくらいなら、なんとか。
自分から動く。知らない土地で、他人を追いかける。
こんなこと、本当にらしくないと思う。
でも、どうしても、彼女──佳世ちゃんのことが気になったから。