第3話──親友
土曜日。秋休み一日目の午後。
休日と言うこともあり、アーケード街は人が多かった。
普段はあんまり気にしないけど、こうやって手持ちぶさただとつい人の波を眺めてしまう。どこの学校も同じように休みに入ったからか、それとも部活か何かなのか、わたしと同年代くらいの人がけっこういる。あの紺色のブレザーは、東岸高校から川一つ挟んだ向こうにある私立高校のものだったはず。
制服。ちょっと懐かしい。「高校生らしい服装ならよし」という何ともルーズな校則によってうちの高校は私服での通学がOKだ。「毎日着る服を考えるのが大変」「制服を着られるのは今だけ」などの理由で制服を作ってもらう人も多いけど、わたしは私服派。軽くてさらさらした感じの生地が苦手だし、誰かと同じ服装、というのが昔からちょっと落ち着かなかったからだ。自意識過剰なのは分かってるけど。
そんなこともあってか、中学生は制服、高校生は私服、というイメージがわたしの中ではけっこう強かったりする。何だか制服を来ている人がみんな年下に見えてしまうような……いやいや、そういう考えはやばい。自分がどんどん老けていくみたいな、ちょっとまずい感覚。
人の波から目をそらし、ベンチの横に立っている時計台を見やる。約束した時間まではあと十分弱。急なメールや電話もないから彼女もじきに来るだろう。
「おまたせー」
うん、予想どおり。それから五分ほどしたところで、待ち人──真夏が姿を見せる。独特の間延びした声に、長い髪を頭の後ろで束ねただけの私服姿。
大きなボストンバッグや丈夫なウォーキングシューズなど、合宿に必要なものの買い出しに行こうとしたわたしに「真夏ちゃんも駅前に行ってるらしいわよ」と真夏の家に電話をかけていたお母さんが教えてくれたのが、ほんの一時間前。急な待ち合わせだったし、制服についての考え事をしていたところだったので、いつもと変わらぬ彼女に少しほっとする。
「ごめんね沙恵ちん、待った?」
「ん、大丈夫」
駆け寄ってくる真夏に、首を横に振る。待ったと言えば待ったことになるんだろうけど、彼女は時間どおり。単にわたしが二十分も前についてしまっただけだ。待ち合わせをしたりする時は、いつもそう。心配性で、ちょっと神経質なわたし。「もうちょっと肩の力を抜けばいいのに」とはお母さんの弁だけど、性格なんだから仕方ない。
にしても、大型スーパーの土日セールに行っているという話だったのに、真夏は肩から小さなバッグをかけているだけ。ずいぶんと身軽な格好だ。学校でも使ってるリュックを背負っているわたしが、気合の入った重装備に感じられるくらい。
「真夏はもういいの?」
「うん、ただで送ってもらっちゃったから」
猫のように眼を細めながら見せてくれたのは『5000円以上で送料無料』と印刷されたレシート。ああ、なるほど。
「新米のコシヒカリがなんと10キロ2880円っ! いい買い物だったよ~」
「それ安いの?」
「安いよー」
「……ふぅん」
わたしは曖昧に頷いた。当たり前だよ、と言いたげな顔。真夏がそう言うのならそうなんだろう。わたしもお母さんと買い物に行くことはあるけど、値段の高い安いを気にしたことはあんまりない。それじゃいけないんだろうな、と少し思う。
「沙恵ちんはレイ・スクエアだっけ?」
「うん」
あらかじめ伝えておいた予定を口にする真夏に、軽く頷く。アーケードを抜け、大通りを挟んだ先にあるレイ・スクエアはブティックやセレクトショップが多く入っている大型ショッピングセンターだ。カジュアル系が中心で値段が手ごろなのも嬉しいところ。わたしはどちらかと言えば上の階にある本屋や文具店に行くことが多いんだけど。
「お母さんがこれで買いなさいって」
コートのポケットから財布を取り出し、両手で開いてみせる。中には福沢諭吉先生が五人。合宿の了解を得たあと、部屋に戻ろうとしたわたしにお母さんが手渡してくれたものだ。
「わわ、沙恵ちんお金持ち」
「逆にプレッシャーだよ。ここまでしてもらったら変なの買えないし」
昨晩のお母さんの態度を思い出し、ため息をつく。学生三人だけの急な合宿。しかも行き先は、新幹線やフェリーを乗り継いだ先の離島。心配されるのはもちろん、小言や質問攻めに遭うだろうと覚悟していたのに、それより先に「沙恵にそういう付き合いや積極性があって安心した」と感動されてしまったのだ。そして喜々として渡されたのが、この五万円のお小遣い。
……何だろう。わたしは家族の目からも、そんなに人付き合いが出来ないように見えるんだろうか。昔は取っつきづらいとか根暗だとか陰口を叩かれることもあったけど、最近は少しはマシになってきた……と思うし、東岸高校はどちらかと言えば個人主義な校風だから、そんなに自分だけが特別だとも思わないし。
ちなみにそういう「もっと人と付き合え」みたいな態度は、お母さんだけじゃなくてお父さんもだ。前に食事をしたときなんか「もう高校生なんだから合コンでもしたらどうだ」と言われてしまったくらい。うん、とりあえずあの流れはおかしかった。
三十も半ばを過ぎた従姉妹のお姉さんがまだ独身という話をしていたから、お世辞にもコミュニケーション能力が高いとは言えないわたしを不安に思ってくれているというのは分かる。……だからって、学生の時からいろいろと押し付けられても困るわけで。
「沙恵ちん、どしたの? 考えごと?」
いつの間にか足が止まっていたのか、真夏が怪訝な顔で覗き込んでくる。
「っと……結婚の話?」
「うぇ!?」
素っ頓狂な声。……うん。なんかごめん。
「ねえねえ沙恵ちん、これなんかかわいくない?」
そう言って真夏が差し出してきたのは、膝まで届こうかという丈の長い編み上げブーツだった。デザインがすらっとしてるだけじゃなく、裾のところが折り返しのフリルになっていて確かに可愛い……とは思う。わたしには似合いそうにないけど。
……っていうか、それよりも問題なのは。
「山道歩くんだけど」
奏目島は山地が多く、高低差もかなり激しいという話だ。先輩いわく「屋久島みたいなものだな」らしいけど、行ったことないからあんまり想像出来なかったり。
「う~ん……じゃああれは?」
次に真夏が指差したのは、向かいのスポーツ用品店の真ん中に居座っている大きな登山靴。足首までぐるぐる巻きに靴紐が縛られていて、針のようなスパイクが靴底にびっしりと嵌められていて、靴というよりゲームか何かに出てくる武器みたいな。
「極端すぎるって。冬山用とか書いてあるし」
「でも沙恵ちん寒がりでしょ?」
「それ関係ないから」
わたしは額を押さえ、ため息をついた。
……こんな具合で、買い物は終始、真夏に引っ張られっぱなしだった。
靴や鞄など、あまり詳しくはないから真夏の好みなども参考にしようと思ったのが悪かったのか。一階を軽く回った頃には「どこまで本気なのか分からない彼女のセンスに振り回される」という構図が出来上がってしまっていた。見た目のインパクト重視なのはもちろんのこと、やけに大きいものを選んできたり、男女兼用のものが多かったり。「弟や妹たちへお下がりする時のことを考えている」と言われた時には思わず納得しかけてしまったんだけど……いや、わたしの買い物だってこと忘れてない?
ただ、一緒にあれやこれやとムダでぐだぐだな時間を過ごすのは楽しかったし、何よりその間、真夏がずっとわたしの右隣を歩いてくれているというのが嬉しかった。
わたしは左利きだ。ペンや箸を持っている時に指摘されることはあるけど、変に珍しがられたりするのは嫌だから、自分から話したことはほとんどない。真夏や先輩にだって、世間話の延長で「調理器具とかけっこう使いにくい」「お互いに利き手が自由になるから、歩く時は右側に立ってくれると嬉しい」みたいなことをぽつりと漏らしたことが一度か二度あるだけ。
けれどもそれ以来、真夏はわたしと並んで歩く時、いつも右側にいてくれるのだ。
何も言わずに、わたしに意識すらさせずに、本当に自然な感じに。
それが真夏の優しさ。大家族の長女という立場からくる気遣いと、温かさなんだろう。
特別扱いはされたくない。だけどその実、少しは気にしてほしい。
そんなわたしのわがままに、真夏は絶妙な距離感で付き合ってくれている。
そして、だからこそ、簡単にお礼を言っちゃいけないような気もするのだ。
口に出した瞬間、お互いに意識してしまった瞬間、それが一気に陳腐なものになり、雪の結晶のようにふっと消えてしまいそうで。
そんなこんなで買い物が終わったのは、たっぷり数時間後。長い影を作り出すオレンジの夕日がビルの向こうに消え、夕暮れが夜に変わろうとする頃だった。暦では秋とは言え、まだまだ日は長いから、いつもなら夕ご飯を食べているような時間。
「楽しみだねー、合宿」
「うん」
お互いに疲れていたこともあり、帰り際に交わしたのは、そんな軽い言葉だけ。
だけど、それで十分だ。明日から一週間は、合宿でずっと一緒。先輩も交えた、地元を遠く離れた奏目島での時間がたくさんある。
家族以外と、朝から晩まで。気疲れとかそういうのも出てきてしまうだろうけど、相手が真夏たちなら何とかなるかな、と思えるのがちょっと不思議だったり。
「……合宿、かぁ」
地下鉄の駅に下りていく真夏を見送ったわたしは、昨日から何度口に出したか分からない言葉を、再びぽつりと呟いた。
……うん。真夏の言う通り、楽しみだ。
小学校の遠足なんかをちょっと思い出す。日常を離れたものへの不安と、それ以上の期待感。
とりあえず、今日は早く寝よう。
そう思った。