ふたつめの贈り物
「ずっと前から言っていたわよね。あなたは彼女の愛ではなく、転生のために呪いを解かないのだと」
腹が立つほど穏やかな口調で魔女が説明をはじめたのは、俺が奴を無理矢理居間に引き込んだ直後のことだった。
「それがなんだ」
「正直ね、私はあなたのことずっと酷い男だと思ってたの。あの子はあんなにあなたに一途なのに、あなたはずっと彼女を裏切り続けてる」
「お前に言えたことか?」
「いいえ。でも同じ女として、ずっと可哀想だと思ってたの。この呪いは愛では絶対にとけない、それなのにありもしない愛に縋り付くなんて不憫すぎる」
だから、魔法をかけてあげたのよと魔女は得意げに一差し指をくるりと回した。
「あれは、あなたの代わりなの。あなた以上に有能で、素敵で、お姫様の相手にぴったりの決して裏切らない恋人」
魔女の言う恋人があの男であることは想像に難くない。
だが、用意したところで俺から奴に鞍替えするわけがない。そう思いたかったのに、先ほど間近で見せつけられた彼女と男のやり取りが否定を許さなかった。
「代わりがあの男なのは分かる。だが、彼女は……」
「もちろん357回もあなたにつきまとう子ですもの、素敵な殿方をちらつかせただけで揺るがないのは知っているわ」
だからコレを使ったのと、魔女はもう一度指を回した。
「あの男をあなただと思いこむ魔法を、彼女にかけたの。ちなみにあの男は私が作った人形だから、あなたの大切なお姫様をむやみやたらに傷付けたりしないわ。ただあの子が望む言葉や行動を感知して忠実に行うだけ」
悪趣味な物をと言いかけたが、それを言うなら俺だって同じだ。自分の目的の為に、気持ちを偽り彼女の望みを叶えようとしてきたのだ。
「だから彼女にとって、今のあなたは赤の他人よ。だからあなたが苦手なスキンシップもキスもせがまれたりしなくてすむわ」
「あんたが彼女にしたことは分かった。だが、それであんたに何の利点がある。彼女は俺と人形を取り違えているが、俺への愛情を失ったことにはならないだろう」
「確かにその通りよ。彼女はあの人形ではなく、あの人形をあなただと思いこんで愛している」
「それじゃあ呪いは解けないだろ。お前の話じゃ呪いを解くには……」
「愛を諦める事、それが重要だと確かに言ったわ」
覚えていたのねと微笑んで、魔女は得体の知れない闇を秘めた瞳で俺をじっと見つめた。
「でもね、愛を裏切ることでもこの呪いは解けるの」
「裏切る?」
「例えば好きでもない男と体を重ねたりするとかね」
「ただ重ねるだけなら、俺はすでに1回裏切った」
もう何百回も前の人生で一度だけ、俺は彼女以外の女を抱いたことがある。それも彼女の目の前で。
「でも呪いは解けなかった」
「勿論ただ重ねるだけじゃ駄目なのよ。相手のことを本気で愛していないと効果はない」
だからあなたの1回は裏切りにはならなかったのだと、魔女はまるで俺達のことを見てきたように言った。
確かにあのときは、自らの意志で事に及んだ訳ではなかった。この魔女以上にイカレた女に出会い、彼女を殺すか自分を抱くかどちらか選べと言われたのだ。
結果俺は女を抱くことを選んだが、行為は不快なだけだったし、結果として彼女のことも深く傷つけてしまった。
今でこそ裸になろうと馬鹿みたいに騒ぐようになったが、あの直後は俺に触れるのを酷く躊躇っていたし、躊躇う自分が嫌だといつも泣いていた。
そしてその涙を消したくて、俺はその後初めて彼女を抱いたのだ。思えば俺が色々と彼女の世話を焼くようになったのはその後からかも知れない。
結果的に言えば裏切るどころか彼女を甘やかすきっかけになったのだから、呪いが解けないのも当然と言えば当然か。
「しかし、愛していないなら彼女だって」
「勿論彼女が愛しているのはあなた。でも彼女があの人形をあなただと思いこんでいれば、それは愛のある行為になる」
「少し強引じゃないか?」
「大丈夫よ、ちゃんと確認済みだから」
魔女の言葉に勿論俺は眉をひそめた。俺達のような境遇の恋人は意外に多くいると昔魔女から聞いたが、この分だと奴はそのうちの一組を破滅させたようだ。
「お前は最低な魔女だな」
「それくらいせっぱ詰まってるのよ。転生続きでそろそろ気が狂いそうなの」
「俺はまだまだ余裕だが」
「あなたには彼女がいるけど、私には何もない。死ぬたびに記憶以外の物を全て失う切なさを、あなたは知らないでしょう?」
「あんなのはいない方がマシだ」
「それは欺瞞よ。現にあなたは今離れていく彼女に苛立っているじゃない」
「自分を好きと言っていたやつが突然他人に鞍替えしたら、誰だって腹が立つだろう」
「本当にそれだけかしら?」
聞き覚えのある問いにウンザリして、それから俺は魔女を睨む。
「そもそも、お前は何であんな贈り物を彼女にやったんだ。何度も言ってるが俺は……」
「分かってる、あなたは転生を続けたいんでしょ?」
「そうだ、だから呪いが解けると困る」
「だけどもし、呪いが解けても転生が続く方法があるって言ったらどうする?」
そんな物があるのかと驚けば、魔女は頷いた。
「呪いが解ければ、転生は途絶えそれまでの記憶も失うことになる。でもそれが起こるのは、自分の意志で呪いを解いた者だけなの。例えば片方だけが相手へ想いを失ったり、一方的に裏切った場合、もう片方は記憶も呪いも持ったまま転生が続いてしまう」
「つまり、自分で解かない限り転生は続くと言うことか……?」
「この呪いは、片方が解呪したたけじゃ完全には解けないみたいなのよね。たいていの場合、自分を忘れた相手にショックを受けて、もう片方も解呪を選択するのが常だけど。……でも元々愛していない相手なら、例え忘れられてもあなたは解呪の選択をしないでしょ?」
「じゃあもし、彼女があの人形を抱けば……」
「彼女は最低な男と呪いから卒業し、今度こそ運命の相手を見つけられる。そしてあなたは一番邪魔な女から解放され、好きなだけ転生し放題」
そして私も全てから解放されるのだと、魔女は不敵に笑った。どうやら、魔女の開放には完璧な解呪は必要ないらしい。
「ね? あなたにとっても素敵な贈り物だったでしょ?」
甘い声音に偽りの色はない。だが何故か、俺は酷く混乱していた。あまりに話が出来すぎているような気がしたのだ。
そして魔女は、そんな俺の心を見透かしていた。
「疑うのも無理はないわ。でも全ては上手くいく、むしろ下手に邪魔すれば彼女にかけた魔法が拗れてしまうから気を付けて」
「拗れる?」
「手を出さなければ問題ないわ」
だからあなたはただ待っているだけで良いと、魔女は更に笑みを濃くした。
「それでも心配なら、あの子と人形に張り付いていればいいわ。もし彼女に危険があると思うなら止めればいいし、そうでないなら傍観しているだけで良いの。ただ待つだけで、あなたが望んだ邪魔者のいない来世はやってくるんだから」
最後まで途絶えることのない笑みに違和感を覚えつつも、俺はそれを言葉にする事が出来なかった。
魔女の計画には俺が異を唱える部分が何一つない。
唯一、最後まで彼女を騙すことになるという点だけは引っかかるが、そもそも最初に彼女を騙したのは俺だ。
それを思えば魔女の言葉は理に適っている。こんな酷い男からは早く卒業して、今度こそまともな男と恋に落ちた方が彼女の幸せにも繋がるに決まっている。そしてそれに違和感を覚えることは明らかに間違っている。
にもかかわらず、戸惑う自分の心が俺は理解できない。
だが理解できない理由を突き詰めて考えてはいけない気がして、俺は結局全てから目を背ける事を選んだ。