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素敵な恋人

 死が近づくたび、俺は後悔を繰りかえしてきた。

 何故あのとき彼女の手を取ったのか。どうしてあんな言葉をはいたのか。

 何度も何度も、俺はその問いと後悔を繰りかえしてきた。

 それらは全て死に際に響く彼女の泣き声が発端で。だからそれがない今、後悔せずにいけると思っていたのに、結局俺はまた、あの瞬間のことを思い出していた。

 次の人生から彼女は消える。

 それを喜びながらいけると思ったのに、むしろ次々と脳裏をよぎる彼女の笑顔に、苛立ちまで感じ始めていた。

 そしていつも以上に俺は疲れていた。

 もういっそ、全部捨ててしまいたいと思った。

 躊躇いも苛立ちも何もかもをさっさと捨てて、この人生を終わらせてしまおう。そうすればこんな不快な気持ちも薄れるだろうと俺は無理矢理自分を納得させようとした。

 そして間近に迫っていた死を自ら引き寄せ、後悔を命ごと殺してしまおうと俺は闇に身を沈めようとした。

「……せんせい」

 だがそんなとき、俺の耳元で、誰かが俺を呼んだ気がした。

「……先生」

 名を呼ばれただけなのに、今まで不快だと感じていた全てがあっという間に消えていく。

 逃げようと思っていたはずなのに、気がつけばその声をもっとはっきりと聞きたいという思いが俺を支配する。

 その心地よさにウッカリ死を手放してしまった俺は、結局そのまま逝くことも出来ず、最後は深い闇のそこからもがくようにして無理矢理意識を覚醒させていた。

「目がさめましたか?」

 声と共に額に降りてきた冷たい掌が心地よくて、俺は思わずそれを握りしめる。

 それにびくりと震えた細い指に、俺はようやく側に立つのが誰であるか気が付いた。

「どうしてお前がいる」

 自分でも驚くほど掠れたその声、俺以上に驚いた顔をしていたのは彼女だった。

「えっと、看護婦のおばさんに突然呼ばれて、その……」

 自分でもよく分からないんですけど、側にいろと言われましてと小首をかしげる彼女に、俺は思わず苦笑する。

「言われたから来たなんて、人が良すぎるな」

「でもほら、良く覚えてないんですけど先生は私のことを助けてくれたんでしょ? お姉ちゃんが言ってたんです、先生が倒れた私を診察してくれたって」

 お姉ちゃんが誰かと考えて、そう言えばあの魔女がちゃっかり自分のことを彼女の記憶に刷り込んでいたのを思いだす。

 あの男と体を重ねれば全て忘れてしまうが、それまでの疑われないようにという配慮のようだった。

「でもいいのか、恋人が待ってるんだろう?」

 俺の言葉にてっきりのろけ話をはじめるかと思ったが、何故か彼女はほんの少し困った顔をする。

「たしかにその、イチャイチャしたりキスしたりするつもりだったんですけど……」

「じゃあ俺のことは良いから家に帰れ」

「いや、そのつもりだったんですけど、ちょっと悩んでて」

 と言いつつ、彼女はじっと俺の顔を見る。まっすぐに向けられた眼差しに思わずたじろぐと、彼女は彼女らしい間抜けな顔で口を開いた。

「先生って、カウンセリングとかも出来たりします?」

「カウンセリングにも種類があるし、俺は外科医だが」

「でもお医者さんですし」

 ちょっと話を聞いてくださいと言う彼女の勢いに、俺はうっかり競り負ける。

「何かおかしいんです。心の底から……いや死ぬほどって言うかむしろ死んで生き返るほど恋人のことが大好きなのに、突然相手のキスに満足できなくなる事ってあるんでしょうか」

「そう言う相談は医者にするもんじゃないと思うぞ」

 むしろ友達だろうといつもの調子で突っ込んでしまえば、彼女は照れたように頬をかく。

「自慢じゃないけど、私友達いません」

「だからって何で俺なんだ」

「看病してあげたじゃないですか」

「むしろ死に際の病人相手に、そんなくだらない事を話せる神経が分からん」

「えっ、そんなに悪いんですか!? 薬とか必要ですか!? ってかすいません、そんなに悪いと思わなくて」

 動揺する彼女から察するに、俺に関する情報は本当に綺麗さっぱり消えているらしい。

 でもこの情報は消えてくれていてよかったと考えて、俺は冗談だと笑った。

「ちょっと具合が悪いだけだ」

「でも言われてみると、凄く重病人っぽいです」

「本当に大丈夫だ。ただ、お前があんまり馬鹿なことを言うからからかいたくなった」

「先生、結構性格と口が悪いですね」

「意外か?」

「いや、出会って数日の私が言うのもあれですが、しっくり来ます」

 それに、本音で話してくれる人は好きですと微笑む彼女から、俺は慌てて目をそらした。

「それより、さっきの話だが」

 本当は戻したくなかったが、他にする話もないので彼女の馬鹿な質問を蒸し返せば、彼女は俺の側に身を寄せる。

「先生も見たと思いますけど、私の彼って超がつくほど完璧だと思いません」

「のろけか」

「事実です」

 と言って、彼女は胸を張る。

「彼、不器用だけど凄く優しいんです。私が好きな料理をつくってくれたり、私の好みにぴったり合う服を用意してくれたり、キスが欲しいって言うと照れながらも応じてくれたり」

「恋人なら普通それくらいやるんじゃないか」

「でもあの、私と彼はこう見えても付き合いが凄く長くて」

 知ってるよと心の中で答えて、俺は彼女の言葉を待つ。

「あの、ちょっと不思議な話なんですけど、良かったら聞いてくれますか? 先生になら、色々話せそうで」

 っていうか聞いてくださいお願いしますとせっつかれ、俺が頷く前に彼女は話し始める。

 彼女が語るのは、誰よりも俺が知る恋人達の話だ。

 俺の認識とちょっと違う所や、俺のことを無駄に美化しすぎている所など色々と思うことはあったが、俺は彼女の話を黙って聞いていた。

「357回、私は彼に恋したんです。その間、私一回も彼を嫌いになったり飽きたりしなかったんです。むしろ、会うたびに惚れ直してたって言うか」

 さすがにそれは言いすぎだろうと思っていると、どうやらそれが顔にも出ていたようだ。彼女は少しムッとした顔で、口を尖らせる。

「本当です! だって彼、いつも凄く素敵なんです」

「でも357回だぞ」

「だけど1回1回出会い方や別れ方、時間の過ごし方だって違います。だから好きなところは沢山出来るんです」

 例えばと、彼女は楽しそうに笑う。

「19回目の時の彼、何と海賊だったんです。この世界だと童話の中くらいにしか出てきませんけど、彼は凄い大きな船の船長で左目はえぐり取られて眼帯までしてて」

 さすがに自分の容姿までは覚えてなかったが、つらつら言えるところを見ると彼女は本当に覚えているらしい。

「でもそんなに沢山生きてるなら、海賊になったのは1回だけじゃないだろう」

「そうですけど、眼帯はそのときだけだったんです。それにね、左目が見えないのに、彼凄く強くて」

「惚れ直したと?」

「はい。あと見えないはずなのに私が死角に立つと必ず気づいてくれたんです。その上『見えなくても、お前のことだけはすぐ分かる』とか言われたときはもうね、胸がキュンとしすぎて死ぬかと思いました」

 ってかその後すぐ死にましたけど、と言う彼女に俺はうっかり笑ってしまう。

 それに気をよくしたのか、彼女は19回目を皮切りに、357回で出会った俺のことを一人一人取り上げて褒めちぎりはじめた。

「32回目の時にね、初めてご飯を作ってくれたんです」

「59回目くらいからは甘党に目覚めたみたいで、ケーキばっかり食べてるのが凄く可愛かったなぁ」

「87回目、あれは忘れられません! 私のピンチに駆け付けた彼が、そいつは俺の女だって凄い格好良く悪者から私を奪い返してくれたんです」

「100回目はきりが良い数字だったせいか、いつもより長く一緒に暮らせたんです。はじめて一緒に暮らして、そして私より家事が出来る彼にちょっと嫉妬しました」

「140回目、初めて彼に抱いて貰いました。きっかけはあんまり良い事じゃなかったんですけど、だからこそ凄く優しくしてくれて、大事に触れてくれるのがわかって、あれ以来私彼に触られるのが凄く好きになりました」

 さすがに恥ずかしくなった俺がやめろと言うまで、彼女は嬉しそうに俺との想い出を一つ一つ掘り返した。

「お前がどれだけ好きなのかはもう分かった」

「そうですか? まだまだ伝わってない気がするんですけど」

「お前が言い足りないだけだろう」

 ぐへへと笑う辺り、図星らしい。

 そんな間抜けな笑顔を見ていると、何故だか苛立ちがこみ上げてきて。俺はふと、意地悪な質問を投げかけてしまう。

「でもお前がそんなに好きでも、相手はどうかは分からないだろう。むしろお前の勢いに飲まれてたとか、他に思惑があったかも知れない」

「それはつまり、彼が私のことを……」

「好きじゃないとしたら、どうする」

 尋ねて、そして後悔した。だが彼女の方はやはり相変わらずの笑顔で、胸を張っている。

「ありえません。だって、彼の優しさは本物でした」

「だがそれが演技だとしたら?」

「演技?」

「例えばその、お前に好きでいて貰わなきゃいけない理由があって、わざと優しくしていたとしたらどうする」

 さすがに答えずらいかと思ったが、彼女は僅かに悩んだだけだった。

「全部が嘘だったらさすがにちょっと悲しいです」

 自分で引き出しておきながら、その言葉に傷ついている自分に気付き俺は情けなくなった。

 だが、この期に及んで彼女に嫌われたくないと思っている姑息な自分に思わず苛立った時、彼女が予想外の言葉を繋げる。

「でも、それでもやっぱり私は彼が好きです。だって、例え理由があっても彼が私にしてくれたことはかわらないから」

「お前の為じゃなかったとしてもか?」

「だって、そもそも私が彼の為になにもしてないんです。いっつも彼に迷惑かけてばかりで、何をやっても彼にかなうものもなくて、だから最近なんて彼におんぶにだっこで、一緒にいるときはひたすら甘えるばかりで」

 でも、それでも彼の優しさを感じていたくて甘えてしまうのだと彼女は凹む。

 しかし彼女が凹んでいたのは一瞬だった。

 彼女は憂鬱な顔を吹き飛ばす勢い頭を振ると、またいつもの笑顔に立ち帰った。

「でもやっぱり、それでも彼は私のことが好きだといます! だってもし本当に嫌いだとしたら、あんなに優しくしてくれるわけ無いです!」

 そうに決まっていますと胸を張る彼女に、俺は再び吹き出してしまう。

「そこ、笑う所じゃなくて私の逞しさを褒めるところですよ」

「自分で言うなよ」

「だって彼は私の恋人です。恋人の気持ちを疑うなんて、酷いこと出来ません」

 たしかに、俺は彼女のそう言う無駄にまっすぐなところがきらいじゃなかった。

「おまえはいい女だな」

「心が込もってません」

「込もってるよ。ただ、俺は本音が表に出にくい男なんだ」

「ウチの彼に似てますね」

 言って、彼女は嬉しそうに俺を見つめる。

「だからきっと、先生にも素敵な彼女がきっとできますよ」

「ほっとけ」

「ほっとけません。何でか分からないけど、なんかほっとけません」

 なら、ほっとくなよと言いかけた口を、俺は慌てて噤んだ。それから俺は思わず苦笑する。

 どうやら俺は、彼女に忘れられたことが想像以上にこたえているらしい。

「お前みたいのが、彼女だったら良かったのかもな」

「わっ、私には彼が…」

「分かってる、別に奪う気はないさ」

 俺はお前にふさわしくないと目を伏せると、突然彼女が俺の手を握る。

 驚いて彼女を見ると、何故か彼女の方も驚いた顔をしている。

「すっすいません、さっきからなんかその、体が勝手に」

 それから慌てて、彼女は握っていた手を放そうとした。

 だがそれよりも早く、俺は彼女の腕を掴み無理矢理引き寄せた。

 抵抗はなかった。

 ただあまりにも自然に、俺の腕に彼女の体は包み込まれた。

 近づいた温もりと彼女の香りに、俺は柄にもなく泣きたくなった。

 この温もりが、香りが、こんなにも心を落ち着かせるのに、どうして今の今までそれに気づかなかったのだろう。

「先生、あのっ……私……」

「じっとしてろ」

「じっとしてろって、さすがにこの体勢は……」

 と言いつつ、彼女もまた俺の服をギュッと掴んでいる。だがそれは無意識の行為らしく、俺をのぞき込む顔は動揺に揺れていた。

「私には、彼がいるんです」

「知ってる」

「愛してるんです」

「散々聞いたよ」

「だからその、先生も素敵な方だとは思うんですけど、私は……」

 続く言い訳が聞きたくなくて、俺は彼女の言葉を唇で塞ぐ。

 塞ぐだけでは満足できず、息まで奪うほど深く舌を差し入れると、彼女もまたそれにつたなく答えた。

 深く、だが彼女が逃げられるように優しく、俺は角度を変えながら彼女と口づけを交わす。

 永遠にも思える長い時間をかけて彼女を味わい、そして俺はゆっくりと彼女から顔をはなした。

「あと、残り9回あるがどうする?」

 俺の言葉に、彼女の瞳が揺れた。

「私、彼が……」

「好きなのは知ってる」

「ちっ違うんです。好きだけど、愛しているのに、なんだかおかしくて……だから先生にそれを聞きたくて……」

 言いながら、彼女は慌てて体を離す。

「きらいになる理由がないのに、突然心の底から好きって言えなくて……違和感があって……だから」

 だから先生にと何かを言いかけて、突然、彼女が額を強く抑えた。

 痛いとこぼれた苦しげな声に、俺は反射的にベッドから飛びおりた。

 同時に、彼女が頭を押さえて床に崩れ落ちる。

 俺もあまり余力はなかったが、彼女が床に頭を打たないよう支えるだけの力は何とか振り絞れた。

「おいっ! しっかりしろ、おいっ!」

 頭が痛いと繰りかえす彼女に俺は医者にもかかわらず、どうしてやることも出来なかった。

 それでも原因を突き止めなければと、彼女を診察室に運ぼうとして、そこで俺は気付いた。

 僅かに開いた病室と廊下を繋ぐ扉の向こうから、ぞっとする笑顔がこちらを覗いていたのだ。

※7/10誤字修正しました(ご指摘ありがとうございました)

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