ある小説の背景
新潟日報に毎週月曜日掲載の読者文芸欄「コント」で、2011年1月10日に掲載された作品です(新潟日報社に掲載OKの確認を得たため載せています)。
ベストセラー作家Yによると「物語を書くなんて事は、考えた登場人物が自然に踊ってくれるからさほど難しい事じゃない」そうだ。嘘か誠か、登場人物を考えさえすれば、後は彼らがイメージの世界で動き回るんだとか。
そんな彼が1年掛かりの大作「勇戦記」を書き、たちまちベストセラーになった。とある国の内戦を背景に、一人の貧民が民衆を率いて活躍する話だった。貧民は王となり、専制君主を排除し、平和な国を築く事を誓い物語は終わる。多くの読者は、主人公と対立しながらも最後には自ら犠牲となり仲間を救う、マルコという登場人物に共感した。
しかし、Yはこの大人気の最中、不可解な死を遂げてしまったのだった……
1年前、Yは「勇戦記」の構想に取り掛かり、得意の手法で登場人物を生み出していった。主人公は貧しいが正義感に燃える青年とし、彼の理想通りに動いてくれそうだった。
いや、他人は信じないだろうが、実際にYの生んだ登場人物は動いていた。彼にも説明出来ないが、人物達は小人のように存在し、部屋を動き回って物語を展開するのだった。彼はそれを眺めながら、描写するだけで良かった。これこそYの小説の秘密だった。
こうして次々とキャラクターを造り出していったが、Yは主人公を補佐する役の必要性を感じた。そこで生まれたのがマルコだった。
産みの苦しみという言葉があるが、まさにマルコはそれで、Yの思う通りに全く動かず、事ある毎に主人公と対立を繰り返した。Yは想定しているストーリーから外れていく様子が気にくわないものの、キャラクターが動くままに書くスタイルを変える事が出来ず、そのままの情景を描写した。
だが、彼は途中で、意外にも面白い話になっている事に気付いた。主人公が順調に突き進んでいくよりも、内部対立しながらも成長していく姿が、思いの外うまく展開されていた。マルコの憎たらしさが良い方に転んだ訳で、「登場人物が自然に踊ってくれる」のを改めて実感したのだった。
こうして執筆は順調に進んだ。引き立て役マルコのお陰で、起伏のあるストーリーとなり、登場人物は机上で激しい戦闘を繰り広げた。それを見て、Yは気分良く筆を走らせた。
ところが、マルコの主人公への対抗意識は並大抵の物ではなかったようで、主人公の暗殺を企てたり、軍令に背いたりするようになった。ついには主人公が大怪我をしてしまい、勝利目前にして、進撃不能を余儀なくされた。
Yは焦った。盛り上がってきた物語が、マルコ一人のせいで台無しになろうとしている。彼は初めて登場人物の意向を無視した。マルコは実は誰よりも自軍の事を考えており、主人公回復までの時間稼ぎの為に、自らを犠牲にして仲間を救うという話にねじ曲げた。
書き終えた瞬間、マルコの身体は消失した。ストーリー上、いなくなった人物は存在する事が出来ないのだった。この事態に、主人公達は騒然とした。しかし戦いは続いている。Yの思惑通り、皆が「マルコの分まで」という意志で戦い抜き、ついに勝利したのだった。
書き上げたYは大満足だった。最高の作品が出来たと思った。そして「完」の文字を入れようとした時、
「ぐあっ」
彼は背後から斬り付けられた。振り向くと、主人公の軍勢が彼に攻撃してきたのだった。
「俺達は踊っているんじゃない、お前に踊らされているんだ」
彼らは怒っていた。突然マルコを殺した事で、皆、Yを信用しなくなっていたのだ。そして反乱の機会を待ち、主人公が平和な国を築くと同時に、専制君主Yを殺したのだった。
「暴虐の徒は討ち果たした!これより平和な国を築いていく事を宣言する!」
と宣誓して「完」の文字を書いたのは主人公だった。それを終えると彼らは姿を消した。